徒然なるままに…なんてね。

思いつくまま、気の向くままの備忘録。
ほとんど…小説…だったりも…します。

一番目の夢(第十五話 おとり『囮』)

2005-05-24 18:49:46 | 夢の中のお話 『樹の御霊』
 『囮になってもらえないか。』

 修からそう申し出があった時、雅人は正直戸惑った。相手は得体の知れない化け物。自分はそれほどの力を持ってはいない。冬樹のようにまったく無力というわけではないが、それでも一左を封じ込めるほどの相手にいったい何ができようか。
 しかし、冬樹の無念を思えば躊躇している場合ではない。弟の死を知らされた時のあの胸の痛みは今も消えないでいる。
 
 それに…修には一生かけて余りあるほどの恩義がある…と雅人は思った。

 雅人のそんな思いを察したのか、修は真剣な面持ちで雅人を牽制した。
 『僕への義理で引き受けるのだけはやめて欲しい。おまえが命を懸けるほどのことは何もしてあげてはいないのだから…。
断ってくれていいよ。
こんな話を持ってくること自体が非常識なんだ。酷い奴だと思ってくれて構わない。』
ごめんな…とでも言いたげに雅人の目を見つめた。

 いつも…そうだった。修は何の見返りも求めない。黙って雅人と母親を護ってくれた。紫峰家が無情にも雅人の母親を追い出した後も、豊穂の意思を継いだ修が、秘かに援助の手を差し伸べてくれていた。きっと、弟の冬樹や雅人にとっては義理の兄にあたる透も同じように修に護られてきたに違いない。
 幼いながらに紫峰家の収支に口を出せる立場にあったとはいえ、大勢の大人相手に彼がどれほどの苦労をしてきたかを思うと、雅人は申し訳けない気持ちでいっぱいになる。
 冬樹の供養のためにと修の申し出を受けて、紫峰家でともに暮らすようになってから、ますますその思いが募るのを感じていた。

 一左の警戒を解くために、雅人は何のチカラも持っていない振りをした。ソラとも話さず、極力普通の少年を装った。透に対しても、だれそれのニューシングルが安く手に入ったとか、ダウンロードしたソフトがいまいちだったとか、同年代の少年たちの間で交わされるような会話だけを心がけた。

 その甲斐あってか一左は雅人を完全に無能力であると看做すようになった。さらに一左を油断させたものは雅人の人懐っこい容姿だった。

 修は知的で端正だが二十代にしてはあまりに老成し過ぎ、その胸の内は一左の理解を超えていて、ある種の恐怖さえ覚えることがある。
 透は豊穂に似て優しい顔立ち容姿をしている。いかにも親しげに人に接するが、容易に他人を受け入れず、決して本心を見せない。一左にとっては要注意人物だ。

 雅人は身の丈1.9メートル、傍から見て決して低いとは言えない修や透と比べても頭一つ大きい。愛嬌のある顔と穏やかな声が人に安心感を与える。よく笑い、あけっぴろげな性格のようで、一左には単純でわかりやすい男のように思えるのだ。
 
 雅人の努力の賜物か、一左からは日に日に警戒心が薄れていった。
そんな折、藤宮の嫁から温泉旅行への招待が届いていると貴彦から連絡があった。藤宮からは家族全員を招待すると言って来たが、貴彦と修は仕事が、子供たちは学校があるので行けない。一左だけでも招待を受けてはどうかというものだった。
 一左はせっかくの好意を全員が無にはできまいと言い、藤宮の嫁の招待を受けると返答した。雅人がいかにも残念そうな顔をして、『僕も行けたらいいのになあ。』などと溜息混じりに言った。一左はすっかり気をよくして、もはや疑う気持ちなどかけらも無かった。
 
 数日後、藤宮の嫁、時子の手配で高級車が一左を迎えにやってきた。勿論、時子自身も一緒で、この人の良いボランティア精神旺盛な婦人は、心から一左を歓迎し、孫を失った老人の心を慰めるための温泉旅行へと連れ立って行った。



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一番目の夢(第十四話 樹と魔獣)

