2006年05月25日 | Weblog
ときどきの旅は心も体もリフレッシュするために必要かもしれません。
たとえ、それがいつも行き馴れているところで、何か仕事を伴う出張だとしても。それでもいつもの居場所を離れることで、自分自身を見直したり新たな意欲が生まれたりします。また、同じものでも見え方が違ってくるんじゃないでしょうか。
芭蕉が旅を続けたのも、旅先では特別な感情がわきおこるからではないでしょうか。
一人旅も良し、二人での旅も又良し。

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トーク・トゥー・ハー

2006年05月22日 | Weblog
今日は夜、久しぶりにテレビで映画を見ました。
「トーク・トゥー・ハー」という題で、2002年のスペイン映画です。
女闘牛士のリディア(ロサリオ・フローレス)が牛に突かれて、瀕死状態で病院に運ばれるところから始まります。昏睡状態のまま、何日も経過します。彼女の恋人、マルコ(ダリオ・グランディネッティ)が付き添って何日もいっしょにいますが語りかけもせず、自然に触れることもできません。この病院に先に入院していたのが、やはり昏睡状態のアリシア(レオノール・ワトリング)。その美しい姿は誰をも引きつけます。彼女は精神科医の娘でバレリーナをめざして教室に通っていました。ある日、交通事故で昏睡状態に。その彼女を4年もの間、世話してきたのは看護士のベニグノ(ハビエル・カマラ)。彼は交通事故に遭う前の彼女にひかれ好意を抱いていたところ、突然、彼女の姿が見えなくなりました。たまたま、看護師として優秀だった彼が彼女専門の看護師に選ばれ、病院で昏睡状態の彼女に再会。
それからの4年は最高の幸せだったと語ります。こちらは、まるで意識がある人に話すように、ずっと彼女に語りかけます。対照的でありながら同じ立場のマルコとベニグノの間に奇妙な、そして真実の友情が芽生え・・・話が長くなるので、もうこのくらいで止めますが、まじめでありつつ何となく滑稽な、少し異常であぶないような、考えさせられるような、そんな映画です。
結局、昏睡状態のアリシアに恋をしてついに罪を犯し刑務所に入ったベニグノ。後にアリシアが昏睡状態を奇跡的に脱したことを知らず、悲観してついに自殺してしまう・・・あっ、また、長くなってしまった。
一方、マルコはリディアにめぐり会う前に実は恋人を失っていて、その後、リディアによって救われたものの、リディアは心変わりしていて闘牛の試合の後、彼に別れを告げるつもりであったことが分かります。それで、昏睡中のリディアと別れを告げ、さらに最後、友人ベニグノをも死によって失う。なんてツイテナイヤツ。
まあ仏教の諸行無常、愛別離苦などということを悲しい歌の調べと共にしみじみ感じるという、そんな映画でした。二時間は無駄か、無駄でないか。見なければ分かりません。
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昨日と今日

