和歌山で

2006年03月28日 | Weblog
25日から27日まで和歌山に行ってきました。
私が出かけるのは、だいたい法要か宗門の会議か、教務さんの卵・・つまり学生教務の人々に佛立教育専門学校の授業のために出かけるかです。和歌山には市内の一乗寺の法要(御大会・・おだいえ)があり、招かれて行きました。
この一乗寺今から40年前に現在の御住職の祖父に当たる方が赴任しました。当時、たった10軒ほどの信徒しかなかったとのこと。そして35年前から父に当たる先代住職が不眠不休で活きた仏教を弘める活動(弘通・・ぐづう)を展開、急激に信心修行をこころざす人が増えたとのことです。6年前になくなってからは現在の御住職(河内良説師)が一所懸命にがんばり、現在に至っています。
宗教無用論とか無神論の人が日本には異常に多いようです。外国では宗教が日常生活に密接に入り込んでいますから、宗教的生活をするのが当たり前で、どうして宗教は必要なのかなどという質問自体がないそうです。
ところが日本では宗教が現実と遊離し、葬儀でだけ一般の人との接点ができますが、それもその時限り。死の前にも後にも宗教者自身が係わろうとしませんし、人々も宗教者にケアーを求めようとしません。悩みや相談はむしろ街角の占い師や霊能があると称するう人などに頼ります。そして、そんな人を食い物にするうさんくさい人がはびこり、それを見て何故か占い師や霊能者にではなく、宗教に幻滅を感じる人が増える、そんな悪循環を繰り返しながら現代に至っているのが日本です。
そういう国で、大勢の方に仏の法を説かれ、救いを与えられた一乗寺というお寺は驚異的にすばらしいですね。一度、和歌山に行かれたら立ち寄られると良いのではないでしょうか?(和歌山市金龍寺丁13、電話073-436-4736)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

彼岸とは

2006年03月20日 | Weblog
暑さ、寒さも彼岸までとはいうものの、まだまだ寒いですね。
今日は、お寺で春期彼岸会法要が営まれました。朝6時から朝の勤行・ごんぎょう(おつとめ)、10時から本番です。お塔婆を2000本ぐらい読みあげるのかな、数は数えていないので正確には分かりませんがかなりの本数です。
みな、教務さん(要するにお坊さん)が書きますが、大変な努力で奉仕です。
亡きたましいを弔う法要が彼岸ですが、肝心なのは亡くなった人々の家族であり、子孫がどのように故人を思い、偲んで手を合わせるかどうかです。お坊さんはプロですが、それは弔主(施主)になりかわって、弔いをするのであり、弔主やその家族が任せっきりでは話になりません。坊さんだけが南無妙法蓮華経と唱えて、家族はその間、じっと時が経つのを待っているのはおかしな話です。
昨年、高校、大学ともに一緒に学んだ娘の友達(男性)が事故で亡くなりました。その葬儀に行って帰ってきた娘に異変が起きました。マンションをノックする音、娘の主人も一緒に聞いていました。玄関に行ってみると誰もいない。また、続いてノックの音。さらに物音。
その後、お寺で7日ごとにお塔婆を建ててもらい、住職、つまり私に御回向(お弔い)を頼んできました。
そして49日の日、窓を開けたわけでもないのに風が吹き抜けていきました。それ以降、ピタッと物音もノックもしなくなりました。
不思議なことってあるもんですね。
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

受験

2006年03月04日 | Weblog
この季節、高3や中3にとってはもっとも心配なときです。お寺でも合格祈願をお願いする人とか合格の御礼をあげる人がいてこちらも心配になります。
私も考えてみると、その昔、小学生の頃は日曜日に四谷大塚進学教室、また、中高の頃、夏休みなど四谷ゼミなどに通っていました。その程度の努力はしましたが、ふだん、勉強はほとんどしませんでした。でも、周りの人はもっとしていなかったので、まあまあの所を進んで行けたようで、もし、今の時代に同じようなやり方だったっら沈みっぱなしだったでしょう。でも、ビックリしたのは四谷大塚でテストのたび、いつも上位に位置していた人間が高校で同級生になったことです。あんなに勉強ができたヤツだったのに、高校生になった頃は私ととんとんで、その後、沈みました。また、いつもテストで一位を独占し続けてきたw君という人が、大学を受ける頃、まったく振るわず低迷しているというのです。十で神童、十五で才子、二十歳過ぎればただの人という諺って本当なんですね。だからあまり早く勉強に根つめない方が良いようです。
でも、親は心配して詰め込もう、いい所に入れよう、そればかり。個性を尊重しようなんてかけ声だけで、実際は(親の)価値観はみな一様です。このままじゃ、未来の日本は危ういような感じがしますがどうですか?
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

三月ですね

2006年03月02日 | Weblog
もう三月です。まだまだ寒いのですが、知らないうちに草花の新しい芽が出てきています。昨年の今日、私の弟子、寺澤彰文師(21歳)のおばあちゃん(栗野文恵姉)が90歳過ぎで亡くなり大変不思議な体験をしました。それは彼が三月三日の夜、お通夜に出て、その後、久しぶりなので従兄弟、従姉妹たちと食事などに出かけました。帰ってきて夜中も家族と話をしているうち、彼は疲れて寝込んでしまいました。深夜、三時頃、急に起きあがって話し始め、家族はビックリ。何と、彼が知らない鹿児島弁を操り、おばあちゃんの話し方そのもので話し始めたのです。その全体は彼の母が記録しています。不思議な話がたくさんありますが、その中の一つ。お棺の中にお気に入りの着物と帯を入れて欲しいと言い(もちろん語っているのは孫の寺澤彰文師)、その着物は藤色でタンスの3段目、そして帯はこんな柄で5段目に入っているというのです。そこで故人の家に電話をかけて、その家に泊まっていた家族に確認すると、まさに3段目、5段目にその通りの着物と帯が入っているというのです。寺澤彰文師は、そんなことを知るチャンスもなかったのに当たっているのです。詳しいことはまた、遠妙寺のホームページに出ると思いますので、これくらいで。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする