梅雨明け

2006年07月27日 | Weblog
関東地方は梅雨明け宣言をしていませんが、私は今日が関東地方の梅雨あけ日だと思っています。だってハッキリ、真夏の天気ですからね。
遠妙寺では夏期参詣中ですが、今年はなんだか梅雨参詣となっていました。これからが本当の夏期参詣ですね。
熱中症に注意して、大勢の方にお参りいただきたいものです。
(写真提供 Mr.ManaBun.T)
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夏の御会式

2006年07月24日 | Weblog
昨日は開導日扇聖人の御大会(おだいえ)があり、多数の教務方とご信者にお参りいただきました。本来、梅雨のさなか、雨でもおかしくなかったのですが、好天のうちにおつとめすることができました。本当に感謝しています。
御会式(おえしき)という言葉は分かる人がいます。御会式は日蓮聖人が亡くなられた10月13日前後に行われ、そのお徳をたたえ感謝する法会に限って使われる言葉です。開導日扇聖人の場合は御正当会(ごしょうとうえ)とか、御大会(おだいえ)というのが正しいのですが、分かりやすいよう夏の御会式といっています。
開導日扇聖人は1817年に誕生され、32歳の時に得度、41歳の時に本門佛立宗の前身、佛立講を法華宗の中に開かれ、74歳でご遷化(せんげ・・亡くなること)されました。(画像はご自筆による得度の日の様子)
その功績は仏教史上で見ますと色々あります。
第一に儀式執行のための家の宗教を近代的自我に目覚めた個人も重んじる宗教へと変容されたことです。
次に、そればかりでなく、信徒を組織化して社会に対して情報を発信しうる集団とされたことです。(しかもこの本門佛立講は土地や財産、あるいは信徒の商売や金銭、そして経済的な結びつき、あるいは政治的な目的や実利を介しての結びつきではなく、純粋な信仰を媒介とする結びつきです)
第三に、それまで寺院内に閉じこめられた説法、信仰を一般家庭の場に解放されたことなどです。これは要するに御講という制度を創設して、信徒宅で礼拝、修行、御法門(説法)を聴かせ、大勢の信徒を教導されるようになったということです。
いま、遠妙寺では主に青年会の人が中心となって御会式をプロデュースすることになり、ただ話だけでなく映像や音楽などを交えて仏教の教えが参詣者の心に入っていくよう工夫をしています。一度、ぜひお参りください。
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吹く風、枝をならさず、雨つちくれ(壌)をくだかず

2006年07月20日 | Weblog
梅雨前線が活発化してこのところ、日本列島は激しく雨が降り今までの記録を塗りかえているようです。
そのため各地で災害が相次いでいます。3日後に迫った夏の御会式(開導日扇聖人御正当会)のお天気が心配ですが、この雨で亡くなったり行方不明になっている方のことを思うと、なおさら早く雨がやんでほしいもの。
東京は今日は薄曇りで時々、晴れ間が見えました。予報とは少し違いましたが、なかなか的確な天気予報をするのは難しそうです。
日蓮聖人のお書き物の中に、人々が信仰をもち、真の意味で平和な仏の国土がこの世界に現出したとき、「吹く風も穏やかで枝を鳴らすこともなく、雨は静かに、適当な日にちをおいて降り、土壌を砕くこともなく、世は古代の理想的な中国の(伝説上の)王が治めていたような世の中となる」と説いてあります。
この頃のような雨の降り方や、地震のすさまじさなどを考えると、やはり末世なのかなと考えてしまいます。天候の異変は自然の為すところとは言いがたいものがあります。森林伐採、CO2排出などは、みな人間がしていることです。人間の業の深さを感じますね。
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テポドンと畠山容疑者

2006年07月16日 | Weblog
北朝鮮からミサイルが発射されましたね。このところその問題で新聞の一面が占められていると思っていました。でも、昨日、今日は秋田の子どもの殺害事件の記事が大きく出ていました。
畠山鈴香容疑者というのはどんな人なのでしょうか。自分の娘を殺害して警察に事故死扱いされ、それに抗議したということです。畠山容疑者はふだんは娘の彩香ちゃんを可愛がっていたそうですが、どうもつながりません。何か特別の事情があったのか、何かが起きたのでしょうか。
北朝鮮も恐らく建国の当初は人民の救済、福祉、富の平等な分配をめざしていたかもしれません。
時代の流れの中で、一貫性を保つことは難しいようです。
人でも、一夜でその性格から顔つき、雰囲気が変わってしまうことがあります。
最高の経典、法華経(ほけきょう)には「悪鬼(あっき)その身に入る」と説いています。まるでエイリアンか特別なウィルスが体に入ってその人を乗っ取ってしまうように、悪鬼としか呼ぶことができないような何者かが侵入して人格が変わってしまうのでしょう。
ともかく心に隙があると魔がさして、とんでもないことが起こります。そういう意味で常日頃から「み仏」の守護が私たちには必要だなと感じています。
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ワールドカップ

