またも結婚式

2007年11月24日 | Weblog
これで今年の大イベントはおしまい。三女の結婚式が二十三日に行われました。
今年は、三月に次女・日登美と田原学君の結婚式。
十月に弟子であり甥でもある河野彰国師と小林穂美さんの結婚式。
十一月に三女、美由紀と相川良尚師の結婚式。
親も家族も大変でしたが、お出でいただく方々も大体決まっていますから、なにかとご迷惑をかけました。
けれども、来年、再来年まで待っていろとも言えませんので、前代未聞の一年に三回の結婚式となりました。
しかし、結婚式は厳粛佳麗に、披露宴は笑いあり涙ありの披露宴で、楽しかったとか、良かったとか参加した人から感想を頂きました。
願わくは、末永くしあわせにと祈った次第です。
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七五三

2007年11月20日 | Weblog
今年の七五三は十八日の日曜日。
みな着飾ってお参りしました。
当日は薫化(くんげ)こども会の御講も行われ、七五三以外の子どももお参りしました。去年より少ないけど、まあまあ賑やか。
最近の傾向は七五三の子ども1人に父母と四人の祖父祖母、それに兄弟、親戚などで6人以上の父兄がいっしょにお参りします。少子高齢化の象徴ですね。
でも、大勢でお祝いするっていいですね。
この子達がいずれ、日本や世界の未来を背負っていくのですから、最高の宝ですね。この子達に大事なものを残してあげなくてはいけないと思います。
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防衛省・山田洋行・守屋氏・ダンマパダ

2007年11月16日 | Weblog
防衛省の問題が、かまびすしく報道されています。守屋氏の心境はどうなのだろうか、少し、考えてしまいます。
ダンマパダという経典があります。ダンマパダというのは「法句経」(ほっくきょう)と翻訳されています。
私たちがより所とする法華経(ほけきょう)が大乗経典であるのに対して、いわゆる小乗経典とされる教えで、その教理内容の深さはやはり法華経にまさる経典はありません。
しかし、小乗経典といっても、やはり仏様の教えですから、なかなが含蓄があり、分かりやすく思います。たとえば、次の一節
貪る(むさぼる)なかれ。
諍い(あらそい)を好むなかれ。
欲楽を嗜む(たしなむ)なかれ。
思念(おもい)放逸(ほういつ)ならざれば、
以ておおいなる安らぎを獲べし(うべし)。
人間は何千年、何万年たっても、その性根は変わらないようです。
むさぼりから争いが生まれ、勝者はなおさら、欲に溺れ、欲にまみれて喜び、楽しみ、さらに大きな権力と富、名声を求めます。
人を傷つけ、け落としてものし上がり、その果ては、病気になるか、傲慢な人間になるか、あるい逆にいつかけ落とされて苦しみにあえぐようになります。
この流れを流転門(るてんもん)といい、私たちがはまりやすい生き方です。
それをどこかで変えなくては、永遠に抜け出せず、心に安らぎはもたらされません。
一日の始まりに、静かな心で他の人の幸せを念ずるだけでも、その流れは変わります。お寺に参ることはけっして、お年寄りだけに推奨されることではありません。
私たちのお寺には、若い人も高校生もお参りしています。
そういう時間を持つことにより、安らぎは得られることを皆、忘れてしまっているのです。流転から安らぎへ、流れを変えることが大切だと思います。
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宇都宮の遠歓寺

2007年11月12日 | Weblog
昨日は宇都宮・遠歓寺の日蓮聖人御会式にあわせて先代の柴田日圓上人の十七回忌があり、参詣させていただきました。
遠歓寺の成り立ちは大正に入り、大阪の足立五郎吉という清風寺の功労者の嫡子、足立熊吉というご信者が熱心にご信心を弘めたのが最初のキッカケです。
この熊吉氏が、その後、教化をして、大阪大歓西組から宇都宮大歓組が分離独立。
まず、教職にあった小林清次郎氏が教化され入信しました。小林氏は教職にあった方ですが、病気が機縁となって入信。ご信者がみなで、御題目を唱え、必死に祈るお助行で、全快のお計らいを得て信心が増進。教員仲間の有馬氏、その他、教職にあった人を中心に教化されました。また、もともと明治時代からご信者が宇都宮近辺にいて、それらの人と合流する形で翌年、遠歓組が発足、初代の担任として伊達日彰上人(遠妙寺の祖)がご奉公されるようになりました。
その後、柴田日圓上人が昭和四年に赴任、それ以来、60年にわたって住職として遠歓寺を守ってこられました。
60年の風雪に耐えるって、口で言うほど簡単じゃありません。本当に感謝をして17回忌の法要が行われ帰京しました。
(写真は遠歓寺の裏、宇都宮の史跡に指定されている和尚塚・・昔は境内地でした)
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季節のうつりかわり

2007年11月08日 | Weblog
季節のうつりかわりは早いものです。
今月の最初まで日中は暑かったのですが、もう、扇風機は見ただけでも寒さを感じるので片付けたいと思います。
きのうまで世話になっていて、頭を下げていたのに、いったん事情が変わると手のひらを返すようなことが世間ではよくあるようです。
恐ろしいような気がします。
仏教では、人には仏性が誰にもあると説き、その仏性を信じ、修行によって仏の種を植えれば、誰もがみな、花を咲かせ実をならせるといいます。
仏を信じ、仏を信じる人を信じてこそ、仏教徒と言えます。
1951年、サンフランシスコ講和会議に臨んだスリランカ(セイロン)政府代表団々長のジャワルダナ蔵相(後に首相)は
「怨みは怨みによっては止まず、ただ愛によってのみ止む」という釈尊のことばを引用して、その教えがアジアの数え切れないほどの人々を高尚にしたこと。そしてアジアの全地域にこの仏教が及んだこと。この教えが長い間、共通の文化となり、伝統となり、お互いを結びつけたといい、
「我々は日本人に機会を与えて上げねばなりません」と述べて、賠償の放棄を宣言したといいます。
いくら季節が変わっても、釈尊のこころがいつまでも忘れられないように願うのみです。
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朝参詣

