相棒 ウケてますね。

2008年10月30日 | Weblog
「相棒」の人気が高く、ブレークしているようです。
私は、こういっては何ですが、かなり前から「相棒」は脚本といい、キャストといいあたる要素を持っている、これはイケルと言って当たるのを予言していました。
まぁ、それを証明してくれるのは私の家内くらいしかいないし、また証明したところで何ということもありませんが。
しかし、この頃は「ガリレオ」も頑張っているとか。
およそ、ウケルとかウケナイということは二の次で、中味がよければ皆が分かってきて人気がでるというのが本来の順序、あり方です。しかし、ウケなければ番組は終わってしまいますから、ウケルことも大事なことですね。
そこで、悩んでしまうのは、ウケルかウケナイかは、他の人が創った映画、小説、ドラマ、演劇などの作品については、直感的に分かるような気がします。しかし、自分か関わったものについては、それが分からなくなっちゃうんですよね。
不思議ですね。
でも、先週からの続きで、きのう見た新しいバージョンの「相棒」はあまりぴんと来ませんでしたね。合計三時間と、長すぎて間延びしていてました。長いと、締まりがなくなるのは御法門と同じですね。

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今日の教え

2008年10月28日 | Weblog
開導日扇聖人は教えの歌、御教歌に
雨露に うたるればこそ もみぢ葉の
 錦をかざる 秋はきにけり
と詠まれています。
何でも、耐える時代を経たものには味わいがあり、違っています。
十月はまだ、暖かい日が多いのですが、急に朝夕は肌寒さを感じるようになりました。
紅葉がこの頃は、遅くなり11月も後半になりませんと秋が深くなった感じはしないかもしれません。東京に住んでいますと季節感が希薄になりますが、京都に参りますと四季それぞれの移り変わりを肌で感じます。
以前、京都は京都でも府立ゼミナールハウス(右京区京北下中町)で研修があり、まいりましたが、11月始めには紅葉が本当にきれいでした。
秋の紅葉が美しさを増すには、寒暖の差が必要です。また、リンゴ、ブドウなどの果物も甘みが増すには、やはり、日中は太陽に照らされ、夜は冷え込むことがポイントだそうです。
人間も深みを増し、味わいのある人柄となるにはつらい経験や、試練を乗りこえないとダメなようです。
昔、苦労をしてご信者を育て、ご信心を教え、何もない無の状態から立派なお寺を建てた御導師方の話をお聞きします。たとえば信廣寺の石岡日養上人や信光寺の岡居日相上人、長薫寺高須日薫上人等。遠妙寺の先住もそうでした。よく考えればみな、そうですが、ご信者も食うや食わずやという苦労をされています。
そうしてみると、例外はありますが、私を含め私たちの世代の教務もご信者も、苦労がまだまだ、足りないかもしれません。
世の中は、どんどん厳しい状況になりますが、これからの日々が功徳を積む積みどころだと思って、世の中のお役に立つようご奉公させていただかなくてはと自分に言い聞かせています。
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大阪 信光寺

