今日の体験談もすばらしい

2009年07月29日 | Weblog
今日は、遠妙寺では夏期参詣も第18日目。
あと4日で終わってしまうなんて寂しい気がします。
でも、今年は毎日の御法門と体験談が充実していると言ってくださる方がいます。御法門は教務さんの責任ですが、体験談は教養6会が分担して担当。
本日は、護法会(60歳以上の男性の会)の担当で、幹事長の服部さんがご自身の手術成功とその後の経過について話されました。
服部さんはもうすぐ喜寿ですが、若々しくて、とてもその年には見えません。しかし、やはり少しずつ故障がでています。以前には、網膜剥離となり、すんでの所で手術を受けました。見事に直り、その後、多少は視野が狭くなるとか、視力が落ちるという方が多いようですが、そのようなこともなく回復しました。ふつうの人なら多少の影響は仕方がないと思わなくてはなりませんが、服部さんはカメラの仕事をしています。少しでも目が悪くなれば撮影に影響します。それが以前とまったく変わらないくらいに回復したというお計らいを頂きました。
今日の体験談は、去る五月初旬に腰椎すべり症の手術を受けた体験を話されました。以前からの持病で腰に痛みを感じることがあり、そういう時は神経ブロックでしのいできました。ところが、昨年からは激痛がはしり、しかも神経ブロックで止めることができませんでした。そこで、思い切って手術を受けることになり、当日は本堂で教務もご信者も大勢で唱題、祈願助行をしました。元局長でもあり、また、現に宗会議員のご奉公、また、護法会幹事長、「愛の花束」理事長など要職を歴任しています。奥さんも現・婦人会幹事長のご奉公中の信心一家。
おのずと、ご祈願にも力が入りました。当初3時間くらいというのが、骨に筋肉が癒着していたようで7時間半もかかり心配しました。しかし、手術は成功しました。
その後、補助的手術も行いましたが、これもうまくいき、順調に回復して遠妙寺に6月に参詣。御宝前に御礼言上されました。
不思議なのは、手術後、まったく痛みを感じないということで、ふつうはチョットしたケガでも痛くてたまらないこともあります。それが腰椎あたりに金属も入れてあり、大きく切開する手術だったのに、まったく痛まないとは。最初は知りませんが、特に今、痛み止めなど服用していないのに不思議です。
フィリピンのジャンビ・ディマアーノさん(19歳)は、脊椎側湾症ですが、毎晩の黒柳さん宅での口唱会の後、皆で御供水を痛いところにつけることが習慣になっていたとのことです。それを何ヶ月もやっていたところ、背骨がまっすぐになってきましたし、痛みもなくなったという報告を受けました。
妙不可思議の世界は、「以信得入」といい、信心を以てしか入ることができません。疑いなく、強く信心を発して本門八品所顕上行所伝本因下種の南無妙法蓮華経を唱えると、思いもよらない御利益を頂きます。
服部さんは、毎朝、毎晩、ベッドの上で御看経、口唱をさせていただいていたそうです。やはり、上行所伝の南無妙法蓮華経の御題目には私たちの理性ではとらえきれない何かがあります。
明日の体験談も楽しみです。
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継続は力、がんばろう!

2009年07月27日 | Weblog
宗門のホームページに掲載されている「今週のみおしえ」が今、お休み中です
いままで担当されていた石田日奥師が古希を迎え、また、同時に展開していた「テレフォン法話」が一千回に到達したため、選手交代となるとのことです。
「継続は力なり」などと、ひとは言うけれど、なんでも続けるのは大変ですよね。
このブログだって、もうすぐ四年。
良く続いたね。いや、最初は少しでもご弘通のためになれば、このブログを読んでくださる方の中に、一人でも佛立のご信心に興味を持ち、ご信心を発して訪ねてくださる方があればという思いだったんですが。
実際は、闇に鉄砲をうっているようで、イマイチ反応が分からず、疲れるんです。
コメントをくださるととても有難いんですが、これも決まった方だけで・・・
コメントに返事をするのもおかしいので、ほとんど頂きっぱなしで申し訳なく思っていますが、力を頂く感じです。
でも、当初の目的がこのブログでどれだけ達成できているかとなると、ホントに心細いんです。
ここに御会式のことを書いたことがもとで、税務署が他のお寺に出向いて税金の資料として使ったなんてことまであったり、私が書いたことをアングラ的なサイトで揶揄したり・・・まっ、いいかなどと言いつつ、ダラリと続けている状態。
こゝ迄は どりたどりて 来たれども これからさきが とんとわからぬ
という御教歌がありますが、私の方はもう少し、続けてみようかな。
今のところ、一ヶ月平均で5000アクセスくらいですが、一日1000アクセスをめざして、なるべくガンバローっと!!
あっ、いま虹が見えました。希望がわいてきました。
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今日と明日は宗会 京都・宗務本庁にて開催

