15世講有・田中日晨上人 27回御忌

2010年08月30日 | Weblog
今日は渋谷・乗泉寺で佛立第十五世講有、日晨上人の第27回御忌がつとまりました。

とにかく偉大な方で、日晨上人は25歳で乗泉寺の住職となられました。そして、先代住職の第八世講有・日歓上人を助けられて、それ以後、五十年の間に末寺百か寺を育てられ、三百人の御弟子の養成され、乗泉寺自体も発展させられ最盛期は15,000戸のご信者を擁する大寺院となりました。

私ども遠妙寺との関連から申しますと、遠妙寺の開基、伊達日彰上人を重用され、その著書「松華松毬・・・しょうかしょうきゅう」を信者指導のための書として何度か、出版刊行され配布されました。
適材適所というか、この人はどういうことをやってもらったら良いのかということを真剣に考えられて、その人材を活かされました。

当山先住、日玄上人は8年ほど後輩に当たりますが、日玄上人が宗務総長時代は常に田中日晨上人の御指南をうかがい、宗政に携わられました。
宗門に対する影響力は圧倒的なものがありましたが、それはただ、大乗泉寺の総帥というだけでなく、その強い本当のご信心から涌き出る慈愛と信智に皆が帰依し、耳を傾けたからです。

宗門の法律・宗制の制定と改正、宗風の明文化と宗制に盛り込み、ご信者のあるべき姿を明らかにしてそれを永続化されようとしました。
そして海外弘通に力を入れられ、世界の佛立への展望を切り開かれました。
その他、ご功績は枚挙にいとまありません。
謹んで、その恩徳に感謝申し上げた次第です。

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森繁の「七人の孫」

2010年08月28日 | Weblog
昔々、テレビで森繁久弥の「七人の孫」をやっていました。
もう45年も前のことです。大坂志郎、加藤治子、高橋幸治、松山英太郎、いしだあゆみ、島かおり・・・などの懐かしい面々の共演によるドラマでした。
いわゆるホームドラマというもので、1965年といえば私は高校生。

私の父すなわち遠妙寺先住、日玄上人はドラマの中の森繁と同じく明治生まれで、当時は58歳くらい。
このドラマのときは、父が「おーい、七人の孫だ」と始まるときに声をかけて、家族じゅうが集まって、この番組をほぼ毎週、見ました。
とにかく、孤独で育った父は、この番組の大ファンで大喜びで見ていました。
七人の孫に恵まれ、大勢の家族に囲まれるのは父の夢でした。そして、それから間もなく、私の姉に男の兄弟(彰勲師、彰国師)が生まれ、そして私の3人の娘が生まれ合計、五人となり七人には足りませんが、ほぼ夢が現実となりました。

「七人の孫」放映時には高校生だった私は、今年8月17日(火)にとうとう5人目の孫・「あおい(蒼彩)」誕生の日を迎えました。何人目であっても、子どもでも孫でも、生命の誕生はドラマですね。

いまのところ、今年生まれた孫三人は、まだ何もわかりませんが、一昨年に誕生した二人の孫は、なついてくれています。

でも心配です。十年くらい経ったとき、一緒にドラマなど見てくれるかなぁ?
(写真はよしひろとそよか)
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ともだち 20世紀少年って何?

2010年08月27日 | Weblog
昔から、それぞれの宗教は世界の終末、滅亡ということを説いています。
それは、その宗教が生まれた民族の危機や、その教団が迫害された体験から、そのような終末神話が発生したように思われます。
それが、最近は教団への勧誘の手段として、また、相手をパニックに陥らせて判断能力を奪うためのテクニックとして新興の宗教教団が「世界の滅亡」の話を用いるようになっています。
また、実際に世界の終末が来そうもなければ、起こしてしまおうということさえありました。また、信者に終末思想を吹き込んで、宗団自殺をしてしまった教団もありました。
宗教は「両刃(もろは)の剣」の面があり、そういう意味でおかしな宗教にだまされないよう注意を喚起する必要があります。

