アチャコちゃんの京都日誌

あちゃこが巡る京都の古刹巡礼

428 あちゃこの京都観光日誌 新シリーズ「今からでも行ける京都歳時記」 地蔵盆 市内各所

2018-08-24 09:02:46 | 日記

地蔵盆 市内各所 8月24日~25日 

この場合の地蔵菩薩とは、町内にある「辻地蔵」をお祭りする行事であり、子供中心に行われる。地蔵菩薩は六道のすべてに顔が利くことと、特に子供の守り仏である事は以前に書いた。親より先に亡くなった子供たちが、賽の河原で迷っているのを救うのが目的で始まったとも言われる。

「地蔵盆」の画像検索結果

ユネスコの世界文化遺産にも指定されている。

「地蔵盆」の画像検索結果数珠まわし

昨今、親の事情により土日開催が多い。また、子供自体が少なく開催そのものが少なくなっている。「数珠回し」という宗教行事も行われるが、テントを張ってゲームをしたり夜は花火をしたり折々にお菓子の抽選会など楽しい行事が中心だ。筆者の育成地ではお地蔵さんはなかったので、他の地域の友達がたくさんのお菓子をもらっているのは羨ましかった。

提灯

男の子が生まれれば「白い提灯」女の子なら「赤い提灯」を掲げる。地域みんなで子供を育てるのだ。「幼児虐待やいじめ」などあり得ないのである。


番外 評判悪いが、渡世人登場

2018-08-23 15:54:11 | 日記

ちょっと俺にも言わせろ!なに?評判が悪いから渡世人は登場させるなだと?
黙っていられねえんだ。

「渡世人」の画像検索結果

懲役から戻ったら親分が、今時のヤクザは日経新聞ぐらい読めって言うので、読んでいると、裏の小説が許せねえ!金持ちのおやじが好き勝手に女遊びしやがって、何の芸術性もストーリーの面白さもねえ。見れば書いてやがるのは、女の奴だと?そいつは男経験無いんじゃねえか?「上がる女と、上がらない女。」?なんだと!自分から男の腹の上に股がるか、男に誘われ股がるかの違いだと。馬鹿野郎!女は慣れれば慣れるほど、うぶなネンネの振りをするもんだ。自分から男の上に股がるやつなんぞいねえ。あと、なんだ?股がって自分でイクか?大概の女は男の丁寧な指の技でイクんだ。イイ年こいたオッサンが中折れして、若い女の濡れ具合を楽しみやがって。(怒)

「女性上位の体位」の画像検索結果「騎乗位の体位」の画像検索結果案外人気ない

ワシも長い刑務所暮らしで、中折れ気味で困ってらぁ!しかしあの最中にあんなこと思い出すか?余程変人だろうあの男。金持ちの考えるコタぁ分からねえが。
なに?それだけで10万円の車代だと。

「女が走る」の画像検索結果

それを聞いた隣でよがってたワシの女!急いで日経に行っちまった。その金持ちのおじさん、紹介しろって!
あの小説に謎の女が登場し、渡世人が恐喝するってのは、どうだい?
ただしあの女を抱いたら他の女には行けねえ。何故って、言っても良いがblogの品位を落とすぜ!

「日経小説」の画像検索結果馬鹿野郎

教えてやるか?林真理子には


427 あちゃこの京都観光日誌 新シリーズ「今からでも行ける京都歳時記」 六斎念仏

2018-08-23 09:18:37 | 日記

六斎念仏 京都各地

中堂寺六斎念仏

およそ日本の芸能と言うものは、宗教的儀式が原点であるとされる。仏教も元々は比叡山や高野山で修行をし「解脱・悟り」を得るものとされてきた。しかし空也上人が比叡山から庶民の中に降りて来て「念仏踊り」を広めた事から、修行から誰でも出来る「念仏」が宗教儀式となって行った。

「6さい念仏」の画像検索結果光福寺六斎念仏

単にお経を読む事から、踊り歌う行事へと昇華して行ったのだろう。一種の陶酔儀式でもあったと想像する。六斎念仏は、仏教上、月に6日の斎日に勤行をする事から始まった。しかし現在は、斎日というよりお盆や一定のお祭り儀式として全国に広まっている。

「6さい念仏」の画像検索結果風流花笠踊りに発展したのもの・・。

京都においては、踊る歌うだけではなく、鉦(かね)太鼓・笛など楽器を用いて発展をし遂にはストーリー性を持ち「狂言」として独自の進化を遂げる。今日の能や狂言から歌舞伎に至る古典芸能のすべての原点がここにあるとされる。壬生寺の大念仏狂言などは「国の重要無形民俗文化財」に指定されている。