2009年07月23日 | Weblog
今日から宗会が本庁内の宗会議場で行われます。
主に昨年度の一般会計と特別会計の決算承認と、ほんの少し、宗制改正に関して議論と採決が行われる予定です。
当宗の予算、決算は全国のご信者の浄財が財源ですから、慎重に審議されます。
予算規模は、他の浄土宗や真宗、日蓮宗、曹洞宗などと比べれば、本当に小規模です。しかし、当宗としては大事な浄財については、不明朗なことがあってはなりません。ですから予算を立てて、宗会で議決、その予算の執行には何重にもチェックが入り、さらに決算承認というやり方です。
無駄遣いがあるかといえば、これは宿命的なものですが、会議開催のたびに交通費がかなりかかります。ですから、今後はカメラ、マイクをコンピュータとつなぎネット回線を利用して、WEB会議を開催して節約化をはかろうということです。もうすでに、青少年の一座に関する会議、また、海外の佛立宗寺院、教務との連絡などでは使用していて実績をあげています。
宗制の改正に関しては、一筋縄ではいかないようで難しそうです。
教務局関係の改正はすんなり決まるようですが、教養各会の全国組織作りはももと、あったものが26年前に突如、なくなりました。そのため、どれだけ、教養各会が弱体化したか分かりません。しかし、異論があるようです。宗門として、どちらが将来のためになるか良く考えなくてはなりません。
もっとも大切なことは、私たちの宗門は世の中のために、人の為にお役に立とうという菩薩行の実践のために立宗されているということです。我欲のため、自分のため、自分のお寺の利益につながることを中心に考えて、物事をきめてはならないことです。我とか我欲を後回しにしなくてはなりません。
さらには、宗門といえども世界人類のためにあるのですから、宗派我というものが出ないようせよとは、大僧正・野原日海上人の遺戒です。
また、第四世講有日教上人も、我欲を出すなという教えをお弟子に説かれました。
注意しないと自分のお寺をよくしたいと思う人ほど、もとの本山や宗門を大切にしたいという思いがないと、結果的に我と我欲が強くなる結果となります。
本山の初灯明料の減少傾向など、やはり、自分のお寺さえ良ければという思いの結果です。なんとかしなくっちゃね。
(写真は新しくなった本山山門)
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謗法その4

2009年07月21日 | Weblog
前回(7月4日)からの続き

それというのも、法華経の本門といわれる後半の部分で、いよいよその姿をあらわされた久遠本仏・釈尊は、絶対神とは異なり、天地を創造したわけでもなく、私たちとまったく異質な隔絶した存在ではないのです。
むしろ私たちのお手本のような存在で、因果の道理に従い、自ら苦労して修行に精進し、大勢の人を妙法信仰によって救済するという菩薩行に命をかけられた方です。その悠久なる菩薩行の功徳によって、久遠という遙かなる過去に、仏としての果報を頂かれたのが久遠本仏・釈尊です。
よくよく考えてみますと、久遠本仏釈尊という偉大なる存在と私たち一介の凡夫には天と地ほどの違いがあるかもしれません。しかし、一方、久遠本仏の修行時代の「シャカ菩薩」こそ仏が仏として成道し、悟りを開かれる前の姿です。そして、そのシャカ菩薩と同様の修行、菩薩行を実行すれば、私たち一介の凡夫であっても、誰でもがボサツとなり、シャカ菩薩と一体となることができるのです。
シャカ菩薩と一体となれれば、すなわちそのとき、知らないうちに久遠本仏釈尊との一体化を果たすことができるのです。
このように、久遠本仏は最初のスタートは人間の姿で修行して、その修行が報われて成道し仏という果報を得られた「報身」(ほうじん)という仏の格(仏身)を中心とする仏様です。この上もなく尊い存在であるという点において、久遠本仏釈尊は超越的であり、絶対的な存在ではあるものの、一方、誰でもその久遠本仏と一体となりえるという点においては隔絶もしていなければ、異質な存在でもありません。
このようなことから見て、諸宗教で説くところの絶対神やゴッドと久遠本仏とは一線を画していると言えるのです。
以上の理由で、仏教の特質である「仏」を絶対神化してしまうこと、また、そのようにアレンジされてしまった「仏ならざる仏」を崇めることが謗法・・法という仏教の真理、また、仏の教えを謗る謗法となるのです。
続く
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今日の体験談に感動しました。

