黒柳氏、マニラに帰る

2010年10月30日 | Weblog
10月15日に教務見習いとして入寺したネルソン・アバヨンさんと一緒に遠妙寺にお参りした柳さんはフィリピンに奥さんといっしょに帰宅しました。
フィリピン弘通の推進者としてご奉公をさせていただいている彼は、休むヒマもなく、御本尊を20幅をいただいて帰りました。
観光で脚光を浴びているセブ島にもすでに3戸の教化ができ、さらに数軒の方が御本尊の奉安を心待ちにしています。
セブ島だったら行きたいなと思う人も多いので、私がセブ島に別院をつくったら行きますよなどと冗談で言うと、教化ができているのは残念ながら空港とは反対の島の裏側ですとの答。
観光とは無縁の所らしいのです。

にかく、フィリピンの人は93%がカトリック教徒。
それも毎週日曜日には家族総出で教会にお参りに行くそう。
だから、佛立宗に改宗すると、今はお寺がなく、行くところがなく困っているという深刻な事態ですとのお話。
また、佛立信者になっても万が一、亡くなったらキリスト教の教会に遺体を移すしかないのが現状。
そうすると、結局、キリスト教に家族は戻ってしまうことになるとのこと。

うーん。それは、お寺がなくては困りますねということで、土地を見つけてもらいましたが、幅が狭いのが唯一の弱点。
二倍の幅ならお寺らしくなりそうですが・・・というところ。
それに建物を建てるとなると、通貨レートの関係で、日本より割安ですが、しかし、なかなか。
こまったね。遠妙寺海外布教後援会を作ったけれど、まだまだ建物を建てるにはほど遠い感じです。
年末の宝くじを買ったらと思いますが、当たっても、そんなので買うのは気持ちがこもっていないし、何百万分の一でしか当たる確率はないし。
やはり、こつこつ、みんなの「こころざし」を集めるしかありません。
本仏釈尊の修行を本因妙(ほんにんみょう)の修行といいますが、お悟りを開かれる前は、コツコツと功徳を積まれたと言います。
結果を問うのではなく、そこに至る迄の過程こそ大事です。その本因妙の修行というものを仏様ではなく、その一段階、下のボサツとして、つまり人間として力をふりしぼってされたからこそ、仏様の中でも最も尊い本仏という仏様の果報を頂いたということが法華経の経典に出ています。
ともかく、大勢のこころを集めれば、相当なことができます。
もし、本堂ができたら、世界の佛立信者にお参りしてもらいたいですね。
(写真はマニラでの御本尊奉安の折に撮影)
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執着と未練

2010年10月28日 | Weblog
執着と未練は同じなのでしょうか、違うとすれば何処が違うのでしょうか。
たぶん、いま手放したくないと必死に囲い込んだり、保持しようというのが執着で、過去の栄光や地位、金銭などに、いつまでもこだわり再び、手にしたいとか、その味をしめたいと思うのが未練ではないかと思います。
でも、根は同じなのは言うまでもありません。
こんな事を考えたのは、ニュースで次のような記事を見たからでした。
「鳩山由紀夫前首相は28日午前、国会内で開いた自身のグループ「政権公約を実現する会」の会合で、「私の役割があるとするならば、国益に資する立場で、今しばらく頑張っていきたい」と述べた。」
とありました。これは首相という地位にまだ、未練があるのではないでしょうか。
小澤一郎さんも、その動きを見ていると、政治に対する、あるいは政権に対する強い願望があるようで、ただ裁判で不利な判決を回避するだけでなく、いずれはしかるべき地位についてリーダシップを発揮したいようにも見えます。これは、執着ということになるのかもしれません。
政権とか、政治など興味がなくても、お金や財産に対する人間の執着はかなりのものがあります。
開導日扇聖人は
しぬる事  思ふてみれば  何もなし いきてゐる間に  功徳つみおけ
と御教歌にお示しになっています。
いずれ死ぬことは誰でも間違いがありません。ですから、お金を沢山残してもしかたありません。できるだけ、人の為に役に立つ使い方をして死んでいけば感謝されます。
しかし、誰でも120歳か130歳まで生きるかもしれませんし、将来が不安ですから残しておこうということになります。
これも結局政治とも関連するのでしょうが、北欧諸国は福祉が行き届き、老人になればほとんど、お金がかからないので税金が多少、高くてもすすんで納税しているとのことです。
安心できる世の中となり、あまりお金に執着しないで暮らせる社会になって欲しいものです。
もう20年も以前、私が学校のPTA会長のとき、会費を十円あげてもらわないとやっていけないということになりました。
そこで、その案を提示したところ、猛反対があり、引っ込めざるを得ませんでした。
驚きました。自分の子どもも学校に通っていて、その子どものためでもあるのに会費を一月につき十円も上げられないとは、その厳しい状況に考えさせられました。
自分のためなら相当の出費もするのに、公共のためには一銭でもいやだという思いが伝わってきて愕然としました。
それに比べると、この尊い大法が弘まるように、また、人の為に世のためにという思いで、お寺のために寄付されている有志のご信者の心は何と豊かなことかとの感を深くしました。



