後期ゴシック彫刻・市民運動・演劇教育

小学校大学教師体験から演劇教育の実践と理論、憲法九条を活かす市民運動の現在、後期ゴシック彫刻の魅力について語る。

〔100〕大冊『横浜事件と再審裁判』は、まさに「治安維持法との終わりなき闘い」を刻印したものです。

2016年07月19日 | 図書案内
  このブログも昨年から初めて約1年半になりますが丁度今回で100回目です。私にとっては、まあよくやって来たなという記念すべきブログに、渾身の魂を込めた大著を2冊紹介します。

  皆さんは、横浜事件のことを知っていますか。戦時下最大の言論弾圧事件と言われていますが、その内容を詳しく知る人はそう多くはないでしょう。私もそうでしたが、清瀬の市民運動(清瀬・憲法九条を守る会、清瀬・くらしと平和の会)で木村まきさんと出会うなかで関心を持ち始めました。まきさんは、冤罪事件に巻き込まれた故・木村亨さんのお連れ合いです。
 まきさんら2人の遺族は、「裁判記録が焼かれるなどして再審請求が遅れ、名誉回復ができなかった」として損害賠償を求めた訴訟を起こしていました。先日、敗訴の判決が降りたのです。しかし、原告は控訴しました。
 朝日新聞は次のように報道しました。

●横浜事件、国の賠償責任認めず 元被告遺族の請求棄却(朝日新聞、2016年6月30日)
 戦時下最大の言論弾圧とされる「横浜事件」をめぐり、再審で2008年に「免訴」が確定した元被告2人の遺族が、「裁判記録が焼かれるなどして再審請求が遅れ、名誉回復ができなかった」として、国に計1億3800万円の損害賠償を求めた訴訟の判決が30日、東京地裁であった。本多知成裁判長は国の賠償責任を認めず、遺族の請求を棄却した。
 判決は、元被告らを逮捕した神奈川県警特別高等課(特高)が取り調べで拷問があったことを知りながら起訴した検察官や、有罪とした裁判官に「職務上、不十分で違法な対応があった」と認めた。だが、1947年の国家賠償法施行前の行為について国は賠償責任を負わない、と判断した。
 訴えていたのは、中央公論社の編集者だった木村亨さんと旧満鉄調査部員の平舘利雄さんの遺族。2人は1943年に「共産主義を宣伝した」として逮捕され、取り調べで過酷な拷問を受けた。終戦直後の45年9月に、治安維持法違反の罪で有罪とされた。
 86年に再審を請求したが、裁判記録が焼却されて存在しないことなどから横浜地裁が棄却。平舘さんは91年、木村さんは98年に死去した。
 遺族による第3次再審請求が認められて05年に再審が始まったが、横浜地裁は治安維持法の廃止を理由に、2人を含む元被告5人について、有罪か無罪かを判断しないで裁判を打ち切る免訴とし、08年に最高裁で確定。一方で横浜地裁は10年、実質的に「無罪だった」と判断し、5人で計約4700万円の刑事補償を認める決定を出した。
 だが2人の遺族は、無罪ではない免訴では、名誉が回復されないとして12年に提訴。拷問でうその自白を強いたり、裁判所が終戦直後に記録を焼却したりしたことの違法性を認めたうえ、43年から毎年100万円分の賠償をそれぞれの遺族に支払うよう国に求めていた。(千葉雄高)

〈横浜事件〉 1942~45年、中央公論や改造社、朝日新聞社などの言論・出版関係者約60人が「共産主義を宣伝した」などとして神奈川県警特別高等課に治安維持法違反容疑で逮捕された事件の総称。拷問による取り調べで4人が獄死したほか、約30人が有罪判決を受けた。元被告らが86年から4度にわたり再審請求したが1次、2次は棄却。3次と4次は再審を認めたものの、いずれも治安維持法の廃止などを理由に有罪、無罪を示さない「免訴」の判決が言い渡された。