2006年05月21日 | Weblog
昨日は午前中は本持(ほんじ)教区の溝口さんのお宅で御講、午後は本行(ほんぎょう)教区の小川さんのお宅で御講(おこう)がつとまりました、
また、今日は本因(ほんにん)教区の飯岡さんの御講でした。
いずれも、大雨の予報とうらはらに天気もよく、小川さんのお宅で御講の最中に激しい落雷がありましたが、帰る頃にはあがっていましたからまったく困りません。
いずれも、40名、あるいはそれ以上の参詣者でにぎわい、内容的にも非常に盛り上がった御講でした。
御講とは、今を去ること150年前に法華宗を改革して、本門佛立宗を開かれた日扇聖人が過去の伝統を活かしつつ新たに始められたものです。普通の法要ともちがい、ワケの分からない御経はとなえません。日扇聖人が編集された文章をいっしょに読み、信仰心を高揚させます。そして御題目をひたすら唱える修行をするのです。
もちろん、法要の要素もあり、ていねいにご先祖を弔い、また、集まる人々の現在と未来の幸せを祈願します。そして、もっとも特色があるのは私たち教務員(佛立宗のお坊さん)が、み仏の教え、日蓮聖人や日扇聖人の教えを現代人にも分かりやすく、解説いたします。これを「御法門」(ごほうもん)と称します。
この御法門を聞くことによって、集まるご信者は間違いなく教えを吸収して、いわゆるご利益をいただく基礎を築くことができるのです。
最近、遠妙寺では必ず、教務員の御法門の前後にご信者のナマの体験談を語っていただくようにしています。これがなかなか素晴らしいのです。
今日、驚いたことには飯岡さんの高齢のお母様が御講に駆けつけてくださいました。7、8年前に脳梗塞で倒れて入院、4年半前に飯岡さんが入信され、このお母様をすぐに教化されました。御題目を毎日、ベッドで唱えられるようになったお母様は心に安らぎを得て感謝に満ちた生活となり、病気のため固まってしまった左手がやわらかくなりました。今日は御講にお参りされ、私たちに会えて涙を流して喜んでくださったのです。ありがとうございました。
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宇都宮は晴れ

2006年05月14日 | Weblog
今日は宇都宮・遠歓寺(おんかんじ)の春の門祖会(もんそえ)でした。
私が住職を務めている自坊・遠妙寺(おんみょうじ)からは今回、私を含め4名だけが参詣いたしました。
東京を出発するときは雨まじりだったのですが宇都宮はまったくの晴天。気持ちよく門祖会を勤めることができました。
遠歓寺ではいつもいろいろな方たちとお会いするのが楽しみです。中でも、以前、深い悩みがあって、ボロボロになり落ち込んでいたのが御利益を頂き、すっかり元気になったN・Iさんに再会し大変嬉しく思いました。
遠妙寺で100本口唱をして御利益を頂きました。100本口唱とはお線香にして100本が燃えて灰になる時間、約75時間(4500分)にわたり御題目をお唱えする修行です。
なかなか深い悩みにとりつかれるとそこから脱却するのが自力だけでは困難です。妙不可思議な御題目の経力を頂いて、いま、N・Iさんは芸術家としての自信を取り戻し、元気に活躍しています。彼の将来を私は期待しています。
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20年前

2006年05月11日 | Weblog
20年前の今日、アキレス腱を切りました。簡単に考えていたら、アキレス腱の断裂は重傷だそうです。手術をして、ようやくつながりましたが昔だったら、もう歩けなくなっていたんでしょうね。
切れる瞬間、太いゴムを引っ張って、何かに打ち付けたようなパーンという音がしました。痛みを感じないので、何の音だろうと思っていました。そして自分が歩いてみると、操り人形のピノキオのように無理に足を持ち上げないと前に足を動かすことができないのです。回復に1ヶ月半以上もかかり、もう二度と切りたくないですね。
しかし、50日間も病院に入院したお蔭で、病院のシステムや入院生活の一日のパターンも分かり、患者同士、看護師やお医者さんとの人間関係など良い勉強になりました。また、入院してみて始めて患者の心理の一部も分かった気がします。これで外科は命の危険が迫っている人は少ないので割に明るいのですが、もし、内科などの病気で明日が分からない人は、将来の不安で暗たんたるものがあるのではないかと思いました。
何でも異なる立場に自分が立ってみないと人の気持ちは分からないものですね。
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福岡・本法寺

