徒然なるままに…なんてね。

思いつくまま、気の向くままの備忘録。
ほとんど…小説…だったりも…します。

続・現世太極伝(第百四十三話 培養液の中の細胞 )

2009-10-05 17:51:15 | 夢の中のお話 『続・現世太極伝』
 輝が生きていたなら…わざわざこうして話すこともなかったかもしれない…。
成り行きのままにノエルは輝と生きる道を選び…この変則的な家族はごく当たり前にこれまでどおり暮らしていけただろう…。

 けれども輝が居なくなった今…ノエルの目はいつ…新しい恋…に向けられるかも分からない…。
ノエルは若く…それも自然なこと…。
これまでノエルの心を抑え縛り付けていた…ノエルの中の女性…はもう居ない…。

「まず…ノエルの本当の気持ちが知りたいな…。
ここに居たいというのは…僕のため…? それとも…子供たちのため…? 」

陳腐だ…と思いながらも…そんなふうに問いかける…。

「違うよ…僕自身の満足度の問題…。 
僕の心の拠所を繰り返し探ってはみたんだけど…他の場所は思いつかない…。
やっぱり…今でも…紫苑さん…なんだ…。
紫苑さんの姿が見えないと…何か妙に落ち着かなくて…。

それにさぁ…何年も一緒に暮らしてきたんだもん…恭介先生や子供たちの居ない生活なんて…全然考えられない…。 
だから…ここで生きていくのが自然だと思う…。 」

生き生きと確信に満ちた溢れんばかりの笑顔…。
野良猫ノエルの面影は…何処にもない…。

結婚…なんてデタラメな手段でも…一応は成功だったってことだな…。

胸の中で西沢は苦笑する…。

なら…僕等の破局はその証…素直に喜ぶべきなんだろう…。

「僕の中の女…が居なくなってしまっても…心って…そんなに簡単に変わるもんじゃないんだね…。
アランたちがもう少し大きくなるまで…なんて…そんな期限付きの望みじゃなくて…ずっとここで暮らしたい…。 」

躊躇いもなく真っ直ぐな視線を向けてくる…。

そう…それはそれで…構わないんだ…。
断わる理由もないし…。
ただ…。

「いつかは…きみ自身が…誰かの拠所になるだろう…。
もう…紫苑…という仮の拠所など必要ないよ…。
僕の役目は終わった…。 」

哀しい…が…仕方がない…。
最初から覚悟の上で漕ぎ出した船…。

「仮…なんかじゃない…。 本物だよ…。
僕等…家族なんでしょ…?
もう…夫婦じゃないけど…二度と夫婦にはなれないけど…。
いいんじゃない…? そういう絆があっても…。 」

家族…ノエルの口からそれが語られると…西沢の心が震える…。
幼い頃から夢見ていたもの…ずっと欲しかったもの…。

輝と出会った時…微かに抱いた期待…。

「あの子が退院したら…また…忙しくなるよね…。
輝さんが亡くなって寂しくなったけど…この家に新しい家族が増えるんだ…。
それも…紫苑さんがずっと望んでた…輝さんとの赤ちゃん…。
最後にひとりだけでも授かって良かったね…。 」

授からなかったわけじゃない…。
輝は…端から授けてくれようとはしなかった…。

期待はいつか…諦めに変わった…。

 子供好きな西沢のために赤ちゃんをプレゼントしたい…とノエルが考えるようになったのも…もとはと言えばそのせいだ…。
そして…ノエルのその想いが西沢にノエルとの仮想現実のような結婚を思いつかせるきっかけともなった…。

「また…紙オムツ…買ってこなきゃ…。 えっと…哺乳瓶なんかはお兄ちゃんたちのお古でいいんだよね…?
産着はエリクのがいっぱい残ってるけど…女の子だから新しくした方がいいのかなぁ…?
今までずっと輝さんにお任せしちゃってたから…何から手をつけていいんだか…。
どうしよう…紫苑さん…? 」

屈託なく微笑むノエル…。
楽しげなノエルの表情とは裏腹に西沢の顔は曇る…。

「あの子は…戻っては来られない…。 」

無表情な声が信じられないことを告げる…。

「えっ…? 」

ノエルは思わず西沢の顔を見つめた…。

「おいで…。 きみには…知る権利がある…。 」




 小さな身体に幾つもの管…痛々しいその姿に胸が痛くなる…。
退院の目途の立たない入院患者…。
新生児ICUを出て…つい先程…いつもの特別室へ移った…。
容態が良くなったわけではない…。
どこに居ても同じだから…便宜上の移動…。
生命維持のために着けられたこれらの管でさえも…実際には役に立っているのかどうか…。

