看病福田

2008年08月31日 | Weblog
看病福田・・かんびょうふくでん という言葉があります。
福田とは、幸せを生み出す田んぼということで、功徳というのと同じです。
よい事をして、人に喜んでもらい、幸せの種まきをする・・その結果、種が実って福徳を得る、幸せになるという意味です。
もし、家族が病気になり、その家族の看病をすることは、結局、看病する人にとっても功徳となりますよということです。
でも、そうは言っても、毎日、毎日の事になりますと、看病を続けることも難しくなるでしょう。治療が必要な時は、当然、病院に入ってもらわなくてはなりませんし、自宅での療養も限界はありますから、施設に預けなくてはならないケースもあるでしょう。まさに、ケースバイケースですが、必要な時、看病をすすんでさせてもらうという、そのこころざしは病気の方にとって、何よりのお薬でしょう。

先日、一年ほど入院の末に森さん(女性)が亡くなられました。その葬儀をつとめました。遺された姉妹夫婦とその家族が仲良く、もろもろの事を手際よく、段取りを付けて葬儀も無事に終了しました。
亡くなった森さんはおとなしい方ですが、もとはスキー選手で、スポーツ万能。
しかし、お裁縫も得意で、私は以前、坊さんが着る白衣や着物、その他、私の母が森さんに頼んで塗っていただいたことがしばしば、ありました。人は見かけによらないものだ、元スキー選手とは驚きました。
そのお母さんが家にいる時も、入院後も娘さんたちはよく尽くし、長女の方は毎日、病院に通い、ずっと最後まで親孝行を貫き通しました。
今日、ご挨拶に見えたのでお話を聞きますと、入院中に毎日、病院に行くことは「ごくふつう」のことで、少しも辛いとか大変など思うこともなかったそうです。そうか、当たり前のふつうの事にしてしまったのですね。

昔の人なら親孝行は当たり前かというと、そうでもありません。特に、現代においては、病院や、施設に預けっぱなしで、施設に預けられた老親の身体が具合が悪いので係の人が連絡すると、「死んでから連絡しろ」と怒られることさえあるそうです。
森さんの長女、次女ともに親を思う気持ちが強く、この人達なら亡くなったお母さんも、何の心配もなく、寂光浄土に行かれただろうなと感じました。
「孝養に三種あり。衣食を施すを下品(げぼん 初級)とし、父母の意に違はざるを中品とし、功徳を回向するを上品とす」
と言っておられます。
衣食住が心配ないようにするのが孝養のうちでも初級。親の意に沿い、希望を叶えてあげるのが中級。社会のため、人のため善事を行い功徳をつんで、その功績を御法の力によって親にめぐらせてくださいと思うのが上級。
と、説かれています。
よくよく考えてみますと、親の子どもに対する無償の愛を感じ取れる子どもは親に孝養を尽くすのでしょうか。


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み仏の教えを弘めることとは 現証弘通

2008年08月28日 | Weblog
遠妙寺では、来年11月に第24世講有、小山日誠上人をお迎えして高祖会、併せて中興日玄上人23回忌法要を行います。
その時までに日教上人百回御遠諱の報恩ご奉公、及び日玄上人23回忌報恩ご奉公として、100戸の教化を目指しています。

いままで事あるごとに、宗外者の方がご信心されるようにお勧めする教化と、その方がご信心に励み、お計らいを頂き幸せになるように育成することを私たちは使命としてきました。
釈尊(お釈迦様)が、教えを説かれた本意は、その教えによって苦悩から解放されて心身共にさわやかに、健やかに、そして人々が幸せになるためです。
そして、大勢の人々がその教えによって救われ、いやされてきたのです。
ですから、釈尊のほんとうの教えをそのまま、伝えることが私たち後世の弟子の任務です。けっして大きな境内を得て、七堂伽藍(しちどうがらん・・本堂はじめお寺の建物と諸設備)というような豪壮な建築物を建て、それを元手に葬儀を商売のように引き受けていくことは本来の任務ではありません。
ひとり、ひとりに釈尊の教えが伝わり、その教えによって魂が救われ、身体も健全になるようにすることが仏教伝道であり、弘通です。

