テッディーさんと家族が来日

2009年04月27日 | Weblog
昨日、テッディーさんと家族、そしてジャネットさんの姪に当たり、入信したばかりのジャンビーさん(大学生)と全部で四人が来寺しました。
ジャネットさんとユカさん親子、そしてジャンビーさんは遠妙寺の本堂にあがり、感激して涙を流されました。
純粋なんですね。
本山本堂の内陣、上の方にかかっている扁額に「真霊山」とあります。
「真霊山」とは、「真実の霊山浄土」の略です。「霊山」(りょうぜん)とはお釈迦様が亡くなられる8年前から「法華経」(ほけきょう)の教えを説かれた場所です。
霊山は、霊鷲山(りょうじゅせん)ともいい、山の形が鷲に似ている所から、付けられた名前です。
仏様が霊鷲山で法華経の教えを説かれましたが、法華経本門八品を説かれている間は、空中に浮かび上がって教えを説かれたと言われています。その時は、お釈迦様は、永遠のいのちと救済の力を持つ「久遠本仏」(くおんほんぶつ)としての姿を現されました。
そして、同時に久遠本仏の一番の弟子である「上行菩薩」と他のたくさんの菩薩が姿を現して、教えを一心に聴聞しました。
この時、この霊鷲山だけでなく、現実の世界は浄土の姿を呈しました。
これを霊山浄土といいます。
そして、「霊山浄土、厳然未散」という言葉もありますが、一心に御本尊にお祈りするとき、知らず計らず、その人を包む世界は霊山浄土となっている、また、そういう浄土がその人の前に現出するということを現しています。
遠く、外国からお参りする、その心は尊く、遠妙寺の御宝前がジャネットさんには真実の霊山と映るのです。
そういう「恋慕渇仰」の気持ちの大切さを教えてくれました。
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中庸(まあまあのところ)を心得よ

2009年04月25日 | Weblog
過ぎたるは及ばざるがごとし
という言葉があります。
最近の事件を見ますと、ずいぶん、度を超えたものが目立ちます。
たとえば、中学の先生が生徒が課題をやってこなかったということに腹を立てて、殴る蹴る、馬乗りになって重傷を負わせたという事件が昨日(4月24日(金)に報道されていました。何もそこまでという感じです。
また、SMAPの草剛さんが、裸で叫んでいたところ、通報により警官が三名駆けつけて取り押さえ、その際、抵抗をしたということで、逮捕され、住まいの家宅捜索まで享けました。
裸で夜中に叫び声を出すのは、いくら何でもおかしいし、どうかなと思います。
でも、2日間にわたって拘束し、家宅捜索までやるのは、かなりやり過ぎです。
また、母親とその交際相手が折檻のいき過ぎで、とうとう女の子が殺され、遺体が遺棄された事件も同じ日に報道されていました。
すべて、行き過ぎ、やり過ぎで常軌を逸しています。
極端に走りすぎることにより、すべておかしくなっています。
ダイエットのやり過ぎ、食べ過ぎ、飲み過ぎ。
働き過ぎ、休みすぎ、もうけすぎ、使いすぎ、節約しすぎ。
みなながら あらましかばと 思ふらん 物はなかばに たることをしれ
と開導日扇聖人はお示しですが、「なかば」でやめようとしないんですね。
なぜでしょうね。
人間の欲望の本質かな。
しかし、私たちはそういう傾向があることをよく知り、前もって用心すればかなり防げることになります。
また、一つだけ、走ってもよいところを持つことです。
その第一は、人の為に骨を折ること。人を助ける菩薩行をすること。
二つには、佛立信者なら、とことん、本門八品所顕上行所伝本因下種の南無妙法蓮華経のお題目を心ゆくまで唱えること。
これでしたら、大丈夫です。行き過ぎにまでは、なかなかなりませんし、人を助ければ助けるほど、功徳となり、唱えれば唱えるほど、お計らいを頂きます。