 この部屋へ来てからずっと…輝の遺児を見つめている…。
天爵さまの忠告に…こんなにも動揺している自分が不思議でならない…。
犯行がいつ発覚するかと怯えている犯罪者…そんな感じ…。

何もしちゃ…いないんだけどな…。

滝川の唇から小さな溜息が洩れた…。

そう…まだ何もしちゃいない…。
この期に及んで…迷っている…。

身動きひとつすることのない小さな身体…。
器械の奏でる鼓動のリズムは…医師によって設定されたものに過ぎず…不自然な呼吸もまた然り…。

器械を止めてしまえば…消える命…。
…本当に…消える…だろうか…?

 ノエルの中から取り出されて以来…一度もはずされたことのない維持装置…。
誰もそれを確かめてはいない…。
この装置の御蔭で辛うじて生きているのだ…と誰もが信じているから…。

躊躇している時ではない…。

大きくひとつ深呼吸をする…。
すべての迷いを振り払うかのように…。

管を…はずしてやるよ…。
長いこと辛抱させたけど…必要ないだろ…もう…。

滝川は赤ん坊を覆っている透明なケースにそっと手をかけた…。

「どうかしたの…先生…? 」

背後から亮の声…。

またか…。

背中を向けたまま…苦笑いする…。

「御苦労なこった…。 ずっと監視してたのか…。
犯人には手を出さないと聞いても…それだけじゃ納得しなかったわけだな…。 」

皮肉っぽい笑みを浮かべながら亮の声のする方に顔を向けた…。

「そんなんじゃないけど…この子に対する紫苑の態度が妙だ…とノエルが言ってたんで…ひょっとしたら先生がどうにかしようとしているのは犯人じゃなくて…この子かも知れないと思ったんだ…。 」

努めて平静を保った声…滝川を刺激するまいと感情を抑えているのが分かる…。
滝川の目にはそんな亮の生真面目さが滑稽に映った…。

そんな必要ないのになぁ…僕は至って冷静だよ…。
気持ち的に多少…躊躇うところがないわけじゃないが…。

「誰にも知らせずに…僕ひとりで始末をつけようと思ってたんだが…立会人が居ても悪くはないな…。
きみはこの子の親族でもあるし…。

亮くん…ちょっと此処へ来て…この子の気を探って御覧…。 」

そう言って滝川は手招いた…。
促されるままに、亮は赤ん坊の前に立ち、小さな身体の持つ気を探った…。

「驚いたなぁ…紫苑そっくり…。 さすがに紫苑の子だけあるよね…。 」

それを聞いて滝川は意味ありげな笑みを浮かべた。

「紫苑…そのものさ…。 寸分違わない…。
おかしいと思わないか…亮くん…いくら親子でも完全に同じ…だなんて…? 」

完全に同じ…?

慌てて亮はもう一度赤ん坊の気を探った…。

「同じ…だ…。 どういうこと…?
仮に…この子が紫苑のクローンだったとしても…完全に同じってのは在り得ないんでしょう…? 」

その通りだ…と滝川は答えた。

「僕等にとっては気は指紋のようなもの…いや…指紋以上に正確なものだ…。
たとえクローンであっても厳密には異なった気を持つ…。
この子が紫苑と同じ気を持っている…ということは…この子が紫苑自身だ…ということに他ならない…。 」

そんな馬鹿な…。

亮の背中で恐怖めいた感情が渦巻いた…。

「有り得ない…。 この世に紫苑がふたり居るってことになるじゃないか…。
冗談でしょ…。 紫苑であるわけがない…。 」

そう否定しながらも不安は増すばかり…狼狽を隠せない…。

「あぁ…言い方が悪かったな…。 勿論…この身体はこの子自身のものだよ…。
どうしてそうなったのか…その理由は分からないが…気…だけが紫苑なんだ…。
まぁ…それも…俄かには信じ難い話だけれども…。 」