2005-05-22 18:04:22 | 夢の中のお話 『樹の御霊』
 あの密談の日から、透は時々藤宮を訪れて次郎左のもとで少しずつ修行らしきものを積んでいった。らしき…といわざるを得ないのは次郎左の語る紫峰の歴史や理念を勉強するだけのことなので、精神修養とか、肉体改造などといったものを想像していた透にとっては期待はずれもいいところだったからだ。

 修はといえば、後見の跡取りにもかかわらず一向に修行する様子が見えない。次郎左も別段、修には紫峰の知識など勉強させるつもりはないらしい。修は相変わらず、家の雑事と仕事に追われている。
 
 あの日から何か変わったところといえば、修が親戚から冬樹の代わりだと言って、雅人という少年を連れてきたことだった。
 雅人は、冬樹より半年ほど前に生まれた徹人と恋人の子供で、黒田が豊穂と別れさせられた経緯同様に、徹人もまた恋人と別れさせられていた。豊穂はそのことを知っていて、幼い修に透や冬樹だけでなく、その子と恋人の世話も頼んで逝ったのだ。
 一応未だ宗主として紫峰に君臨している男は、ことのほか雅人の出現を喜んだ。どうやら今度は雅人を傀儡として宗主の跡取りに立てようと考えているらしい。

 「次郎左の揺さぶりがなくても、いつかは冬樹は殺されていたかもしれないぜ。」
自分の意思とは関係なく自分のすべてが決定されていくようで、浮かない顔をしている透を、ソラはいつもの祠に誘い出した。万一、あの偽一左が聞いていたとしても、ソラが語る分には単なる思い出話で済まされる。ソラは他の者には遠い遠い昔話にしか聞こえないようにちょっとした細工をしておいた。

 「奴の目的は弱ってきた一左の身体から、新しい身体に乗り換えることだったんだ。ところが、奴の知らないところで一左の魂は黒田に護られていたし、冬樹の死に際しては、修がその身体に結界を張ったために乗り移れなかった。で、今度は雅人を狙ってる。」
  
 「結界?修さんが…?」
黒田の呪縛から救い出してくれた時に、透は修に強い能力があることに気がついた。しかし、そのことについてはあえて触れずにいた。透自身、誰かに自分の力について話したいとは思わないからだ。
  
 「ああ、わけないことさ。背負っているものが無ければ、樹ならあんな奴、敵じゃねえ。ただ、今の樹には一左の命や一族の安全を第一に考えなきゃならないというお荷物があるからな。」

 『樹』とソラは言った。『樹』とは紫峰の先祖のひとりですでに亡くなった人ではないか。なのにソラはもう二度も修のことを樹と呼んでいる。
 
 透の訝しげな表情に気付いたのか、ソラはニタニタ笑いながら言った。

 「俺は闇喰いだ。人間の心の闇を喰って生きている。だから人間に近づく。決して悪いことをしてるわけじゃない。だが、人間は魔物は皆、恐ろしげで悪い生き物だと思っている。
 あの頃、朝廷は俺をとんでもない悪と考えていたから、いろんな手を使って俺を退治しようとした。そんなもの俺たちに通用するわけが無い。何人もの偉そうな坊主や、陰陽師が俺を殺しにやってきたぜ。」
 
 いかにもおかしそうにその青い目を細めた。

 「だれも俺を倒せなかった。それで、樹に俺を退治せよとの命令が下ったのさ。紫峰家は他の奴らとは違って、ごく普通の公家かなんかの家柄だったぜ。とても魔物退治なんてことに関わりがあるとは思えなかったな。

 樹は俺に言ったんだ。『罪もないおまえにこのようなことを言うのは誠におかしく、申し訳けの無いことだが、このままでは自分が退治せずとも何れ誰かがおまえを殺めるだろう。
 どうだろう?私がこの先、生まれ変わることがあれば、必ずおまえを蘇らせるゆえ、しばらく眠っていてはくれまいか?』
 
