縮砂・・しゅくしゃの花

2009年11月30日 | Weblog
一ヶ月前、福岡本法寺の向井御導師から頂いたメールに花の写真が添付してありました。
久しく、屋上の花や木の世話をすることができないほど、私はこの一ヶ月ほど忙しくしていました。
ようやく、その私にも余裕が少し出てきたのでしょうか、メールに貼り付けてあった、珍しいお花の写真を思い出しました。
向井御導師によりますと、この花は「縮砂」・・「しゅくしゃ」といい、インド原産、ショウガ科の多年草だそうで、沖縄や南西諸島に自生しているとのこと。通常は9月ころ咲くとのこと。今年は暖かさが続いたので、11月初めにも咲いていたのでしょう。
世の中には、不思議さがあふれています。この縮砂や、月桃など清楚な白い花を咲かせますが、どうしてこのような美しい花が存在するのでしょうか。
植物にしても動物にしても、自然には不思議がいっぱいあります。
やはり、インドによく見られ、中国から渡来したとも日本に自生していたともいわれる蓮華。れんげ、スイレン、はす、はちすとも言いますが、いろいろな色の蓮華があります。が、「妙法蓮華経」という経典のタイトルになっている蓮華・・インドの言葉でプンダリーカというのは白蓮華に限るといいます。この蓮華には、花が咲くときには既に実がなっているという特質があり、その点が大変、不思議です。
これは、凡夫の成仏と関連があり、私たちのような煩悩が盛んで、欠点の多い凡夫、ふつうの人間でも、ご信心を起こし南無妙法蓮華経と唱えたとき、すでに成仏の果報を手に入れているのと同じだとされ、人間こそレンゲそのものだとされています。
人間って不可思議なる存在ですね。
 
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無私はむずかしい

2009年11月25日 | Weblog
無私の精神で、とかよく言われます。
でも、無私ということほど難しいことはないと思います。
昔、中国で、大変活躍したお坊さんがおりました。
国王が、このお坊さんに応援して、実にたくさんの何百というお寺を建立して寄進。中国中に教えが弘まるようにいたしました。
国王は、このお坊さんにほめてもらおうと思って、
「いったい、これほど沢山のお寺を建てた私の功徳、功績というのはいかほどでしょうか?」
と質問しました。
それに対して、このお坊さんは
「無功徳」
と、一言、答えたと言われています。
この後、王様はただ、ひたすら感心して引き下がったようなのですが、最初は心中、穏やかならざるものがあったのではないでしょうか?
「ああ、そんな功徳なんてありゃしないよ」
「功績なんて特にないよ、何にもない」
などと、皆の前で言われたとしたら、メンツも何もありません。
私は、この王様は、このお坊さんの無謀な、人をオチョクッタような答えを聞いて、それを容認して怒りも咎めもしなかったとき、大きな功徳を得たと思います。
それにしても、このお坊さんは、もし国王が怒りポカったら命を取られかねない答えをしたわけですから、ある意味で偉いと言えば偉いと思います。
それにしても、この坊さんは、「すごいですねー」と王様の功徳を称えてふつうなのに、なぜ、お寺の造営などやらせるだけやらせて、「無功徳」などと答えたのでしょう。
これは、王様がみずからの名誉心を満たそうとして、「自分の功徳を称えてもらいたい」と功徳にこだわっているのを止めようとしたのだと解釈されています。
ふーん、なるほど。
でも、チョットひねくれているような感じがしますね。
やはり、功績は功績なのですから一度は、褒め称えてほしかったですね。
そして、王様だっていっときは、自分の功徳について「あぁ、我ながらよくやったもんだ」と達成感にひたっても良かったんじゃないかと思います。
そして、もし、それにこだわり自慢するようになれば、「それくらいで自慢しないで、もっと素晴らしい功徳を積みなさい」と諭してあげる方がよかったような気がします。どうでしょうか?
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おかんはありがたい

