看病福田・・かんびょうふくでん という言葉があります。
福田とは、幸せを生み出す田んぼということで、功徳というのと同じです。
よい事をして、人に喜んでもらい、幸せの種まきをする・・その結果、種が実って福徳を得る、幸せになるという意味です。
もし、家族が病気になり、その家族の看病をすることは、結局、看病する人にとっても功徳となりますよということです。
でも、そうは言っても、毎日、毎日の事になりますと、看病を続けることも難しくなるでしょう。治療が必要な時は、当然、病院に入ってもらわなくてはなりませんし、自宅での療養も限界はありますから、施設に預けなくてはならないケースもあるでしょう。まさに、ケースバイケースですが、必要な時、看病をすすんでさせてもらうという、そのこころざしは病気の方にとって、何よりのお薬でしょう。
先日、一年ほど入院の末に森さん(女性)が亡くなられました。その葬儀をつとめました。遺された姉妹夫婦とその家族が仲良く、もろもろの事を手際よく、段取りを付けて葬儀も無事に終了しました。
亡くなった森さんはおとなしい方ですが、もとはスキー選手で、スポーツ万能。
しかし、お裁縫も得意で、私は以前、坊さんが着る白衣や着物、その他、私の母が森さんに頼んで塗っていただいたことがしばしば、ありました。人は見かけによらないものだ、元スキー選手とは驚きました。
そのお母さんが家にいる時も、入院後も娘さんたちはよく尽くし、長女の方は毎日、病院に通い、ずっと最後まで親孝行を貫き通しました。
今日、ご挨拶に見えたのでお話を聞きますと、入院中に毎日、病院に行くことは「ごくふつう」のことで、少しも辛いとか大変など思うこともなかったそうです。そうか、当たり前のふつうの事にしてしまったのですね。
昔の人なら親孝行は当たり前かというと、そうでもありません。特に、現代においては、病院や、施設に預けっぱなしで、施設に預けられた老親の身体が具合が悪いので係の人が連絡すると、「死んでから連絡しろ」と怒られることさえあるそうです。
森さんの長女、次女ともに親を思う気持ちが強く、この人達なら亡くなったお母さんも、何の心配もなく、寂光浄土に行かれただろうなと感じました。
「孝養に三種あり。衣食を施すを下品(げぼん 初級)とし、父母の意に違はざるを中品とし、功徳を回向するを上品とす」
と言っておられます。
衣食住が心配ないようにするのが孝養のうちでも初級。親の意に沿い、希望を叶えてあげるのが中級。社会のため、人のため善事を行い功徳をつんで、その功績を御法の力によって親にめぐらせてくださいと思うのが上級。
と、説かれています。
よくよく考えてみますと、親の子どもに対する無償の愛を感じ取れる子どもは親に孝養を尽くすのでしょうか。
福田とは、幸せを生み出す田んぼということで、功徳というのと同じです。
よい事をして、人に喜んでもらい、幸せの種まきをする・・その結果、種が実って福徳を得る、幸せになるという意味です。
もし、家族が病気になり、その家族の看病をすることは、結局、看病する人にとっても功徳となりますよということです。
でも、そうは言っても、毎日、毎日の事になりますと、看病を続けることも難しくなるでしょう。治療が必要な時は、当然、病院に入ってもらわなくてはなりませんし、自宅での療養も限界はありますから、施設に預けなくてはならないケースもあるでしょう。まさに、ケースバイケースですが、必要な時、看病をすすんでさせてもらうという、そのこころざしは病気の方にとって、何よりのお薬でしょう。
先日、一年ほど入院の末に森さん(女性)が亡くなられました。その葬儀をつとめました。遺された姉妹夫婦とその家族が仲良く、もろもろの事を手際よく、段取りを付けて葬儀も無事に終了しました。
亡くなった森さんはおとなしい方ですが、もとはスキー選手で、スポーツ万能。
しかし、お裁縫も得意で、私は以前、坊さんが着る白衣や着物、その他、私の母が森さんに頼んで塗っていただいたことがしばしば、ありました。人は見かけによらないものだ、元スキー選手とは驚きました。
そのお母さんが家にいる時も、入院後も娘さんたちはよく尽くし、長女の方は毎日、病院に通い、ずっと最後まで親孝行を貫き通しました。
今日、ご挨拶に見えたのでお話を聞きますと、入院中に毎日、病院に行くことは「ごくふつう」のことで、少しも辛いとか大変など思うこともなかったそうです。そうか、当たり前のふつうの事にしてしまったのですね。
昔の人なら親孝行は当たり前かというと、そうでもありません。特に、現代においては、病院や、施設に預けっぱなしで、施設に預けられた老親の身体が具合が悪いので係の人が連絡すると、「死んでから連絡しろ」と怒られることさえあるそうです。
森さんの長女、次女ともに親を思う気持ちが強く、この人達なら亡くなったお母さんも、何の心配もなく、寂光浄土に行かれただろうなと感じました。
「孝養に三種あり。衣食を施すを下品(げぼん 初級)とし、父母の意に違はざるを中品とし、功徳を回向するを上品とす」
と言っておられます。
衣食住が心配ないようにするのが孝養のうちでも初級。親の意に沿い、希望を叶えてあげるのが中級。社会のため、人のため善事を行い功徳をつんで、その功績を御法の力によって親にめぐらせてくださいと思うのが上級。
と、説かれています。
よくよく考えてみますと、親の子どもに対する無償の愛を感じ取れる子どもは親に孝養を尽くすのでしょうか。