 俺は驚いたぜ。魔物にこんなに礼を尽くす奴が居るとは。樹のことはうわさで聞いていた。とてつもなく強大な力の持ち主で、悪さをする魔物はすべて退治されるし、そうでないものは助けられることもあると…。 

 人間が蘇ることなんて無いかもしれない。もし蘇ったとしても俺のことは忘れられているかもしれないし、樹自身がその力を使えないこともあろう。
だが、俺は樹を信じた。そして今、ここにその約束は果たされ、俺は蘇った…。」

 ソラは過去に思いを馳せ、樹との深い絆に心打たれているようだった。魔獣にまで誠を尽くす樹という人。透はその心根の純粋さに惚れ込んだ。そういう人が一族に居たことを誇りに思った。
しかし、今一族を牛耳っているのは、樹とはまるで正反対の男。
それが悲しく、許せなかった。



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一番目の夢(第十三話 密談2)

2005-05-21 16:20:37 | 夢の中のお話 『樹の御霊』
 「あれが三左ならば…。冬樹の死も頷ける。三左は修行についても、相伝についても何も知らん。俺が冬樹に前修行をさせろと言ったので、奴はあわてたに違いない。」
次郎左はそう言いながら修の方を見た。

 「おまえのせいではない。修よ。自分を責めるな。おまえが奴を炙り出すために俺を紫峰へ送り込んだとしても、その炙り出し方を考えたのは俺だ。」
次郎左にそう諭されても修の心は晴れなかった。

 「黒田、ずっと悪役を演じてもらって悪かったな。透にも辛い思いをさせた。」
わざと話をそらすように貴彦は言った。
 「何の。眠れる一左と話ができるのは私だけですし…。それに、徹人や豊穂からも紫峰のことはくれぐれもと頼まれておりましたから…。」
黒田はいつもとはまったく違った口調で答えた。

 透は頭の中を整理するので手一杯だった。味方のはずの祖父が敵で、敵のはずの父が本当は味方だったとは。しかも黒田は迫真の演技で自分に対してさえ憎らしいまでに悪役を演じきった。

 「次郎左叔父。輝郷。紫峰のことで藤宮に迷惑をかけて申し訳ないのだが、この上は、修か透に早急に相伝を行わねばならぬ。奴に知られてはまずい。奴を屋敷の外へ連れ出すために力をお貸し願いたい。」

 貴彦は二人に深々と頭を下げた。

 「そうだ。貴彦。うちの女房を付き添わせて奴をしばらく温泉へでも連れ出そう。招待理由は冬樹のことでさぞ力を落とされているであろうからお見舞い申し上げるというのはどうだ…?」

 輝郷が申し出た。事情を知らない輝郷の妻はボランティア活動が趣味のような人だから、純粋に老人の世話をするだろう。万一彼女の心を読むようなことがあっても、こちらの思惑が相手にばれることはない。

 「それは有難い。俺が温泉へなどと言ったら、かえって疑われるかも知れんからな。」


 貴彦と輝郷との間でそのような計画がなされている時に、次郎左はそれを適当に聞き流しながら、修の方をじっと見つめていた。いつにもまして物静かな修の様子に次郎左はただならぬものを感じた。

 「相伝は透に…それでよいかな?修よ。」
次郎左が修に語りかけた。修は無言で頷いた。

 「なぜ…?なぜ僕なんですか?修さんの方が正当な跡取りではないですか?」
驚いた透は思わず大声を出した。あの黒田の前で、自分は黒田の子、豊穂の連れ子なのにと口に出してしまいそうだった。しかし、当の黒田は次郎左の発言にさほど驚いてはいないようだった。
 
 修を除いてその場の者が皆、次郎左の真意を探るべく彼の方に目を向けた。

 「修は…俺の…後見の跡取りだ。その方がよかろう…?そうしたいのだろう…修よ?」
次郎左は笑いながら修を見た。修は、はっとしたように次郎左を見つめ返した。
さすが次郎左は一族での発言力を一左と二分するだけの事はあって、修の中の、未だ外に現れていない何かに気付いたようだった。
 
