寒修行参詣もあと一週間。一月もいろいろありました。

2011年01月28日 | Weblog

もう今日が寒修行参詣23日目ですから、あと一週間で終了です。

寒い中、私よりずっと高齢のご信者が、朝4時とか5時とか6時に家を出てお寺に向かって参詣されています。

まったく、頭が下がります。

このたびの寒修行中にも、いろいろな行事がお寺でありました。

9日は、成人式がありました。人数が少なかったのは残念でしたが、出席者に対する注目度は人数が少ない分、集中して忘れられない成人式になったのではないでしょうか?

代表として教務の小林彰隆師とご信者、松本君がお誓いの言葉を述べたり、プレゼントを頂いたり。

8年前には、二人とも小学生だったのに、すごく立派な一人前の教務、ご信者となっていることを再認識。人間の成長する力、吸収する力はすごいと実感しました。

また、23日は教養六会の合同の初御講。大勢の参詣者で盛り上がりました。

この日は、薫化会の子どもたちがお父さん、お母さんと賑やかに出席。楽しい一日を過ごしました。

この子どもたちが将来の遠妙寺や宗門を背負っていくんだなぁと思うと、なんだか嬉しくなりました。

何でも地道が一番。すでに50数年前、私が子どもだった頃。けっこうお寺の薫化会には大勢、子どもが集まりました。

もちろん、お父さん、お母さんが子どもの手を引っ張ってきたのですが、子どもに意見を聞くこともなく、子どもにとってご信心が一番と心から信じて連れてきました。

その薫化子ども会が一度、つぶれて再スタートしたのは35年くらい前でした。

先住、日玄上人が今は遠歓寺のご信者となった由美子さんに、「貴女はお子さんがいないけど、ご信心の親になるように」と言って「薫化育成会会長」に就任を依頼しました。

ご主人の木村榮治さんといっしょに、子どもをあちこちに連れて行く所から始まり、薫化会の催しがいつしか大きなお寺の活動の柱になりました。

その中から、今の小川彰孝師、河野彰勲、彰国兄弟が得度して遠妙寺の現在を支えています。

木村榮治さんはその後、事務局長のご奉公をされ、平成18年2月5日、寒修行参詣を終えて急逝されました。

あっという間の、苦しむことがない安らかな最期でした。誰からも好かれた良い方でした。

子どもの時をお寺の薫化会で過ごし、思春期から青春時代をお寺の青年会の仲間と過ごし、ご信心をさせていただいた経験は、きっと人生の上に大きな潤いをもたらします。

成人を迎えた彰隆師も、松本君も藤巻君も、下石さんも、その他の人も20年の間、お寺を心の拠り所としてきたと思いますが、これからも彼らの社会での活躍と佛立宗の発展に寄与する菩薩行に励んでもらいたいと念願しています。

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人生と余裕

2011年01月19日 | Weblog

最近、余裕がありません。

余裕というのは、あまり(余り)という字と裕福の裕・・・豊かさを表す字で出来ています。

でも、その「余り」というのは、本当は必要なものでけっして、余分とか余剰というものではありません。

最近、そんなことを考えるのは時間的な余裕があまりないからだとわかっています。朝から晩まで、すき間なくスケジュールに追われ、帰宅してからも時間に追われています。

昔を振り返ると、今よりもっと余裕があったと思うのです。でも考えてみれば仕方ありません。現状を打破していこうとお寺全体で頑張っていますし、教務さんもご信者さんもいっぱいいっぱいご奉公に精進しています。

家族もみなそれなりに役割をこなそうとしていますし、ヒョッとしたら二歳の孫まで忙しいのかもしれません。

それで少し、考えてみました。

何でこんなに忙しいのかと。

それで気がついたことは、昔も別に暇にしていたのではなく、何かいつもやっていました。ただ、好きなことをやる時は、好きでやっているので苦にならなかっただけです。ですから、今はたぶん、楽しむとか、楽しもうという心が薄れていたのかもしれません。

御講有・小山日誠上人の「年頭のことばを想い出しました。菩薩とは過程を楽しむ人だといわれていました。

そうだなぁ。結果だけを追い求めていては楽しくないよね。

でも、誓願だとかも目標だとかいわれると、自然にそんな気持ちになりますよね。

むかし、ある宗内のお知らせの紙面への寄稿を頼まれて「みな夢をもとう」という記事を書きました。

そうしましたら、大先輩の長老に「夢とはけしからん。佛立宗はせいがんでなくてはならん」などといっておられると聞きました。

夢があるから希望も目標も、誓願も生まれるんじゃないでしょうか。

でも夢のままだと、夢想とか夢物語になってしまいます。むずかしいね。

たぶん、夢や希望でとどまらず誓願までいかなくてはならないのでしょうが、誓願を達成する過程を楽しむということになるんじゃないでしょうか。誓願が達成できないと罰せられるということはないでしょう。

