市営リンクの造成と運営管理については、江別市連合青年会の裏方での活躍について、(特に)屋外の仮説リンクついてです。
昼間の暖気や滑走で氷は荒れ果てています。
そのリンク整備のため、24時間体制で裏方仕事をこなしたのが連青の有志たちでした。
各リンクの脇に設けられたプレハブの事務所兼宿泊所に泊まり込み、午後11時頃氷点下10数度の寒気の中で第1回の水まきが始まりました。
飛鳥山のリンクでは、コース全体に水をまくのに約1時間、これが凍るのに、また1時間から2時間、それを数回繰り返しました。リンクコンディションによっては、徹夜になることもしばしばでした。
当時、同青年会会長でした五十嵐忠男によると『教育委員会からリンクを作りたいんだけれども、青年団でやってくれないかって。どうやって作るんですかって聞いたさ。そしたら雪分で水まいて作るっていうわけさ。なんも道具ないんだもの。とにかく道具がないんだから青年団集まれぇーって、大動員してさ。そうだナ、40~50人くらいかな。そして、まずはみんなして雪踏み固めて、それからホースで水まき。そして凍ったところへ、今度雪が降ったわけさ。今みたいに除雪機あるわけでないから、手にスコップ持ってやるわけ。そうして、夜中、シバレがきつくなってきたら、水をまくんだけれども、もう寝ないでやったんだ。一晩でできるわけないから、何日も何日もかかって、だんだん氷の層を厚くして』と、農閑期の農村青年でなければやり通せぬ時間と手間のかかる作業だ。並の気力や体力では長続きはしない。まさに、連青有志の協力奉仕がなければ市営リンクの運営は成り立たなかったのです。
事実、賃金的にはならないほど有利な出稼ぎをやめ、地域に留まっての彼らの奉仕活動は特筆大書すべきものといえます。
註:江別市総務部「えべつ昭和史」580-581頁.
写真:飛鳥山スケートリンク
同上書580頁掲載写真を複写し、当ブログ掲載いたしております。