「6さい念仏狂言」の画像検索結果千本えんま堂狂言「6さい念仏狂言」の画像検索結果嵯峨釈迦堂

一部の超人が行う宗教儀式が、こうして一般庶民に普及したのだ。

「山」で行う仏教が、「里」に下りて来たのだ。

京都手帳から、この時期開催される六斎念仏を列挙する。

「6さい念仏狂言」の画像検索結果壬生大念仏狂言 ほとんどが民間伝承で守られる。

8月16日 壬生寺 中堂寺六斎念仏

  18日 御霊神社 小山郷六斎念仏

  20日 光福寺 田中村六斎念仏

  22日 浄禅寺 上鳥羽六斎念仏  上善寺 小山郷六斎念仏

  24日 竹林寺 中堂寺六斎念仏

京都はまだまだ深い・・・・・。

 

 

  


426 あちゃこの京都観光日誌 新シリーズ「今からでも行ける京都歳時記」 六地蔵巡り

2018-08-22 08:59:04 | 日記

 8月22日~23日 京都六地蔵巡り

「六地蔵巡り 京...」の画像検索結果お幡

地蔵菩薩は六道に迷う亡者を救うと言われる。特にこの1年以内に亡くなった「新盆」を過ごした精霊たちはいよいよ閻魔様の裁きを受ける。その時、口利きはお地蔵さまに頼むのが良い。地獄の沙汰も金次第と、十分なお布施も必要だろう。そんなことを思いながら6つの地蔵菩薩を巡るのが「六地蔵巡り」である。

その昔、1本の木から6体の地蔵を彫り出した小野篁は、伏見大善寺に安置した。篁は、熱病にうなされ実際にお地蔵さまに地獄で救われて生き返ったとされる。後世、平清盛が西光法師に命じて京都の6つの街道入り口に安置した。伏見大善寺~鳥羽浄禅寺桂地蔵寺~常盤源光寺~鞍馬上善寺~山科徳林庵と順番に巡る。(勿論順番は問わないが、この通り回った方が効率が良い。)

「六地蔵巡り 京...」の画像検索結果曜日に関わらず22日~23日

今日明日は、バスツアーも出ているが自動車で一日で回れる。各寺で人出が多く駐車場に困るが、ちょっと離れたコインパーキングに止めてちょっと歩く覚悟ならば大丈夫だ。「お幡」という縁起物を頂き玄関につるす。


大善寺 六地蔵

鳥羽地蔵 浄禅寺 袈裟御前の恋塚がある。

桂地蔵 地蔵寺 木の最も下部から掘り出した。姉井地蔵ともいう。

常盤地蔵 源光寺 

鞍馬地蔵 上善寺 以前は深泥池辺りにあり「深泥池地蔵」とも言われる。

山科 徳林庵 旧東海道の守護。出店など一番賑わう。


426 あちゃこの京都観光日誌 新シリーズ「今からでも行ける京都歳時記」 箸休め 「桂離宮に行って来た。」

2018-08-21 08:05:14 | 日記

桂離宮も修学院離宮も所詮、金と時間に余裕のある方達の道楽である。今なら酒、女、博打と言うことになるが、そこはやんごとない貴族の方々である。

「桂の宮智仁」の画像検索結果「桂の宮智仁」の画像検索結果「後水尾」の画像検索結果
左から、智仁親王、智忠親王、後水尾上皇。

「後水尾」の画像検索結果

八条宮智仁親王は、正親町天皇の孫で、後陽成天皇の弟である。室町時代は極端に朝廷の財政が逼迫し御二人の父君は天皇になる前に亡くなった。つまり正親町天皇が長生きしたのだ。財力があれば上皇になって天皇を譲りたかったはずだ。即位の礼も出来ないほど苦しかったのだ。重要な事は、後陽成とその子(後の後水尾天皇)とが不仲であったことだ。次期天皇は弟の智仁宮にしたかった。けど出来なかった。何故か、智仁宮は以前、豊臣家の養子となっていた。秀吉の後の関白が確定していた、しかし甥の秀次が継いでしまい、その後淀君に男子が誕生し養子を解消した。その事が、徳川政権下では傷となった。その為、長い余生を無為に過ごすこととなったのだ。

甥の後水尾天皇との確執もあり対抗心も当然あったと思う。しかし徳川和子、東福門院の財力には勝てず、結果後の修学院離宮には規模で全然及ばない上に完成にも至らなかった。息子の智忠親王の奥方の加賀前田家の財力を得て何とか今の桂離宮が完成したのだ。
その時、叔父の後水尾上皇に行幸させているのが面白い。


舟遊びに使うので、「海の灯台」風に低く作られた燈籠。


宿泊施設としての「書院」2代智忠親王の時代に完成。有名な「桂棚」がある。


月見台。納涼場としても良い。


書院玄関。6人分の履物が置ける玄関石がある。女性は無関係です。


御幸門。後水尾上皇の為に作られた。


衝立の松。いきなり庭園全体が見えないようになっている。


州浜。前方は天の橋立。転落者続出の石橋??


御幸通。


ガイドさんは、宮内庁の係員。マニュアルを正確に読んでいた。質問には「係員に聞いてきます・・。」

可愛いから、許します。♡