江別創造舎

活動コンセプト
「個が生き、個が活かされる地域(マチ)づくり」
「地域が生き、地域が活かされる人(ヒト)づくり」

飛騨屋の大規模石狩場所伐採

2011年03月26日 | 歴史・文化

 元禄13(1700)年、武川久兵衛四代倍行とその弟藤助倍時は、南部大畑にて木材商として、飛騨屋を開業しました。

 その2年後の元禄15(1702)年に福山に渡りました。
飛騨屋は、松前藩の許可を得て、伐木運材に取りかかりました。そして、享保4(1719)年松前藩に運上金825両を納め、東蝦夷地臼(有珠)山の伐木経営を請け負いました。
伐木は、オフケシ川(虻田川)、ベンベ川、オサルベツ川の流域の唐桧その他樹木の伐採を行いました。

 特に、飛騨屋の石狩場所の伐採は、大規模なものでした。
石狩の伐採地は、石狩川左岸の漁川、札幌川(現豊平川)上流の密林地帯、幾春別川上流一帯及び漁川上流の空沼岳の西山麓には鍛冶屋、持子小屋、杣小屋、釜小屋、元小屋等の山小屋の大集落ができていきました。
 
 蝦夷桧の木目が美しく、献上物の台・障子・曲物などに用いられ、桧の代用として多く使われました。その他、帆柱、桁、角材、平物として使用されました。

(参照)
当ブログ2011年3月21日(月)「蝦夷地と飛騨屋久兵衛」
当ブログ2008年6月19日(木)「飛騨屋と石狩山伐木」
当ブログ2008年6月 7日(土)「元禄御国絵図」

註:飛騨屋久兵衛研究会「飛騨屋久兵衛」16-18頁.
写真:岐阜県下呂市所在下呂温泉博物館

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