2009年07月20日 | Weblog
今日の夏期参詣、体験談は、早朝8時からにもかかわらず、群馬から恵さんが参詣し、発表されました。恵さんは、いまは佛立レディーズ会に所属して必ず、毎月の御講にも参詣されています。
その発表によると、彼女は子どもの頃から利発で、成績も良く模範的な手の掛からない子だったとのこと。ところが、霊感が強く、先祖の霊がたよってきて、特に中学くらいの思春期になると悩まされる日々が多くなりました。また、霊がついている人に近づくと、頭がいたくなったりして、身体の諸症状となって影響し、その結果、怒りっぽくなり周囲に反抗的なったりしたそうです。
外から見れば、ただの不良少女だったのかもしれませんが、内部からの心の叫びが彼女をそうさせたのでしょう。大学の頃には、それがピークに達したとそうで、霊が見えなかったり、あるいは頼られない人は何でもないのに、なまじ特殊な能力というかザ・シックスス・センスが発達しているととんでもない目に遭うのですね。
そうして、20代後半で結婚し、ご主人の実家のある九州に移りましたが、その症状は治まらず、苦しむ日々が続いていました。もともと生家がキリスト教でしたから何ら、先祖を弔うご回向ということはしませんでした。嫁いだ先の家の宗旨によって、今度は御回向をしてもらいましたが、ぜんぜん効果がありません。
困り果てていた頃、たまたま・・・といっても、これは本当は偶然ではないでしょう、前世からの因縁があったに違いありません。当宗のご信者(博多光薫寺)と出会い、その出会いの瞬間、これで私は救ってもらえると直感しました。あなたは何か信仰をされていますかと聞いたところ、本門佛立宗のご信者であるとの答。そこで、光薫寺にお参りするようになりました。
その後、どうしても先祖のお墓を訪ね、先祖の霊を弔いたいという念願を果たすため、実家に戻り、遠妙寺に所属してご奉公されるようになりました。そして、実家のお父さんにお願いして、深い山奥、草むらの中に眠る先祖のお墓を訪ね、その土を持ち帰り、お彼岸の折、遠妙寺の雑司ヶ谷墓地に改葬し、上行所伝の御題目によってご回向していただきました。
それにより、きっと先祖の霊も安らいだのでしょう。それ以降、まったく頭が痛くなるとか、イライラすることもなくなり、落ち着き、今は平穏な生活を送られています。そればかりでなく、お父さんも落ち着き、怒りやすかったのが実に優しく接するようになってくれたと語っておられました。
今後は、家族や大切な人のお教化に励みたいといわれています。
彼女が何も包み隠すことなく、ありのまま、皆さんに今までのことを語っているのを私は驚きと感動を以て聞いていました。
あのように、正直で素直でありのままを語れる人だからこそ、ご利益をいただくのが速やかで、自分の人生を手に入れることができたのだと思いました。
なお、周囲の人が正法帰入し、ますます幸せになれるよう御法様に私はご祈願しました。
コメント (1)
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開導日扇聖人と祇園祭