2009年11月24日 | Weblog
先日、田口行弘画伯のおかんが来寺、話をしました。
田口氏はすでに、名声を得つつあり、昨年は広島の美術館が勝手に彼の作品を展示する企画を打ち出して実施しました。
また、このたびは東京都、東京文化発信プロジェクト室と多摩美術大学の主催で同大学の芸術学科・展覧会設計ゼミ企画で、「5+1」という展覧会が実施され、帰国しました。
私が留守の時、参詣されたようで残念ながら今回は、彼に会うことができず、また、時間がなくて世田谷神宮前の「VACANT」という会場にも行けませんでした。
11月19日から23日までの短い期間で、無理だったのですが、そのかわり、彼の偉大なおかんがお寺に来られ、お話をしました。
私の感想は、お母さんという人は、田口氏のお母さんを始めとして、本当に息子さんを深い愛情を以て見守っているのだ、ありがたいものだということです。
今日は、御講がお寺であり、そこで本阿弥光悦のお話をしました。
本阿弥光悦の作品を先日、京都での「日蓮と法華の名宝展」で見たせいです。
光悦は日本のレオナルドダビンチといわれているそうです。その多彩な作品、そして活躍ぶりは中世にあってもひときわ、光芒を放っています。
その無欲恬淡たる生き方と、俵屋宗達など後進の芸術家を育てた面倒見の良さ、そして、芸術の道を求道者のようにひたすら歩み、法華信仰を自分自身の人生の軸としていたことなど、誠に興味深いものがあります。
その光悦に深い影響を与えたのが、彼の母、妙秀尼だといいます。
その母は、信仰心があつく、無欲で、常に自らに贈られたものを貧しい人々に分け与え、九十歳を過ぎて亡くなるときは浴衣と着物一枚、粗末な布団しかなかったといわれているとのこと。
その母を、光悦は終生、慕い、商いの道だけではなく、人生を教えてくれたと感謝していたといいます。
あぁ。実におかんは偉大であり、ありがたいものか。
母から生まれなかった人は一人もいないし、死ぬときに、おっさんまで「おかあさん」と言って死ぬといいます。
お母さんになれなかったのが、私はチョット悔しい。
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人間らしい生き方

2009年11月21日 | Weblog
人間らしいというのはどういうことなのでしょうか?
衣食足りて礼節を知るという言葉がありますが、やはり、人間らしい暮らしには最低限の衣食はどうしても必要だと思います。
でも、東京で衣食はともかく、住の方まで確保するのはなかなか難しいと思います。
東京が住みにくいのは、空気がまずい、空があまりきれいではない、山がない、川もないということもありますが、住宅の確保が難しいのがその第一だと思います。
だから、田舎からやってきて、東京に残るのが難しいのではないでしょうか。
遠妙寺にも御会式の時のため広い駐車場がほしいのですが、地価が高くどうしようもありません。千葉の妙導寺でかなり広い駐車場を買ったのですが、同じ費用で遠妙寺の周りでは10分の一しか買えません。
子どもの数が少なく、私が卒業した近くの小学校も一クラスを維持できるかどうかという有り様。これも、小さな子どもを育てるにはこのあたりは家賃が高すぎるからです。地価が下がっていると言いますが、まだまだ人間らしい暮らしをするには高すぎます。子どものいない地域は、半分死んだような感じです。今や日本全体が死にかかっています。
次に、必要なのは働いていても、人間には心のやすらぎ、あるいは安心感、心の居場所をみつけることが必要だと言うことです。
働くこと自体が生き甲斐だという時代はもう過ぎました。衣食足りれば、礼節を知らなくてはなりませんが、本当のことを言えば、衣食が足りなくても礼節を知るべきでしょうし、足りればなおさら、私たちの生きる目標なり、目的ということを誰でも意識します。目標が定まり、目的を認識することで心の居場所が定まります。
でも、学校の授業でも、親でも生きる目的とか、何のために人は生きるのかということに対して教えてくれるわけではありません。
それは、一つには、自分で見つけるべきものだということがあります。
もう一つは、仏でも神でもないのに、それをただの人が教えるというわけにはいかない、あまりにも不遜だからということもあります。
生きる目的を見つけるとは、換言すれば、私たちの人生に聖なる意義を付与することです。それをただの人間が与えることはできないということでしょう。
そういう意味で、人は誰でも宗教をほんとうは必要としているのではないでしょうか。

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久しぶりの京都

2009年11月18日 | Weblog
昨日から京都に佛立教育専門学校の授業のため参りました。
約、20日ぶりです。
この30年間、途切れなく京都本山、あるいは宗務本庁、専門学校に通い続けてきました。たいてい、1週間に一度くらいは京都にいっていましたが、こんなに空白期間が空いたのははじめて。
久しぶりの京都は新鮮な感じがしました。しかし、観光客が多いのは驚きました。
国立博物館で「日蓮と法華の名宝」の展示をやっていますが、私も行きました。
内容的には、日蓮聖人ご自身に関するものは、もちろんあります。が、それよりも室町時代以降の京都に花開いた法華経に関する文化、あるいは法華経信者の美術的な作品に、むしろ光を当てた展示の仕方です。
本当は、日蓮聖人が立正安国論を幕府に奏上して750年というので、このような展覧会が開かれたと聞いています。でも、実際の内容はだいぶ趣が違いました。
こういうやり方をしなければ、一般性が薄れて、来訪者が少なくなるから致し方ないのかもしれません。でも、何か違和感がありました。
まぁ、いいか。ともかく、立正安国論はこの目で、じかに拝見できたのだから。
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もうあれから10日