2007年11月07日 | Weblog
きのう、きょうと三日ならぬ二日坊主ですが、本山・宥清寺に朝参詣させていただきました。
その帰り道、ホテルに入る前に、日蓮聖人門下で他門流のお寺に寄ってきました。
このお寺を開いた方は、わが門祖・日隆聖人と、ほぼ同時代の方で、その教義も少し似たところがあると、昔、佛立教育専門学校(僧侶の養成機関)で習ったことがあります。でも、一度もそのお寺を見たこともありませんでしたので、見学することにしました。
立て札にかいてありましたが、大黒天か何か、神様を中心に拝んでいるらしいのです。
境内に入りますと、たくさんの塔頭(たっちゅう・寺院内の寺院)があり、ずいぶん繁栄をしたし、また、今もって繁栄しているお寺のようです。
ただ、本堂に入ってみたいと思いましたが、入り口に柵があって入れません。それぞれの塔頭でお参りしているのか、していないのか。八時前でしたが、閑散として音も聞こえず分かりません。
こうしてみると、わが佛立宗ではどのお寺も朝早くから本堂の門戸を開放し、参詣者を受け入れ、教務がみ仏の教えを御法門という形で説き、これに答えて大勢の参詣者がお参りするという伝統は、たいしたものなのだなぁと感じました。自画自讃でもうしわけありませんが、そう感じてしまいました。
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ゆきちゃん おめでとう

2007年11月03日 | Weblog
今日は結婚式披露宴に出ました。
いつもは、結婚式の導師をつとめたり、祝辞を言ったり、親として御礼を述べたり。今日は、ただお呼ばれをしてすわって食べ、楽しむだけ。こんなに楽で楽しい結婚式はありません。そのうち、遠妙寺の御宝前で結婚の言上式のために二人で見えて、ごく簡略な式を行いたいそうです。
今日の結婚披露宴は、新婦側のお客として呼ばれました。ゆきちゃんの生まれ育った家は、筋金入りの佛立信者。お父さんは遠妙寺事務局の前・弘通部長として活躍した佐藤元一さん。おじいちゃんは元、宗務副総長兼財務局長として活躍した佐藤政司さんです。
佐藤政司さんは、12年間連続で宗務本庁に通い、宗門多難の時期に多大な貢献をされました。遠妙寺でも6期14年の間、最高責任者の事務局長として奉仕活動に専念。会社を経営しつつ、時間が許す限りのご奉公をしてくださいました。
公私混同を許さず、お寺にたくさんの寄付をしながらも、一枚の紙にしても私用には使いませんでした。4年前、その日まで、お風呂に入り、食事をして、テレビを見て、ゆっくりと休みに行きそのまま、スーッと亡くなられました。
亡くなるまで、ズッーと楽しみにしていたのがゆきちゃんの成長でした。学校に就職が決まり、喜んでおられましたが、きっと、その結婚の姿を見たいと思っておられたと思います。目に入れても痛くない孫のゆきちゃんの結婚式。きっと、天国から見守っていたことでしょう。おめでとう。ゆきちゃん!
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日本の文化

2007年11月02日 | Weblog
日本にはすばらしい文化があります。それも、東京から離れたところに今も息づいていて、訪れる人に忘れていたものを思い起こさせます。
庭の造り方一つでも、日本固有の文化を感じさせます。
先日、大正6年につくられた「岩崎別荘」、戦後は起雲閣という旅館となり、山本有三、志賀直哉、谷崎潤一郎、武田泰淳、三島由紀夫など、文人になじみが深い「起雲閣」に寄ってきました。
このような庭園を眺めながら執筆するのであれば、筆もはかどるだろうし、いいアイディアも浮かぶだろうに。残念ながら、私がふだん使っている書斎兼応接間では殺風景で、何もいいものは出てこないのも無理がない・・などと感心しながら庭園を眺めていました。まぁ、単なる言い訳ですが。
ともかく、お寺でも今、私の自坊はコンクリート造りだし、すべてがそうです。この流れは何とかならないものか、文化の日を迎えるにつけ、ちょっと考えさせられます。
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VILLA DEL SOL と海

2007年11月01日 | Weblog
今は、晴れれば日中は暑いくらい。でも曇ったり雨だと寒さを感じます。
いよいよ今日から11月ですが、日本には四季の移り変わりなど季節感がなくなってしまいました。
食べるものは世界中のものが、春夏秋冬、季節に関係なく何でも手にはいりますし、着るものも昔のように11月だから半袖は着られないなどということもありません。
坊さんの衣さえ、夏物も冬物も気温によって、その日によって選んで着るような感じです。
さすがに、泳ぐために海には入れませんが、この写真はつい先日撮ったものです。まるで夏模様。海が光りすぎて写っていませんが沖合い遠くに島が浮かんでいます。残念ながら、この時は私にとっては休日を楽しんでいたというようなものではありませんでした。
現在は毎日、時間に追われ時計を気にしながらの生活ですが、いつか、のんびりとこんなイスに座って、太陽の下で昼寝をしたいなどと、チラッと思わないでもありません。まあ、むずかしいですけど。
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