 滝川はすでに確信を得ているようだが、今の今、赤ん坊の異常に気付かされたばかりの亮としては得心がいかない…。
思い切り悪くも他の可能性を探ろうとする…。

「何かの…間違いじゃないの…? 僕等が気づいてないだけで…微妙な違いがあるとか…さ…。 
他人ならともかく…親子なんだし…。 
他人だって…ほら…紫苑と宗主なんか…そっくりだし…。 」

探れば探るほど…それが現実である…と納得せざるを得なくなってくるのに…。

「HISTORIANの首座とマーキス…彼等の気はまるで瓜ふたつだった…。
あの戦いの最中に最初に現れたマーキスが首謀者というにはあまりに幼なくて戸惑った覚えがある…。
後から首座が出てきたんですぐに違いを把握できたが…あれは酷似してたなぁ…。

 血の繋がりがなくても…気というのは似てくることがある…。
あいつ等の場合はその最たるものだが…この子の場合はそれとはまったく次元が異なる…。
この子の中にある気…生命エナジーの特性は紫苑そのものなんだ…。
しかも…その身体とはまったく同化していない…。
身体の方は単に…紫苑のエナジーを生命維持の栄養素として吸収しているに過ぎない…。 」

淡々とした口調で語られる現実…亮は脳天に一撃を喰らったような気分になった…。
頭がクラクラする…。

「栄養素…? 僕等が感じている気は…本人の気じゃないってこと…? 
じゃぁ…紫苑が瀕死状態になった時…新しい生命エナジーの基盤が出来上がるまでの繋ぎで…英武や怜雄からエナジーを分けてもらったのと同じ状態…?

この子には生命エナジーがなくて…それで…紫苑が自分のエナジーを与えているってこと…?
まさか…そんなの信じられない…。 」

いくらなんでも…生まれたばかりの赤ん坊…だよ…?
ノエルの御腹の中では動いてたのに…?

それとは…ちょっと違うな…滝川は首を横に振った…。

「あの時の紫苑は…宗主の応急処置もあって…辛うじて生きていた…。
激しい消耗のために酷く衰えていたから完全とは言えないまでも…生き延びるギリギリの状況ながらすべてが正常に機能していたんだ…。
だから…もとが英武たちのエナジーではあっても…それは身体に入った段階で紫苑本人のエナジーに近い状態に変換されてしまっている…。

 この子の脳は生きていない…もしかすると脳幹だけは微弱ながら働いている可能性はあるが…それも管をはずしてみて初めて分かることだ…。
ノエルが感じた動きは…多分…何かの反射だろう…。
細胞自体は生きているんだから…。

正常な胎児なら…或いは…新生児なら…原始反射だろう…が…この場合そう言っていいものかどうか…な。
胎内ではノエルのエナジー…産まれ出てからは…紫苑の生命エナジー…この子は他人の生命エナジーという培養液の中に居る細胞の塊…に過ぎない…。

この子の体内にある紫苑のエナジーが尽きてしまえば…それでお終い…。」

培養液の中の…細胞…。

思わずシャーレの中に蠢く細菌のような存在を思い浮かべた…。
目の前の赤ん坊とはあまりにもイメージがかけ離れ過ぎていて実感が湧かない…。

「それを待つべきか…とも考えた…。 天爵さまに指摘されるまでは…ね。
このまま…自然に終わるのがベストだと…。

けれど…終わらなかったら…どうする…?

 紫苑がどの段階で手を差し伸べたか…或いは…何かしようとして失敗したか…は分からないが…万が一…また同じことを繰り返したら…。
普段の紫苑なら…それは有り得ない…と僕は信じる…。
だけど今は…輝を失ってズタボロだし…魔が差すってこともないわけじゃない…。

 それよりもっと悪いのは…紫苑の責任感の強さを考えれば…自ら手を下す可能性が在るってことだ…。
これが手を差し伸べたわけではなく…何かの失敗の結果なら必ず…後始末をつけようとするだろう…。

僕が恐れるのは…その後の崩壊…。 

 回復見込みのない患者に最後の処置をするのは…父親紫苑ではなく…医者である飯島院長か…治療師の僕でなきゃならない…。
院長はすでに匙を投げて…この子をこの部屋に移した…。
ならば…後は僕の仕事…。

そう…思わないか…? 」

すべてをひとりで背負うつもりの滝川に、いきなり背筋も凍るような問いを投げつけられて、亮は返す言葉に窮した…。
亮の中であらゆるものが点滅を始めた…。