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難病のご主人を見送り・・Mさんのこの頃

2009年04月22日 | Weblog
先日、Mさんのお宅に伺いました。
心配していましたが案外に元気で、一生懸命、動いておられました。
Mさんのご主人は頑強な方でしたが、難病を患い、必死に闘病しましたが寿命でしょうか、静かに息を引き取られました。まだまだ年齢は若く、残念でしたが、寿命を全て使い果たした感がありました。
元気な時は、お孫さんたちをかわいがり、お寺でも子どもの会(くんげ会)の面倒をみられたり、また、ご自分より年上の方々のお世話を良くされていました。
本当に惜しい人を失いました。
さくらこそ おもひしらすれ つねならぬ 世はかゝりとて 風に散覧(御教歌)
しかし、奥さんはご主人を亡くされた後、落ち着いて行動し、悲しみをこらえて立派な葬儀を出され、七日ごとの法要もつとめられました。そして埋葬、その後の手続きなど、一人の死の後にはいろいろなことがあります。
引っ越しもありました。ご主人のものを整理して片付け、身軽になって団地に入居されました。
ともかく、一年経ち、家族一同が元気で、皆そろって一周忌にも出られたことは大変なことです。
女の人が強くなったとか、強いといいますが、そうではないと思います。
弱くても強くならなくてはなりませんし、本当は泣きたいこともあるでしょう。
信仰なくして、その強さはありえなかったと思います。
難病というのは、とても大きな問題で、病気にかかった方は大変です。
でも、その家族も同じくらい、大変です。
今も、難病と闘っている人が沢山います。
お計らいを頂き、劇的に治る方もありますが、長くかかる方はそれ以上おられます。病気の方と、その家族が癒されるよう、私たちとしてはお助行をして、話を聞き、何かできることをしてあげなくてはと思います。
お寺には福祉を進める「愛の花束」という組織がありますが、今後、「愛の花束」の活動をますます充実させ、本当に苦しんでいる方に少しでも役に立つことをさせてもらわなくてはならないと思っています。
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日本の大学制度はわからん

2009年04月20日 | Weblog
昨日、青年会担当の河野彰国師から報告がありました。
神戸大学医学部に編入学した友梨さんのお住まいに、無事、奉安のご奉公ができたというものです。
内山さんご夫婦の参詣、立ち会いのもと、立派に御戒壇建立。御本尊様がご安置できたとのことです。
“たましい”のより所ができ何よりです。これからの勉学、研究生活が楽しく、無事に送れるようご祈願させていただいたことでしょう。
友梨さんに以前、お聞きした所、高校卒業後、2001年にアメリカのMSSU・・・Missouri Southern State University(ミズリー南州立大学というのでしょうか?)に入学して2004年12月に卒業、その後、Graduate College in the University of Nebraska・・ネブラスカ大学大学院博士課程に入学、ふつうは最低4年~5年かかるところを3年で卒業してしまいました。異例のことだそうです。
また、経歴が書かれているものをみますと、彼女は膵臓ガンの細胞の研究をして、その論文が認められ、博士号(Doctor of Philosophy)を取得して、卒業。その論文の紹介記事がサイエンス・ダイレクトという学術誌に掲載されました。
すごいね。でも、なんでガン細胞の研究をして、博士号までもらったのに、日本では試験を受け直して、やっと大学に編入ということになるのでしょうか。それも5年くらいならいいのですが、また、大学3年くらいじゃ大変。Doctor of Philosophyという称号だからですかね。これも不思議。なぜ、Doctor of Medicineではないのでしょうか?アメリカの制度も不思議です。
まぁ。とにかく、しっかり又、卒業することを祈ります。