最近、入信されたNさんですが、この方はかなり高齢ですが大変、すなおな方です。いろいろ人生の辛酸をなめてこられましたがいつも明るく、そんなことは微塵も感じさせません。事情があって現在も朝早くから働きに出かけられています。誰彼なく、声をかけて通勤しています。電車の中でも挨拶したり、商店街を歩く途中でもお店の人に挨拶し、気楽に話しかけています。
恵まれ続けの人生を歩んでいる人が明るいのはわかりますが、いろいろ厳しい中、人に優しく明るく接することは難しいことです。
そうこうしているうち、ブティックを経営しておられるTさんを教化されました。
Tさんも、いつも元気で明るく屈託ないNさんによく声をかけられ、お話をするようになりました。
それがキッカケで、Nさんがいつも遠妙寺にお参りされていることを知り、興味を持たれました。そこで、Nさんにご信心について話を聞いたり、遠妙寺のホームページなども閲覧して、おおよその事を知られました。そうこうしているうち、とうとう遠妙寺にお参りされ、御法門(法話)、ご信者のお話を伺ったり。ついに入信することを決められました。Nさんの初めての教化です。
共にご信心に励むうち、Tさんの娘さんたちも関心を持ち、いっしょにご信心されるようになりました。教化されると同時に、教化をしたような感じです。
それからもう2年くらい経過したかもしれませんが、このたび、娘さんのお宅にご本尊が奉安されました。実は、この娘さんはのどの病気があり、それが一つの悩みです。素直な方ですから、言われるまま、聞いたまま、御宝前にお供えした功徳の水(御供水)を飲ませていただき、また、御題目を心込めて唱え続けられました。
そうしたところ、前回、検査に病院にまいりますと、その数値が正常値にまで下がっているではありませんか。
別にほかに何か、やってみたことはなく、まず御本尊を自宅に安置していただき、御題目口唱と御供水をいただいただけです。
それから、話が前後しましたが、この姉妹は入信してまもなく一方の方は、二人目の赤ちゃんが、もう一人の方は念願だった初めての赤ちゃんを授かりました。
これだけでもすごい御利益だと思われませんか。
なお、教化親のNさんも、ご自分の娘さんを教化され、また、他にも教化をと次々されています。
Nさんも教化をされる中で、お計らいをいただきましたが、長いのでそれはそのうち。
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よかったね、小林さん 頸椎損傷から回復

2008年08月24日 | Weblog
昨日、御講が午前、午後とありました。
その帰りに、当山信徒の小林さんのお見舞いに伺いました。
その奥さんは、第二世講有、日聞上人の子孫にあたり、伏見妙福寺から結婚と同時に遠妙寺に転入してこられました。
いまは、家族中でお参りされ、熱心に御法のため、お寺のため、奉仕ご奉公されています。
長女は現在、青年会幹事長、弟さんもお役を頂いて青年会のリーダー的存在です。
このたび、お見舞いに伺ったのは、そのお父さんです。
四月のはじめ、ちょうど折悪しくお寺の御会式の日に、仕事が入ってしまいました。その仕事というのは、お役所に勤めておられる関係で、土、日に市で開催する行事の企画、運営や、その他、各種イベントに参加したり、いろいろあるようです。
そんなわけで、今回はスキーの大会に参加しなくてはならなかったのです。
そのときは、何ともなかったのですが、帰ってきてから異変が起きました。
次第に歩きにくくなったり、足や手が思うように動かず、力が入りません。
とうとう、ボールペンをもって字を書くこともできなくなりました。
御講席でお会いして話を聞きましたが、「ふつうに歩くこと、手を動かすことができるのが、どれほど有難いか。はじめて分かりました」と言っておられました。
ごく感情を抑えて話をされていましたが、心中、暗たんたるものがあったと思います。
いろいろ検査しましたが、原因不明ということで当初はなすすべもありません。
とにかく、お助行を頂くよう、教務にお話を頂きました。そして、だんだん御宝前にお縋りする気持ちが固まり、御題目口唱行に一所懸命、励まれました。
そうしているうち、ついに原因判明。頸椎が損傷していたとのこと。
この原因の判明が第一のご利益。
さらにお助行を続けていただき、今度は、その頸椎の手術にかけては方法といい、その技術といい、その結果の回復度といい、名医中の名医と言われる先生に出会うことができました。これが第二のご利益。
最初は、予約が入って相当先まで手術できないといわれていたのに、急に手術がきまり、一度は流れたものの、通常より早く、先生の体調も整った上で受けることができ、結果、大成功。これが第三のご利益。
いまは、リハビリ専門の病院に転院して、毎日、本格的回復を目指して訓練中。
握力が最初、手術前は3キロ程度だったのが、手術後は17、8キロに、いまは26、7キロまで回復。まだまだ、本復ではありませんが、良い方向に向かっています。
今回のことを通して、ご主人も、また、家族全員が一つの心になって御宝前にお縋りして、ご祈願。暗雲垂れ込めていた状態から、光が見えてきて全員がご信心増進、より結束が深まったのが最大のご利益でしょう。
私も、その経過に一喜一憂しながらお助行に加わりつつ、見守ってきましたが、昨日、元気な顔を見て少し、安心しました。
仕事といってもスキーは今後、どうするか分かりませんが、とにかく、前のように元気でお勤めもでき、お寺に御講にとお参りされるのを楽しみにしています。
御教歌に
【御題】信心堅ければ神の守も亦強
信心は 日々にあらたに きよくせば 神の守りも 強しとぞきく
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松浦 母も子も元気に退院