 ただ一人、蚊帳の外に置かれたような不安が透を取り巻いていた。知らないことが沢山あり過ぎて、話の輪に入っていけない。今、透にできることは、この場の成り行きをただ見守ることだけだった。



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一番目の夢(第十二話 密談1)

2005-05-20 12:00:56 | 夢の中のお話 『樹の御霊』
 藤宮家を訪れるのはこれが初めてだ。母屋を抜けた長い渡り廊下の向こうに、どっしりと落ち着いた風情の隠居所がある。いま、透はほとんど言葉も交わしたことのない大叔父次郎左に呼ばれて、その居室に向うところだった。
 
 「お連れしました。」
案内してくれた悟が声をかけると奥の襖が開けられ、晃が手招きしているのがわかった。透が中に入ると晃は替わりに部屋の外へ出て行き襖は閉じられた。見張り役なのか襖の手前に悟と晃が控えている気配がしていた。

 「まあ、腰を下ろして寛ぎなさい。」
悟と晃の父、藤宮の当主輝郷が言った。その向こうで次郎左もニコニコしながら頷いている。隣には貴彦、修もすでに来ていた。そしてもう一人…。

 その姿を見たとき、透は全身が凍りつくのを覚えた。

 「よお…。」

 「黒田…。」

 紛れもなく透の実父黒田が、そこに平然と同席していた。紫峰家にとって目下最悪の敵のはずの男が十年来の知己のように皆と肩を並べている。透には目の前の状況がよく飲み込めなかった。

 「まずは…黒田の報告を聞こうか。」
次郎左のがっしりした声が透を正気に返らせた。あれこれ問い質したいのをやっと堪えた。
黒田は次郎左に一礼すると話し始めた。

 「結論から申し上げると、あれは宗主ではありません。しかし、困ったことにあの身体自体は宗主自身のものです。宗主を救い出すにはあの身体を傷つけることなく、あれの魂だけを追い出すしかないでしょう。」

 「あれとは?」
輝郷が訊ねた。

 「三左だよ…。まさかとは思うたが…。修の言うとおりであった。」
次郎左は汚いものにでも触れたかのような表情を浮かべた。

 「俺たちの弟でな。若いうちにさんざん悪さをした挙句、家を飛び出し、30年ほど前にのたれ死んだというので、一左が病院へ遺体を引き取りに行ったのだ。多分その折に一左を閉じ込め、自分があの身体に入り込んだのだろう。まったくなんという…。」

 訳が解らずぼんやり話を聞いていた透にもなんとなく話の筋が見えてきた。生まれてこのかた祖父として疑ったこともなかったあの男が偽者だというのだ。しかも、本物の祖父を30年も閉じ込めているという。
 自分の知らないところでとんでもない事件が進行していたことに、透は驚きを隠せなかった。



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一番目の夢(第十一話 封じられた力)

2005-05-19 17:47:38 | 夢の中のお話 『樹の御霊』
 冬樹の喪が明けても修の様子は相変わらずだった。会社でも家でも、ごく普通に振舞ってはいるが、その健気さがかえって周りの者からは痛々しく感じられた。
 透も父親が違うとはいえ実の弟を失ったわけだから、悲しく無念な思いは修以上のはずなのに、修を見ていると何故だか自分の方が楽なように思えるほどだった。

 それ故、少し前に修が一人でこの夜更けに家を出て林の方へ向かっていくのを見たとき、透は言いようのない不安に襲われて思わず後を追ったのだった。
 
 あの祠の所に修はいた。大きな石に腰を下ろしてソラと話をしているようだった。

 「気に病むことはないぜ。あんたのせいじゃない。あんたが思ってたよりあの男が馬鹿な奴だったってことさ。」
ソラは修を慰めているようだった。

 「僕の考えが甘かったのさ。まさか冬樹を標的にするなど…的は僕か透だとばかり思っていた。おまえと話す力を持った冬樹を、奴は樹だと思ってしまったのかもしれない。」

 「そう深刻になるな。今でなくても、奴は何れ必ずあんたたちを消そうとしたに違いない。俺には奴の闇がはっきりと見える。樹よ…。今は嘆いているときではない。俺が蘇ったように、あんたも再びその姿を現せ。もはや、その能力を封じておくことに意味はない。」

