江別創造舎

活動コンセプト
「個が生き、個が活かされる地域(マチ)づくり」
「地域が生き、地域が活かされる人(ヒト)づくり」

主な市民運動

2014年07月14日 | 歴史・文化

 昭和53年12月、石倉清、藤原正吉らが中心となり、市立病院を市民と共に考える会が発足しました。

 石倉清、藤原正吉共、市立江別総合病院運営審議会委員として答申作りに参加しましたが、その後1年経過したにも関わらず、再建策の具体的な展開が見られないことから、考える会を組織、活動を開始しました。

 昭和54年2月、同会は14項目の再建実施計画大要を土台とした提案をまとめ、市理事者、病院当局との懇談をはじめ、3月には民主クラブ、江政クラブ、市民クラブ(社会党、公明党、共産党は欠席)との意見交換を行うなど再建の早期着手に関し、関係者の奮起を促しました。

 9月初旬、議会開催を前に再び市理事者と会い、全体的な取り組みの甘さについて苦言を呈しました。
さらには、議会議員あてに14項目およびそれに対応する同会独自の案に対する考えをただす質問書を出す等、いわば院外団体として精力的な活動を展開しました。

 一方、江別地区労働組合協議会(地区労)においては、昭和51年4月江別市民の医療を守る会を結成しました。
諏訪田勝衛(会長)、神正士、砂田幸雄らが中心となり、公立病院の公的使命の観点から、赤字即合理化断行に対し反対を表明すると共に、(1)地域的なかたよった医療供給体制の改善、(2)江別にない診療科の親切、(3)医療行政の改善、などを目的に運動を展開することになりました。

 そして、道衛生部長や市理事者交渉、あるいは江別、野幌、大麻(おおあさ)地区における市民集会の開催、全戸ビラ配布などで市職労闘争の全面支援の構えをみせました。



註:江別市総務部「えべつ昭和史」616-617頁.
写真:昭和46年開院20周年江別市立病院全景
 同上書605頁掲載写真を複写し、当ブログ掲載いたしております。


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