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ミスター・テディー・2軒と5人のお教化成就

2009年04月16日 | Weblog
フィリッピンのテディー氏が、また、教化成就されました。
今月9日から13日まで、河野彰勲講師がテディー氏の席での口唱会のため、現地に行き、ご奉公させていただき帰ってまいりました。
今回は、お休みの日に口唱会を開催したので、参詣者があまり多くなかったそうです。しかし、ご信者だけの集まりとなり、中味が濃い口唱会となったとテディー氏が報告してきました。
そして、2軒のお宅に御本尊が奉安され、5人の方が別に、個人入信されました。
すばらしい!
私たちがおたもちしている上行所伝の妙法御題目は、限られた人種、限られた国民を救うのではなく、老若男女、何人だろうとなんだろうと救われるのです。
本門八品所顕上行所伝本因下種の南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経とお唱えする御題目の力によって、私たちの“たましい”は癒され、心身共にお計らいを頂きます。
日蓮聖人は四信五品抄というお書きものの中に、「しかも毀呰(きし)せずして随喜(ずいき)の心を起さん」という法華経の教えを引かれています。毀呰というのは、傷つけ毀す(こわす)という意味で、分析するとか、論理的に理解することを意味します。随喜とは喜ぶことです。
すっと素直に信じる、丸呑み込みで信じてしまうのが、本当の信じ方で、あれこれ詮索してみるのは遠回りだということです。
不思議な上行所伝の御題目をお唱えして顕れる「現証」を素直に信じる人は、必ず素晴らしい御利益を頂きます。
すべて理論で割り切ろうとして、御題目の一つ一つの字の意味を分析的に研究するようなアプローチの仕方では、お計らいを頂けず縁遠くなるということです。
そういう事からいうと、言葉にとらわれず、ただ御題目口唱をされる外国の方のほうが御利益がすみやかに顕れます。
いずれ、この地に、佛立信心が根付き、親会場や別院、お寺ができることを夢見ています。
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清風寺にて日地上人御年回、新住職誕生

2009年04月13日 | Weblog
11日(土)、12日(日)と2日にわたり、大阪の清風寺で門祖会が行われ、私は日曜日に参詣させていただきました。
特に日曜日の第二座では、第5世住職、西村日要導師の長男、そして第3世住職、西村日地上人のお孫さんにあたる西村清良師の第7世住職就任式が行われました。
いわば宗門のサラブレッドで、たいへんな期待されていてプレッシャーが並大抵ではないと思いますが、堂々と宣誓、また、挨拶をされ頼もしく感じました。
今日に至るまで、清風寺の教講は苦労があって大変でしたが、落ち着くべき所に落ち着いたという感じです。これらからは、社会的な状況の変化、経済的な問題、ご信者の気質の移り変わりなどによって、私たちも含め佛立宗のあらゆる寺院は逆風になると思います。ご信心が深く、経験豊かな役中信者(役員)が昼夜にご奉公し、佛立宗を支えてきましたが、そういう捨て身のご奉公のできる方が減ってきているからです。これからは、よほどの覚悟で臨み、逆風を乗り越えて厳しい環境の中でご弘通発展を期さなくてはなりません。新住職の清良師の活躍と健康をご祈願させて頂きたいと思います。
また、11日(土)には第6世住職・谷川日恩上人の百ヵ日忌及び清風寺本末寺院の合同本葬儀が行われました。
そして、いよいよ12日の午後3時からは佛立第18世講有・日地上人の23回御忌法要が、門祖会とは別に厳粛かつ盛大に営まれました。
内陣で御看経させて頂いたのは、奉修導師の講有上人、そして左右に梶本講尊上人、野講尊上人。そのほか、5名でしたが、その中に加わり私もお参りさせて頂きました。七条袈裟という大きなお袈裟を着けての法要で、緊張です。いやー大変と言ったらいけないのですが、持って行くのが重たかったですね。
私が控え室にいたとき、接待ご奉公をしてくれていたのが女子青年会の土井さんという人で(ごめん、名前まで記憶しませんでした)、かいがいしくご奉公してくれました。ありがとう!(このブログを見てくれているそうです)
日地上人には、本当にお世話になり、感謝しています。大学の大先輩でもあり、同じインド哲学科でした。また、遠妙寺から大学生時代に通学されていたこともあり、ご因縁が深く常に目をかけて頂きました。大阪にいる5年の間に、いろいろ学ばせていただき、ご信心の深いーィところが分かりかかった気がします。
青年会参与教務も仰せつかり2年間ご奉公、その経験を遠妙寺青年会の再結成と発展に活かすこともできました。報恩謝徳の念でいっぱいです。有難うございます。
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今日は平成21年度 入学式