2008年08月22日 | Weblog
8月20日(水)、生後5日目、赤ちゃんと母親がそろって大塚病院から退院しました。
上の写真は生後、4日目。8月19日の写真です。
この頃の会社は、さばけたもので、父親は木曜日も金曜日もお休みをいただけました。産休だそうです。
昨年の11月頃から、毎月、受け持ち教務(当時・良尚講師)を自宅にお招きして御講席(信心修行の道場)をいただくことにしました。
そのとたん、欲しかった子どもを授かりました。今年に入り2月に、このままでは経済的に難しいので転職を決意。これも大きな良い企業に年齢ギリギリで転職成就。
まぁ、今年はとても良い年です。
16日生まれた女の子・・・私の長女の長女に父親が命名。
その名も「颯香」・・・“そよか”と読むそうです。
ようやく、これで名前を呼ぶことができます。
そよかには何と呼ばせようか。
「グランパ」「グランマ」はちょっとなぁ。
「じ」とか「ば」の音は聞きたくないし。
まして「じい」とか「ばぁ」は・・・。
これは岡山の夫の実家に、その名前は譲りたい。
「大きい父さん」→「おおとうさん」も変だし。
私はお寺で「御導師」と呼ばれているから、「おどうし」。これは子どもっぽくないし。かと言って「おどうしさん」「おどうさん」はどうも。
むずかしい、難題だ・・・・・・・
かわいい新しい家族を迎えて、うれしい事もさることながら、新たな悩みを抱えました。
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松浦家に待望の赤ちゃん

2008年08月18日 | Weblog
8月16日(土)、松浦文昌、陽子夫妻についに女の子が誕生しました。
午後6時43分、体重2695グラムで少し、小さめでしたが元気な女の子が産声を上げました。
朝のうち入院しましたが、まだまだ、生まれる気配もなかったのです。夕方、急に産気づいて無事に出産をすることができました。
いまは、核家族が多いらしく、出産に立ち会うのはほとんど、夫で、妊婦の母親には殆ど出番はありませんし、医師も看護師も詳しいことは夫に告げ、すべて夫に相談します。
夫の両親も、妻の両親も、まあ「蚊帳の外」ですね。
私たちに子どもが産まれた時代は、男は産婦人科の中にまで入れるような雰囲気はありませんでしたし、まして、分娩室に入るなど論外だったのです。もっとも分娩室に入りなさいという病院はいまでも、あまり多くないようですが。
出産に立ち会うのは、妻の母親が殆どで、生まれてしばらく経って、忙しい人などは、二、三日、経ってから「人ごとのように」病院に顔を出したものです。
まさに隔世の感あり。

