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デューク・アドリブ帖

超絶変態ジャズマニア『デューク・M』の独断と偏見と毒舌のアドリブ帖です。縦横無尽、天衣無縫、支離滅裂な展開です。

You'll Never Know をロージーで聴いてみよう

2018-04-08 09:37:40 | Weblog


 予告編とレヴューでパスしようと思っていた「シェイプ・オブ・ウォーター」だが、アカデミー作品賞を受賞したというので話の種に観た。米ソ冷戦下のアメリカが舞台で、孤独な女性と不思議な生き物の愛を描いた物語である。「水の形」という原題は意味深長だ。映画関係者が諸手を挙げて褒めちぎっている作品に水を差すようだが、どうにも釈然としない。ノミネートされた作品を全部観てはいないが面白さでいうならこれを超えるものがあった。

 きわどいシーンもあり大人の御伽噺としての楽しみ方もあるが、SFやファンタジーが苦手な小生はどうしても否定的になる。好みは別にして、水も漏らさぬ機密機関の警備を掻い潜るシーンは娯楽性満点だし、芸術的観点からみるなら色使いは見事だ。ティール色と呼ばれる緑がかった青色が全体を包んでいて、主人公の心理が色に映される。また、60年代のアメ車が好きな方なら思わず身を乗り出すシーンがある。ティール色のキャデラックが出てくるのだ。それも新車である。アメ車でなければ似合わない色が一段と輝く。この時代の車を新車と変わらぬ状態で保存しているカーマニアに脱帽だ。

 バックに流れる音楽もシーンに溶け込む。数々の名作を手掛けているフランスの作曲家、アレクサンドル・デスプラが担当しているのだが、サウンドトラック盤を聴くだけで幾つもの物語が生まれるほど深い。挿入歌はマック・ゴードンとハリー・ウォーレンの名作「You'll Never Know」を使っていて、メロディーといい歌詞といいピタリとはまる。映画ではルネ・フレミングが歌っていたが、曲名を聞いてローズマリー・クルーニーの名唱を思い浮かべたヴォーカルファンも多いだろう。ハリー・ジェイムスがヴァースを語るように吹き、ロージーがコーラスを楽器のように歌いだす。心地よさがトランペットのベルから抜け出たように広がる。

 2017年のアカデミー作品賞は、最有力とみられていた「ラ・ラ・ランド」を覆して、黒人が主演した「ムーンライト」だった。前年、男優賞女優賞ともノミネートされたのは全て白人だったため「白すぎるオスカー」と揶揄されたことが遠因とも言われている。アカデミー賞は社会状況や政治に大きな影響を受け、芸術性や作品の完成度の高さだけでは選ばれないときく。水面下で何かが動いたのかも知れない。

札幌ドームが廃墟になる日

2018-04-01 09:29:42 | Weblog
 先月26日に日本ハム・ファイターズが新球場を核としたボールパークを北海道北広島市に建設することを発表した。球団が本拠地にしている札幌ドームから移転する構想を打ち出したのは、2016年春のこと。ドーム側に球場を継続的に使えるフランチャイズ契約を申し込んだものも、それを拒否されたのが発端だ。球団の要望を受け入れず、一方的に使用料を値上げする札幌市と札幌ドームの姿勢に業を煮やしたのだろう。

 移転構想が発表されたとき、札幌市長の弁は驚きを通り越して呆れた。「価格交渉からは入らない」と。球団はドームを使い続けるはずだ、という過信からくる発言だ。出ていくならお好きにどうぞ、と言わんばかりだ。これでは球団が怒るのも無理はない。市長、市の担当者、ドーム関係者の交渉力と先見性、危機感の欠如を露呈した形である。新球場の候補地として数箇所が挙がり、最終的に札幌市真駒内と北広島市に絞られたとき、北広島市に決まるだろうと思ったのは小生だけではあるまい。これだけ札幌市にコケにされた以上、札幌に留まり税金を落とすわけがない。