2008年10月27日 | Weblog
昨日は大阪、信光寺の高祖会でした。信光寺の岡居日長師は私より年長ですがちょうど私が大阪、清風寺で修行中に入寺してこられ親しくなりました。わけがあり岡居日相上人の長男ですがサラリーマンとして活躍しコクヨ関連の会社で手腕を発揮し部長にもなられたけれど一念発起、その地位をなげうって得度の決意をされたと聞いています。その後、宗務本庁企画室等でも一緒にご奉公させていただきました。その頃、企画した地域にご信心を弘める下種結縁運動をズット継続して今は入信する人の半数以上が地域の人というのは特筆に値することです。
昨日の御会式ではたくさんのご奉公者が手作りの昼食ご供養をつくり、千人以上の方に出されています。また御会式で発表された御利益談もふだんの日常信行に裏打ちされたものですばらしい内容でした。
ちさちゃんというお子さんが水泳教室に通い、どんどん上達して水泳大会で金メダルを取った話を聞き、この子の芯の強さはやはり、ゆりかごの時代から聞いてきた御題目口唱の声がもとなのではないかと思いました。
また、事務局総務部長としてご奉公されている野本さんの体験談には心打たれました。もう十二年間も毎日、朝参詣に励まれていて最初は、教区の参詣目標のための参詣が今では、喜びとなり、もし仕事などで朝参詣できないと一日落ち着かないとのこと。元気に参詣でき、役中としてつつがなくご奉公できる喜びを感得され、大病も患わず、元気に過ごせる御利益を頂いていると言われています。
四年前に退職され、経済的に不安を覚えられましたが、年金受給資格を得ると同時に、建設コンサルタントを個人事業として起こし、それが成功し、次々契約を結ぶことができ忙しいほどの仕事量があるとのことです。また、御宝前お給仕当番もご奉公としてなさっていると言うことで、ある日、総重量50トンの超大型のコンテナトレーラーに追突され、車は大破したものの、軽度のむち打ちですみ、その後、回復してご奉公も支障なくできるようになったと語っておられました。
何より、随喜心にあふれ、いきいきと感謝と法悦の生活を送っておられるところが何より結構であると思いました。
とにかく、信光寺には「信心本位」「本山中心」の佛立宗本来の伝統があります。戦後、間もない頃、皆が食べるのにも困っていた頃、いち早く先住・権大僧正・日相上人が大本堂の建立を発願して、1800万円の浄財をご信者がご有志、見事に本山と同じ様式の桧造りの本堂建営を成就されたのです。今なら5億円にも相当するであろうし、もう材料も技術もなく決して建立できないであろう大変立派な本堂です。つい先般、その瓦の葺き替え、内陣のご荘厳を見事になしとげられ四月にはその落慶法要をなされました。
また、信光寺では例年、本山お初灯明料の奉納を積極的にすすめられ、一人一人のご信者は真摯にその勧めに応えてガンバッテおられます。
その外観の偉容も、ご弘通ご奉公の内容も、教講の信心も、いずれも学ぶところが多く、宗内にあっても「ご奉公はかくあるべし」と教えられるお寺です。
 住所 〒557-0033 大阪市西成区梅南1-5-32
 電話 06-6661-4891
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今日の教え ブッダの言葉

2008年10月21日 | Weblog
「あたかも、林の中で、繫がれていない鹿が食物を求め、行きたいところに行くように、智ある人は独立自由をめざして、犀(サイ)の角(つの)のようにただ独りあゆめ。」 (スッタニパータ 1-3-39)

 犀という動物は、雄々しくゆっくりと、しかし、大地を踏みしめて確実に一歩、一歩、歩いています。
 その一本の角は、犀の誇りと何ものにも束縛されず超然としている心を表す象徴です。
 私たちは、考えれば色々なものに束縛されています。
 仕事、役職、地位、土地、家、妻子、家族、見栄、自分自身に対するこだわり、煩悩・・・・キリがないくらい、周りのものにとらわれています。
 ものを書くのにも、ものを言うのにも、毎日の行動も、何かにつながれ、独立と自由の精神など、ひとかけらもなくなってしまっています。
 若いときは、あんなに自由だったのに、独立心もあったのに、年齢と共に何かに縛られ、抑えられ、それを身体は知っていてなのか、ストレスを感じて具合悪くなってしまっているようです。
 私たちは、死ねば何もかも置いて行かなくてはならないことを忘れ、お金や名誉、名聞利養にこだわっています。そして、本当に大事なのは何なのかを見失い、あたら人間としての生を得て、たまたま仏法にお出会いして、ブッダの教えを聞いたことも忘れてしまいます。
 ブッダの教えは、本当に大事なものは何かを教えてくださっているのに、また、現世のことに追われて、追われて、一生を空しくしてしまったら本当にもったいないことです。
 犀の如く、威風堂々と人としての尊厳をたもち、もろもろの束縛、とらわれから自由になって、人生をまっとうしたいものです。