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吉田都さんって、すごいなぁ

2010年10月25日 | Weblog
「プロフェッショナル・仕事の流儀」というテレビ番組を見ました。
イギリスのロイヤルバレー団でプリンシパルをつとめていた吉田都さんの引退表明後、最後の舞台に向かって必死に練習し、見事に公演を成功させた一部始終です。
「頂点で退く」ことを自らの美学として、そのとおり、120%の準備をして、本番に臨む彼女の日常をカメラがおっていきます。
私たちも、たとえば御会式という本番に向かって、一所懸命準備して、お教化に、助行に、御講にと奔走する毎日ですが、あの気迫には頭が下がります。
精進という言葉は、精進料理とはあまり関係なく、精進の精とは、お米をとぎすましていくというのが元の意味です。
そして、どんどん前に進んでいくのが進という漢字の意味で、法華経には勇猛精進(ゆうみょうしょうじん)という言葉があります。
勇猛果敢な心をもって、前進を続けるという意味です。
しかたなくとか、いやいやというのは、後ろ向きの姿勢です。
はたして、吉田都さんの最後のロンドン公演「シンデレラ」も、また、日本での公演「ロメオとジュリエット」も大成功のうちに演じきり、自らの花道を厳りました。
私自身も、どこかの時点で自分自身の頂点にしようというところをきめて、そこに向かって全力を尽くそうと思いました。

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電車の中で

2010年10月25日 | Weblog
電車に乗りますと、慣れはしましたがおかしな光景に出会います。
みな、一様に携帯をみて、操作しています。
横に一列に並んでいる人たちが一斉に携帯の画面をにらんでいるのは。ふつうの感覚ならおかしいと思うでしょう。
外国には見られない風景だと思います。
数えるほどしか外国に行ったことはありませんが、そう感じます。
ここが変だよ、日本人という番組がありましたが、やはりおかしいですよね。
日本の携帯では、みな、メールをやりとりすることがふつうで、また、ゲーム機として使うこともふつうです。
電話機なのに電話機として使うのは一部で、そうではない使い方をするために、皆がやるのかなぁと思いますが、誰も携帯から発する電波が有害かもしれないということは意識していないみたいで、いくら電車の中でアナウンスしていても気にしていません。
こういう現状はなんとかなりませんか。
あっ、いま、新幹線のエクスプレス予約で、発車時間が迫っているとメールが来ました。
もう間に合わない、電車の中で変更を急いでしなくては。
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フィリピン人、初の教務候補

2010年10月18日 | Weblog
いよいよ、フィリピンからネルソン君が来日、このたび入寺しました。
以前、ブログの中で紹介したことがありましたが、入信以来、さまざまな御利益をいただき、ぜひ、この佛立の教え、上行所伝の妙法御題目をフィリピンにお弘めしたいという気持ちになりました。
そのため、日本に来て、ぜひ仏教を知り、佛立宗の教えを学び、できれば出家得度したいという気持ちを固めました。
いろいろ悩みを抱え、すっかり心が闇に閉ざされていた中、一筋の光明を見いだしました。
御題目を唱えるたびに、心が明るくなりました。これは妙法経力のお蔭以外の何ものでもありません。
今まで、いくつかの宗教に入り、祈ったこともありました。まったく、状況が変化せず、自暴自棄になり引きこもりがちだったようです。
心から、妙法御題目に感謝し、このすばらしい御題目のご信心を弘めたいと思ったのです。
10月15日、教化親の黒柳さんに伴われて来日、ついに遠妙寺に入門し、私のもとで見習いご奉公をさせていただくことになりました。
いままで、10人ほど私のもとに入門しましたが、このたびは、ひとしお責任を感じます。
なんとか、立派な教務として得度ができ、フィリピンの人の為にフィリピン人として、ご弘通ご奉公ができれば、フィリピンの歴史に、また真正仏教、佛立宗弘通史の中に大きな足跡を残すことになるのではないか、そんな気がします。
がんばれ、ネルソン!
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あとのさらへぞ 大事なりけり

