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デューク・アドリブ帖

超絶変態ジャズマニア『デューク・M』の独断と偏見と毒舌のアドリブ帖です。縦横無尽、天衣無縫、支離滅裂な展開です。

DAY BY DAY Jazz Quartet 2020

2020-01-05 08:48:09 | Weblog
 明けましておめでとうございます。気になるレコードがまだまだありますので、今週は書こう、来週こそ更新しようと思いながらもサボり癖が付いてしまい、昨年は僅か3本しかアップできませんでした。そんな目新しいものがないなか毎日多くのアクセスをいただきました。古くからの読者の皆さんは勿論のこと、検索エンジンでヒットしたのをきっかけにご覧いただいた多くの方々に感謝申し上げます。

 不定期更新ですが、外せないのが正月恒例の福笑いです。私の隣は毎年ユニークなジャケットを考え出すベーシストの鈴木由一さんです。繊細且つ大胆な低音の響きは脳天を直撃するでしょう。そして札幌で一番頼りになるドラマー、佐々木慶一さんです。昨年は黒岩静枝さんのサポートは勿論のこと、山岡未樹さんの道内ツアーや自己のユニット「4S」を率いて多くのライブを開催しました。隣はギタリストの志藤奨さんで、私がリクエストする難曲に果敢に挑戦してくれます。練習量がステージにそのまま反映されますので聴くたびに魅了されるでしょう。私が根城にしているジャズスポット「DAY BY DAY」の素敵なメンバーです。

 拝借したジャケットはSAVOYの「Modern Jazz Quartet」です。ミルト・ジャクソンのリーダー・セッションとして、1951年にディジー・ガレスピーのレーベル「Dee Gee」に吹き込まれたものと、52年にマイナーレーベルの「Hi-Lo」に録音したものを集めたオムニバス盤ですが、52年に結成してから20年以上も継続する名門コンボMJQの土台になった作品といえるでしょう。MJQとして形作られた美は完成されておりませんが、ともにガレスピー楽団で切磋琢磨したジャクソンのブルージーなヴァイブと、ジョン・ルイスの折り目正しいピアノの絡みは、ビバップから一歩抜け出した新鮮な空気を感じ取れます。

 今年はチャーリー・パーカー生誕100周年にあたります。ジョン・ルイスにデイヴ・ブルーベック、シェリー・マン、ペギー・リーもともに1920年生まれです。ジャズ史を彩ったビッグ・アーティストを不定期ですが話題にしようと思っておりますので、時折ご覧いただければ幸いです。また、過去の記事で気になるものがございましたら何なりとご意見、ご感想をお寄せください。今年もよろしくお願いいたします。

ジョン・コーツJr.はペンシルベニア州の片田舎にいた

2019-11-24 09:26:36 | Weblog
 おそらく札幌市民の誰一人として2020年東京五輪のマラソンと競歩が札幌移転になるとは思っていなかったろう。9月末にドーハで開催された陸上世界選手権の女子マラソンで、高温多湿の影響により4割のランナーが途中棄権した事態を考慮してのことらしい。準備してき小池都知事や都民の怒りはわかるが、「ドーハの悲劇」(どこかで聴いたなぁ)を招くと開催地ばかりかIOCの責任問題にも発展するのでベストではないがベターな判断と思う。

 一連の報道で度々耳にしたお名前が、IOC副会長のジョン・コーツ氏だ。ここから久しく忘れていたピアニストとレコードを思い出した。The Jazz Piano of John Coates Jr.・・・嗚呼、とあのキース・ジャレットに似たスタイルを思い出された方もおられるだろう。録音は1974年で、国内盤の発売は遅かったもののリアルタイムで輸入盤が出回り、随分と話題になったものだ。74年というとキースはアメリカでデューイ・レッドマンやチャーリー・ヘイデンと組む一方、ヤン・ガルバレクとヨーロピアン・カルテットを結成した絶頂期なので、早速キースのそっくりさんが現れたのかと思ったが、何と影響を受けたのはキースというから驚きだ。

 ペンシルベニア州の片田舎のジャズ・クラブでハウス・ピアニストとして活動していたコーツをキースが聴いたのは高校生の時だったという。個性的なハーモニーやメロディーライン、動と静が織りなすリズムにキースが憧れたのもうなずける。これだけのピアニストが何故、この場所に甘んじていたのか不思議ではあるが、中央に出たからといって誰でもが録音の機会に恵まれ、名声と人気を得るわけではないし、音楽的な才能を伸ばせるとは限らない。都会の喧騒に邪魔されず、ミュージシャン間の競争に要らぬエネルギーを費やすよりも、空気の馴染んだ生地でひたすら自己の音楽を研鑽するのもジャズ・ピアニストとしての生き方のひとつだ。