「20世紀少年」というのは、いままでそういう宗教批判と特に、カルト宗教と認定されている、ある特定の団体に対してのオブジェクションだという話を聞きました。
第1部、第2部は確かにそんな雰囲気を漂わせていた感じがあります。
でも、第3部はどうも脚本が書き換えられてしまったようです。
とにかく、批判をする相手があったはずなのに、それが急に恐ろしいのは、自分の心の中に潜む「悪」、あるいは自分の中のシャドーというような心理学的物語にすり替えられたような気がします。
それも途中から、同級生の皆でイジメをして学校に出てこなくなったので、死んでしまった事にしたクラスメートのカツマタがトモダチの正体だったということになり、余計に意味が分からなくなりました。
そして、最後にまた、元に戻りました。テレビでは劇場版とは違うエンディングロールにしては長い話を流し、トモダチが死んだ後の話をまとめていました。それはケンジの夢の中の回想劇という内容でした。ケンジが小学生、中学生時代にフィードバックして、当時のカツマタとやり直し、関係を修復するというもので、ケンジが心の中で過去の罪を反省し、精算したものとなっていて、心理学的な話に戻りました。(ケンジが万引きしたのに濡れ衣がカツマタに着せられた)
要するに一部、二部までは、特定の宗教を批判する内容ではありませんが、ある意味で古典的な「宗教アヘン論」と同様の宗教の弊害について問題を提起する形になっていました。
それが期待していた最終章となって、急に個人の内面を問う方向に転換してしまい迷走した感があります。

この話の作者は知りませんが、お話自体は面白いと思います。しかし、社会的なストーリー展開がきわめて矮小化して、個人の内面の話となってしまいました。
作者の最初の意図に反して、どのようにして、もとの話の筋が曲がってしまったのでしょうか?

そこで、よく考えると、次のように解釈できます。
トモダチは、フクベーではありませんでした。
同様に、フクベーのような顔をしたカツマタでも実は、ないのです。
トモダチはカツマタのような顔をして、死んだように見せかけているだけです。
トモダチは、どこかで必ず生きているのです。

そして、「トモダチ」の正体は作者しか知らなかったのですが、「トモダチ」は作者の心さえコントロールできるので、作者が知らず知らず話の筋を変えるはめになり、最後には作者さえ「トモダチ」が誰だったのか忘れてしまったのです。

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本日は日聞上人 100回御遠諱

2010年08月25日 | Weblog
今日は佛立第二世講有、日聞上人の100回御遠諱の日。
遠妙寺では、朝の門祖聖人のご命日御修行にあわせて、100回御遠諱を執り行いました。

わが遠妙寺の護持御本尊は日聞上人のご染筆によるもので、高祖日蓮大士の御尊像の御開眼も、もとは日聞上人によるものでした。
そういう意味で、二世日聞上人は大変、ご因縁の深い御講有です。

九歳で開導日扇聖人のもとに入門、17歳で得度、現喜というお名前を頂かれました。
開導日扇聖人に心からお仕えされ、陰に陽にお助けして支えられました。
明治二十三年七月に開導聖人がご遷化の後、ご遺言により後を継がれ、佛立第二世講有としてご奉公。時に御歳、38歳でした。
開導日扇聖人が開かれ、発展させられた佛立講をさらに維持、発展させられたご功績はきわめて大きなものがあります。
お辞儀の現喜(日聞上人)と言われるくらい、謙虚で自重されていましたので、本門法華宗の中に存在した佛立講・・・教団の中の教団というジレンマに悩まれながらも、立派に佛立講を存続させられたのです。

今、時折、関西では二世系とか三世系とか言われたりします。その言い方をすれば、関東はすべて四世系ということになりますが、その中でも昔から清雄寺系、乗泉寺系、光隆寺系、そして数は少ないのですが遠妙寺系などと、法系について云々される事があります。

しかし、これらは皆、おおもとの開導日扇聖人系であり、本山宥清寺系のお寺ばかりです。
本寺末寺の関係というのは、どのお寺からどのお寺が誕生したのかという由緒、歴史を語るもので、封建時代の支配、被支配という関係を示すものではないはずです。