 新球場は屋根に透明の素材を使うドーム形で、天然芝を敷くという。イメージするならGJTのこのジャケットだろうか。ハンク・ジョーンズにリチャード・デイヴィス、エルヴィン・ジョーンズという組み合わせでスタンダード集となれば顔見世興行にみえる。実際、ジャズ観もスタイルも揺るぎない3人だけに目新しいものはない。だが、何故か引き込まれる。三者それぞれの個性が溶け合い、トリオという美しくて大きい結晶体になる。それが魅力だ。球団と北広島市、そしてファイターズ・ファンの三者が一体になればアジア一のボールパークも夢ではない。2023年の開業が楽しみだ。

  日本ハムが出るとたちまち札幌ドームは赤字になる。この期に及んで、「新球場に移ったあとも数試合はドームで開催してほしい」と寝言をいうドーム関係者もいれば、「ヤクルト・スワローズを準フランチャイズに」、「巨人戦を開催したら」の戯言も聞える。プロ野球に地域保護権があるのをご存知ないらしい。無知と無能のドーム経営陣では潰れるのは目に見えている。付けが回ってくるのは札幌市民である。冗談じゃない!

さようならノーキー・エドワーズ、ありがとうベンチャーズ

2018-03-25 09:40:49 | Weblog
 ノーキー・エドワーズの訃報に接したとき、しばし時間が止まった。ステージでかっこよくモズライトを弾く姿を客席から見ているだけの遠い存在だったが、小中学校からの友人を亡くしたような寂しさだ。拙ブログをご覧いただいている若いジャズファンはご存じないギタリストだが、団塊前後の世代にとっては懐かしい名前であり、60年代後半にエレキギターを手にした人にとっては神様である。

 一大エレキブームが訪れたのはベンチャーズが来日した1965年だったろうか。「ウォーク・ドント・ラン」に「クルーエル・シー」、「10番街の殺人」、「ダイアモンド・ヘッド」、「パイプライン」、「秘密謀報員」・・・次から次へとヒットした。エレキギターが飛ぶように売れ、全国各地で多くのバンドが結成される。今のように映像で簡単にテクニックを学べる時代ではないので、ノーキーのチョーキングや速弾きを会得するため、譜面と睨めっこしながらレコードを何度も聴いて練習を重ねたものだ。お祭りやイベントにエレキバンドは引っ張りだこで、エレキ合戦というテレビ番組に出ることを目指していたバンドは多い。

 ある日、ラジオで驚くべきことを知る。「ベンチャーズでヒットしているキャラバンをオリジナルのデューク・エリントン楽団でお聞きください」と。当時は曲の作者にまで興味がいかず、ヒット曲は全てベンチャーズのオリジナルだと思っていた。後に知ることになる1936年12月19日録音の初演だ。作者の一人ファン・ティゾールも参加したセプテットで、幻想的なアンサンブルは砂漠を行くキャラバン隊を想起させる。そして何よりもクーティ・ウィリアムスにハリー・カーネイ、バーニー・ビガードの煌めくソロはそれまでの音楽観を覆すことになる。体中に電気が走った。いや、正確に言うなら電気が抜けたのだろう。エレキ小僧がジャズ少年に変わった瞬間である。

 「Walk Don't Run」はジョニー・スミスのオリジナルで、ロジャース&ハートが作った曲「Slaughter on Tenth Avenue」はアニタ・オデイが歌っている。マリガンのレパートリー「Lullaby Of The Leaves」や、ビリー・ホリデイの名唱に涙する「Blue Moon」もベンチャーズの演奏で知った。ジャズへの入り口は様々だが、ベンチャーズからこのジャズという魔界に迷い込んだ人もいるだろう。エレキの神様。享年82歳。テケテケテケ・・・合掌。

ジミー・ヒースのビルボード

2018-03-18 09:17:53 | Weblog
 「スリー・ビルボード」がアカデミー賞の作品賞、主演女優賞、助演男優賞、脚本賞、作曲賞、編集賞にノミネートされたとき、間違いなく受賞するのは主演女優賞だと思った。フランシス・マクドーマンドである。迫真の演技とはこれをいうのだろうか、感情がスクリーンを通り越してダイレクトに響く。暴力的且つ破壊的な作品で、主人公の根底にあるのは「怒り」なのだが、この女優が演じると怒れる女ではなく、イカれた女になる。

