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江別創造舎

活動コンセプト
「個が生き、個が活かされる地域(マチ)づくり」
「地域が生き、地域が活かされる人(ヒト)づくり」

町道の認定

2019年09月12日 | 歴史・文化

 道路法は、大正7年( 1918年)12月の帝国議会で可決され、同9年4月に施行されました。

 道路法は、北海道に関し道路の種類、等級、路線など、規定により勅令で別に定めることができるものとし、法施行と同時に北海道道路令が施行されました。

 北海道道路令による道路の種類は、5つです。
 まず国道、地方費道、準地方費道、区道(市道)、町村道に分かれました。
江別関係の国道は、東京より旭川(陸軍第七師団司令部所在地)に至る国道27号が認定されました。
当時の国道の定義は、「主トシテ軍事ノ目的ヲ有スル路線」と、明快でした。
 ちなみに、この時主務大臣が認定した国道は38、うち道内3路線でした。

 地方費道、準地方費道は、北海道長官が認定しました。
 道路法施行前、江別町域を通る地方費道は、札幌稚内線(現国道275号)だけでした。
 国道は、国庫の負担、地方費道以下は、北海道長官が拓殖上必要と認めたものに国庫補助(拓殖費)が交付されました。
 道路法施行を前に、大正9年2月の江別町会は、次の26路線を町道に認定しました。
1.兵村一番通り、2.兵村二番通り、3.兵村三番通り、4.兵村四番通り、5.当別街道、6.兵村十三戸通り、7,兵村横通り(各丁目通り)、8.対雁渡船場ニ至ル近道、9.雁来街道、10.対雁川下道路、11.墓地道路、12.角山道路、13.上の月道路、14.広島道路、15.野幌一号線道路、16.野幌二号線道路、17.伊達や指揮道路、18.志分別道路、19.試験場道路、20.官林本通り、21.当別街道、22.篠津村堤防道路、23.三十一線道路、24.三十二線道路、25.三十線道路、26.新兵村道路

 道路に関する町村の重要課題は、町村道をいかに早く地方費道、準地方費道に昇格させるかである。それは、道会議員や町村長などの手腕が期待されました。ちなみに、この年、道会議員に当選した河合才一郎は、自分に課せられた役割は、石狩川治水の促進と、「道路の問題では、江別、広島間の道路、幌向村から江別駅間の道路の修繕を地方費でやること」(大正13年12月11日付北海タイムス)と、力説しました。その河合の奮迅もあったのでしょう。
大正13年、幌向―江別太道路(通称幌向街道)が地方費道に編入されました。大正14年、広島街道が地方費道補助(3割)により改修を行い、翌15年も継続されました。さらに、この年には、長沼、江別線が準地方費道路に昇格しました。
  そのうち、広島街道については、「本町ヨリ広島村ニ至ル道路ハ 近年同地方著しく発展ニ伴ヒ逐年交通ニ加へ 且「野幌駅」近村ヨリ生産ノ農産物ノ大部分及野幌官林ノ木材等年々多額の搬出ヲ見 殊ニ本道路ハ本町ヨリ隣村廣島恵庭ニ通スル」大正15年1月18日町会、議案14号)拓殖上極めて重要な道路です。

 町会は町当局に対し1日も早く地方費道移管実現のため、強力な請願運動を行うよう迫りました。


註 :江別市総務部「新江別市史」244-245頁.
写真:昭和20年代石狩大橋〜美原方面へ帰る馬車の列が通る様子
   同上書244頁写真4-21掲載写真を複写・掲載致しております。



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