ですから、あまり○○系という言い方はやめにして、すべて蓮隆扇三祖の流れを汲む、助け合いをするお寺の集まり、それが本門佛立宗だということを徹底したいものです。
(写真は河野彰国撮影)
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暑さに負けまい 懈怠は敵

2010年08月19日 | Weblog
とにかく今年は暑さを感じます。
実際に暑いからで、フィリピン、マニラはいま32度くらいだそうです。
私が小学生、中学生だった頃、遠妙寺のある大塚近辺にはまだ虫がたくさんいて、大概の昆虫は採集できました。
もっともカブトムシにはなかなかお目にかかれませんでしたが、カミキリムシ、トンボ、チョウチョ、セミ、カマキリ、スズムシ、コオロギ、タマムシなどちょっと草むらに行けばいました。気温だって暑い日で33,4度くらいでした。
それが今や、37,8度は当たり前、今日は全国150地点以上で35度を超えたといいます。
こんな暑さに負けるものかと、今、毎日十時まで祈願口唱を続けています。
でも、暑さより怖いのは、自分の心ですね。
開導日扇聖人は
これでわれ よしと思へば おこたらん 信はわするゝ まなくすゝめよ
と仰せですが、いつも私たちはこれくらいでもうよい、もう良いだろうという気持ちがあります。
この程度で良いだろうと思う所までいっていれば、それもまぁ仕方がありません。
本当は、これくらいでは全然、良くないのに、いいだろうと思うところがあります。
仏教では、煩悩の中にむさぼり、いかり、因果がわからない愚かさを挙げていますが、それと並んで「懈怠(けだい)」・・・怠りも付け加えています。
何でも続けることに価値があり、続けるうちに新しい展開があるのですが、もういいやと思うのは、人間の一種、本能的な欲望ですね。
でも、インドでは暑い昼はみなお休みだそうですが、熱中症にならないように、できるだけ暑い夏も口唱と教化に頑張らなくては。
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お盆について

2010年08月12日 | Weblog
もうお盆の季節に入ります。
わが本門佛立宗は常盆、常彼岸といい、お盆、お彼岸だけでなく常に先祖を敬い、ご回向をさせていただくという教えです。
中には、他宗と紛らわしくなるといけないと思い、お盆の時やお彼岸の時に、ご回向をしてはいけないなどと勘違いしている人もあるけれど、これはおかしいと思います。
お盆、お彼岸ならなおさら、手厚く亡き精霊に功徳がめぐり向かうように、お寺にお参りしてお塔婆を建てて本門八品所顕、上行所伝の御題目を心からお唱えすべきです。また、さらに時間的に余裕があるなら、お墓にお参りすればなお結構でしょう。、
ただ、最近はお盆というと本来の回向やお参りということではなく、単なるお休み、夏期休暇、家族旅行の期間と思っている人の方が多いでしょう。
関西より関東の方がその傾向が強いようです。
私は関西では、本山宥清寺と大阪清風寺でのお盆しか知りませんが、その季節、墓地回向のご奉公でめいっぱい、墓地の中を走り回り、汗だくになった記憶があります。
ずいぶん何十件ものご回向を、夏の一番暑い盛りに、お墓からお墓へ走り回り、そのたびお布施を頂きました。もっとも、これはお寺の貴重な資金になるようで、かなり貢献したような感じでした。冷たい水を途中でいただくと汗になるばかりのようで、我慢しながら夕方に頂いた御供水の美味しさ。あのすがすがしさは忘れません。
お盆というと、特に新たに亡くなった方がいるお家では、当宗でも「新盆」(にいぼん、しんぼん、あらぼん)とか、「初盆」(はつぼん)と称して、教務方(当宗はお坊さんと呼ばずにお教務とか教務さんと呼ぶ)を招待して、ご回向を執り行っていただく習慣となっています。若いご信者の中には、そんなことも知らない方が多くなっています。教えてもらわなくては分からないのも当然ですから、伝統を伝えて行かなくてはなりませんね。
ところで、わが家では昨年、8月27日にさくらが9歳で亡くなり今年が新盆です。
愛犬や飼い猫では、新盆とか初盆というのはおかしな感じがしますが、まだ2歳にならない孫が最近、二人揃って天井を指さして、「ワンワン、ワンワン」と言っていたり、教務さんが、「法宅からキャンキャンと鳴き声がしました」、「また、犬を買われたのかなと思いました」と言われました。
8月27日には、朝、サクラのためにお塔婆を建立し、ペット慰霊塔の前で上行所伝の御題目をお唱えしてご回向させてもらわなくては。
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莉南(りな)の初参詣

