演劇「マニラ瑞穂記」。1898年(明治31年)8月(第1幕)と翌1899年(明治32年)3月(第2幕・第3幕)のマニラが舞台だ。当時のフィリピンは独立革命の真っただ中だった。第1幕はスペインの植民地支配にたいする独立軍の戦い(この時点では独立軍はアメリカの支援を期待していた)、第2幕・第3幕はフィリピンの領有権をスペインから2000万ドルで‘買った’アメリカにたいする失望と敗北感が背景だ。
当時マニラには多くの日本人がいた。この芝居では、領事、軍人、革命家、女衒(ぜげん)、‘からゆきさん’(売春婦)などが登場する。身分も境遇もさまざまな人たちが繰り広げる熱いドラマだ。
ドラマは第2幕に入って動き出す。あとは一気に引き込まれた。敗北感に陥った革命家たちの離散、からゆきさんと革命家との恋、軍人のからゆきさんに寄せる想い、軍上層部の謀略、軍人と女衒との対決、アメリカによる女衒の捕縛など。
からゆきさんたちの逞しさが感動的だ。心揺さぶられるものがあった。ドラマの中心は女衒だが――女衒と領事との関係を軸に、軍人や革命家たちが絡む展開――、ドラマの最後には、からゆきさんたちが大きくクローズアップされる。その、逞しく、したたかで、かつ明るい生き様が前面に出てくる。作者の秋元松代がほんとうに共感し、わたしたちに伝えたかったことは、これだと感じられた。
この芝居は、大づかみにいうと、近代日本の裏面史だ。時も所も特定された、あるピンポイントの記録。肝心な点は、この芝居にはその時その場所の‘熱気’が封じ込められていることだ。その熱気は舞台に渦巻く。
そしてもう一つ、この芝居にはそれが書かれた時代――1964年(昭和39年)初演――の熱気も刻印されている。わたしはそのことを、プログラムに掲載された早瀬晋三氏のエッセイ「南洋日本人の雄大で哀れな物語」で教えられた。高度成長時代の‘熱気’。人々がぶつかり合いながら、熱く生きていた時代が刻印されている。
今思うと、そういう二重の熱気に揺さぶられたのだ。熱い生き方、熱い言葉、言葉の実体、実体のある生き方、そういったことに、たしかな手応えを感じたのだ。そこに昨今の軽薄な出来事からは失われたことを感じたのだと思う。
女衒の千葉哲也、領事の山西惇、軍人の古河耕史、その他演劇研修所の修了生の皆さんの熱演に拍手、拍手、拍手。
(2014.4.10.新国立劇場小劇場)
当時マニラには多くの日本人がいた。この芝居では、領事、軍人、革命家、女衒(ぜげん)、‘からゆきさん’(売春婦)などが登場する。身分も境遇もさまざまな人たちが繰り広げる熱いドラマだ。
ドラマは第2幕に入って動き出す。あとは一気に引き込まれた。敗北感に陥った革命家たちの離散、からゆきさんと革命家との恋、軍人のからゆきさんに寄せる想い、軍上層部の謀略、軍人と女衒との対決、アメリカによる女衒の捕縛など。
からゆきさんたちの逞しさが感動的だ。心揺さぶられるものがあった。ドラマの中心は女衒だが――女衒と領事との関係を軸に、軍人や革命家たちが絡む展開――、ドラマの最後には、からゆきさんたちが大きくクローズアップされる。その、逞しく、したたかで、かつ明るい生き様が前面に出てくる。作者の秋元松代がほんとうに共感し、わたしたちに伝えたかったことは、これだと感じられた。
この芝居は、大づかみにいうと、近代日本の裏面史だ。時も所も特定された、あるピンポイントの記録。肝心な点は、この芝居にはその時その場所の‘熱気’が封じ込められていることだ。その熱気は舞台に渦巻く。
そしてもう一つ、この芝居にはそれが書かれた時代――1964年(昭和39年)初演――の熱気も刻印されている。わたしはそのことを、プログラムに掲載された早瀬晋三氏のエッセイ「南洋日本人の雄大で哀れな物語」で教えられた。高度成長時代の‘熱気’。人々がぶつかり合いながら、熱く生きていた時代が刻印されている。
今思うと、そういう二重の熱気に揺さぶられたのだ。熱い生き方、熱い言葉、言葉の実体、実体のある生き方、そういったことに、たしかな手応えを感じたのだ。そこに昨今の軽薄な出来事からは失われたことを感じたのだと思う。
女衒の千葉哲也、領事の山西惇、軍人の古河耕史、その他演劇研修所の修了生の皆さんの熱演に拍手、拍手、拍手。
(2014.4.10.新国立劇場小劇場)