ソラは修を樹と呼んだ。透には確かにそう聞こえた。

 「聞こえたか?透!」
ソラは隠れている透に向かって言った。透はばつが悪そうに二人の前へ姿を現した。修は軽く微笑んだ。

 「すべては近いうちに明らかになる。それまで内緒だぞ。」
でかい雲のような獣はニタニタと歯を見せながら言った。
 長年一緒に暮らしていながら、修には透の知らない顔があるようで、透の不安はますます募るばかりだった。



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一番目の夢(第十話 犠牲者)

2005-05-18 16:52:58 | 夢の中のお話 『樹の御霊』
 それは予期せぬ出来事だった。

 次郎左が紫峰家を訪ねた後、紫峰家では急ぎ冬樹の前修行の準備を始めた。それは不幸続きの紫峰家としては、十何年ぶりかのおめでたい行事でもあり、使用人たちも張り切っていた。
 
 前修行の内容や相伝の内容は、宗主のほかには万一宗主が相伝前に亡くなったときのために、後継者の後見人として選ばれたものしか知らなかった。今回で言えば、宗主一左と後見次郎左の二人である。
 次郎左が一左とほとんど同等の発言権を持つことは、一左にとってはあまり有難くはないことだったが、冬樹の前修行が始まってしまえば、もはや次郎左に何を言われる事もないだろう。

 ほぼ支度も整い、後は冬樹を待つばかりだった。冬樹には、この日に修行を始めるから必ず居るようにと申し渡してある。ところが朝からどこへ出かけたのか姿がない。彼を最後に見かけたはるの話では、その辺りを散歩してくると言っていたらしい。

 突然、ソラが吼えた。一左が表へ出ると、何か霧のようなものが飛んでいくのが見えた。ソラが後を追った。

 霧のようなものは、仕事中の修のところへ、授業中の透のもとへと飛んでいき、二人の身体に吸い込まれるようにして消えた。ソラが他のものには聞こえぬ声で再び吼えた。

 「冬樹が…。」
修も透も同時に悟った。

 急ぎ帰宅するとソラは二人を案内するように林を抜け、駆けて駆けて林道の橋のところまで来た。壊れた橋の欄干の向こうに小さく人影が見えた。
 落ちたところから冬樹は必死で這い上がろうとしたらしく、身体を引きずった後が生々しく残っていた。力尽き、そして最後の言葉を伝えるために、二人のもとへ急ぎ魂を飛ばした。
 
 『気をつけて…あいつは…』

 修は必死で冬樹に回復術を試みた。無駄だとは解っていた。息があればこその施術である。もはや手遅れなのは誰が見ても明らかだった。しかし、修は冬樹の育ての親、産みの親より心通わせた真実の親なのだ。警察や救急車が到着しても、医師が死亡を宣告しても、修はあきらめる事ができなかった。

 透は修が何故か自分自身を責めていることに気がついた。彼のせいではないのに事故なのに、何故?と透は思った。
 
 『僕のせいだ。僕がもっと早く気付いていれば…。冬樹…冬樹…。』

 修の心の叫びが。透には痛いほど感じられる。その声は冬樹の葬儀が終わって、すべてが片付いてしまっても延々と紫峰家の中に響き渦巻いて消えることはなかった。
聞こえていたのはソラと透だけだったかもしれないが…。




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一番目の夢(第九話 揺さぶり)

2005-05-16 20:41:20 | 夢の中のお話 『樹の御霊』
 藤宮の次郎左衛門が紫峰家を訪ねたのは何年ぶりのことだろう。実家とはいえ、若いうちは養子先への遠慮があったし、藤宮が自分の代になってからは多忙で足が遠のき、隠居してからは用があれば長男輝郷に託けることが多くなった。
 当然、兄一左ともここ何年かはほとんど顔を合わせていない。久しく見ぬ間にずいぶん容貌が変わったものだと次郎左は思った。
 