ところで、私は、出産を終えた松浦陽子の父ですから、産まれた子どもの母の父です。世間ではよく、その子どもの祖父というような言い方をするようです。
今のところ、赤ちゃんはすやすや眠るだけですが、いつか口をきくようになったら「おじいちゃん」などと言うのでしょうね。

赤ちゃんが生まれて、うれしい反面、「おじいちゃん」という立場にはなじめないなぁ。
これから、夢をもってご弘通ご奉公させていただこうと思っていた矢先、「おじいちゃん」かぁ。
「これから、青春だ」などと心密かに、自分で自分をだましていたのに、現実は超キビシイ。まっ、いいや。赤ちゃんの可愛さに負けました。「私はおじいちゃんです」ハイ!
ともかく、赤ちゃんが無事に生まれたのは何よりでした。無事に育ってくれることを願うばかりです。
名前は、岡山の松浦家と同じく、赤ちゃんの親が決めるように言ってあります。まだ、お七夜まで日があり、その時までには命名すると思いますが、まだ、決めていないようです。
そこで、私は赤ちゃんの健康と無事養育成長を御法様にご祈願するとき、「松浦家こども、無事養育成長のお願い」と言上しています。ちょっと変だけど、仕方ありませんよね。




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戦没者の慰霊

2008年08月16日 | Weblog
昨日は、当山において平和祈念・戦没者慰霊法要がとりおこなわれました。
お盆の休暇中にもかかわらず、ご信者が心を込めてお参りをしてくださいました。

日本各地で行われる合同の慰霊法要は、いろいろな宗教、諸宗派がありますから、そのつとめ方も、いったいどのようにするか大変です。
何しろ、拝み方も、拝む対象も違いますから、一緒に合同で慰霊法要をしようと言っても、実際は難しいのです。そこで、入れ替わり立ち替わり、いろいろな宗派のやり方で慰霊するということになりますが、これも大変です。
平和を願う気持ちは一つでも、平和を推進する団体が異なると、争いが起きることがかつてあったようですが、それは困ったものです。
戦争でなくなった方を弔う気持ちがあるなら、それぞれの場所で、それぞれが心を込めて、自分流のやり方で静かに冥福を祈ると良いと思います。
無宗教の共通の追悼施設を建てようとする動きがありますが、どうやって弔いをするのか不思議です。手を合わせるのは仏教徒、手を打つのは神道、十字をきるキリスト教。どれにも依らない礼拝はありえません。
せいぜい、一緒に黙祷をするくらいです。それなら慰霊施設ではなく、戦没者をしのぶ平和会館とか反戦会館などというものを建てたら良いのではないかと思います。宗教者のように慰霊という形を取らなくても、一般の方は平和を愛し、戦争を憎み、反対する運動をNGOの形でできればよいのではないでしょうか。
8月6日から8月15日までは、日本人は平和について、真剣に考えなくてはならないと故・大岡昇平さんが言っておられました。
実際に被爆を経験した国なのですから、その事を意識してよく、考えるべきだと思います。
平和を築くのは、結局は子どもの頃からの学校教育、家庭教育、宗教教育によります。その宗教も、聖戦を主張するような宗教ではなく、他者に対して寛容な宗教でなくては逆効果です。要するに宗教戦争を起こす宗教では、他の団体と争いを起こす平和団体と同じです。
このようなことを書き綴っていましたら、先日、「さかなしゃん」からコメントを頂きました。
「・・・ 昔『長崎を忘れないでね』といった8/9の原爆投下直後の地獄模様を描いた絵本を思い出します。図書館の隅で誰にも借り出されず、悲鳴を上げてる様でした。どうか御導師様、遠妙寺でもこれから仏教の視点からの平和教育をし続けて下さい。今の薫化会の小さなお子さん達の世代でも平和が続きます様に 合掌」
コメントありがとうございます。
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お盆  

