江別創造舎

活動コンセプト
「個が生き、個が活かされる地域(マチ)づくり」
「地域が生き、地域が活かされる人(ヒト)づくり」

伝統文化・歴史への回帰3

2013年08月22日 | 歴史・文化

 昭和53年2月、井上元則らがふるさとの自然を創刊しました。
前後して、52年度野幌公民館主催の原始林などが舞台の自然教室が開講しました。

 54年度には同館の山菜入門テレフォンサービスが開講されるなど、足許の自然を再認識し、保護し、慈しみ、都市の開発、生活との調和を求める活動等が活発化しました。

 さらに、52年12月、市は野幌の湯川公園内に屯田兵屋を復元しました。
また、市教育委員会は、53年度から庶民の生活関連資料を中心とした民俗文化財収集事業をスタートさせました。
その後、54年5月、語り継ぐ江別物語の刊行、55年11月8回連続講座ふるさと学級の開催など、地域の歴史と風土再訪の試みが続きました。

 そして、56年4月、中村斎、加賀谷玲子らにより江別の歴史を語る会が発足、翌57年7月、会誌江別の歴史創刊号を刊行しました。
同誌上では、金堀場正の屯田兵屋物語など、一連の屯田兵村研究、近藤憲二の江別空襲の実態、高間和儀の雑穀の街・えべつなどの所産を得ることとなりました。

 この間、篠津の萩原一郎がわたしたちの祖先(54年)、上江別の砂川道明が砂川家家族史(56年)をまとめるなど、この時期それぞれの領域、分野において官と民、公と私それぞれが、足許にアイデンティティを追求する営みを開始しました。
 それは、モダンからポスト・モダンへの緩やかな転換期と歩を一にするものでした。

 こうした多様性の中での確たるものへの志向は、開基100年の、江別のまちの内側から成熟にいたる、一つの先駆兆候といってよいでしょう。

註:江別市総務部「えべつ昭和史」513頁.
写真:昭和57年7月創刊江別の歴史
同上書512頁掲載の写真を複写し、当ブログ掲載いたしておりあmす。

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