 マラソン開催の依頼があったとき、札幌市長は二つ返事で引き受けたという。市民の半数以上が開催に反対している2030年の冬季五輪の誘致につながると思ったのだろうか。警備態勢やボランティアの確保、そして費用負担と課題は山積みだ。更に短い札幌の夏を満喫できる大通公園のビアガーデンも発着点となるため開催が危ぶまれている。言わば市民を締め出す形だ。イベント成功と市民感情への配慮、日本ハムファイターズを札幌ドームから追い出した「実績」のある札幌市の手腕が見ものだ。


カーネギー・ホール階上の高級アパートに暮らすドン・シャーリーとは何者か?           

2019-03-10 08:51:10 | Weblog
 グリーンブック・・・今年のアカデミー作品賞を受賞した映画のタイトルであり、黒人が利用できるホテルやレストラン、ガソリンスタンド等の施設を記した本のタイトルでもある。この旅行ガイドブックの名前は、「JAZZ」で知られるノーベル文学賞作家のトニ・モリスンや、「Jazz Poet of the Harlem Renaissance」のラングストン・ヒューズ、「黒人はこう考える 人種差別への警告」のジェイムズ・ボールドウィンらの小説に出てくるので黒人文学を愛読されている方はご存知だろう。

 映画の内容は多くのレビューに紹介されているので省くが、ジャズピアニストのドン・シャーリーが主人公だ。カーネギー・ホールの上にある高級アパートに住み、ケネディ大統領に招かれてホワイトハウスで演奏したほどの著名な音楽家だが、ビッグネイムとの共演がないため日本では全く知られていない。ではレコードは?アンディ・ウィリアムスやエヴァリー・ブラザーズのヒット曲を出している Cadence レーベルから多くのアルバムがリリースされているものの、国内盤が出たことは一度もない。偶に輸入盤のバーゲンの箱に紛れ込んいることもあるが、スタンダードが収録されていてもチェロの入った編成のためイージーリスニングと思いスルーする。

 実際シャーリーはどのような演奏をしているのか。映画をご覧になった方はお分かりと思われるが、クラシックとジャズを融合した格調の高いスタイルだ。日本、特にジャズ喫茶世代は敬遠するタイプだが、「モーニン・ウイズ・ヘイゼル」で知られるヘイゼル・スコットもこの形で何枚ものレコードを残しているので、本国では好まれるのだろう。映画の影響でCD店には多くのタイトルが並んでいる。このベスト盤はスタンダード中心で馴染みやすい。ストラヴィンスキーが「彼の技巧は神の領域だ」と言わしめたほどのテクニックを聴けるが、何よりもスウィングしているし、シャーリーの人間性や人生観、音楽観、また敢えて差別がきつい南部にツアーに出た理由を知って聴くと味わい深い。

 どのアカデミー作品も批判されるのが常だが、この映画では舞台の1962年当時のアメリカ南部の差別の実態を考えると甘すぎるという意見があるそうだ。確かにその通りかも知れないが、劇中紹介されるナット・キング・コールが襲われた話だけでも差別の凄まじさが見えてくる。全部見せるのが映画ではない。1935年にテディ・ウィルソンを雇ったベニー・グッドマン、1958年にビル・エヴァンスを誘ったマイルス、この白人と黒人のロードムービーからグッドマンとマイルスの偉大さを再認識した。 

Presenting DAY BY DAY ALL-STARS

2019-01-06 09:11:48 | Weblog
 明けましておめでとうございます。一人でも多くの方にジャズの魅力を伝えるため始めたブログも早いもので14年目に入ります。昨年の3月までは毎週欠かさず日曜日にアップしてきましたが、諸々の事情により更新も不定期になり、記事数も大幅に減りました。気まぐれなブログにもかかわらず以前と変わらぬアクセスをいただき感謝しております。お寄せいただいたコメントは大きな励みになりました。

 どこかで見たジャケットですが、よく見ると顔が違いますね。体型そのままの私の隣はピアニストの佐藤香織さんです。鍵盤から匂い立つバラードの甘い薫りにうっとりとします。中央はバンドリーダーの佐々木慶一さんです。絶妙なシンバルの一撃とボディブローのように効くバスドラムにノックアウトされるでしょう。ベーシストは毎年この福笑いジャケットを制作している鈴木由一さんです。背骨にズシーンとくる太いビートは堪りません。笑い過ぎて眼鏡がずり落ちているのはギタリストの志藤奨さんです。めくるめくフレーズとメリハリのあるピッキングに時を忘れます。私がこよなく愛するジャズスポット「DAY BY DAY」の素敵な仲間です。