 「一左よ。和彦は15の誕生日にはすでに紫峰家の跡取りとして相伝の儀式は済んでおった。だのに冬樹はまだ前修行すら終わってない。俺も年をとったが、おまえさんは一つ上だ。いつお迎えが来てもおかしくない。急がねば紫峰家はこの代限りとなってしまうぞ。」

 次郎左が声高に言うと、一瞬一左は怯んだように見えた。次郎左は何か引っかかるものを覚えたが、あえて口には出さなかった。

 「わしも考えてはおるのだが、何しろ冬樹はあの体たらくでの。相伝に適うようなチカラを持ち合わせておらん。徹人の時にはすでに成人しておったから豊穂をもらって豊穂に伝えたが…。このたびも冬樹が成人するのを待ってだれぞチカラを持つ嫁をと…考えておる。」

 一左は黙っておれと言わんばかりに次郎左に負けないくらい声を張り上げた。しかし、次郎左にはどうも目の前の一左と名乗る男が昔のような自信にあふれた兄とは違い、虚勢を張っているだけのように見えた。

 「修や透なら今でも十分に相伝に耐えられるはずだが…。おまえさんがそこまで冬樹にこだわるわけが解らんて。まあ…いい。紫峰のことは紫峰が決めればよい。
だが…間もなく冬樹も15じゃ。それまでに前修行くらいは行え。さもなけば、冬樹跡取りの件はなかったことになる。これは親類全部の総意じゃ。一族を代表してこの次郎左が確かに伝えた。」

 次郎左が一族の総代を名乗ったからには、一左も無視を決め込むわけにはいかない。事あれば一左を隠居させて修や透を宗主にたてるだろう。それならまだいいが、藤宮が紫峰に宗主を送りこんでくるおそれがある。それだけはなんとしても避けなければならなかった。

 「そうさの。前修行くらいなら始めさせてもよいかもしれぬて。いや、わしもうっかりしておったわ。早速、準備にかかろうかの。」

 一左はさも納得したようなふうを装い、次郎左に礼を言った。次郎左は言うだけ言うと、一左がしきりに食事を勧めるのを、まだ寄るところがあるからと鄭重に断り紫峰家を後にした。
 

 車が紫峰家を出たところで、運転手が声をかけた。

 「真っ直ぐ戻られますか?御大?それともどこかへお連れしますか?」

 「そうだな。このまま帰るか…。いや…急がねば。貴彦のところへ寄ってくれ。」
 
 事態は一刻を争う。次郎左はそれを感じ取っていた。貴彦や修の話からある程度は予期していたこととはいえ、これは紫峰ならずとも、藤宮にとっても一大事であると確信した。

 『一左は相伝を行うチカラを持ち合わせていないのでは…。そればかりか、相伝の内容さえ、知らぬのではあるまいか…。』

 しかし、亡くなった修の父和彦には確かに相伝の儀式は行われたのだ。確かにその時には間違いなく一左の手で…。
そこまで考えた時、次郎左は思わず背筋がぞっとした。もし次郎左の勘が正しいとすれば…。
 
 『原因不明のまま、30年近くも…紫峰が苦しんできたというのに…。』

 この時次郎左は、もはや自分の勘を疑うことさえなく、また、貴彦や修の考えにも間違いのなかったことを確信していた。紫峰家の黒い闇は意外にも身近なところに端を発していた。



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一番目の夢(第八話 闇喰いに喰えぬ闇)

2005-05-11 13:18:32 | 夢の中のお話 『樹の御霊』
「昨日、黒田から連絡があった。」
自分宛の書簡を受け取る際に、貴彦は修に囁いた。
 
 修は貴彦の後継者として将来を嘱望されており、表向きは秘書のようなものだが、実際には紫峰の息のかかった組織や会社などを監査して回るような仕事をさせられることも多かった。年の若い修には荷の重い仕事であるが、不思議なことにこれといったトラブルもなく、周囲の人望も厚かった。

