江別創造舎

活動コンセプト
「個が生き、個が活かされる地域(マチ)づくり」
「地域が生き、地域が活かされる人(ヒト)づくり」

俳句の好風会

2011年09月04日 | 歴史・文化

 昭和5年、俳句結社・好風会が解散しました。

 明治35年頃結社の好風会は、江別における最も早い文化団体の一つでした。
東西野幌に入地した民間開墾移民団北越殖民社や殖民社に隣接の野幌煉瓦工場関係者を中心に起こったもので、江別の文化活動の嚆矢といってもよいものでした。

 結社時の主なメンバーは、殖民社の指導者のひとりであり、その死(明治44年9月)に際し関矢孫左衛門が『風騒ノ道ヲ楽シム、其趣味ヲ傍ノ同朋ニ奨メ、為ニ本部落文学ノ勧誘スル其陰ニヨルモノト云フベシ』(野幌部落史)と、弔辞で讃えた松川安次郎でした。
 それに小説家、脚本家として著名な久保栄の父親で、二瓢の号をもつ北炭野幌煉瓦工場の責任者久保兵太郎、その兵太郎の発案である野幌名物・煉瓦餅の佐野利吉など錚々たるものでした。

 各会員の家を巡り会場に、盛んに月並み句会や献灯句会などを催していましたが、松川ら指導者の死亡や転出などにより活力を失い、解散のやむなきにいたりました。

註:江別市総務部「えべつ昭和史」109-110頁.
写真:煉瓦餅を手がける煉瓦餅本舗株式会社

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