 「The Three Sounds」に「Three Blind Mice」、「Three Little Words」、比較的新しいのではジャコ・パストリアスの「Three Views of A Secret」・・・コンボもアルバムも曲もネタに事欠かないが、ここはスリーではなくファイブ・ビルボードを持ってきた。映画では3枚の看板だが、上空から見るとこんな感じだろう。ジミー・ヒースは本国で高く評価され、多くのセッションに参加しているのだが、日本での人気はさっぱりだ。20枚以上のリーダー作を全部揃えているジャズ喫茶もなければ、参加作品を全て収集しているコレクターに会ったこともない。ビッグネイムとの共演が少ないと評価されない傾向にあるのは残念だ。

 マイルスが自叙伝で語っている。「オレがトレーンの代わりに雇ったのは、すっかりヤクと切れて刑務所から出てきたばかりの古い友達ジミー・ヒースだった・・・彼ならオレ達がやっている音楽をかなり知っているだろう・・・だが、1953年にジミーと初めてブルーノートでレコーディングした頃に比べて、オレの音楽はずいぶん変っていた・・・だから、彼が得意にしていたビバップ的な演奏から抜け出すのは難しいかもしれないとも考えた」。マイルスの友情に目頭が熱くなる。5年間のブランクがなければ「Someday My Prince Will Come」にクレジットされていたのはハンク・モブレーではなくヒースで、知名度も上がったに違いない。

 ネタバレになるので詳しく書けないが、中盤あたりからどんなラストを迎えるのだろうと推理を巡らしていると、何とエンディングは観客に解釈を委ねる形だ。こういう手法は珍しくないし、作品によってはこれが決定的なラストと語られるのだが、この映画はモヤモヤ感が残った。「怒り」で始まる映画なら「怒り」で終わってこそ観る側の「怒り」を抑えることができる。映画館を出た後、看板を蹴ったのは小生だけではあるいまい。


フランク、ジョン、ポールのジャズチームパシュート

2018-03-11 09:26:33 | Weblog


 始まる前は興味がなかった平昌オリンピックも日本人選手の活躍をみるとテレビの前に釘付けになる。「そだねー」が早くも流行語大賞の候補に挙がっているカーリング女子の最終戦は、ルールがよく分からないものの固唾を呑んで見守った。銅メダルとはいえ会心のジャンプを決めた高梨沙羅のもとに伊藤有希がかけより抱き合ったシーンは何度見ても涙がこぼれる。

 そして華はフィギュア女子だ。金メダルを獲得したロシアのアリーナ・ザギトワの美しいこと。15歳とは思えないほどの色気を放っていた。美しすぎる何々とよく言われるが、ことフィギュア選手は美女であることが条件の一つかと思うほど揃っている。スクリーンから飛び出したようなタニス・ベルビンに、自国フィンランドでモデルの仕事もしているキイラ・コルピ、出てくるだけで銀盤が輝くスイスのサラ・マイヤー、フィンランドの才色兼備といえば数ヶ国語を話せるキーラ・コルピ、今回のオリンピックでは惜しくも銀メダルだったエフゲニア・メドベージェワ・・・

 要らぬ妄想をする前に1957年録音のスケートジャケット「Wheelin’ & Dealin’」を出した。プレスティッジのハウスセッションだが、フランク・ウェスにコルトレーン、ポール・クィニシェットというテナーの組み合わせは余程のチャンスがない限りありえない。リズム陣はマル・ウォルドロンにダグ・ワトキンス、アート・テイラーという以心伝心の面々だ。曲によってフルートも吹いているウェスのテナーはコールマン・ホーキンスの流れを汲む正統派で、クィニシェットはレスター派、そしてコルトレーンはマイルス・バンドで急成長を遂げた時期になる。企画物ながら三者三様のスタイルを楽しめるお徳用盤だ。