2006年07月12日 | Weblog
ワールドカップサッカーの優勝はイタリアに決まりました。
PKでフランスは敗れましたが、良い戦いぶりでした。4年ごとの戦いですが、日本は本当に強くなっているのでしょうか。
ずいぶん前になりますが、オリンピックメキシコ大会で確か、日本は銅メダルを取りましたよね。あの頃は釜本や杉山がいたので強かったんでしょうか。
時代が進んで、各国のサッカーの力が向上して、技術が進歩したので日本が思うような成績を残せなかったという論調で語られるときがあります。でも、本当に進化しているのでしょうか。これは不可能ですが、過去の日本代表と今の日本代表とやらせたら、どちらが勝つのでしょうか。
歴史にについては、時代とともに進化するという進歩史観とツキディデスが歴史は繰り返すと語りましたが、そういう循環史観とがあるようですが、どちらがあなたは正しいと思いますか?
 仏教は循環史観の傾向が強いと思います。人間は進化したのかというと必ずしもそう言えないでしょう。あい変わらず、戦争を繰り返したり、馬鹿な事件を起こしたり。よく過去の歴史を本当に学んでいないためでしょうか。
 仏教では今の時代は末法といい、進化どころか人倫が地に堕ち、宗教家さえ堕落して悟りを得たわけではないのに、悟ったつもりになって吹聴するような坊さんが跋扈する時代だと言っておられます。
 話がサッカーからずいぶん飛んでしまいましたが、今に日本サッカーの黄金期が来る気がします。そして新しい時代を創る・・・そう信じています。
 私のところも黄金期がまた、めぐってこないかな。
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本立寺 亀井日映上人

2006年07月10日 | Weblog
 今日は横浜本立寺の開導会で先代の亀井日映上人の御一周忌があわせて勤められました。佛立宗の第二十三世講有(管長)野日丞上人が導師で、大勢の教務(僧侶)講務(信徒)が故・上人のお徳をしたってお参りされました。
梅雨時でしたが、少しパラパラと始まる前に降った程度で、さすがにお計らいを頂かれました。
 以下は、私が挨拶のとき、述べた内容です。

 私が最初、亀井日映上人にお出値いしたのは、静岡本要寺先住の中野日裕上人の一周忌か三回忌の時だったと思います。私は師匠の随行でしたが、ご供養場への移動で亀井上人の車に乗せていただいたのです。そのとき、「あんたは大学でしっかり仏教学の勉強をして宗門のお役に立つように」といわれました。
 次にお側で親しくお話しをさせて頂くようになりましたのは、約20年前、当時、佛立教育専門学校長の御奉公をなさっていたとき、私に声がかかり学校教員として招聘されました。いまだに教員として、曲がりなりにも勉学をつづけさせて頂いているのは亀井上人のお蔭です。
 とにかく、上人は当宗教学の泰斗として、いままで野崎御講尊上人とご一緒に佛立教学の正統を守ってこられましたことは、実に多大なるご功績です。さらに扇全の刊行事業にも寄与され、また、門祖聖人の御聖教の研究と学校で後進の教育指導をなさいました。特に一帖抄の研究については第一人者であられ、また、開導日扇聖人の「祖書要迪」の研究についても大部の著書があり、その一部が間もなく刊行される予定です。昨年、ご遷化の間際に刊行が決定され、それを御講有からじかにお聞きになって、寂光へのお土産としてご遷化なさいました。
 とても真面目な方ですが、大変機知に富んでおられサービス精神が旺盛な一面がありました。私ども遠妙寺の御会式には何度もお越しいただきました。その御法門を聴聞させていただきますと、ユーモアに富んでいて、ずっとお腹を抱えて笑ってしまい、ご信者も喜んでおりました。(寄席より面白い)
 約10年前、私がまだ上座講師なのに、教務局から上座講師の修学塾のテキストを書くようにいわれ、亀井上人のご指導を仰ぎました。
 私が「今年は、自分で書いたテキストを元に自分が作成した問題で受験して受かったら、いかにもインチキくさいから辞めておきます」と上人に申しあげますと、上人はうーんと頷かれて、
「でもね、あんた、自分が出した問題で受験して、落っこっちゃったらどうなるの?」と聞かれ、ギャフンとなりました。
 亀井上人には教学だけでなく、いろいろ教えて頂いたことがありますが、感銘を受けたことを一、二述べますと、
①私は今年3月31日、5年間の任期を終えて佛立研究所々長を定年退職しましたが、15年前、つまり平成3年に研究所は設立されました。設立される前は、宗門になかった新しい組織が誕生するのですから、なかなか産みの苦しみがありました。上人には設立準備委員として、多大なるご奉公をいただきました。
 中でも、よく覚えていますのは、研究所の行く末を案じられて規約や細則などを一条、一条、熱心にご検討いただいたことです。
 また、ある時は、委員会がありましたとき、病み上がりでしたのに、また足の痛みが相当あられたと思いますが、その激痛をおして杖を突いて京都までお越しいただき、御奉公してくださいました。大変に有難かったことを鮮明に記憶しています。
②次に、野崎日丞上人と亀井日映上人とはお若い頃からご学友として同志として共に野口日壤上人の学室で机を並べておられたとお聞きしております。
 そして最初に亀井上人、次に野上人と続いて佛立教育専門学校の校長先生の御奉公をなさいました。いつも学校でも仲良くしておられ、その友情は誠に深いものがあったと存じます。
 特に忘れられないのは、野日丞上人が御講有ご晋位の時、亀井上人がこんな嬉しいことはないと我が事のように、あるいはそれ以上に手放しで喜んでおられた御姿です。私はそこに、本当の友情というものを教えていただいた気がいたします。
開導聖人は「我身を下りて人を立て、徳は人にゆづりて苦労は我に引うくるやうにするを、本因妙と申候」とお示しですが、亀井御導師というお方は、教学でも実際の御奉公面でも、その生き方でもこの本因妙ということを追求し、目指されていたのかなあ‥‥‥‥そんな気がいたします。
 御住職・日魁導師はじめ教講一同が上人のご遺志を継がれ本立寺様がますます御弘通隆昌をなされ、奥様はじめご家族がみな、お健やかに今後ともお過ごしになりますよう祈念してご挨拶とさせていただきます。
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ハンセン病