2009年07月17日 | Weblog
この間、京都に行ったとき、とにかく蒸し暑いことと、車の渋滞に驚きました。
何でだろうと思いました。あぁ、祇園祭が近いのかなと分かりましたが、京都の夏に祇園祭は付きものになっているようです。
私はよく京都に行く上に、教務養成の佛立修学校(現在は佛立教育専門学校)に二年、在籍して寮に住んでいました。しかし、昔は本山の開導会は日曜日でなくても、7月17日に行われましたから、宵山だろうと山鉾巡行だろうと見たことも行ったこともありませんでした。
あまり、祇園祭のことはしらないので、その解説をしたサイトを見ると、
1100年前の清和天皇の貞観11年(869)に、京都に疫病が流行し、死人が多数出た際に、牛頭(ごず)天王(又はスサノオノミコト)のたたりであるとして、牛頭天王をまつり、疫病退散を祈願したのが祇園祭のはじまりであるということです。
最初は、神泉苑で「御霊会」というものをやっていたのが、その後、祇園社の興隆とともに、「祇園御霊会」または、「祇園会」とよばれて発展したということです。戦乱で途絶えていたときもあったようですが、すぐに復活したとのことで、長い歴史ですね。
私が疑問に思うのは、祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)というのはインドにあったお寺の名前なのに、なぜ、日本では京都の花街に祇園の名が付けられ、祇園祭が神事となっているのかということです。神仏混交というのが日本の特徴ですから、あり得ることですがチョット疑問。
とにかく、京都の人だけでなく、全国から祇園祭に押し寄せるので、京都の町にとっては大事な観光資源であることは間違いなさそう。
でも、不思議なことに開導日扇聖人のご遷化の日が山鉾巡行の日だとはね。まるで、開導日扇聖人が信者が純粋なご信心を放棄して、お祭りにいき、浮かれて一日じゅう過ごすのを「やめときなはれ」と仰っているみたい。
今は祇園祭が盛んですが、そのうちきっと、7月17日は本山宥清寺の開導会で、京都じゅうが賑わい、ニュースになるのではないか、などと期待しています。
開導日扇聖人は佛立宗でのお祭りとは、信心改良をすることであると、
改良は 佛立講の お祭で ごもく信者を 掃除する也
と御教歌を残されています。ごもくとは、ゴミあくたの類で、昔から京都ではお祭りの時に大掃除したそうです。きれいさっぱり、信心改良の運動をして、謗法にまみれたご信者にたまったゴミを掃除して、純粋さを保つことが大事だとお示しです。
(写真はインドの祇園精舎の趾)
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所日陽上人 遠妙寺第二世

2009年07月15日 | Weblog
7月15日は遠妙寺第二世、所日陽上人の祥月命日です。
所日陽上人は、もともとは銀行に勤めていて所丑太郎という名のサラリーマンでした。それは大正年間のことですが、結核にかかりかなり進行していました。
粟粒結核となり、皮膚まで結核に冒されて病変を生じていました。
本郷にいた遠妙寺草分けの信者、渡辺たまき女が説得して入信。一所懸命にご祈願しました。そして、膿と皮膚の病変で顔面がボコボコの状態。そこに「おろうさん」(本門佛立宗の秘薬)をべったり塗って、包帯で巻いていました。
もちろん、お助行を毎日のようにいただき、唱題に明け暮れました。しばらくして、その「おろうさん」と顔面の皮膚が一体となって、パックをはがしたように落ち、もとの綺麗な皮膚が現れたのです。
不治の病と言われた結核が治り、まもなく遠妙寺の組長としてご恩返しのご奉公を続けました。在家からたたき上げたご信心で、次々と病気その他の悩みを抱える人のお助行を続け、長時間、御利益を頂くまで口唱に励み多くの人が御利益を頂きました。やがて、発心して入寺、得度に至りました。大正の末頃のことです。
たいへん温和で実直、開基日彰上人によくお仕えして、その信頼を得られました。その結果、遠妙支部・宇都宮親会場(現・遠歓寺)や同・千葉親会場(現・妙導寺)の担任として派遣され、ご弘通の発展に寄与。開基日彰上人が昭和16年にご遷化の後は、第二世として遠妙寺住職となりました。
戦後になって、年齢とともに身体が弱り、遠妙寺より引退する決意を固め、昭和23年には私の父、日玄上人に第三世住職を譲り、ご本人は千葉・妙導寺住職として一歩下がってご奉公されるようになりました。昭和40年にご遷化されましたので、50回忌まであと5年です。
今日、祥月命日御修行でしたので思い出し、記すことにしました。
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夏期参詣はじまる

2009年07月13日 | Weblog
いよいよ遠妙寺では7月12日より恒例の夏期参詣が始まりました。
先日、東京中央布教区夏期交流参詣に際して、激励のメッセージをと布教区長・柴田御導師より仰せつかりました。
そのメッセージをテープに録音して、それぞれのお寺にお渡ししました。
以下は、その内容です。