 「もはや、藤宮を巻き込むことは避けられん。申し訳ないことだ…。」

 近い親類とはいえ他家に助力を要請するなど、紫峰家を支えてきた貴彦にとっては苦渋の決断だった。金銭的なことならばはるかに藤宮家を凌ぐ紫峰といえど、隠居次郎左には一左の向こうを張って余りあるチカラがある。残念ながら貴彦の敵う相手ではない。
 
 「貴彦叔父さん。次郎左大叔父さまだけがご存知なんです。僕はまだ生まれてなかったし、貴彦叔父さんだって会われたことはないのでしょう?もし違っていたら…僕らは大変な罪を犯すことになるのです。」
躊躇う貴彦を尻目に、修はきっぱりと言い放った。
 
 『そう…これは人の命にかかわる事…体面を考えている場合じゃない。誰の力を借りようと真実さえ判ればいい。』
藤宮へのこだわりを捨てきれない貴彦をじれったそうに見つめながら、修は心のうちで呟いた。

 時間がない。このままでは助けられないかもしれない。もし助けられなかったとしてもこれ以上は、悪しき野望の犠牲者を出させてはいけない。そんな思いが修の胸で渦巻いている。30年近くにわたって紫峰家を覆っている黒い闇。それを取り払ってこそ自分がここにこの時代に生まれた意味がある。

 『さすがの闇喰いもこればかりは喰いきれぬか?』
修は何故かソラの顔を思い浮かべた。大昔、人々に怖れられて封じられた魔獣。だが、愛嬌のあるその姿は今なら、飼ってみたいペットのナンバーワンになれそうだ。ソラと名付けたのは修本人。白い雲のような顔の中に青い目が光っている。

 『あいつのニタニタ笑いだけはいただけないが…。』
そう言いながらも、修はその笑顔がまんざら嫌いでもない。ふと、そんな笑い顔をどこか他でも見たような気がした。
 『黒田…か。』

ワルを気取る黒田の錆び付いたような微笑が修の目に浮かんで消えた。




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一番目の夢(第七話 魔獣のお出かけ)

2005-05-08 18:15:47 | 夢の中のお話 『樹の御霊』
 「おい、透…。」
人気のないバス停で、不意に声をかけられたような気がして透は振り返った。目の前にサモエド犬を何倍かに拡大したような獣が居た。獣はニタニタ笑いながら、さらに話しかけた。
 「大丈夫だって。おれの姿はおまえにしか見えてないよ。今、帰りか?」

 姿が自分にしか見えてないということは、傍から見れば独り言を言っている奇妙な兄ちゃんに間違えられる恐れがあるわけで、どっちにしたって透にとっていい状況ではない。
 「そうだけど、おまえ何しに来たんだ?冬樹は?」

 「おれは食事に来たのさ。冬樹は止めたけどな。ドッグフードじゃ物足りねえし、人間の多いところには、おれのご馳走『闇』がいっぱいだ。喰ったらすぐに帰るよ。」
帰るよ、という獣はすでに自分を紫峰の家族の一員と決めているらしい。
 「ところで、祖父さんにおれのことがばれたぜ。まあ、とりあえずは何も言わんかったが。なあ、透…あれは本当に紫峰の宗主なのか?」
獣は疑わしそうに言った。

 「お祖父さまが何か?」
透は訝しげに聞き返した。
 「いや…別にいいんだ。先代はけっこう物好きだったんだなと思ってさ。」
獣はまたニタニタと笑うと背を向けた。
 「透、誰か来るぜ。じゃあな!」
飛ぶように去っていく獣の姿は、ふわふわした雲のようにも見えた。

 獣が消えると同時に透の背後から声がした。
 「大丈夫か?君、怪我はないか?」
透が振り返ると透と同じ制服の少年が二人、こちらに向かって駆けて来るところだった。
 「あなたたちは…?」

 「ああ、脅かしてすまない。僕ら藤宮の…。」
年上の少年が言った。藤宮というのは、一左のすぐ下の弟の次郎左が養子に入った先の一族である。透と同じ高校に子供たちが通っているとは聞いていたが、入学したばかりの透は彼らとはあまり面識がなかった。多分、誰かの葬式くらいには顔を合わせているのだろうが。
 「悟と晃…。」
思い出し、思い出ししながら呟くように透が言った。
 「そう!」
嬉しそうに答えたのは弟、晃の方だった。彼らもまた、紫峰家と同様に能力(チカラ)を持った一族である。獣の姿が見えてもおかしくはない。