2010年10月12日 | Weblog
「学問は習ふ時より習ひたるあとのさらへが大事なりけり」
という御教歌の下の句をタイトルにしました。

「さらへ」とは、「さらい」「おさらい」つまり復習のことです。
習っている時より、後で、復習することが学力アップの「コツ」だというわけです。
これは、今も昔も変わらない鉄則で、およその事を教わった後で自分自身で確かめて、勉強すると本当の勉強になると言うわけ。

また、1日が終わる時、今日の行動、言動を思い出しては振り返り、はたして間違いがなかったかどうか反省する必要があるのではないでしょうか。

私たちは何より、空回りをしていないか、それをもっとも恐れなくてはなりません。
御法門を聴聞して聞き流し、御講にはただ習慣的にお参りしてないかどうか。
参詣しては居眠りし、真剣に御題目口唱ができない。
教化はするものの教化子のお宅のお助行も省略して、育成の手を抜いてはいないか。

ともかく、御法門聴聞したら即聞即行。教えの通り実践し、毎日こつこつ着実にご奉公をさせていただいて空転を防止できます。

お計らいを頂いては、信心増進して次のご奉公の糧とさせていただく。
御利益談を聞いては、我身の信心改良に結びつけ、その御利益談を教化のために覚えて話してみるなど。
ともかく空転防止をしないと、一生がむなしくなります。

ところが・・・この頃、特に忙しくて私自身、何か「こなしている」とか、「日程を消化している」とか、そんな感じになってしまうときもあります。
なるほど、忙しいという字は、心を亡くすと書くのだと実感しました。

流されず、浮かされず、大地にシッカリと根を張って、さらに前に進もう。
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佛立教育専門学校、体育大会で健闘

2010年10月10日 | Weblog
さる10月6日、桂川沿いの嵐山東公園で仏教系の専門学校が集まり、恒例の体育大会が行われました。
私は、佛立教育専門学校では24年目くらい経ちますが、付き添いでも一度もこの大会に出席したことがありません。
どういうわけか、34、5年前に学生として在籍中も、たまたま中止となったのか出たことがなく、始めて開会式からでました。
驚きました。
他の学校は、多いところは200名以上、また、小さな規模でも4、50名いたように思います。
正確には覚えていませんが。そして、時代柄、男女共学になっているのには、また、ビックリ。
他宗では家業を継ぐという意味で、女の子が僧侶の資格を取るため、入学するのかも。
わが佛立教育専門学校はと言えば、全部で15名の学生。
15名しかいないのに、9人制バレーボール1チームと、野球1チームを作ろうというのです。
OBの片山師と田中師と、主事のご奉公をしている宮武師と3人が応援して、ようやくチームを編成。
でも、200名以上いる学校の中には、野球が大得意とか野球部でずっとやっていたという人がいるはず。
また、バレーボールでも同じです。
こりゃー大変。
でも、最初はバレーボールチームが初戦を飾り、好調なスタート。
相手のチームは女の子も混じっていました。
さすがに野球は男性ばかりでした。
結果から言うと、1勝1敗1引き分けですが、引き分けの時は全員じゃんけんで勝負を決めるルール。
じゃんけんに負けて、1勝2敗という結果でした。
でも、思ったより善戦で、片山投手の奮闘と、杉山彰開選手が殊勲を挙げました。
杉山彰開師はわが遠妙寺の教務。
いきなり、2アウト2塁3塁のチャンスがめぐってきました。
たて続けに2回、空振りしたとき、監督を務める竹内展行師(浜松要行寺)と顔を見合わせました。
竹内師は高校、大学と野球一筋で甲子園にも出た「つわ者」と聞いています。
私と二人で、「これは絶望的、難しい。バットとボールがすごく離れている」
と、下を向きました。
ところが、3球目、振ったバットとボールが感応道交して大当たり。ランニングホーマーで3点先取。
すごい、すごい。
次の打席も2回、空振り。
今度こそダメだと思いました。ところが、またまた大当たり。
イヤー、ビックリしたのなんの。
そして、第3戦の時です。
また、チャンスがやってきた。
そこで、監督が「頑張れー」とかけ声。
私は思わず、「ヒット打ったらお小遣いアップ」
と言いました。多分、三度目のチャンスはダメだろうと確信していました。
やはり空振り、空振り。
もし、当たったらお小遣いアップと言いましたので、少し安心です。
本当は、安心していちゃまずいのか。
ところがです。またまた、ヒット。
やってくれたねー。
泣く泣く一万円をプレゼント。
校長も辛いですね。忙しい、忙しいといいつつ嵐山に行き、応援して負けて・・・
「イヤイヤ、皆さん、頑張りました。善戦です。来年は勝ちにいきましょう」
等といって、帰途につきました。








