Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

青木繁展

2011年08月11日 | 美術
 ブリヂストン美術館で開催中の「青木繁展」。今年は没後100年に当たる。もう100年なのか、まだ100年なのかはともかく、28歳と8か月で亡くなった人なので、普通に生きていれば、没後50年くらいであってもおかしくない。

 青木繁は1882年(明治15年)の生まれ。生地は福岡県久留米市。1899年に上京。1900年に東京美術学校(後の東京藝術大学)入学。1904年卒業。同年、代表作「海の幸」制作。当時22歳。1905年、「大穴牟知命」(おおなむちのみこと)制作。1907年、「わだつみのいろこの宮」制作。

 なんだか年譜を辿るような書き方になったが、本展であらためて感じたのは、その画業が1904年にいきなりピークにたっし、1907年までのわずか3年間しか続かなかったことだ。それ以降も制作は続けられるが、テンションは弱まり、1910年の「朝日(絶筆)」を最後に翌年没した。

 青木繁の画業は6~7年間の短さだったけれども、ほかの画家と同じくらいドラマティックだったことが、本展では感じられた。

 「海の幸」を見るのは何十年ぶりか。忘れもしないが、学生時代にいっぱしの放浪気分で九州を旅したことがある。そのとき、この絵を見たくて、久留米の石橋美術館に立ち寄った。勢い込んでこの絵の前に立ったときの戸惑いを、今でも覚えている。少しも美しくなかったのだ。今なら、この絵は一種の未完の作で、構図を決める各種の線が残っていたり、未完の部分が残っていたりすると思えるが、当時、なにかの画集でこの絵を見て、ロマンティックな幻想を膨らませていたわたしには、なにも理解できなかった。

 今回この絵の前に立ったとき、意外に小さいので、別の戸惑いがあった。実寸70.2×182.0センチメートルだが、わたしの記憶のなかでは、この倍くらいあった。若き日の幻想は、その後の人生でもずっと生き続けていたようだ。

 本展では「大穴牟知命」と「わだつみのいろこの宮」が向かい合って展示されているので、これらが一種の対の作品であることもわかった。どちらも裸体の男性を頂点にして、2人の女性がそれを支える三角形をなしている。「大穴牟知命」はその横ヴァージョン、「わだつみのいろこの宮」は縦ヴァージョン。

 「朝日(絶筆)」には打たれた。「海の幸」と同じころから描き続けたモネ風の海景画が、この世のものとは思われない光にあふれた絵に結実するとは、思いもよらなかった。
(2011.8.10.ブリヂストン美術館)
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