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如説修行抄の再学習

2008年10月20日 | Weblog
「如説修行抄」(にょせつしゅぎょうしょう)は日蓮聖人のお書きになった御書です。
十一、二年前に本門佛立宗の機関誌、「大放光」にその解説を二十数回にわたって連載したことがあります。
二、三年前までは、疲れを知らなかったので結構、夜遅くまで勉強していました。
「如説修行抄」の前は、「四信五品抄」(ししんごほんしょう)、そして平成十二年から十七年までは「観心本尊抄」(かんじんほんぞんしょう)という日蓮聖人の代表的な御書(当家三大部・・本門佛立宗でもっとも大事にする三つの御書)の解説というより、勉強をさせて頂きました。
来年の新年号の付録で「如説修行抄」を出すので、準備をするように大放光編集長に言われたのですが、今、読み返してみますと手直ししなくてはならないところばかりです。この分では、無理かもしれないと思っています。
でも、少しづつ手を加えています。日蓮聖人のご法難について改めて資料を集めて検証しますと、どうも分からない処がたくさん出てきて、従来の伝説では矛盾がありすぎて説明が不可能なところがたくさんあります。
まぁ、ボチボチやり直して、間に合うようにしなくてはなりませんが大丈夫かな。
それより心配なのは、大放光の購読者が興味を持って詠んでくれるかどうか、それを最も心配しています。
でも、日蓮聖人は誰が詠むとか詠まないとか、損するとか得するとか、ウケルとかウケナイとか、そんなこと関係なく、言うべきことを言い、主張すべき事を主張されたんだったなぁ。よし、頑張ってみようか・・・と、自分に言い聞かせ、パソコンのハードディスクに残っているデータを集めているところです。


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昨日、命名しました 

2008年10月15日 | Weblog
去る10月8日に、私の甥であり弟子でもある彰国師と穂美さんの間に女の子が誕生しました。何と、昨年の結婚記念日と同じ日、1周年の日に誕生。
なにしろ、穂美さんの実家が九州・福岡での出産でしたので、娘がもらったメールで見た写真が初対面。
その写真を見て、やはり命の誕生というのはすばらしい、また、神秘だなーと思いを新たにしました。
どうして、親の特徴をこうも、反映しているのかな。目が奥さんの穂美さんそっくり、鼻から下は夫の彰国師そっくり。まさに二人の子どもです。
名前は、私がいくつかの候補から選んで、清香・・きよかと昨日、命名しました。
彰国師の親、姉夫婦にとっては初孫で、すこし遅めのおじいちゃん、おばあちゃんの仲間入りです。
これで寺内、身内の人口が今年は、二人ふえました。11月には三女が出産ですから三人増加の予定です。
遠妙寺の寺内人口が二十名の大台を回復するのはひさびさです。
熊本の長薫寺は百名を遙かに超えているとのことですから、それに比べれば少ないのですがチョットした人数になってきました。
そのうち、家族そろっての写真をアップしたいと思いますが、今回は二人の新婚旅行先での写真を掲載しました。

人が増えるのは、ただ無条件にうれしいですね。減るのは淋しい。
あまり、しかし増えるとどうなるのかな?
開導日扇聖人の御指南を毎朝、教務さんと一緒に拝読していますが、今日、読ませていただいた御指南に引用されていましたが、
「法中、食あり、食の中に法なし」(ほっちゅう、じきあり。じきの中に法なし)
という教えがピタッと出ていました。
これは、私たち住職や教務員、そしてその家族も含めて、食べていく為に、生活の為に、出家したり僧侶、寺族としての生活を送ろうとしてもダメ。かえって、生活できない。目的を間違えているからである。教務、僧侶ということを生活の為の手段としてはならない。そうではなく、無償の精神で、人の為に御法の為にという思いで一所懸命、がんばってご奉公させていただくと不思議に食べることもできるようになる・・という意味です。
現実には、なかなか厳しい教えです。でも、この線を守って頑張れば、きっと皆、お計らいを頂けるのです。これは、寺族に限らず、佛立信者としての心得にもなるのではないでしょうか。
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本山の高祖会が晴天のもと奉修、いよいよ平成大改修工事に