もともと、菩薩行とか修行のことを開導聖人は遊戯(ゆげ)といっておられます。それどころか、法難がふりかかったり、イヤなこと、つらいことに遇うことさえ遊戯だと思いなさいと仰っています。

 くるしみを  楽しみとして  行ずれば  難は菩薩の  遊戯なりけり(御教歌)

遊び心、楽しむ心、何でも肥やしにしちゃう気持ち、結果ではなく苦労している今の状態を楽しむ気持ちを持てば余裕が生まれるというわけですね。

むずかしいけど、明日から何でも楽しんじゃおう・・・と、今は思っています。

 

 

 

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最澄と空海 タケシの番組で解説していました

2011年01月03日 | Weblog

今日は午後一時から平成23年初総講。

参詣者が本堂にあふれていて、たいへん結構なスタートです。

昨年度、ご信者として教化、参詣、助行などで活躍した方々の表彰が行われ、その後、御法門。毎年、本宗の象徴である講有上人の「年頭のことば」を読み上げることになっていて、それを私が解説するのが恒例です。

5時からは、親戚じゅうが集まり新年会。26名が集合しました。

帰宅してテレビを見ていましたら、タケシが出演している番組で日本仏教のおおざっぱな流れを解説していました。だいたいは間違いも少なく、無難な解説をしていましたが印象としては、真言宗、高野山の見方を中心にしていました。まぁ、解説者も高野山の経営する種智院大学の先生がやっていたので仕方ありません。

タケシの先祖は清雄寺と関係があるようなので、できれば本山宥清寺の紹介をやってほしいところですが、まぁいいか。法灯相続が大事だとつくづく思います。

日本天台宗を開いた最澄と高野山に日本真言宗を開創した空海との関係は、「最澄と空海」という本を著した司馬遼太郎が詳しく作品の中で述べています。これは私も読み、その実地調査に基づく大胆な推理と独自な開迹には解釈にはたいへんな説得力があり、まさに歴史がもう一度、司馬氏の手により再現されたという感想を持ちました。

ただ残念なのは、司馬遼太郎という人はあくまで外側から仏教や信仰というものを見て手探りで輪郭をなぞるやり方で、ご本人が自ら信仰を実践しドップリつかるという手合いではありません。まぁ、常識的なアプローチの仕方です。ですから、日蓮聖人のことは理解不能で、ある意味、偏見を持っていたのではないかと思います。

それはともかく、最澄の弘めようとした妙法蓮華経・・・すなわち法華経という経典の深い理解なしに、ただ、最澄と空海が世俗的な諍いを争いをして袂を分かったというような浅薄な解釈に終始していたのでは本当のことは分からないと思います。

真実はまだ、歴史の闇の中に眠っているようで、興味がわいてきます。

 

 

 

 

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今年はよい年になります

2011年01月01日 | Weblog

あけましておめでとうございます

今年は卯年ということで、皆、飛躍ができるようお祈りします

昨年の11月、京都駅の本屋さんで「デフレの正体」という本を買いました

今日、テレビを見ていたら、その著者が出演していて驚きました

藻谷浩介さんという人で本と同じ内容のことを話していました

要するに、ものが売れないのは人口の波によるもので、生産年齢人口が減り高齢者が爆発的に増加した日本の特殊な人口構成がデフレを引き起こした犯人だという説です

非常に説得力があり、なるほどと思わざるを得ません

すごいなぁ、明快な論理ですべてを説明しています。今の世の中の動向は、車を買わない、電気を使わない、水道も使わず、ものを買わない、使わないというわけで高齢者の行動パターン、消費性向がそのまま表れているといいます

たとえ、高齢者が亡くなってもその相続をするのは、やはり高齢者で、やはりものを買わない、使わないので問題はいっこうに解決しないといっています

これを解消するのは、所得を転移して、お年寄りの持っているお金を若い世代に回してあげなければならない、また、日本製品のブランドを確立して高収益となるものを作り育てていくべきだとしています

そんなこと、こんなことをわが佛立宗の現状、お寺の現状に引き合わせてみますと昔に比べて、皆、本山初灯明料等の御有志でも、差し控えるようになってきていて、宗内もデフレ状況になってきていると感じます

先行き不安だからこそ、本山御宝前に対してお初灯明料等の御有志にがんばれば、そのお金が宗門のために有効に回り、結果、功徳がめぐってくるのに、・・・・・・・・

お初灯明料を渋っていると、ホント、御利益のデフレになりそうです

年長者から若い世代へ所得の転移もしなくては。というわけで、明日は孫にお年玉をはずまなくては・・・・・・・・・・

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