2010年08月10日 | Weblog
7月1日に生まれた良尚、美由紀夫妻の長女、木村莉南の初参りが昨日、ありました。
私の4番目のグランド・チャイルドです。
3月23日に彰行、日登美夫妻の長男、田原凌(たはら・りょう)が生まれ、その初参詣が5月に行われましたが、これが3番目の孫です。
今月中に長女の2人目の子どもが生まれますので、これが5人目です。
1年の間に3人。おめでたいのですが、チョット大変。
昨日は、良尚師の両親が長薫寺から参詣。莉南に会いに来てくれました。
莉南が健康に生まれ、こうして無事に初参詣を迎えられたのは、やはり御宝前のお導きによるものでありがたいですね。
この子の20代の最初でも危ないのですが、20代後半になるとまず、私はいなくなっているのではないかと思います。どうか、30代も40代のときも、ずっと御宝前のお守りをいただきたいとお願いをしました。
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今日のBL(佛立レディース)御講

2010年08月07日 | Weblog
今日は、BLソレイユ(日曜の組)御講がつとまりました。
御講は午後1時半から約1時間15分。
御教歌
よろこびて 持たばたもて 法花経を うたがふならば たもつかひなし
を讃題に頂いて御法門を説かせていただきました。
随喜すなわちご信心に対する喜びと、感謝の思いが大事で、反対に疑いや迷い、不平不満を以てご信心させてもらっているのはご信心をおたもちしている甲斐(かい)がないという意味です。
「あゝ有難や、まれに人身を得、たまたま仏法にあえり」という御文(ごもん)が、いつも拝読している「妙講一座」(みょうこういちざ・・開導日扇聖人ご制定、本門佛立宗の法要の式文)あります。いつも読ませていただいていますが、これには深い意味が込められています。
佛立信者の人生観ともいえる御文で、この宇宙の悠久な生命の流れの中に、数限りないほど多くの生き物が生まれては死に、死んでは生まれています。その生きとし生けるものの中で、この私はたまたま、人として生を享け、そして仏法の中での最高峰、法華経本門八品の教え、上行所伝の御題目にめぐりあうことができました。
人でなければ意識も理性もなく、ただ生まれ、食い合い、子孫を産み、死ぬことも分からず死んでいく。それが人間と生まれることができただけでもマレの中のマレです。そして仏性を持ち、その仏性をみがく仏道に入り、しかも、真実の仏の種となる上行所伝の御題目にめぐり逢い、さまざまなお計らいをいただくことができます。病気の時には、命を助けていただき、悩める時には救いの手をさしのべていただき、このご信心のお蔭で菩薩行のご奉公までさせていただき、他人様を救い尽くそうとされるみ仏やお祖師様のお手伝いまでさせてもえ、その功徳で、この身に仏身を感得することさえできるのです。
そう考えますと財産らしい財産もなく、地位も名誉もないに等しくても、この私ほど幸せな果報者はないと思える・・・・それが佛立信者の喜びの源泉となります。
忘我の境地とか、エクスタシー的ないっときの法悦ではなく、じわじわと、ふつふつと喜びが湧いて尽きない・・そのような静かな、深い、他者への慈悲までこもった佛立信者の喜び・・・これがあればこそ開導聖人も、その他の先輩の教講も、法難やご苦労、つらさ、苦しさを乗り越えてご奉公されたのです。
5年半前に入信された女性で、難病に冒され、また、当時、人にだまされ辛い日々を送っていた方がおられます。毎日、この方は自分を騙した、その人を憎み続け、かえってそれが自分の身に帰って来て悶々として苦しんでおられました。
最初の内は御題目を唱えながら、その騙した人をいわば呪うような気持ちで罰が下って欲しいという思いさえあったそうです。ところが、毎日、御題目を一所懸命にお唱えして、さらには自分よりもっと困っている方を教化しようと、御宝前に手を合わせていました。しばらくして、教化をしてくれお世話してくれた方に言われました。「あら、貴方、何かにらむような目つきがなくなり、優しい表情になりましたね。それが御利益を頂いたということですよ」と。それから大小さまざまなお計らいをいただき、今も、この方は熱心にご信心をなさっています。進行性の彼女の病気もほとんど進行せず、たくましく優しい夫に守られ、大勢の親切な周囲のご信者にも恵まれています。そのような難病であれば愚痴の一つも言い、暗くなるのが通例ですが、いつも明るく感謝の思いで暮らしています。
この方は、今は遠い北海道のお寺でご信心に励んでいます。




