生物と無生物の間

2008年03月29日 | Weblog
26日、佛立研究所と佛立専門学校の共同開催による発表大会が行われました。
今回、その開催記念の講演が「生物と無生物の間」の著者、福岡伸一先生によって行われました。
また、研究所はすばらしい講師に交渉してお話ししていただき感謝いたします。
福岡先生はこの本がベストセラーで一躍、一般の人にも名前が知られ、さまざまなメディアに取りあげられました。超多忙な方ですがこころよくお引き受けいただいたわけで、また、研究所のヒットですね。
以下は記憶するまま、当日のお話の要点を描きました。
人間の思い込みがいかに強いかというお話。
人間のパタン認識の能力は高いだけに危険。間違いを犯す。
生命を単なる機械仕掛けのもので、部品の集まりだと思うのも思い込みであり、デカルトやメルロ・ポンティなどの思想の影響が大きい。
鼻は鼻を形成している表面の部分だけを移植すれば、鼻として機能するか。
嗅覚を受容する細胞、神経、そして脳に至るまで、すべてが関わることによって鼻は鼻として機能する。
人間の一部の臓器を移植しても、それはこの鼻と同じようなこととなる。全体との
の関連に着目しなくてはならない。
身体の中のある細胞が欠損しても、それは周囲の細胞との相補性というものがはたらいて補っていく。細胞には膨大な情報量を持つDNAがあり、どこかの細胞が欠損した場合、DNAの設計図にしたがって細胞が復元されるが、その細胞がもっているDNAはその個体では皆同じである。それが肝臓なら肝臓のその部位の細胞となっていくのは相補性による。
生命とは何か、自己を複製し増殖するというのも一つの特徴だ。その自己増殖性という特徴を色濃く備えているのがガン細胞。また、今日、話題となっているES細胞とかPIS細胞なども増殖していくが、相補性によって、周囲との関係で必要とされる細胞となっていくのであるが、はたして人間が本当にこれらの細胞をコントロールできるかどうか。
また、生命は、単なる機械論的に成り立っている固定的なものではなく、自己同一性をたもちながら、しかも変わっていく、流れていくものである。これを動的平衡状態にあるものと私は言う。
同じ人間に数ヶ月後に会って私たちは、お変わりありませんね等というが、実は分子レベルでいえば、まったく入れ替わっているのである。
ネズミを使ってある生物学者が実験した。同位性元素を使って、摂取した食べ物の中に重チッソを含ませ、どの程度の重チッソが残留しているか調べた結果、驚くほど長く、重チッソは身体にとどまり、そしてまた、出て行くことが判明した。
前半は以上のような話でした。その後、現代の私たちに警鐘を鳴らすお話をなさいましたが、長いので次回。
とにかく、ずしっとくる講演でした。研究所の方々、感謝しています。

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満100歳

2008年03月25日 | Weblog
とうとう本日、井上さんが100歳になられました。
これはお目出度い。過去に、遠妙寺のご信者さんで100歳を超えられたのは柴山さんだけでしたが、久しぶりです。
13日に、井上さんのお宅に伺い、御祝いをもうしあげました。
まず、お看経・・・御題目をお唱えして今日まで身体健全、無事息災の御礼をみ仏に言上しました。
遠妙寺の福祉組織「愛の花束」から会長の服部さんと石黒さん、後藤さん、その他の方で伺い長寿を心から祝福しました。
井上さんは、家族が母屋に住まわれ、ご本人は離れで一人で生活。朝から日課を決めてあり、御戒壇(御仏壇)の清掃、お初水をあげて、お給仕。そして御題目を唱え、お祈りを捧げます。
そして、朝食を作ってご飯をいただきます。その後、掃除も洗濯も、炊事も布団の上げ下げも一人でされます。
「だから、元気なんですよ」と、はっきり言っておられます。そして、そういうことがさせていただけると感謝を常に忘れず、愚痴一つこぼされたことがありません。
その2日後には、お礼状が届いたのですから、さっそくその日のうちに手紙を書かれたのでしょう。私たちが訪ねていったこと、また、僅かな御祝いをさせてもらったこと、プレゼントをさし上げたことに、本当に心から感謝を述べられていて感激しました。丁寧に、きれいな字で書いてありました。
100歳で、なおかつ、少しも記憶も衰えず、しっかり話をされ、日常生活を営んでおられるのは驚異的。御宝前(み仏)のお蔭と喜んでおられる姿に教えていただくことが多々ありました。
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御祝いそして別れ

2008年03月23日 | Weblog
本日正午から、木村良尚、美由紀夫妻の「結婚御礼御講」がつとまりました。
良尚師は相川家の次男、美由紀はわが家の三女です。
昨年11月に結婚式を挙げたのですが、順番があり今月、ようやく御祝いの法要として「御講」をつとめました。
しかし、同時に3月27日から良尚師の生まれ故郷、熊本長薫寺で修行ということになり、長薫寺の中に住まわせてもらうことになり、旅立ちです。
ですから、御祝いでありお別れであり、そんな感じです。
結局、90名を超える参詣者があり、私が導師をつとめ、御法門(法話)を述べ、午後3時頃、すべて修了しました。
淋しいけど、これも2人にとっては良い経験で、一回りも二回りも成長して帰ってきてくれることを願っています。
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彼岸会と御法門