2008年08月14日 | Weblog
東京では7月がお盆で、8月の旧盆は、遠妙寺のご信者は休暇で遠方に行くか、あるいは田舎に帰るかです。ですから、お寺はお盆の時がわりあい暇な感じで、他のお寺とはそのへんが、少し、違いますね。
しかし、中には8月の旧盆にお墓参りをしたり、ご回向をお願いしますという方もあります。
まぁ、そんなわけで今日は、お盆についてウンチク。

お盆とふつうに言いますと、ものを運ぶお盆のように聞こえます。
仏教で使うお盆という言葉は詳しくは盂蘭盆(うらぼん)、正しくは烏藍婆拏(う
らんばな)といいます。
これは、サンスクリット語・ウランバナに由来しています。その意味は、倒懸(と
うけん)ということで「さかさ吊りの苦しみ」ということです。
 盂蘭盆経(うらぼんぎょう)によりますと、釈尊の御弟子の一人、目連尊者(もくれんそんじゃ)に関する説話が説かれています。その話は、わが息子・目連を育てるため、はかりの目盛りをごまかしてまでして、もうけを得ていた、その罪により死後に餓鬼界に堕ち、苦しみさまよっている母・青提女(しょうだいにょ)を目連がどのように救うかというテーマです。
 お盆に先祖を弔うことは、インドの雨期に僧侶が土の中にいる虫を踏み殺さないように、お寺の中にとどまって修行した期間が設けられましたが、これを「夏安居」(げあんご)といいます。その最終日が7月15日で、その時に、目連尊者がその母親を餓鬼界からすくい上げるために、お釈迦様におそわったとおり、多くの僧侶に供養して功徳を積み、その功徳によって母親が苦しみから逃れられたというのです。
 日本では、習わしとして昔から精霊棚(しようりようだな)というものを作って、そこに先祖の霊を招き寄せるとしていた宗旨が多いようです。そして菩提寺の僧侶に来てもらい、お経を読んでもらいます。これを棚経と言いますが軒数が多いとほんの何分ということになります。そして、来てもらった僧侶に布施供養します。今では、これも時間がないのと、招く方も信仰心が薄いことが多いので、家の人は座っていっしょに拝みもせず、坊さんは置いてある御布施を勝手にもらって次に回るということになりやすいのです。
 ちょっと回向の本来の精神からかけ離れていますが、いかがでしょうか。
 お寺では施餓鬼法要を行い、そこに檀徒が参詣して餓鬼の世界におちて苦しんでいる人々に供養の品々を供え少しでも餓鬼界の人びとの苦しみがなくなり、楽になることを願い、お坊さんがお経を読むのです。
 しかし、要は、本当に精霊が救われるか否かです。
 開導日扇聖人は
 施餓鬼して経よまんより法界の 回向に口唱するぞめでたし
と教えの歌を詠まれて、ワケの分からないお経を読むより、本当の信心を込めてお題目をお唱えする方がよいと言われています。また、
弔わる卒塔婆(そとば)のこゝろ知るならば チャラポンよりも南無妙法蓮華経
と「チャラポン」と音を出す、「ドラ」(銅鑼)などの楽器を鳴らして、お経を唱えて法要をするよりも、弔われる卒塔婆(塔婆)つまり霊の心を知れば、心を込めて亡くなった人の子孫が中心となって御題目を唱えよとお示しです。
 いま、遠妙寺では7月15日には、「盂蘭盆(うらぼん)総回向」を行い、8月15日にも行事を設けて、戦没者慰霊法要を行い、また、お盆だからとご回向なさる方にも当然、対応しています。
 昔から佛立宗では常盆、常回向といい、日常の御講でもご回向を行っています。お寺参詣の際も毎日、朝にも夕方にもご回向を奨励し、塔婆を建てて弔う習慣があります。これを常盆、常彼岸といいます。
 しかし、何を勘違いしたのか、ときどき、常盆常彼岸だからお盆、お彼岸に、お寺でご回向を行事として行うのは、開導聖人のみこころに叶わない、極端に言えば、謗法だと思っている人もあるようです。
 それはおかしな事です。常盆、常回向だからこそ、お盆の時はお盆の時で、思いを込めてキチンとご回向をしていただくことが大切ではないでしょうか。
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北島康介とプレッシャー 北京で金