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ユトリロ展をみて

2010年10月05日 | Weblog
ユトリロ展が京都駅の構内といって良いのかどうか分かりませんが、高島屋の7階、美術館「えき」で開催中です。「えき」をうろうろしているうち、吸い寄せられるように入ってしまいました。
ユトリロは私生児として生まれ、母を慕い成長します。母親ヴァラドンは恋に忙しく、振り返るまもなく、実際はユトリロは祖母に育てられ、寂しい思いをしながら成長したようです。
モンマニ時代と言われる初期の作品は印象派の影響を受けているとのことで、いま一般的に一番、評価が高いそうです。
その次に、29歳以降を白の時代と呼び、白い壁が目立つモンマルトルの町並みを描いていきました。絵の具の中に漆喰や砂、その他のものをいれ、独特の暖かみのある白を駆使して多くの作品を制作したと解説されています。
その次が、色彩の時代と呼ばれ、明るい色を使うようになったと言いますが、この時代に銀行員の未亡人リシューと結婚し、その妻に絵を描かされたといいます。彼女は次第に人気が高くなっていくユトリロに白の時代の作品を模写させ、もっぱらお金を得ようとしたとのこと。その前は、母親が何回目かに結婚したユトリロより1歳年下の継父と母親に絵を描かせられ、ユトリロ自身は葡萄酒を飲めるだけの僅かなお金しか与えられなかったとのこと。気の毒な限りですが、本人は少年時代からアル中で、何も気にしていなかったというか、その仕組みに気がつくこともなかったというのです。
ユトリロの作品はほとんど、モンマルトルの街を題材にしていて同じ場所を何度もモチーフにしています。でも、次第に作風が変化していてそれぞれに特徴があります。
私が子どもの頃からユトリロのことは有名で、ああ、あんな感じの絵を描いている人かなどということはおぼろげに分かっていました。が、初めてその作品をじかに見て、また、解説のパネルを読んで、何も知らなかったなぁと思いました。
そして、解説にも書いてありましたが、ユトリロにとって信仰の占める重みがかなりあるということを実感しました。
母親、ヴァラドンは美貌でしかも無神論でしたが、少年ユトリロは寂しさを埋めるためか、祖母に引き取られて育てられたためか、信仰を心の底で求めていたようです。
とにかく、教会を描いた作品がずいぶん、たくさんあります。しかも、教会を描いていたときは、おそらく、アル中の割にかなりシラフだったのではないかと思いました。
母が亡くなった後は、一日のうち、大半を祈りに捧げたというのです。
親子でも、ずいぶん違うもので、佛立信者でも親が強信者なのに子どもはからっきしダメとか、反対に親は信心気がないのに、子どもは案外、素直にご信心ができるとか・・・・・わかんないですねー。
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玄光師、おめでとう。住職就任!

2010年10月03日 | Weblog
本日、名古屋妙福寺の塚本玄光師が晴れて住職就任式に臨み、内外にお披露目しました。昨年10月、本山高祖会で講有上人より、辞令拝受をしていましたが晋山式とも呼ばれる住職就任の式典を経て、はじめて正式に住職としてのご奉公をスタートさせることになります。
長かったねー、玄光師。
ここまで来るまで、得度以来、31年。
19歳の少年がいまや、50歳の立派な中年住職に。
実は、塚本玄光師は遠妙寺の先住、日玄上人の御弟子として昭和54年に得度。同時に寺沢玄秀師も得度しました。立正大学に通学のため、妙福寺の本寺は大阪・経王寺ですが遠妙寺に止住するようになり、間もなく遠妙寺所属教務として得度しました。
私の弟弟子でしたが、師匠の日玄上人が亡くなられた後、私が形だけの師匠となりました。
そんな関係で、今日はお客さんのように招かれて就任式典、そしてその後の祝宴に出席しました。
でも、若いままですね-。もっとも髪の毛は少し少なくなった感があります。
遠妙寺では、その飄々としてこだわらない性格と人の良さが大人気で、ちっちゃな子どもからお年寄りに至るまで、慕われていました。
妙福寺のご信者も、今日の日を長く待ち望んでいたみたいです。
やさしくて、おおらかで、怒らず打たれ強い玄光師。
サンドバッグのようにたたかれても、へこたれません。
その辛抱強さを活かして、妙福寺の隆昌発展、大事な御法が弘まるように辛いことがあっても負けずに頑張ってください。
玄光師、万歳、万歳、万歳!!!
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