 美しいといえば金メダルに輝いた日本女子チームパシュートの隊列である。1000分の1秒が金メダルと銀メダルを分ける競技だけに一瞬たりとも気が抜けない。フランク、ジョン、ポールのアンサンブルのように息がピッタリ合っていた。先頭交代はこのアルバムのソロリレーのように実にスムーズだ。9日にはパラリンピックが始まった。応援したい選手がたくさんいる。

マキシン・サリバンを聴きながら川田貞さんを偲ぶ

2018-03-04 09:38:45 | Weblog
 先月19日に川田貞さんが亡くなられた。退職後、2003年に開いたジャズ喫茶「Lush Life」で下火になったジャズを盛り上げようと数多くのライブを開いた方だ。また、川田貞家のペンネームでジャズ批評誌に寄稿されていたのでご存知の方もおられるだろう。なかでも1982年の同誌46号に掲載されたソニー・スティット最後の演奏となった日本公演のレポートは、幅広い人脈から得た取材と文章の巧みさでドキュメンタリーを超えていた。

 最後にお会いしたのは昨年の暮れだったろうか。「DAY BY DAY」を一緒に出て、それぞれの帰宅方向に別れた。小生より一回り上の大先輩だがとてもお元気だっただけに、ジャズ仲間からメールが届いたときは目を疑った。2016年に亡くなったジャズ喫茶「ジャマイカ」のマスター、樋口重光さんと一緒に1966年のコルトレーン来日公演を聴かれていて、生でしか分からないコルトレーンの魅力を教えていただいた。アメリカにも度々旅行されているので、日本では知り得ないジャズクラブ事情やジャズメンの動向を聞くのは楽しみだったし勉強にもなる。

 マキシン・サリバンのコレクターとしても知られている人で、ジャズ誌で特集を組むときは声がかかった。マキシンがクロード・ソーンヒル楽団の専属になり、50万枚売れたと言われる「Loch Lomond」を吹き込んだのは1937年のことだ。87年に亡くなる前年に富士通コンコード・ジャズ・フェスティヴァルに出演しているので、ブランクがあるとはいえキャリアは相当なものだ。SP、EP、LPを合わせるとどのくらいの数になるのか想像もつかないが、コレクションした全てが愛聴盤だったに違いない。「こんなに歌の上手い人がいるのかと感心した」とおしゃっていたのを思い出す。

 会場は静かにコルトレーンが流れていた。「マイ・アイデアル」と「A列車で行こう」の生演奏もあり、ライブが好きだった川田さんを追悼するに相応しい葬儀である。「ドームに付き合うから、一度温泉に付き合えよ」の約束を果たせなかったのが残念だ。今年いただいた年賀状に「1958年にジャズを聴き始めてから今年で61年を迎えます」とあった。ジャズを愛して、ジャズマンに愛された川田貞。享年76歳。合掌。

コルトレーンが亡くなった直後、デトロイト暴動が起こった

2018-02-25 09:27:46 | Weblog
 1967年のデトロイト暴動の最中、7月25日から26日にかけて密室空間で警官による集団暴行が起きた。アルジェ・モーテル事件である。黒人男性3人が白人警官に殺されたこの事件を題材にした映画「デトロイト」を観た。50年も前のことなので第一級殺人で起訴された警官全員が無罪になるという人種差別社会の裁判も暴動も覚えていないが、実際のニュース映像も取り込まれているので当時の凄まじさが伝わってくる。

 デトロイトといえばモータウン・レーベルの発祥地でソウルミュージックが有名だが、ジャズメンも多い。ハワード・マギーにドナルド・バード、カーティス・フラー、トミー・フラナガン、バリー・ハリス、ローランド・ハナ、メイジャー・ホリーにポール・チェンバース、ダグ・ワトキンス。ミルト・ジャクソンにケニー・バレル、ルイス・ヘイズもいる。デトロイト出身者は結束が強くサヴォイに「Jazzmen Detroit」、ベツレヘムには「Motor City Scene」という同郷のメンバーによるレコードがあるほどだ。共に車をイラストしたジャケットで、自動車産業で栄えた町を象徴している。