2009年04月10日 | Weblog
本日は、京都・佛立教育専門学校の入学式が行われました。
去年より多い12名の新しい学生が入ってきて、少し賑やかになりました。
もう、私がこの学校に入学したのは35年も前になりました。
その時は、オーバーにいえば仏教を極めようといういうくらいの意気込みでした。
やっぱり、若かったのかもしれませんが、張り切って入りました。
少年老い易く、学成り難しといいますが、なかなか勉強を継続して情熱を以て取り組み、それを活かすのは大変です。
でも、この時代、こうして新しい教務が入学して修行と学問に打ち込もうと集まったきたのですから拍手を送りたい気持ちです。
頑張って初心を貫いてほしいです。
御教歌に
【御題】修学所の生徒
やしなはる 身ともしらざる 居候 自私の見とて 寝夜食をくふ
(御講有上人のご訓辞に引用の御教歌)
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30年先の主役は?

2009年04月09日 | Weblog
今日は、御講有上人、両御講尊上人が出席される会議がありました。
その中で、将来の佛立についてお話がありました。
教務局として、いかに教務増員をするかという宿題も出されました。

今は少子高齢化で、教務の構成についても、平均年齢は上昇中です。
ですから、偉い人が多くなり、その割に新しい教務、若いピチピチした人は少なく、偉くない人・・・昔は沙弥(しゃみ)といい、今は準講師という出家したての人があまりいないのです。
大僧正、権大僧正ともなれば何人かの御弟子さんがいると思われますが、一人も御弟子さんがいない方も今後、増えそうです。偉い人を能化といい、御弟子さんを所化といいます。指導する方と指導される方です。指導される御弟子がないのに能化というのはおかしなことです。ぜひ、これからは、お祖師様の御弟子が増えるように努力する必要があります。
法は人によって弘まるとも言われています。ご信者が教化することが大事なように、教務は御弟子を作り指導することが大切だと思います。
私も孫ができ、今は熊本にいますが、5ヶ月です。この写真です。
でも、20年後には二十歳、30年後には三十歳で、一人前のことを言っているはずです。
ぜひ、得度したい、お教務さんになりたいというようになってほしいものです。
また、甘やかすと言うことではなく、いかに支え、どのように慈悲を以て育てるかという、こちら側の用意と覚悟が必要ですね。
将来が楽しみだなぁ・・・
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石原結實さんの「空腹力」を読みました

2009年04月08日 | Weblog
最近は何でも「〇〇力」というのが多いんですね。
それで、あまり〇〇力というタイトルの本は買わないのですが、これは買いました。
有名なお医者さんで、西洋医学と東洋医学を学び、いまは伊豆で保養所「ヒポクラティック・サナトリウム」を開設、断食道場を主宰しておられるとのこと。
著書も多数あり、有名な医学博士です。
「空腹力」という書名ですが「やせる、若返る、健康になる!」というサブタイトルが付いています。
今日から朝食をカットして見ようと思います。中に書いてあることは、いちいちもっともで、大変に説得力があります。病気は血液の汚れからということで、動物性タンパク質の摂りすぎ、運動不足、ストレス、冷え、また環境汚染物質や食品添加物、化学調味料、薬品など血液を汚す有毒物質を身体に入れないように、また、入ったら自然に排除するように熱を出したり嘔吐や下痢、炎症、発疹など体が自律的にはたらく、それを無理に薬で抑えてはいけないと説かれています。
あぁ、そうかと思い、納得しました。
ただ、塩分をいちばん、沢山摂っている日本人がもっとも長寿なので、塩分は積極的に摂るべしというアメリカの医学博士の論文を紹介しています。今までの常識とは少し違いますが、言われてみれば、なるほどと思います。
メタボを何とかしないと、ご奉公も成就できませんから、この辺で対処しないといけないのでチョットここに書いてあることを実践してみようと思います。
また、水分の摂りすぎによる水毒がこわいというので、水分の摂りすぎに注意すべしとあります。コーヒーの飲み過ぎ、アルコールの飲み過ぎによる水分は体に滞留して害をおよぼすというのです。
でも、御供水は違いますよね。「水とみゆれども水にあらず」と開導聖人は仰っています。御供水は「功徳水」ですから、大きなお計らいを頂きます。必ず、毎朝、御看経をあげて御供水を頂くと、必ず、健康増進のご利益を頂きます。
東京、尾久の本華寺に江良清直師という教務さん(故人)がおられました。この方がご奉公されていた頃、受け持ち教区のご信者で、腎臓の病気で困っておられ、もう命が危ないという方がいました。水分は厳禁といわれていましたが、家族の方が、もう他に助かる道がないというので御供水を患者に与えて頂くようにしました。
ところが、奇跡的に病状が回復し信じられないご利益を頂いたのです。
これからは、第一に心から身体まで治す仏教を中心に、東洋医学と西洋医学の良いところを融合し、取り入れて病気に対処しなくてはならないでしょう。