 東京新聞では、原告や支援者の様子についてかなりリアルに伝えています。彼らの怒りが伝わってくるようです

●東京地裁「横浜事件」国賠認めず 「法施行前の責任なし」(東京新聞2016年7月1日
 戦時中最大の言論弾圧とされる「横浜事件」で有罪判決を受け、再審で免訴が確定した元被告二人の遺族が、国に計一億三千八百万円の損害賠償を求めた国家賠償訴訟の判決が、三十日、東京地裁(本多知成裁判長)であった。判決は特高警察による拷問や、裁判記録の廃棄を「違法行為」と認定。一方で公務員の違法行為について、当時は国に賠償責任を負わせる法律の施行前だったことから「国が責任を負う根拠がない」として、請求を棄却した。原告側は控訴する方針。
 訴えたのは、出版社「中央公論社」社員だった故木村亨さんの妻まきさん(67)と、南満州鉄道(満鉄)調査部員だった故平舘利雄さんの長女道子さん(81)。
 判決は、当時の特高警察による取り調べについて「竹刀で多数回殴りつけるなど拷問で自白を強制しており、違法行為だったことは明らか」と指摘。「拷問の事実を認識しながら、二人の有罪判決を確定させており、検察官や裁判官にも不十分で違法な対応があった」とした。
 また、保管が義務付けられた裁判記録が存在しないことについては「裁判所職員による何らかの関与の下、廃棄されたと推認できる」との判断を示した。
 その上で「当時は公務員の違法行為について国に賠償責任を負わせる法律が施行(一九四七年)前で、国が責任を負う根拠がない」として、国の賠償責任は認めなかった。
 原告側は、有罪、無罪を判断しないまま再審公判を打ち切った免訴判決の違法性も主張したが、判決は「再審で無罪判決を得ることで二人の名誉回復が実現できると考える遺族の心情は理解できるが、免訴判決で有罪判決は効力を失い、法律上不利益は回復された」と退けた。
 判決によると、木村さんと平舘さんは一九四三年五月、治安維持法違反容疑で神奈川県警察部特別高等課(特高)に逮捕され、有罪判決が確定。
 二人の死後、再審で免訴判決が二〇〇八年に確定し、横浜地裁は一〇年に刑事補償を認める決定を出した。
◆原告「生きている限り闘う」
 判決後、東京・霞が関の司法記者クラブで記者会見した木村まきさんは「司法の犯罪は、司法自らの手で裁かれなければならない。生きている限り闘っていきたい」と気丈に語った。
 二〇一二年十二月の提訴から三年半。計十八回に及んだ口頭弁論での準備書面や証人尋問の内容に自信を持っていただけに「勝訴を確信していたのに逃げられた。司法の姿勢を疑わざるを得ない」と憤った。
 「おかしいぞ」「ふざけるな」。午後一時十分、東京地裁六一一号法廷で請求を棄却する判決が言い渡されると、法廷内に怒号が飛び交った。地裁正門前では弁護士が「不当判決」と書かれた紙を掲げた。
<横浜事件> 雑誌「改造」に共産主義を宣伝する論文を掲載したなどとして、1942~45年、編集者ら約60人が神奈川県警察部特別高等課(特高)に治安維持法違反容疑で逮捕された言論弾圧事件。取り調べ中の拷問で4人が獄死し、終戦直後に約30人が有罪判決を受けた。

 『横浜事件と再審裁判』『資料集成 横浜事件と再審裁判』という2冊の大冊が発行されました。まさに「治安維持法との終わりなき闘い」を集大成したものです。

*『横浜事件と再審裁判』横浜事件第三次再審請求弁護団編著、インパクト出版社、306ページ、3000円+税、2015.2
〔オビ〕「治安維持法との終わりなき闘い」戦時下、未曾有の出版・知識人弾圧事件、特定秘密保護法下のいま、再審裁判をとおして検証する
 治安維持法違反容疑で作り上げられた「横浜事件」。獄死者四名。生き延びた被害者と家族は、事件を背負い続けた。特高の拷問による虚偽の自白を唯一の証拠として有罪判決。
 司法は、GHQの上陸による戦時中の人権抑圧の暴露をおそれ、横浜事件の判決など裁判記録のほとんどを焼却した。
 被害者は敗戦後から闘い開始。一九八六年の第一次再審では、判決文がないことで棄却され裁判が長期化。ついに第三次において再審開始決定が確定。
 司法とは、この国とは。九八年から十年余に及ぶ第三次再審請求弁護団の活動を、弁護士各人が冷静に分析しつつ、熱く、豊かに綴る。

*『資料集成 横浜事件と再審裁判』横浜事件第三次再審請求弁護団編、インパクト出版社、477ページ、4600円+税、2016.6
〔オビ〕「治安維持法との終わりなき闘い」あの時代の再来を防ぐために!
 第三次再審請求弁護団の十二年に及ぶ裁判闘争の重要書面(再審請求審、即時抗告審、再審公判、上告審、刑事補償請求)を時系列で掲載。年表や多数の写真によっても記録した。横浜事件における国家の権力犯罪と司法の責任を糺す必携の資料集。