 ただいま、宗門では役中後継者を養成することを目標として、佛立菩薩を育てる運動、班長養成、班づくり推進を展開しております。
 班長やお役中のご奉公を進んでさせていただく後継者、佛立菩薩を育てることは、宗門のもっとも緊急かつ重要な課題です。
 どうぞ、毎年、着実にその成果があがりますよう、教化と御助行ご奉公に邁進させていただきましょう。
 さて、本年度の夏期参詣の御法門は「御法(みのり)と共に生きる」というテーマで、「元気の出る御法門」という副題で拝まれています。
 昨年来、あれよあれよという間に景気が悪化して、企業はいち早く、設備投資を控え、従業員の解雇を繰り返し、自己防衛、生き残りを図りました。それと連動して、国民全体が消費を控え、活動しなくなりました。企業も働く人も、学生も主婦もお年寄りも元気をなくしてしまいました。今、やっと回復に向かい始めたとのことですが、まだまだ低迷中です。
 翻って私たち佛立信者はどうでしょうか。日蓮聖人は妙とは蘇生の義、妙法の妙とは蘇るということであると仰せです。妙法をお持ちする者は、たとえダメになっても、蘇るのですから、困難に負けずに元気を出し、よりいっそうご信心にも仕事にも力
を入れさせていただきましょう。
 元気という言葉ですが、辞書を引きますと
(1)活動のもとになる気力。また、いきいきとして活力の盛んなさま。
(2)体に悪い所がないさま。健康。
とあります。要するに、心は気力が充実していて、体も健康であるということです。本年度の夏期参詣に際しましては、お寺に喜んでお参りして、お寺に着きましたら元気よく口唱、よい御看経に精を出す、御法門聴聞によって、元気を出し、互いに声をかけ励ましあいましょう。
 十五世講有、日晨上人のお書き物の一節に、
 日蓮聖人は、「臆病にては叶うべからず」「獅子王の如き心をもてるもの必ず仏になるべし」等と仰せられ、無気力では妙法の大御利益を頂くことは困難だと強調されたのであります。当宗の信者は見当違いの悟り方や、あきらめ方をして無気力にならぬよう用心が大事です。
と仰っています。(「宗風の考え方 131頁)
 どうぞ、本年十一月末日までの弘通年度も、残すところあと五ヶ月を切りました。元気よく、メリハリのあるご奉公をさせていただきましょう。以上、激励とさせていただきます。
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七夕の日

2009年07月08日 | Weblog
7月7日が七夕というのは、本当は旧暦だったといいます。
秋の行事が梅雨時の真っ最中に移行してしまったのだそうです。
その起源は中国でしょうが、その後の時代の進展に伴うが中国や日本であり、当初のものとはずいぶん、違ってきているようです。
Wikipediaによりますと、豊作を祖霊に祈るお祭のお盆と中国発祥の針仕事の上達を祈る乞巧奠(きっこうでん又はきこうでん)や佛教のウラ盆などが重なりごちゃ混ぜになったということです。
それに織り姫と彦星(牽牛と織女)の話、笹の葉がゆれる竹に願い事を書いて短冊を結びつける風習など、さまざまな事柄がミックスして今までの日本の七夕行事となっているようです。
竹に短冊を結びつけるようなことは、今は子どもが幼稚園でやるくらいかもしれません。どんな願いも御宝前にお願いする佛立信者の家では、あまりやることもないでしょう。あまり目くじらを立てるようなことではないのかもしれませんが、子どもの頃からの習慣としてどんなときも、どんなお願いも御法様にお願いするというクセだけは付けておくことが大事だと思います。
また、七夕といえば浴衣ということになりますが、浴衣姿で歩く人は京都の御所付近ではあまり見かけませんでした。場所によりけりだと思いますが。なんと言っても七夕は仙台か湘南の平塚かもしれません。
本庁で会議のため、7日の日は京都泊まりでしたが、元気なアラカン一人(私)と他のおじさん同士で語らいながら食事をして早々と寝床につきました。
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阿蘇山は雄大ですね

2009年07月06日 | Weblog
阿蘇山は何といっても雄大。熊本のシンボルですが、内側に内輪山、外に外輪山が配置され、両者に挟まれた窪地・・カルデラの広さは世界有数。この雄大な景色を見ると、つまらないことにこだわる私たちがいかに小さな存在であることを思い知らされます。つまらないことなど放っておいて、スケールの大きな事を考えなくてはならないと思わされます。
現在、熊本の長薫寺に家族がいて、お世話になっています。孫はまだ、生まれて半年ですが、すくすくと育ち、まさに雄大な自然にふれて成長することができるのでありがたく思っています。
雄大と言えば、高須日薫上人が創建された長薫寺は宗門でもっとも壮大な規模のお寺で大勢の教務方が起居されています。その構想は熊本県全妙法化ということで、これは熊本にとどまらず、早晩、九州全体に及び、さらに広がりを見せることでしょう。雄大な自然が、偉人を産み出したということができるでしょう。


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