Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

蝶々夫人

2011年06月16日 | 音楽
 新国立劇場の「蝶々夫人」。以前このオペラは苦手だったが、数年前から好きになった。自分なりの視点ができたからだ。そのきっかけはドレスデンで観た公演だった。詳細は省くけれども、そのときの演出は、アメリカ人の異文化にたいする無理解、傲慢、横柄さを描くものだった。考えてみれば、原作はアメリカ人が書いたわけで、これはアメリカ人による自己批判の作品だ。

 今回の演出は栗山民也さん。栗山さんらしく実に丁寧な作り込みだ。その意味では感心するほかないが、終わってみると、なにか思想的なものはなかった印象だ。その原因の一つは、シャープレスの描き方が凡庸で、影が薄く、ドラマにあまり関与していなかったからだ。上記のドレスデンの公演では、ピンカートンを批判する役割を担っていた。別にそういう役割でなくてもよいのだが、より明確に描いてほしかった。

 とはいっても、栗山さんの演出は、日本的なしぐさに目を配り、島次郎さんの美術、勝芝次朗さんの照明ともども、音楽にぴったり寄り添って、上質な舞台を作り上げていた。全編にわたってシルエットが使われているのも面白かった。わたしとしては、第2幕の最後(本公演では第2幕第1部の最後)のハミングコーラスの場面が気に入った。蝶々夫人の心象風景を視覚化した演出だ。

 タイトルロールはオルガ・グリャコヴァOlga Guryakova。強い声の持ち主だ。登場の第一声から、「おおっ」と思った。舞台を囲んだ半円形の装置が反響板の役目をはたしたからかもしれない。声質は暗め。スラヴ系のオペラもよさそうだ。今秋にはドヴォルザークの「ルサルカ」に出演する予定なので期待したい。ヴィジュアル的にも美しい人だ。

 なおこれは演出上の意図だったのかもしれないが、「ある晴れた日に」では、なんとなく始まり、なんとなく終わった感じがした。スズキを相手にした長いモノローグの一環という印象だった。このアリアは、普通は思い入れたっぷりに歌われ、まさに西欧的な感情の表出になるわけだが、今回のようにさらっと歌われると、日本的な文脈から外れることがない。それはそれでよいのだが、実のところ、わたしは一瞬「キーを下げたかな」と思ってしまった。

 指揮はイヴ・アベルYves Abel。いつもベルリン・ドイツ・オペラで振っている人で、今年2月には「カルメル会修道女の対話」を聴いたばかりだ。以前聴いた「ドン・パスクヮーレ」がとくによかった。今回の「蝶々夫人」も、オーケストラの感度がひじょうによく、これは指揮者の手腕だと思った。オーケストラは東京フィル。
(2011.6.15.新国立劇場)
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