 「あの雲の化け物は?」
悟が訊ねた。『雲…か。考えることは同じだな』と思うと噴出しそうになった。
 「ああ、あれはうちの犬でソラというんだ。一応…犬。」
笑いを堪えながら透は答えた。一応という言葉に彼らは納得したようだった。

 やがてバスが来たので、透は彼らと挨拶を交わして帰途に着いた。座席に腰掛けて少し落ち着くと、獣の言葉が妙に透の心に引っかかった。
 『ソラはお祖父さまに何を感じたんだろう…?』
透は一左の顔を思い浮かべた。生まれたときから見ている顔。これまで透は一左が一族の長であることに疑いなど抱いたことはなかった。周りの誰一人としてそれを否定する者はいなかったし、いるとも思えなかった。

 『黒田は…どうだろう?』
透はふと産みの親である黒田のことを考えた。外から紫峰家を見ている黒田なら何か感じるところがあるかもしれない。一瞬、それを聞いてみたい衝動に駆られたが、あわてて打ち消した。
 『あの人には関係のないことだ。』
透は自分自身にいいきかせるかのように小声で呟いた。
考えることさえ、修への裏切りだと言わんばかりに…。

 

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一番目の夢(第六話 闇を喰らう獣)

2005-05-06 15:27:26 | 夢の中のお話 『樹の御霊』
 「だめだよ。捕まっちゃうよ。」
庭の方から冬樹の声が聞こえたような気がして、一左は外に目をやった。帰ってきたばかりらしく、学生服のままの背中が見えかくれしている。誰かと話しているようだが、一左の視界には相手の姿が入ってこない。

 「だめだめ。ひとりで出かけるなんて無理…!」
会話はなおも続くが、辺りには人影もなくしんとしている。
 
 『さては中坊の癖に、わしに内緒で携帯でも手に入れたか…。』
携帯は高校入学まで待てと言ってあった。若い者はこれだからと、一左は立ち上がり、冬樹のほうへ一歩足を踏み出した。

 が…、その足はそこでぴたりと止まってしまった。冬樹が話しかけている相手の姿が見えた。
それはとてつもなく大きく、犬のような形をした生き物だった。冬樹がそれに気付いているのかどうかは判らないが、全身がぴりぴりと緊張してくるほどの波動(チカラ)を感じる。
 
 「冬樹、それから離れるのじゃ!」
一左は叫んだ。
しかし、冬樹は笑って取り合おうとしない。獣の頭などをなでている。

 「大丈夫だよ。お祖父さま。こいつは悪い奴じゃないから。」
獣の方もすっかり慣れ親しんだ様子で、冬樹に身を寄せたりしている。その様子は普通の犬と変わりない。しかも昨日今日の関係には見えないほど親密に思える。
 「こいつの言葉が解るんだよ。話ができるんだ。」
冬樹はうれしそうに言った。

 日頃、何の能力もないと劣等感を抱いていた冬樹だけに、獣の言葉が理解できたことがよほど自信になったらしく、一左の目から見ても今の冬樹は実に堂々としていた。

 通常なら孫に少しでも見込みが出てきたことを喜ぶべきところだが、そうした冬樹の様子を見て一左の心に一抹の不安がよぎった。
あの『樹と化け物』の言い伝えが一左の脳裏に浮かんでは消え、冬樹の姿が樹の姿とオーバーラップする。

 『ただの言い伝えに過ぎん。』
そう心のうちで呟いて、笑い飛ばそうとした。
『こいつはただの犬じゃ。闇を喰う獣などこの世に存在するはずがない…。』

 在りえぬ事だと言ってはみるが、不安は一向に消えなかった。万が一これが本物ならば…。
そう考えただけで、背にあわ立つものをおぼえた。



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