2008年10月14日 | Weblog
本山高祖会が10月12日に、御宝前のお計らいを頂き晴天に恵まれ、無事奉修されました。
毎年のことですが、三大会(さんだいえ)、三つの大会(だいえ)・・・春、夏、秋の三回の大がかりな法会(ほうえ)が無事につとまることは、実は大変なことです。
大会がつとまるには、導師、そして参詣される教務方、また、参詣されるご信者がそろわなくては話になりません。その準備を進めるのは、本山なら本山の事務局(奉修局)がしっかり、相談して用意しなくてはなりませんし、ご信者方の浄財の御有志(寄付)がなくては昼食のご供養ひとつ出すことができません。
本山が安泰であることがどんなに素晴らしいことか、本山のみならず全国の教務もご信者も、今はよく知っています。
さて、今日は本山宥清寺の御宝前をお遷し申しあげる御遷座の日です。
言うまでもなく、本山大屋根の瓦吹き替え、また、御宝蔵の新築工事が始まるのです。お陰様で、瓦一枚奉納ご奉公が最終奉納期間になりましたが、すでに六万五千枚を超える奉納があったそうです。
12月では、瓦に名前を書くのに間に合わないかもしれないので、早めに私は追加の有志奉納をさせて頂くつもりです。最初は、瓦に名前を書くのが大変なので、そういう事はしない予定だったのですが、大屋根の瓦を調査したところ七十数年前に奉納された方の芳名が書いてあったので、やはり奉納者の気持ちをくんで、名前を書くことになったと聞いています。七十数年の風雪に耐えて、本山の屋根を守っていた瓦にこもっている昔のご信者の気持ちを考えると、何かじーんときます。
工期は一年で、来年の高祖会までには完成の予定とのことですが、早くきれいになった大屋根を見たい気持ちがします。
ご信心って本当は、そんなに難しいものではなく、信ずる人の気持ちに御宝前が感応して、お応えくださる、こちらの心と御宝前様の「み心」との交流ということが原点だと思います。純粋な気持ちに、必ず御宝前様はお応えくださるということです。
このご奉公を推進しているのは、いまの宗務総長、佐藤日凰上人(千葉・唱題寺)と特別局長・長谷川日堯導師(八王子・清流寺)です。特別局には、他にも教務、ご信者のご奉公者がおられますが、その中に設計士の古川晴男さん(長薫寺所属)がおられ、大活躍をされています。(その息子さんが智貴さんで我が遠妙寺のホープ。部長として、また青年会のリーダーとしてご奉公されています。)
これらの皆さんが頑張ってくださっていますので、それが御宝前に通じ、さらに全国の同信の心に通じて、大事業も軌道に乗ったのでしょう。
まだまだ、佛立魂は健在です。ガンバロー佛立!!



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金融危機の意味

2008年10月10日 | Weblog
金融危機の影響が今後、いろいろ出てくるに違いない。
仏教と金融とはほとんど無関係で、もちろん釈尊の時代は貨幣が本格的に流通する前であったから、詳しくは説いておられない。
ただ、法華経には長者が、自分の行方不明になってしまった子供を偶然、見つけ出し、だんだん仕事を覚えさせて、ついにその商売を譲ったというたとえ話が出ていることから、都市部ではインドでも貨幣経済が発達しつつあったことは故・中村元東大教授がその著書の中でふれておられる。
法華経には、また「少欲知足」・・・「欲少なくして、足ることを知れ」という教説が出ているから、その頃から、貨幣経済の浸透によって、人間の欲望が増大して弊害が出てきてしまったことを物語っていると言えよう。
便利な貨幣制度も、株式によって資金を得て、会社を興して事業展開し、自由な競争によって経済を発展させようという資本主義の制度も、その制度の目的をみなが心得て、本来の利点が発揮できる限り、素晴らしいものである。
しかし、現在の状態を見る限り、資本主義という制度自体が制度疲労を起こしていると思われる。個人投資家にしても、企業を育成するなどということは眼中にない人が多く、僅かな値上がりによる差益を狙い、一日に何回も頻繁に売買をネット上でして儲けようとしているそうである。
また、投資ファンド会社などの投機的な売買によって、穀物などが値上がりして途上国では小麦や食べ物が価格上昇し、そのため餓死者まで多数、出ているという。石油価格にしても同様である。また、今回のサブプライムローンの問題もしかりで、何でも証券化してそれをもとに儲けようということがまかり通る限り、資本主義が土台から揺らいでしまうのではないかと思う。
お寺とこのような経済問題は無縁というわけにはいかない。特に、私どもの宗門では、多くのお年寄りが心の拠り所としてご信心をさせていただき、実際にお金を使いながら修行もされているし、ご奉公もされているのであるから影響甚大である。
人生のほとんどを、真面目に勤務して、家庭を営み、家族を養い、子どもを育ててきた社会の功労者がお年寄りである。その人たちの持っていた資産が、まったく予期もしていないやり方で、外部から減らされ、利息もいままでロクに支払われず、手も足ももぎ取られているようなものである。
多くの国や政府で対応策を打ち出し、いろいろ手を打っているようであるが、もはやコントロールができないとなれば、その制度のどこかがおかしいか、全部がおかしいことになる。
急に新たな経済システムを構築しようとしても無理かもしれない。しかし、人間の欲望によって資本主義がもろく崩れ去るようであれば、抜本的に考え直さなければならないであろう。ただ、経済だけの問題でなく、いまの時代が末法とよばれるように、これは多分に宗教的問題、教育の問題がからんでいることだと思う。
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京都にて