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夏期参詣の御法門

2010年08月04日 | Weblog
遠妙寺では夏期参詣後も、宗門から配布されている御法門集にしたがい、8月14日まで約2週間、御法門を拝読させていただく予定です。
御法門はある意味、御教務さんの生命線ともいえる面があります。もっともいくら良い御法門を参詣者に説かせていただいていても実践がともなわないと迫力がありませんし、体験に基づいてこそ本当の意味で聴衆が納得する御法門になります。
ですから、まず、わが遠妙寺では開導日扇聖人の御教歌に随って教えの筋を説き、さらにそういう道理だけではなく体験談、現証談を必ず入れることを申し合わせています。
本日は、熊本の長薫寺所属の御教務(学生の頃は遠妙寺に止住)が書かれた御法門を参考として当山のお教務さんが拝ませていただきました。
その中に、平成六年に長薫寺において入信されたご信者のお話が出ていました。その方のご主人は結婚当初は○○会という新興宗教に入っていて、お姑さんが亡くなった後は、葬儀をしてもらった念仏のお寺の言うまま、仏壇を買って飾っていました。そこで、奥さんが入信の時、佛立宗への入信について話しますと、最初は反対されたものの奥さんが2階に御本尊を奉安することは許してくれました。
あるとき、御法門でご回向の大切さを聴聞して、そのことをご主人に申しますと、「そうか供養しないといけないな」と主人が言いました。そこで、奥さんが自宅に御教務を招いて亡きお姑さんのご回向をしていただきました。すると、その夜、ご主人の夢の中に、亡きお姑さんと長薫寺のお教務さんの姿が並んで出てきました。今まで、念仏宗のお坊さんにきてもらった時はそんな事もなかったのです。それが奥さんがお呼びした長薫寺のお教務さんが夢に出てきてさぞ、驚いたことでしょう。一緒に夢に現れるというのは亡きお母さんが喜んでいる証拠です。そして、それがまた、数日後、ふたたび同じ夢を見たのです。それも二人が同じく御題目をお唱えしているのがはっきり見えたというのです。これは、きっと佛立宗のご信心がホンモノだという証拠である、そう直感したご主人は、すべて今まで持っていた他宗の本尊、ゆかりの品々を手放して、上行所伝の御題目の御本尊様を床の間に奉安し、夫婦揃って御題目を口唱し、むしろご主人が率先してご信心できるようになり仲良く、参詣、ご奉公されているとのこと。
そのようになるまで相当な年月、奥さんは一人でご信心を辛抱強く続けられ、口唱とお寺、御講の参詣に精進されていました。
と、いうお話が出ていました。
このような体験談はご信心を増進する上で欠かすことができないものです。
言葉が通じなくても、理屈が分からなくても、体験談を語ることによってこのご信心、上行所伝の御題目の有難いことは充分に通じます。
今年、フィリピンでは30戸の奉安お教化ができていますが、もっぱら有難いという気持ち、この御法は尊く素晴らしいという思いをご信者が伝えることによって教化ができています。
今や、ご利益談、体験談は世界を駆け巡るという時代です。
インターネット普及は、そういう意味で本当にすばらしいことです。
正しい情報をリアルタイムで、世界すみずみまで届かせることは、一昔前は、夢のまた夢であったことを考えますと、感無量ですね。
いつだったか、佛立研究所で「ご利益談バンク」というものを創設する提案がありました。もう20年も前のことです。
当時はまだ、インターネット技術がなく、パソコン通信を利用して各地の寺院から佛立研究所のパソコンにリモート・アクセスして、情報を取出して貰うはずでした。ところが、ソフトも整備したのですが、通信のスピードが当時は圧倒的に遅く、サクサクとパソコンを動かして、情報を取出して貰うことができませんでした。
ホント、嘘みたいな話ですね。(写真はフィリピン・パナイ島にて ご信者の子どもたち)
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8月はうれしい月。