 元のジャケットはジュリアン・キャノンボール・アダレイの初リーダー作「Presenting Cannonball」です。1955年の作品で、チャーリー・パーカーがこの年に亡くなったことから当時は「パーカーの再来」と呼ばれていました。売り出すための宣伝文句ですが、立派にパーカー亡き後のジャズシーンを牽引したのは間違いありません。セッションに参加したのは70年代にキャノンボールとともに流行の波に乗ったナット・アダレイ、生涯スタイルを貫いたハンク・ジョーンズとポール・チェンバース、ヨーロッパに活動の場を移したケニー・クラークです。常に第一線で活躍した錚々たるメンバーです。

 今年も不定期ですが更新する予定です。過去に600本以上アップしていますので、興味がわく内容やご意見があればどの記事からでも構いませんのでコメントをお寄せください。ジャズに関するご質問、ご感想もお待ちしております。タイムリーな話題を織り交ぜながらモダンジャズを中心にディキシー、スウィング、フリージャズ、ヴォーカルまで幅広く話題にしますので、時折ご覧いただければ幸いです。 

ジェリー・マリガンを尊敬しているとアストル・ピアソラは言った

2018-12-16 09:16:04 | Weblog
 上映中やこれから封切予定の作品にシンガーやミュージシャンのドキュメンタリーと彼らを題材にしたものが並んでいる。狂気の天才と呼ばれたチリー・ゴンザレスの「黙ってピアノを弾いてくれ」、クイーンの「ボヘミアン・ラプソディ」、「エリック・クラプトン 12小節の人生」、レディー・ガガ主演の「アリー スター誕生」、ホイットニー・ヒューストンの素顔に迫る「オールウェイズ・ラヴ・ユー」、スキャンダルとバッシングの「私はマリア・カラス」、チケット完売神話の「バルバラ セーヌの黒いバラ」・・・

 そして、「ピアソラ 永遠のリベルタンゴ」。タンゴ界の革命児アストル・ピアソラの生の声が聞ける。タンゴといえば「ラ・クンパルシータ」、ピアソラというとバンドネオンの知識しかなかったが、ジェリー・マリガンとの共演盤「Summit」でピアソラをじっくりと聴いた。哀愁漂うバンドネオンの音色が渇いたバリトンの低音とほど良くマッチして夜の巷を徘徊するような自由と孤独に浸れる。タンゴの情熱や色気と、ジャズの即興と興奮を期待すると手も足もリズムのバランスを崩してしまうが、それぞれの分野で活躍し、楽器を極めた二人のセッションはジャンルを超えた一つの音楽として立派に成立している。

 劇中二人の演奏シーンもあって興味深い。ここでピアソラは尊敬するマリガンと共演できて嬉しい、そして何よりも自分の曲をマリガンが演奏してくれたことに感謝していると語った。ニューポート・ジャズ・フェスティバルの創設者ジョージ・ウェインに言わせると、マリガンは相当な目立ちたがり屋なので、「Line For Lyons」や「Walkin' Shoes」を持ち込みそうにみえるが、この「Summit」にしてもマリガンのは1曲だけで他のトラックはピアソラの曲で占められている。そういえばモンクとの共演でもモンクの曲が中心だった。マリガンは相手に華を持たせる控え目な男だったのかも知れない。

 踊るタンゴを聴くタンゴに変えたピアソラは保守的なファンからバッシングを浴びる。フロアで踊るスウィングジャズから客席で聴くビバップに変わった時と同じだ。その前衛的なタンゴも即興演奏が主体のビバップもやがて主流になる時代がくる。ピアソラがタンゴ革命の可能性を探り、エレキギターを取り入れた楽団を結成したのは1955年のことだ。奇しくもチャーリー・パーカーが亡くなった年である。

前田憲男さんがウエスト・ライナーズで活躍したころ

2018-12-02 09:24:47 | Weblog
 先月25日に亡くなられた前田憲男さんがジャズ界で注目されのは、昭和32年に「西条孝之介とウエスト・ライナーズ」に参加してからだ。「日本のジャズ史」(スイングジャーナル社刊)から当時の様子を抜粋してみよう。「メンバーは五十嵐兄弟=武要(ドラムス)、明要(アルト・サックス)、原田忠幸(バリトン・サックス)、前田憲男(ピアノ)、今泉俊明(トランペット)、金井英人(ベース)の七名で・・・」錚々たるメンバーだ。

