江別創造舎

活動コンセプト
「個が生き、個が活かされる地域(マチ)づくり」
「地域が生き、地域が活かされる人(ヒト)づくり」

江別駅の開業

2019年01月20日 | 歴史・文化

 明治13(1880)年、幌内鉄道は手宮側から着工され、同11月、手宮ー札幌間が開通、運転式が行われました。

 明治14(1881)年4月から江別からの敷設工事が始まりました。
 この工事は、豊平川ー江別間を5工区に分け、それぞれ請負いに出したもので、江別、野幌には建設小屋が建ち、江別には出張所も置かれました。この工事(鉄道敷設)に使う木材供給林として野幌原始林110万坪が指定され、大量の原木が切り出されました。

 幌内鉄道・札幌ー江別間は、明治15年6月試運転開始、同年11月3日手宮ー幌内鉄道間約90メートルが開通しました。
 これは、新橋ー横浜間(明治5年)、京都ー神戸間(同10年)に次ぐ国内3番目という先進府県を飛び越えての開通となったのです。
 ちなみに、東海道線新橋ー神戸間は明治22年、東北線上野ー青森間が同24年の開通でした。

 明治16年、プラキストン線の構想を発表したトーマル・W・ブラキストンが開業間もない幌内鉄道を札幌から幌内へと向かいました。

 以下、プラキストン著『蝦夷地の中の日本』を引用。
「線路は、トドマツが猛然とかなり広く茂った幾らか高くなっている土地を走るようになる。この土地はナポロ(野幌)と呼ばれている。単線の鉄道が深い峡谷にかかっている非常に危な気な格好の陸橋(註現在の大麻沢町大麻西公園付近)が敷設されているところを通り、そこからさらに数マイル森林を抜けると、いきなり江別川縁の草に覆われている地域の開けた小さな土地へ出る。
 ここには、札幌から13マイル半離れている駅があって、この駅は、本流と江別川の合流点にある屯田兵の小さな村の便宜のため」設けられた江別駅である。この駅を過ぎると、江別川に架かっている橋は木造だが、杭を打ち込んだ構造である。そこから線路は石狩河畔に横たわる低い平地を通り、この辺り一帯が被る洪水を防ぐための小さな堤防の上にあがる」

 プラキストンが車窓から眺めた江別駅(木造平屋、22坪)は、15年11月の開業です。
 また、江別鉄道橋(橋長75.26メートル)は同13年に着工されました。



註:江別市総務部「新江別市史」183-186頁.
写真:現在の江別駅


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