2010年08月02日 | Weblog
やっと8月が来ました。
8月は第一に誕生日の月です。私の場合、これはもう、一息で吹き消せないほどのロウソクをケーキに指さなくてはなりませんので、嬉しくはありません。
でも8月16日に2歳になる予定の颯香(そよか)・・長女の長女は親も子も楽しみです。
7月は、前代未聞の大変な月でした。
第一に夏期参詣。
今年は7月15日に始まり8月1日に終了。酷暑の中、みな遺書懸命にお参りいただき、頭が下がります。結構、新しい方も参詣されていて、毎朝の体験談は、なかなか新鮮で、ぜひ他の方にも聞いて欲しい不思議で有難い話が続きました。
今度、その一つ、二つを紹介したいと思います。
7月がたいへんだったのは、もう二つワケがあります。
それまでに何とか書きかけの本尊抄の解説書の仕上げに追われ、おまけに書斎のリニューアルに迫られたのです。
本尊抄は、以前に大放光に連載していた原稿があり、それに手を入れました。当初は「まとめるだけだから」と、簡単に考えていましたが、イザとなると大変でした。平成12年1月から平成17年12月まで、平成14年を除き毎月、60回にわたって連載したのをまとめ直したのです。なにしろ、最初の書き始めは10年前ですから、その頃に勉強したことは殆ど忘れています。勉強し直しながら、ようやく纏めました。まだ、誤字脱字がありそうで、本意なるまでは大変だなぁと感じています。
それ以上に大変なのは、書斎のリフォームです。
以前、絨毯を取り替えるのに本棚から本を取り出し、それを入れ直す作業を業者に頼んでやってもらったことがあります。それが「すっかり元通りにします」という約束でやってもらったのですが、実際は全然、元通りになりませんでした。
「あぁ。こんな事になるなら、自分でやるべきだった。本の位置が変わったので、探すのに以前の5倍も6倍も時間がかかってしまう」と嘆きました。
そこで今回は、歯を食いしばりながら汗をだらだら流しながら本を段ボールに詰め、それを外に一度出して、部屋のリフォームができてから本箱に入れ直しです。それが何十箱分です。重いのなんの、半端ではありません。
心身共に疲れました。もう二度とやりたくありません。今度こそ、その作業を人にやってもらいます。
その他の感想。
読むつもりで買ってきたのに、読まずにしまいこんでしまった本がいかに多いか。また、しまい込むことになる本があり、結局、読まずに終わりそうです。
そして、整理している途中で、思いがけず10万5千円もお金が出てきました。
このときばかりは、ふだん貰ったことがないボーナスを貰った気分。
その時、考えました。今回、このような事があったということは・・・・そうか、前に人にやって貰った時、ひょっとしたら、同じことがあったかも・・・・よし、次回は、やっぱり人に頼まないで自分でやろう。
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