デューク・アドリブ帖

超絶変態ジャズマニア『デューク・M』の独断と偏見と毒舌のアドリブ帖です。縦横無尽、天衣無縫、支離滅裂な展開です。

フィニアス・ニューボーンがハンプトンのバンドに飛び入りした

2009-05-10 09:51:37 | Weblog
 サックス奏者のジェローム・リチャードソンがライオネル・ハンプトンのバンドで全米ツアーに参加したころを回想している。「そのとき、飛び入りで演奏したいという地元のピアニストが現れた。だがハンプのバンドにはミルト・バックナーというブロック・コードを考案した名ピアニストがいた。当然ミルトはその地元のピアニストにいい顔をしなかった。だからそのピアニストがバンドに加わったのは、ステージが終了する直前だった。ところがそのピアニストは信じられない演奏をした・・・

 ・・・彼の名前はフィニアス・ニューボーンといった。不世出の名ピアニストのひとりだ」と。51年、メンフィスの出来事である。クインシー・ジョーンズやアル・グレイ、シンガーのアーネスティン・アンダーソン、一時的とはいえクリフォード・ブラウンやウェス・モンゴメリー、チャールズ・ミンガスも在籍した名門バンドに飛び入りするのは酔っ払いか、よほど腕に自信があるか、どちらかだ。当時の音源は残されていないが、大学で音楽を学び習得した高度なテクニックと、音楽一家に育ち自然と身に着けたスウィング感を持ち合わせているニューボーンのこと、リチャードソンが目撃したようにそれは信じられない演奏だったのだろう。

 ハンプトンのバンドに参加し、より以上にテクニックを磨いたニューボーンの記念すべきデビューアルバムが、「ヒア・イズ・フィニアス」だ。両手からめまぐるしく連打される音は対立的なラインを構築しながらユニゾン・プレイを形成するジャズ・ピアノの美学ともいうべき演奏で、アート・テイタムの再来とまでいわれた驚異的なテクニックが披露されている。サポートするオスカー・ペティフォードとケニー・クラークは幾多のセッションを熟したベテランだが、おそらくこれほど完成度の高いピアノとは思わなかっただろう。眩惑的なタッチと奔放なフレーズはデビューアルバムとは思えないほど貫禄さえ感じられる。

 当時のハンプトンのツアーは苛酷なうえ、バンド内の生存競争も激しく、黒人のミュージシャンが泊まるホテルもなければ食事をするレストランもなかったという。ニューボーンは精神障害で何度も入院し活動を中断しているが、奇跡的にカムバックできたのはハンプトンのツアーで学んだ逆境に耐えうる精神力だったに違いない。
コメント (20)
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