デューク・アドリブ帖

超絶変態ジャズマニア『デューク・M』の独断と偏見と毒舌のアドリブ帖です。縦横無尽、天衣無縫、支離滅裂な展開です。

1年を300ドルで暮らしたオーネット・コールマン

2009-05-24 08:23:39 | Weblog
 五代目古今亭志ん生師匠の自叙伝「びんぼう自慢」には、噺のタネにもなった家賃がタダのなめくじ長屋の真実が明かされている。住むつもりでやってきた人も命あっての物種とばかりに2、3日で逃げ出す長屋も、一軒住めば、あとは順々に埋まるだろうという家主の心づもりだったらしく、そのオトリになったと。その生き方が落語そのものとまで言われた師匠の売れなかった極貧時代のことだ。

 落語家ばかりでなくジャズマンもご多聞にもれず売れなかった時代にはびんぼう自慢が多いが、なかでも凄いのはオーネット・コールマンで、1年を300ドルで暮らしたという。62年に開いたタウンホール・コンサートは、ジャズの歴史を揺るがす演奏と騒がれても生活は好転せず、一時ジャズ界から姿を消したころの話だ。58年にドン・チェリーらを従えて初のリーダー・アルバム「サムシング・エルス」をコンテンポラリーから発表した後、メジャーのアトランティック・レコードから実験的な作品を送り出し、知名度は高いにも拘らずこの処遇であった。フリージャズというスタイルが認められるまでの時間を物語っている。

 59年にアトランティックから発表した「ジャズ来るべきもの」は、当時賛否両論を巻き起こした作品で、従来のコードに囚われず、定型的な演奏手法から逸脱した自由度の高いものであった。とりわけ、のちにフリージャズのスタンダードになるコールマンの代表作「ロンリー・ウーマン」は、サックスとドン・チェリーのコルネットが微妙にずれた状態でテーマを奏でることで不協和音を醸し出すのだが、それでいてテーマの美観を崩すことはない。アルバムタイトルの「The Shape Of Jazz To Come」は、コールマンのよき理解者であり、アトランティックに推薦したジョン・ルイスが、演奏を聴いて呟いた言葉だという。確実にジャズの革命は進んでいた。

 62年というと為替レートは固定相場制で1ドル360円である。1年を10万円で暮らしたコールマンは、おそらくなめくじ長屋のような所に住んでいたのかもしれない。お金で家は買えるけれど家庭は買えないように、時計は買えても時間はお金では買えない。師匠もコールマンもどんなに悲惨な生活であっても無駄な時間はなく、それはお金には換えられない誇り高い芸術家としての貴重な時間である。
コメント (30)
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