北電は、基本方針に立ち、跡地利用は①北電自身の事業施設を立地することを最優先とし、②土地の細分利用を避けるとともに、③総合的に緑化し、地域の開発計画に調和した土地の維持保全を行う、を重点方針としました。
これに加え、変変所と同一敷地であること、ほかの研究機関との距離的な近接性は現状と変わりないこと、さらに加えて、江別のRTN構想に合致し、地元要望に応えることができるなどの理由から、総合研究所の移転が現実の日程表にのぼりました。
こうした経過を辿り、火力廃止の跡地利用としては、総合研究所の移転に加えて花奔栽培センターの解説、そして鉄道用地については市に無償で譲渡し、市はこれを北電の歴史を顕彰した遊歩道四季のみちとして残すことになったのです。
平成3年3月、北電株式会社火力発電所の3号機の運転が停止されました。
昭和10年12月の大日本電力株式会社(昭和9年12月北海道電燈株式会社かあら社名変更)江別火力発電所の稼働から数え、55年間にわたる火力の火が消えたのです。
閉所式は、平成3年3月27日、全ての発電機が止まり静まりかえった同所構内で橋本北電副社長、岡市長ら約100人が出席し、しめやかに行われました。
註:江別市総務部「えべつ昭和史」643-644頁.
写真:昭和3年3月27日閉所した北電江別火力発煙所
同上書643頁掲載写真を複写し、当ブログ掲載いたしております。