 そして、「このバンドを支えたのは、スタン・ゲッツ、リー・コニッツら白人サックス奏者を専門に研究していた西条の知的なプレイと、その「お殿様」のような風貌にあらわれた人柄の良さだったが、もうひとつ、前田憲男のペンに負うところが大きかった」と。当時の音源は「20世紀日本ジャズ大系」にまとめられているので聴くことができるが、三管編成を活かした編曲は見事なものだ。とかく日本ジャズの黎明期は云々と批判する輩がいるが、とんでもない。阿吽のアンサンブルといい、斬新なハーモニーといい、各人の溌溂としたソロといい、アメリカのジャズに劣らない高い水準を満たしている。

 ウィンド・ブレイカーズは前田さんが1980年に日本のトッププレーヤーを集めて結成したバンドだ。ウエスト・ライナーズ時代からの旧友西条孝之介と原田忠幸をはじめ、テナーサックスの稲垣次郎、トランペットの数原晋、伏見哲夫、トロンボーンの原田靖、ギターの沢田駿吾にベースの荒川康男、ドラムスは猪俣猛という、言うなれば重鎮オールスターズである。ジャズが普及していない時代にジャズの楽しさと面白さを伝えてきた人たちばかりなので理屈抜きに楽しめる。タイトル曲をはじめ「Bag’s Groove」、「Satin Doll」、「My Funny Valentine」という耳馴染みのメロディーが輝いているのは、いぶし銀の光沢を放っているからだろう。

 前田さんは、「11PM」や「題名のない音楽会」といったテレビ番組に出演したり、「女心のタンゴ」や「冬のリヴィエラ」という歌謡曲のアレンジも手掛けているので、ポップス畑に見えるが、れっきとしたジャズピアニストである。後に渡辺貞夫も加わったウエスト・ライナーズをトップコンボに成長させたセンスのいいピアニストがいなければ今の日本ジャズの発展はなかったかも知れない。享年83歳。合掌。 

洒落たアズナブールの「JAZZNAVOUR」

2018-10-07 09:11:38 | Weblog
 先週2日の北海道新聞に札幌の「ニトリ文化ホール」が老朽化のため9月末で閉館した記事が載っていた。最後に行ったのは昨年のベンチャーズのジャパンツアーだったろうか。1971年に「北海道厚生年金会館」としてオープンした施設である。半世紀に亘ってコンサートやミュージカル、イベントが開かれていたので、北海道にお住まいの方なら何度か足を運んだことだろう。

 同日の新聞にシャルル・アズナブールの訃報記事があった。1975年に、このホールでコンサートを開いたフランスを代表するシャンソン歌手だ。当時は道東に住んでいて、札幌の知人にチケットを手配してもらったものの、猛吹雪で断念した苦い思い出がある。今年の9月に「生誕94周年特別記念来日コンサート」と題された公演を終えたばかりだ。アズナブールは例えば1ヵ月間通しの公演だと、全く同じステージ衣装を30着用意するという。聴衆の目には同じにしか見えないが、毎日違うタキシードというわけだ。最高のエンターテーナーが観客を迎える最大の礼儀である。

 数あるアズナブールのアルバムから1998年にリリースされた「JAZZNAVOUR」を取り出した。2009年にクレイトン・ハミルトン・ジャズ・オーケストラをバックにしたアルバムを作っているが、こちらの方が洒落たタイトルといい、ミシェル・ペトルチアーニにリシャール・ガリアーノ、エディ・ルイスらの参加ミュージシャンといい、アズナブール自身が作曲した「She」をはじめ往年のヒット曲という選曲といい、親しみやすい作品になっている。ダイアン・リーヴスとのデュオはジャッキー・テラソンも参加した豪華版だ。ジャズファンをも唸らせたシンガーに感謝したい。

 2010年に「ニトリ文化ホール」と名称が変わったのは施設命名権によるものだ。命名権といえば、今年8月に札幌ドームの命名権を売却することが発表された。2023年に北海道日本ハムファイターズが北広島市に本拠地を移したあとはメディア露出が激減する施設に誰が命名するというのだろう。札幌市とドーム関係者の発想力の貧困さと浅知恵に開いた口が塞がらない。

秋吉敏子、88歳、88鍵を語る

2018-07-29 09:26:20 | Weblog
 今月10日のことだ。黒柳徹子さんが司会を務める「徹子の部屋」に秋吉敏子さんが出演するときいて録画した。昼12時からの放送なのでテレビの前に座ることが難しい。こう言っては紫綬褒章や朝日賞、ジャズマスターズ賞を受賞されている音楽家に失礼だが、これがコンサートなら録画してまでは観ないだろう。20年ほど前にソロライブを聴いたのだが、この時秋吉さんのトークに引き込まれた。

