雪降りましたか?・・・降っても大雪でなくてよかったね!

2013年02月06日 | Weblog

昨日から西日本から東日本まで積雪と大騒ぎでしたが京都市内では雪は降りませんでした。

東京も予報では最初は10センチ、そして5センチくらいということでしたが、どうやらほとんど積もらなかったみたいです。

先月十四日の成人の日に、大した雪は降らないという予報を出していたのが外れて大雪になり、ずいぶん抗議を受けたのでしょう。

それがよほどこたえたのでしょうね。今度は、大雪、大雪とさわぎ過ぎました。

大げさに言ってもし、はずれれば「良かったですね、あまり降らなくて」と言えることを計算したわけではないでしょう。

実際、雪があまり降らず助かったと思っている方が多いようです。

予報がはずれても、けっしてあやまりもせず、言い訳もせず、知らぬ顔をして次の日の予報を出し続ける気象庁は立派としかいいようがありません。ある面で見習わなくてはなりませんが何とかならないでしょうか。

 

でも気象庁も実際は大変です。

天気予報は未来の予測ですが、不確定の要素が多すぎて原理的に、予報の確度を一定以上にあげることは不可能です。

また、予報が全部、当たったら、確かに間違いが起こらないかもしれません。

でも、もし、そういうことが可能なら、問題は天気予報だけにとどまらず、人生のあり方まで影響を受けます。

つまり、天気に限らず、人生も、すべてが運命的に決まっているとしたら、予測は可能です。そのかわり、私たちの将来は変わりようもなく変えることもできず、いかなる努力も報われないことになります。

有為転変の人生だからこそ、うまくいかないことも想定外のことも起こります。

しかし、諦めていたのが意外な展開になったり、もうダメだと思われていた運命が変わって開けたり、良くなることも可能となります。

明日どころか一分一秒先が分からないのが実相で、世の無常というもの。

そして、世の中が無常でうつろいゆき、虚しいからこそ、確かな教え、安らぎのある世界を求めるようになります。

 

心ならずも後半は気象庁の弁護をしてしまった感があります。

いろいろ考えると、さも当たりそうで純粋に科学的な響きさえある天気予報という言い方に問題があるように思います。

「気象庁の天気診断」、「気象庁の天気予想」とすれば、当たらなくても文句を言う人はいなくなると思いますがどうでしょうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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