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フィリッピンのご弘通

2009年04月07日 | Weblog
フィリッピンでお教化のご奉公に一所懸命に取り組み、ご奉公なさっているTeddyさんにも、いつもこのブログを見ていただいていて、大変有難く思います。
昨年は、二回、遠妙寺の教務とご信者を招いていただき、口唱会の形ですが集会を開催いたしました。Teddyさん夫妻や娘さんがフィリッピンの人たちをお誘いして、参詣者は30名にもなりました。それがキッカケとなり盛り上がっています。まもなく、4月9日から、また、河野彰勲師がフィリッピンに行きご奉公させていただく予定です。

Teddyさんはご信者の家に生まれ、遠妙寺所属でしたから、フィリッピンに渡られる前にも、私は何回かお目にかかったことがありました。若い時から、わりあい信心のこころを理解される方だと思っていましたが、本格的にご信心をされるというところまでは、いっていませんでした。
Teddyさんご本人のお話では、あまり「謗法」ということは意識されなかったようです。それで、友達に誘われてS苑にいってみたり、他の神社仏閣などに行くことも抵抗感があまりなかったようです。しかし、どういうわけか(理由は本当はありますよね)、交通事故に縁があり日本でも、フィリッピンでも事故があったようです。フィリッピンはキリスト教国ですから、教会に奥さんと一緒に行ったり、何とか事故が起きないよう祈りを捧げたこともあると言っておられました。それでも、なお事故に見舞われたとのこと。
そんなことがあったせいでしょう。ある日、ずっと昔、遠妙寺先住、日玄上人より携帯するための「懐中御本尊」を頂いていたことをフィリッピンで想い出されました。
そして、カバンに入れっぱなしだった懐中御本尊を中から取りだそうとした時、突然、先住、日玄上人の姿が現れ、拝することになったのです。あまりにも、突然のことで、予期していなかったのでビックリして、それから懐中御本尊をお飾りして、上行所伝の御題目をお唱えするようになったとのこと。今日、立派にご奉公されるようになった、そのキッカケがこの「懐中御本尊事件」です。
それからというもの、ご信心に目覚められ、まず、奥さんのジャネットさん、娘さんをお教化、そして、奥さんの姪御さん、さらに、元、運転手として雇っていたロメルさんなどを教化されています。そして、今は、やがて別院の建立ができるようご祈願されています。

以下は先日、このブログに寄せて頂いたコメントです。

フィリピンでもロメルさんが御宝前様のお力で難病を薬なしで治して頂きました。
先日、口唱会にロメルさんが来てくれましたが以前にもまして顔がふっくらと健康そうな顔色になっていました。
毎日何度も御宝前様に手を合わせお題目をお唱えしているとのことでした。
また、お信心についてもたくさん質問をされ本当に真剣なご信心の姿に感動しました。
ただ私はその質問等に的確に解答できない自分の不甲斐なさ、信心の未熟さに気づかされました。
一緒に来てくれた ジェンマさんの従兄弟の方も入信に前向きになっているとの事で、ますます私もご信心に励まなくては強く感じました。
フィリピンで悩み、苦しんでいる沢山の人達を一人でも多く御宝前様のお力で救って頂けるようお教化に励みたいと思います。以上。

全国の同信の皆さん。もし、ご信者でフィリッピンにおられる方など、いらっしゃれば連絡くださいませんか。夢を共有して、いずれフィリッピンに佛立の拠点ができれば素晴らしいと思いませんか。
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