 ジャズ誌のインタビューや、その著書「ジャズと生きる」(岩波新書)、「孤軍 その人生と作品」(全音楽譜出版社)で語られている内容と重なるものの、トークは表情からその時の感情がダイレクトに伝わってくる。アメリカのジャズ生活や、ジャズメンとの交流は大変貴重な体験であり、聞き手のこちらもリアルなジャズシーンに浸ることができるし、何と言ってもミュージシャン名のネイティブな発音は嬉しい。バードランドのピー・ウィー・マーケットや、マイルスのゴー・ゴーに乗せてアナウンスするカタカナ表記とは違う発音に興奮したのは小生だけではあるまい。

 ライブとテレビでは話の内容も違うが、人生で一番辛かったという満洲から大分に引き揚げてきた頃の話は遠くを見るような目だった。一方、ジャズ・レコードのコレクターからテディ・ウィルソンの「スイート・ロレイン」を聴かせてもらってジャズの魅力を知った時の様子は口調からも当時の興奮が伝わってくる。バークリー音楽院へ留学した56年に録音した「ザ・トシコ・トリオ」は今も燦然と輝くアルバムで、アメリカに通用する日本人初のジャズレコードと言っていい。マイルス・バンドに参加したばかりのポール・チェンバースと、ピーターソン・トリオのエド・シグペンのサポートが本場ならではの空気感を醸し出している。

 女性の年齢を記すのは甚だ失礼と思うが御年88歳である。鍵盤の数と同じだと笑っておられた。番組のラストで「サマータイム」を弾いたのだが、これが素晴らしい。アメリカに渡った時は日本人ゆえの差別もあったそうだが、今このピアノを聴いてバカにするアメリカ人はいないだろう。9月15日に東京文化会館でルー・タバキンとのコンサートが組まれている。テレビで放映されるなら録画しよう。

西城秀樹の「至上の愛」を聴いたことがあるか

2018-07-01 09:20:08 | Weblog
 記憶が曖昧なので調べてみるとリリースは1975年8月25日というから43年前になる。レコード店で新譜の入荷箱をチェックしているとセーラー服を着た可愛い子が、「至上の愛、入ってますか?」と店員に聞いた。えっ!ジャズを聴く女子中学生は珍しい。コルトレーンならここにありますよ、と声を掛けようと思ったら店員が出したのは歌謡曲のシングル盤だ。この時、5月16日に63歳で亡くなった西城秀樹の名前を知った。

 アイドルといえばルックスだけでろくに歌えないものと決めつけていただけに、その歌唱力に驚いたものだ。「愛」とか「恋」の付くタイトルは山ほどあって、曲名に本や映画のタイトルを並べると同じものがあっても不思議はないが、アイドル音痴の小生でもコルトレーンの代表作と同じとなれば記憶に残る。4部構成の組曲のカバーは考えられなかったが、エルヴィン・ジョーンズがこの神への讃歌をテーマにした曲に挑戦した。「Tribute to John Coltrane : A Love Supreme」は、1992年に新宿ピットインでライブ録音されたものだ。注目すべきはウィントン・マルサリスで、腹心のマーカス・ロバーツとレジナルド・ヴィールが脇を固めている。

 97年にマーカスからマッコイ・タイナーに変わったメンバーで生を聴く機会があった。エルヴィンやマッコイは何度も聴いているがウィントンは初めてだ。ケイコ・ジョーンズの強烈な香水とやたらと長いトークには閉口したが、演奏内容は申し分ない。ピットインの時はコトレーン色が強かったが、この時はウィントンのアイデアが全面に出ている。確かに批判の通りテクニックが目立ち、ジャズロボット感は歪めないが、アンコールで吹いた「I Remember Clifford」は感涙ものだ。初演のジジ・グライスのアレンジを拝借するでもない、モーガンのソロを引用するでもない。目を閉じるとブラウニーが見えた。

 プロ野球の試合中、5回裏終了後に審判の休憩に合わせてグラウンド整備が行われる。札幌ドームでは、このインターバルに西城秀樹の大ヒット曲「ヤングマン」が流れ、ファイターズガールがYMCAダンスを踊る。それに合わせて踊る観客の様子が微笑ましい。今日は黒岩静枝さんを中心に「DAY BY DAY」のメンバーと仲間が、日本ハムを応援するイベントが組まれている。参加者は年々増え、今年は18名だ。皆でYMCAダンスを踊ってみようか。