2006年07月03日 | Weblog
 一昨日(7月1日)、宗務本庁から「雲のさだめ」という本を頂きました。これは、岡山県のハンセン病(らい病)施設「長島愛生園」に関する本です。愛生園には私たち本門佛立宗のご信者がおられ、1957年(昭和32年)に「六清会・ろくしょうかい」という会ができました。その50周年記念と佛立開講150年記念法要が去る5月30日に行われました。
この記念誌を開いてみますと、本門佛立宗の第9支庁(中国四国地方)のお寺を中心とする先輩の教務・講務(僧侶と信徒)の方々が、営々とハンセン病の人々のためにたたかってきた歴史がわかります。
この本の中に書いてありますが1955年、岡山妙源現寺信徒・落駿二氏(遠妙寺青年会前幹事長・石井亜理さん及び東大佑君、原田佐奈枝さんたちの祖父)は自社製造の食品を愛生園に搬入するたび、ハンセン病患者の皆さんのお気の毒な暮らしに「何とか妙法の救いの灯をさしむけることができないものか」と考えました。妙現寺の森下日灯上人に相談され、やがて元佛立信者2名とその他に5名が入信。これがキッカケとなり、宗門的な運動となり、ついに1958年に愛生園に礼拝施設「佛立講堂」が全国信徒の募金によって建立されました。
ハンセン病は感染力が極微弱な病気ですが、その外見からハンセン病患者は昔々から不当な差別を受けてきました。1996年に「らい予防法」が廃止されましたが、この法律は1907年に制定されました。その結果、ハンセン病患者の絶対隔離政策が行われるようになり約90年間、患者の人々を苦しめてきました。プロミンという薬によりこの病気は治癒可能であることが60年前には分かりました。しかし、社会的偏見が根強く、全快しても社会復帰の道が閉ざされてきました。
予防法の廃止後、国の対応の遅さを問題として補償を求めて熊本で裁判が起こされました。2001年についに熊本地裁におけるハンセン病訴訟において元ハンセン病患者が国に勝訴し、国は控訴を断念しました。
いまや、ハンセン病の方も高齢化して亡くなった方も多く、香川県大島の「青松園」にも「佛立講堂」が建てられていましたが、最後の佛立信者の方が亡くなり2002年に閉鎖されました。
患者の方がごく少なくなってようやく差別がなくなりつつありますが、依然として実態的な差別や偏見は強く残っています。園内にはいまだに家族の元に返れない人がおられ、また、遺骨の引き取りを拒絶されることもあるそうです。
ですから、いまから50年前は、その偏見ぶりは想像を絶するほどでした。その頃に、私たち佛立宗の先輩の方々が立ち上がって以来、常にハンセン病の方々のサポートをされてきたことは素晴らしいことだと思います。同時に、私たちも社会の底辺で差別や偏見によって苦しめられている人々に妙法の灯をともしていくことが大事だと思います。遠妙寺では「愛の花束」という会を通じて福祉のために募金を行っていますが今回の宗門の呼びかけに応じてハンセン病施設・岡山「愛生園」と熊本「恵楓園」のために、ささやかなホンのささやかな寄付をしました。
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