2006年05月08日 | Weblog
6日、7日と私は福岡に再び、やってきました。
早良区の本法寺で住職交代式があったのです。
このたび、第七世住職として向井淳報師が就任されることになりました。
向井師は30年来の知己で大阪清風寺の逸材です。このたび実績を買われて御奉公されることになりました。ご活躍を祈っています。
本法寺は私の父方の祖母の弟、つまり大叔父の今井鍵太郎という人が、その歴史に名を残しています。1924年に九州事妙支部が発足した時、初代の福岡・大歓組(佛立宗のご信者の助け合いグループを組と称します)ができました。その組長として奉仕、御奉公したことがわかりました。
ともかく、私と関わりが深い本法寺の住職にもっとも仲良くさせていただいてきた向井淳報師が就任されたことはたいへん感銘深いものがあります。
向井師は現在、宗門では佛立研究所副所長、また、佛立教育専門学校教諭、宗務本庁総務局総務部長として活躍されています。信心と正義感に溢れ、しかも、人に優しく子煩悩なすばらしい御導師です。子煩悩といってもすでに長男、次男、長女も阪大などの医学部の学生として勉学中ですが。
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子どもの日

2006年05月05日 | Weblog
銀(しろがね)も金(くがね)も玉も何せむにまされる宝子にしかめやも
とか
瓜(うり)食(は)めば子ども思ほゆ、栗食めばまして偲はゆ、いづくより来りしものぞ、眼交(まなかひ)にもとなかかりて、安寐(やすい)し寝(な)さぬ
などと歌をよんだのは山上憶良ですが斉明天皇6年(660)に誕生し、官吏、つまりお役人として勤め、神亀三年(726)頃、九州に赴任したと言われています。
愛情細やかに子どもに関してたくさんの和歌を詠み、いまあげた歌にしても愛情がにじみ出ていますね。
子どもは確かに宝であり玉よりも大切ですが、玉にしてもやはり磨かなければ光らないことも事実です。
お寺の薫化(くんげ)子ども会にみんな来てほしいな。お寺のご信者の子どもだけでなく、お寺の近くの子も、お友達もお寺に近づくとそれだけで何か違ってくると思います。
特に、六月四日(日)は遠妙寺で第五回「子ども御会式(おえしき)」が開催されます。大人も集まってもらうと楽しいひとときを子どもたちと過ごせます。
このブログを見た方、周りの方にもすすめてみてください。
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連休

2006年05月03日 | Weblog
ゴールデンウィークは東京にじっとしていると少し寂しい。
大勢の人たちが遠くに遊びに行ってるので、お寺に参詣される方も少なめだ。
大体、5月3日と5日は何の日?どんな祝日だったっけ。
ほとんど何で祝日になっているのか、誰も考えないのでは?
でも、祝日が多いことはお寺にとってはありがたいことである。土日、祝日しかお寺に来られない人が結構多いし、休みの日に御講(複数の家庭でつとめる回り持ちの法要)があると、やはり参詣者が多い。
でも、今くらいの休みの日にちでは、まだ足りない。昔は週休2日制などは夢物語だったが、今はふつう。できれば将来、週休3日くらいにしてほしいと思う。「衣食足りて礼節を知る」というのも真理だが、「休み足りて宗教にふれる」ことができるから。(写真はあるお城の一角)
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もう夏日

2006年05月01日 | Weblog
つい何日前かはセーターを着ていたのに、もう今日は30度を超える真夏日だというからびっくり。一方、網走では雪が降っているというのでまた、びっくり。
日本もずいぶん、国土が南北に延びたのかしらと思うほどです。
仏教では、現代は末法といい天候も異変が多く、人間性も昔に比べればだんだん性質が悪くなり、耐える力が劣り、宗教的な能力も低くなってくるといわれています。この頃、頻繁に起こる殺人事件などを見ているとうなづけます。特に初公判があった大阪浪速区のマンションに住んでいた姉妹殺人事件。この犯人は5年前に実の母を殺し、その時に感じた快楽が忘れられずに罪を犯したと聞き、唖然とします。
海や山を見たりせず、動物や植物、自然と離れて都会で暮らすと気持ちがすさむのでしょうか。
特に都会で暮らす私たちは、一日一回でも瞑想し、宗教的な環境にひたることも大切ですね。
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