 サド・ジョーンズもその一人で、UA盤にベツレヘムと同タイトルの「Motor City Scene」があるが、今回はブルーノート盤「Detroit-New York Junction」を聴いてみよう。フラナガンにバレル、カンザスシティ生まれだがデトロイトで学んだビリー・ミッチェル、そして盟友のオスカー・ペティフォードにシャドウ・ウィルソンというメンバーだ。サドといえばベイシー楽団やサド・メル・オーケストラでコントロールの利いたソロイストというイメージが強いが、コンボではかなり自由に吹きまくっている。デトロイトで切磋琢磨したメンバーとNYで共演することは特別な意味を持つのだろう。

 舞台となったモーテルのラジオからコルトレーンの「I Want To Talk About You」が流れるシーンがある。それに気付いた一人がヴォリュームを上げてコルトレーンの死因の話題になり、「ヤクで死んだ」とか「FBIに殺された」などと熱い議論が交わされる。コルトレーンが亡くなって8日後の事件だけにリアルだ。映画に描かれている時代に知らず知らずのうちに入り込めるのは間違いなくいい作品だ。

ジャズを聴いて半世紀、ビリー・プールに出会った

2018-02-18 09:20:10 | Weblog
 根城にしている「DAY BY DAY」ではステージの合い間にレコードをかけるのだが、リクエストがない限りタイトルを見ないでランダムに選ぶ。宝箱を開けるワクワク感があり、何年も聴いていないアルバムや久しぶりに見るジャケットが出てくると思わずオッ!の声も上がる。聴き手のこちらはレコードを聴く愉しみにすぎないが、ミュージシャンにとっては曲選びの参考やテクニックの勉強になる。

 半世紀もジャズに浸っていると聴いたことがなくてもジャズ誌やエサ箱で一度はジャケットを見ているのだが、先日初めて見るレコードが出てきた。ジャズを聴きだした50年前でもジャズレコードは10万種とも20万種ともいわれていたので、知らないレコードがあるのは当然だが、これはリバーサイド盤だ。同レーベルのヴォーカルといえばまずアビー・リンカーン、そしてべヴ・ケリーにテリー・ソーントン。コールマン・ホーキンスをバックにしたアイダ・コックスもある。男性陣ではマーク・マーフィーにチェット・ベイカーと組んだジョニー・ペイスと記憶を辿れるのだが・・・

 ビリー・プールは知らなかった。ジャズ人名辞典にも載っていなければ、ジャズ批評誌の女性シンガー大百科で担当者は「実をいうとビリー・プールの名前は、この原稿を書く前日まで知らなかった」というほど知名度は低い。ネットの情報もごく僅かである。デビュー作ながらクラーク・テリーにジュニア・マンス、ケニー・バレルとバックメンバーが凄い。更にタイトルはアダレイ兄弟のヒット曲だ。キープニュースの力の入れようがわかる。ブルース、ゴスペル系のシンガーだが、クールな声と洗練されたフレーズはブルース独特の灰汁の強さがない。それが長所であると同時に短所ともいえる。

 これを機にリバーサイドのカタログをチェックした。聴いたことがあっても内容を忘れているもの、タイトルは覚えているもののジャケットに結びつかないもの、あるわあるわ。ついでにプレスティッジのリストも広げるとタイトルどころかミュージシャンさえ知らないものが沢山あった。ジャズの魅力を知ったときは三大レーベルは全部集めようと思ったものだが、一生かけても聴けそうにない。

根室のジャズ喫茶サテンドールをやってみないか

2018-02-11 09:32:08 | Weblog
 北海道の最東端に位置する根室市のジャズ喫茶「サテンドール」をご存知だろうか。根室といえば最も早く朝日が昇る納沙布岬がミツバチ族の聖地になっていて、この地を訪れたライダーが寄る店だ。70年代後半にオープンしたころ行ったことがある。構えも店内もジャズ喫茶然ではなく居心地が良かった。新聞報道で知ったのだが、オーナーの谷内田さんが高齢を理由に今年の3月で閉店するという。