2009年11月16日 | Weblog
御会式が晴天のうちに盛大につとまり、やったーという喜びで皆がいっぱいになったのは7日の前夜の座がおわり、8日の第1座、第2座が終了したあとです。
もう、それから10日。早いなぁ。
とにかく、去年と今年で100戸の奉安教化を誓願して、もうダメかとあきらめた人が沢山いるようです。
ところが、どっこい。前夜の座が行われた7日の時点で、106戸の奉安教化が成就しました。
なにしろ、一天四海皆帰妙法・・・つまり、世界中の教化がお祖師様の悲願です。
それで、とにかく今年は教化、教化できました。
この成就には、フィリピンの教化が効いています。
なにしろ、今年と去年の2年で黒柳さん夫妻はじめ、その教化子が、また、教化親となって16軒、人数で言えば50人の教化ができました。
とにかく、万歳、万歳です。
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今日と明日は御会式です

2009年11月07日 | Weblog
ついに、11月7日、遠妙寺の教化誓願が達成しました。
御本尊が奉安できてご信心をさせていただくようになった方が去年と今年で100人できますようにと誓願を立てました。
なんとしてでもできるよう、連日、教務さんもご信者さんもご祈願して、足を使い、ご奉公させていただくようになりました。
昨年は29戸の奉安教化が成就しました。しかし、残りは71戸。
でも、これは御法様の与えてくださった試練だと、ガンバッテついに今日現在で奉安教化、106戸と個人教化が48人できました。
あとは、参詣です。
大勢の方が、参詣されて、講有上人はじめ御会式をつとめられる御導師の御法門・・法話をお聞きして、信心の改良ができたらありがたいことです。
中には、一回の御法門聴聞によって人生観が変わり、ご信心に目覚めた方もあります。
7日の夜は、第2回目の前夜の座でした。土曜日しかお参りできない方などがお参りされ、今年の夏の開導会からはじまった試みですが、やや定着しかかっています。
明日は、ただ晴天のうちに、無事に御会式がつとまりますよう御法様にお願いをして休みます。
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ロメルとジェンマ 

2009年11月03日 | Weblog
4日ぶりに河野彰勲師がフィリピンから帰国しました。
十月半ばにフィリピンに帰った黒柳さんががんばって、また、沢山の教化ができましたという報告をお土産にして無事、ご奉公成就して戻ってきました。
フィリピンにはおよそ7000もの島があり、中心のルソン島、ミンダナオ島は名前を知っていました。でも、この頃、ご信者が誕生したネグロ島とかイロイロ島などぜんぜん、知りませんでした。
フィリピンは16世紀からスペイン統治の時代があり、名前はスペイン系の名前が多いようです。1898年にスペインと戦い、独立を勝ち得たのもつかの間、1年後の1889年から1934年までアメリカの統治下に入りました。ですから、近代はほとんど、独立状態ではなく、他国の支配下にありました。
かなり昔、仏教が伝わった形跡もあるようで仏像も発掘されたことがあります。しかし、マレーシア経由で最初はイスラム教が入り込み、広がりました。
その後、スペイン領となってからは、キリスト教(カトリック)に半ば強制的に国民は開宗させられていて、今や熱心に日曜日ごとに教会に通う人が非常に多いとのこと。
ですから、そういう宗教も文化風土も言葉も違う国に、佛立信心を伝えるのは困難を極めることです。
でも、どんどん教化ができています。
十月のなかばに、黒柳さんはフィリピンに戻りましたが、教化子からまた、教化子が生まれ、もう40数人のご信者が育ちつつあります。
ロメルさんは、黒柳さんの運転手をしていましたが、病気になり20メートルも歩けなくなり、田舎のイロイロ島に帰りました。帰るときに、黒柳さんから言われました。夕方、御助行をさせていただくから、貴方も御題目を唱えなさいと。
そして、イロイロ島にいると朝は体調が悪いのに、夕方は良くなることが続き、これは御助行をいただいているせいだと直感。本人も御題目を唱えるようになりました。だいぶ回復したので、マニラに戻り、黒柳宅の口唱会に参加。
ついに開宗を決心して、自宅に御本尊を奉安。よく御題目を唱えるようになりました。そうするとさらに回復、マニラで働くようになったのです。
とても教化親とこの御題目のご信心に感謝して、私はじめ遠妙寺のご信者にも感謝の言葉を涙を浮かべて述べていました。
それが、今度は、アメリカ系大企業の正社員になることができるというお計らいをいただきました。
これは、夢のような話で、フィリピンではそのような大企業の正社員という社会的ステータスは日本では考えられないほど高いものだそうです。
今度、ジェンマさんと御会式にこられる予定ですが、楽しみです。
それもこれも、黒柳夫妻の思い、ご信心に対する情熱から始まったのがフィリピンのご弘通です。
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