2008年03月21日 | Weblog
昨日、雨の中、彼岸会が奉修されました。
昔、お彼岸にお参りするご信者層と御会式にお参りされる信者層とでは違いがありました。
というのも、お彼岸は世間一般でも、年中行事として先祖に対しての孝養という意味で、お寺やお墓にお参りする風習があり、あまり信者という意識なくお参りできるものです。
反対に、御会式となると、10月13日の日蓮聖人のご命日前後に営まれます。この時は、日蓮聖人に対する思いとか、信仰心をもってお参りするのですから、信者としての自覚とか意識がないとお参りできないものです。
ところが、最近は家族単位で動くということが難しくなったようで、お彼岸といえども個人の自由意志によりお参りするかしないか決められるようになったからでしょうか、家族全員でお参りしている方たちが減りました。
また、いつしか日本の国の伝統として彼岸参りをするという習慣も忘れ去られるようになったからか、「何となくお参りする人」がなくなってしまった感じです。
そんなわけで、お彼岸に参詣される方と御会式に参詣される方がかなり重なってしまっているようです。特に雨降りの日は、相当の信仰心がなければお参りできませんね。雨だったので、ふだんより参詣者は減っているかと思いますが、けっこう賑やかだった気がします。
私は、せっかく、お参りされているのだから、少しでも佛立信心に触れてもらいたい、教えを分かってもらいたいという気持ちで13、4年前から「御法門」(ごほうもん・・法話)を説くようにしました。
10時半と11時半と2回にわたり、法華宗を改革して佛立宗をうち立てられた開導日扇聖人がお詠みになった教えの歌、御教歌を中心にプリントを配って教えをお伝えしています。
でも、年配の方は本当に先祖に対する感謝の思いでお参りされている方が大勢おられるのに、その後に続く年代は多忙を理由にして不参が多い気がします。
こうなってくると、「習慣でも何でもいいから、みんなお参りしようよ」、「お寺からのお昼のご供養をいただきに来るだけでいいから、来てよ」などといいたくなります。
うちでは、ペットの慰霊塔(供養塔)をつくって万全の態勢を整えているので、今後はペットのお墓参りの方を期待しようかな。
雨ふりて 胸にしみこむ 御題目


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卒業式

2008年03月19日 | Weblog
今日は京都本山で、「佛立教育専門学校」の卒業式。
佛立教育専門学校というと、フランスで設立した学校で、フランス語やフランスに関する教育を行うところだと勘違いして問い合わせがあります。
でも、そんなのじゃなくて、わが「本門佛立宗」(ほんもんぶつりゅうしゅう}のお坊さんの学校です。
佛立宗の教学と僧風の教育をおこなう学校です。
佛立宗では坊さんとはいわずに、「教務」(きょうむ)といいますが、それは一般世間の葬式の御布施を目当てにして生きている坊主とはチョット違うぞという心意気をあらわしています。
2年間の修学と修行をおえて、十数名の教務が巣立っていきました。
その中に、わが遠妙寺から通学し、ご奉公をおえて入学していた伊籐良悦師がいます。3学期は病気というアクシデントがありましたが、最優秀グループの牽引役で頑張りました。みな、それぞれ、それなりに頑張って卒業の日を迎えました。
午前中の本堂での卒業式の式典がおわると、午後は謝恩会ということで卒業生が鍋料理を自分たちで用意して、講有上人や私たち学校の先生に自前で鍋に材料を入れてふるまってくれました。
卒業おめでとう。鍋料理ごちそうさま。
みな、がんばってください。
(写真は本山朝参詣時に御看経する修学生)
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十三世講有 日如上人

2008年03月11日 | Weblog
一昨日は、佛立第13世講有日如上人の第50回御諱に参詣いたしました。
日如上人は明治26年にご誕生。10歳で仏門に入り、清雄寺におられた関東開発の日教上人のお弟子となられ、麻布の乗泉寺に入寺されました。
乗泉寺、光隆寺で修行、また、尊い上行所伝の御題目のご信心をお弘めするご奉公に明け暮れる毎日でした。
明治45年1月に恩師、日教上人がお亡くなりになりましたが、同じ1月に横浜説教所を開設、開筵式を挙行されました。
以来、40数年にわたり、横浜を拠点としてご奉公されました。その間、大正6年には横浜説教所が佛立講横浜支部となり、その後、寺号公称して今日は本立寺となっています。
日如上人は信心が強く盛ん(強盛)、清廉潔白、なおかつ情熱と慈悲心に満ち溢れた方でした。そのお徳によって宗門の要職を歴任、昭和23年には宗務総長、昭和31年にはついに宗門の最高位、講有(第13世)に推挙され、本山・宥清寺にお入りになり、全国の教務、信者をご教導されました。
現職の講有位にあられた昭和34年2月9日に惜しまれつつ、ご遷化になり、今年、50回御諱をお迎えしたのです。
記念のDVD「日如上人御一代記」を拝見して、そのご遺徳に改めて「すごく立派な方だったんだなぁ」と感銘を覚えました。
今の私たちとは比較にならない厳しい時代を生き抜かれて、このようなご生涯を送られたのだなぁとも、また、もともと私たちとは生まれの違う、素晴らしい教務の中の教務というお方だったんだなぁと思いました。
まぁ、もう、私は日如上人のご遷化になった年になるまで、あと7、8年しかないけど、それって本当かな。しょうがない、できることをコツコツ、やらせてもらっていくより、他にないなぁ。
なるべく、頑張るぞ!