2008年10月08日 | Weblog
6日、7日とまた、宗務本庁で会議があり、久しぶりに河原町御池ロイヤルホテルに泊まりました。
外に出てみると、京都市役所が反対側のカドに見えます。
風情のある建物ですね。どうして、最近の建物、特に東京の話ですが、多少は形が変わっていても、また、色合いが変わっていても同じような箱に見えるのでしょうか。
京都の建物は、そういう点、古いものを残し、文化を大切にするような気持ちが感じ取れます。
ロイヤルホテルの向かいは本能寺が建っています。昭和二十二年までは、この「敵は本能寺」で有名なお寺が本門法華宗本山で、佛立宗も同じ宗門に属していたのが不思議な感じです。
今は、境内の織田信長のお墓だけでなく、会館があり、宝物が展示されています。
また、修学旅行の生徒がよく泊まる本能寺会館ホテルもあり、しっかり経営している感じがします。
本堂の中も、境内の中の造りも、雰囲気も、運営の仕方もずいぶん佛立宗とかけ離れている感じがします。
しかし、百七十年前、このお寺での書の展観(展覧会)があり、開導日扇聖人がここで席上揮毫(せきじょうきごう)・・・その席で筆を執られて書道の腕をふるわれる機会がありました。
そこで、秀典日雄大徳(しゅうでんにちゆうだいとく)というお坊さんと出会いました。
この方から、本門八品所顕上行所伝(ほんもんはっぽんしょけん・じょうぎょうしょでん)の御題目の経力(きょうりき)の素晴らしいこと、このご信心の大切なこと、正法であることなど諄々と説き聞かされ、ついに入信されたのでした。
あぁ、今、私は開導日扇聖人と時代は違うけれど、ほぼ、同じ場所に立っているのだと、何か感動を覚えました。
歴史というのは不思議ですね。同じこの場所に、人が入れ替わり立ち替わり、ここに現れ、ここから消え、ここで息をして、ここで歌い、ここで悲しみ、喜び、泣いて笑ったのですから。みな、いっぺんに現れたら壮観ですね。
とか考えながら、ぶつぶつ言って、本庁へと急いでいきました。
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スタイル第6集 高祖会記念出版

2008年10月03日 | Weblog
いよいよ、明後日は遠妙寺の高祖会です。
遠妙寺では、以前からご信者のナマの体験談を皆に知っていただき、少しでもご信心をさせていただこうという方が生まれることを願って体験談集「スタイル」を発刊してきました。
それ以前から、「歓喜(よろこび」という少し、立派な体験談集を第十集くらいまで発刊してきました。
これはこれで良かったのですが、少し重厚肥大とまではいかなくても、チョット大々的になります。そこで、気軽に読めて、気軽に配布できる、誰にでもあげることができる体験談をお寺の事務局で作成することになったのです。
開導日扇聖人は
「末代の弘通は現証利益を見せずば、愚人に信は取らし難し・・現世の利生を信ずれば未来の寂光も信ずべし」
といわれています。つまり、現代において信心信仰の大事をいくら理屈の上で説いても、末法の愚人・・仏様のように悟る能力を持ち合わせていない私たちは信じようとしません。御本尊の尊いことを理論で説いてもアピールできません。
そこで、この有難い上行所伝の御題目の御本尊を拝んで、何とも説明が付かないご利益を頂く、あるいは頂かせるよりほかに、信じさせる事はできないのです。
このように言っておられます。
そんなわけで、論より証拠、「私はこの御法様でご利益を頂きました」「この御題目様で幸せになりました」「このご信心で命を助けられました」・・・このような話が一番、心に響くので、体験談集を出しているのです。
もちろん、10月5日の高祖会で、もちろん皆様に対するお寺からのご供養として、無料で配布します。
どうか、大勢の人がお参りして頂きたいと思います。
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