Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

モダン・アート、アメリカン展

2011年10月17日 | 美術
 国立新美術館で開催中の「モダン・アート、アメリカン」展は、アメリカの19世紀中頃から第2次世界大戦後まで(アメリカがヨーロッパにたいして後進国であった時代から世界の最前線に躍り出た時代まで)の美術を俯瞰する内容だ。作品はすべてワシントンのフィリップス・コレクションの収蔵品。

 期待したのは1950年代の抽象表現主義(ニューヨーク・スクール)の作品群。ところがこれは空振りというか、期待したほどの熱さを感じなかった。ジャクソン・ポロックとかマーク・ロスコといったスター画家たちの作品が、それぞれの本領を発揮する大作ではなかったことがその一因かもしれない。

 といっても、サム・フランシスやヘレン・フランケンサーラー、ロバート・マザウェルなどの力作が来ているので、あながち展示作品のせいだけでもない。多分感性が鈍っているのだろうが、それを棚に上げていうなら、今これらの作品は歴史的な評価に晒される時期にきたと感じた。ちょうど音楽では同時期のダルムシュタットの作曲家たちにいえるように。

 結局、自分でも意外だったが、一番面白かったのはジョージア・オキーフだった。美術史のコンテクストから抜け出した個性の強さを感じた。チラシ(↑)にも使われている「白地に暗赤色の大きな葉」(1925年)は、オキーフ特有の官能性を感じさせる作品だ。この種の作品にエロティックなものを感じるのは、わたしの品性のさもしさであって、官能性=生命の力と感じるべきだと反省した。

 新しい発見もあった。アーサー・G・ダヴArthur Garfield Doveというオキーフと同時代の画家(オキーフは1887年~1986年。ダヴは1880年~1946年)。この画家の作品は6点来ていた。まず「赤い太陽」(1935年)で夕日の赤色に一種の強さを感じ、最後の「ポッツオーリの赤」では、巨大な岩石が浮遊しているような奇妙な形態と、えんじ色とクリーム色のコントラストに目を見張った。

 国吉康雄(1889年~1953年)の作品が来ていたことも嬉しかった。アメリカの画家として評価されているわけだ。作品は「メイン州の家族」(1922~23年頃)。後年、日米開戦によって引き裂かれたアンデンティティーに苦しむ時期の作品ではなく、幸福感を漂わせた幻想的な作品だ。

 金曜日の夜間開館。すいている館内をのんびりと、行ったり来たりしながら、気ままに観て回ることができた。
(2011.10.14.国立新美術館)
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