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講有選挙

2008年03月07日 | Weblog
私たち佛立宗では、宗門の最高位にある方を管長とか、貫首とか呼ばずに「講有」(こうゆう)と称します。
これは法華宗の中に「本門佛立講」(ほんもんぶつりゅうこう)という組織を創設された日扇聖人がみずから名乗られたお名前です。本門佛立講を有されるという意味があるように思います。しかし、これは私するとか、私有するという意味ではありません。
佛立講を創設して、そのトップとして統率するという意味です。
我物の ひとの物のと いふものゝ 佛立講は 祖師の講也
と、みずから御教歌をお示しになっています。
ともかく、講有上人という宗教上の最高地位にある方を宗会議員が選挙するという制度は本門佛立宗独特のものですが、これほど公平、また、明朗な方法はありません。
今回は、予想通り、現職の小山日誠上人が次期講有として再任されることが決まりました。
ご健勝とご活躍をみな、お祈りして宗会も散会いたしました。
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仏教と奉仕

2008年03月06日 | Weblog
今年一月、大放光社から「新役中入門」の後編が出版されました。
著者は向井淳報(日報)師。
著者は佛立宗のお寺、大洲・大法寺の前住職、向井日憲師の子息として誕生。
祖父も松山・松風寺の役中(役員)として奉仕に一生を捧げられた方です。
向井淳報師は、私のもっとも信頼する友人であり、同志であり、ともに宗門のご奉公もいっしょにしてきました。著者は中央大学法学部の出身で、当初は法律の専門化を目指して司法試験の勉強もしていました。ところが、彼ほどの逸材を当宗の教務にさせなくては当宗の損失だと、他の先輩教務に勧められて出家に至りました。
役中とは、本門佛立宗の用語で、役員という言葉に近いのですが、微妙なニュアンスの違いがあります。昔、開導日扇聖人が本門佛立宗の前身、佛立講を開かれた頃から、この言葉を使っておられ、佛立講という教団組織の中で、「お役」・・役割を頂き信行活動に励む人をさします。
当時から、在家の信者が主体となって佛立講という教団を運営し、また、教化活動をさかんに行ってきました。本門佛立宗となった今もそれは変わりません。ただ、その当時は恐らく、良いも悪いもなく、燃えるような熱気で教化活動が行われていたように思います。今は全体的に紳士的になってきてしまい、他の分野でもそうですが、日本には熱気がなくなってしまいました。
私たち佛立信者がそうなってしまってはおしまいです。この世界を理想的な寂光浄土と変えるため、佛立信心をひろめ、伝えていかなくてはという使命感に自分がまず、燃え、そういう人が途絶えないようにしなくてはと常々思っています。
新・役中入門というのは、そういう佛立信心をになっていく人たちのため、佛立信心のアウトライン、そして、信徒、役中としての心得を述べた本です。
ただ、役中とか佛立信者だけではなく、仏教についてのガイダンスという一面もあります。この秀逸の一書がたったの500円くらいで買えるとは驚きです。
大放光社(06-6419-5015)発行


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アラバマ物語

2008年03月05日 | Weblog
いま、宗会のため京都に来ています。
その前に、いろいろ会議があり五日間の日程です。
昨日の夜、テレビを見ますとNHKーBSで昔懐かしい「アラバマ物語」をやっていました。
無実の黒人がレイプをしたと白人の女の子に訴えられて、とうとう裁判で有罪判決を受け、逃走の上、撃たれてしまい亡くなってしまう痛ましいお話で、この後も似たような映画が作られています。
弁護士役のグレゴリー・ペックは演技も素晴らしい俳優で、また、彼に限らず昔の俳優は超イケメンだと改めて思いました。
今や、大統領候補のオバマ氏はヒラリー・クリントンをリードするほどで、民主党の両候補は一方は、黒人の血が混じっている人、一方は女性で、どちらが大統領になっても画期的なことです。
仏教は基本的にお釈迦様が、いっさいの人びとの平等をとなえられています。特に南無妙法蓮華経のよりどころである法華経(ほけきょう)は、あらゆる人が仏になることができると徹頭徹尾、平等をうたっています。
でも、仏教国といわれる日本ではいまだに、女性の首相や韓国や中国系の人が首相になったことはありません。
私たち佛立宗の僧侶・・・いわゆる教務でも女性の方は少数ですが、熊本・長薫寺は比較的、多くの尼さんを輩出しました。
宗会議員や宗門の要職をになう女性教務がそだつようになってほしいですね。
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