 この店は全国的に有名なネムロ・ホット・ジャズ・クラブの事務局にもなっている。このクラブが主催した数々のライブは、スリー・ブラインド・マイスからレコード化されているので聴かれた方もおられるだろう。なかでも76年に録音された日野元彦の「流氷」は、日野の代表作であるとともに日本ジャズの傑作でもある。山口真文と清水靖彦の2テナーに、渡辺香津美、井野信義という当時としては最高のメンバーだ。日野グループとTBMのプロデューサー、藤井武、そして根室のジャズを愛する人たちの思いはアムール川から流れてくる氷を溶かすほど熱い。

 店名のサテンドールはエリントン・スタンダードだが、喫茶店を略した茶店とかけて珈琲専門店が全盛の70年前後は、ジャズ喫茶でなくてもこの店名が全国にあった。多くのカバーがあるので「Mood Indigo」や「Sophisticated Lady」、「In a Sentimental Mood」、「Solitude」、「Take the 'A' Train」と同じく40年前後の曲にみえるが、作曲したの53年で、ビリー・ストレイホーンとジョニー・マーサー共作の詞が付いたのは58年というから比較的新しいエリントン・ナンバーである。チャーミングなメロディーと浮き浮きする歌詞、この店名なら迷わずドアを開けたくなる。

 閉店に伴い根室市は日本最東端のジャズ喫茶を存続させようと総務省の地域おこし協力隊制度を使って全国から後継者2人を公募している。市の非常勤職員として最長3年間雇用され、15万円の報酬と住居を用意してくれるという。「地理的に最果てであっても、文化的な最果てにあらず」を掲げる根室でジャズを発信する若者はいないか。今月28日まで多くの手が上がるのを待っている。

バッグを持ったコルトレーンはどこに向かうのか

2018-02-04 09:52:39 | Weblog
 「The Night We Called It A Day」を聴く較べるため、「Bags & Trane」を取り出した。久しく聴いていない。このトラックだけ聴こうと思ったものの、つい習慣でレコードの頭に針をおろす。まず、アルバムタイトルになっているミルト・ジャクソン作のブルースだ。コルトレーンの一見ぶっきら棒に聴こえる短いフレーズの間に入るヴァイブの響きが幻想的で、テーマからしてコントラストが鮮明だ。

 続いて「I love you」という意味の「Three Little Words」。バート・カルマーとハリー・ルビーという作者コンビの伝記映画のタイトルにもなっている曲だ。ジャクソンとコルトレーン、どちらの選曲なのかは分からないが、レスター・ヤングやスタン・ゲッツ、ソニー・ロリンズとテナー奏者に人気がある。ハンク・ジョーンズの弾むイントロからジャクソンが軽快にテーマを奏で、そこにコルトレーンが被さり、膨らみのあるフレーズで一気に畳みかける。それに刺激を受けたのかジャクソンのソロが激しくなる。後半、コニー・ケイを交えたソロ交換で熱量は上がるばかりだが、何事もなかったかのようにジャクソンがテーマを静かに叩く。

 コルトレーンのアトランティック移籍第一弾は、同レーベルの大物ジャクソンと組ませることでコルトレーンを売り出す作戦だ。ジャクソンはMJO時代にマイルスをはじめレイ・チャールズ、ボビー・ジャスパー、フランク・ウェス、コールマン・ホーキンス、ウェス・モンゴメリー、オスカー・ピーターソン等、個性の強いプレイヤーと共演している。企画ものとはいえ、そのどれもが平均点を超えるのはジャクソンの柔軟な音楽性にあるのだろう。共演したプレイヤーもその大きさに圧倒されながらもいつもと違うものを表現している。意外な組み合わせこそスリリングで面白い。

 ホームをミルト、バッグを持ったコルトレーンが列車に乗り込んだ。さて、行く先は?1959年に録音されたこのレコードが輸入されてジャズ喫茶でかかりだした頃に流行った駄洒落とか。学生の時、新宿の「きーよ」や「汀」、有楽町の「ママ」、上野「イトウ」に通ったという大先輩にお聞きした。インパルスの「A Love Supreme」はおろか「My Favorite Things」も録音されていない時代にリアルタイムで聴いた人はどんな答えを出したのだろう。