2008年08月11日 | Weblog
「完ぺき、理想の泳ぎ」という素晴らしい泳ぎを北島選手が決勝で見せて58秒91。
58秒台のすばらしい世界新記録で金メダルを北島選手がとりました。
以前から勝負強さには定評がありましたが、今回はいならぶ強豪を抑えてトップというだけでなく、世界新ですから価値が違います。
まったく文句なしの世界一ですね。これで100の平では二大会連続で金。
一位でゴール、何度もこぶしを突き上げて、喜びを表しました。そして、褒め称えてくれる周囲の選手たちの握手の求めに応じ、その後、また、左手を高く掲げていました。
プールから上がってタオルで顔を覆い「何も言えません」。
しばらく、アナウンサーとともに無言の空白。アナウンサーは何か言えばいいのに。そして、やっと、北島選手が
「アテネ以上に気持ちいい。チョー気持ちいいです」。
「本当に五輪は楽しい。この瞬間を味わえただけでも幸せ」
「楽しい。この瞬間を味わえただけでも幸せ」
「プレッシャーは感じたが、それが五輪」
と笑みを浮かべて話していました。

他の競技では、プレッシャーを感じすぎて期待通りの結果が得られない選手もいます。
しかし、北島選手は競技前に「自信があります」と言っていました。
そして、本番で他の選手がいつもの練習の時より記録が落ちるのに、彼の場合はエンジン全開で、記録更新して優勝だからすごいですね。

今まで、日本人の徳性として「謙譲の美徳」をみなが発揮していました。周囲に遠慮して、自分のことをアピールしないのが美徳とされてきました。
それが競技の場合は、日本人選手にとっては裏目に出るようです。
自分を信じて、自分を鼓舞して競技にのぞみ、目いっぱいの力を発揮する方がよいようです。相当なプレッシャーがあるのに、それをかえって励みにしてしまうのが彼の強みです。一般の日本人はプレッシャーに弱く、押しつぶされてしまうのに。

これから、私たち一般人も考えなくてはならない、見習わなくてはと思いました。
何でも、やはり、遠慮するクセがあって、「無理です」、「分かりません」、「できません」では本当に、何でもダメになってしまいます。

仏様は一生の間、仏教をとかれ、さらに大勢の人を心身の悩みから救うため、教化活動をされました。
現在も、その遺志を継いで、私たちも教化に力を入れていますが、どうでしょうか。どの程度の自信をもって教化に臨んでいるかです。
相手の方を何とか、お教化してお計らいを頂いてもらいたいと思っても、自信がなさそうに言えば、信じてもらえません。

必ず、お計らいを皆さん、頂いているのですから、
「大丈夫。ご信心させていただき、御法様におすがりしましょう」
と、言い切ってお教化に臨めばいいんだと思います。
自分を過大評価するならともかく、御法の力に対する自信を持つのですから何ら遠慮は要りません。

日本人の傾向として、信仰を実践している人が少数派であることから必要以上に、信仰をしていることに負い目を感じたり、そのことを隠したり、公にしないようです。佛立宗の基を開かれた、開導日扇聖人は
当宗は 不軽流なり 内証の はづかしさうな 信心でなし
と教えの歌を遺されています。

不軽菩薩は誰彼となく相手の方の仏性を尊重し、人間に内在する仏様を礼拝して、人々の仏心を覚醒する修行をされました。
堂々と拝んで歩く姿勢こそ大切で、こそこそ隠れてするようなつまらない信仰をしているわけではないのだということです。

私はこのように、御法様をお敬いし、礼拝しています。
私は、御題目を信じ、行じて、このような現証ご利益を頂きました。
このように言い切れる自信に満ちた、堂々たる信仰者に誰でも惹かれるのではないでしょうか。

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長崎の鐘

2008年08月09日 | Weblog
8月6日は広島、そして8月9日は長崎の原爆記念日。
私は8月6日生まれなので、原爆のことが頭から離れたことがない。

原爆で命を失った人々の苦しみ、また、肉親を失った人たちの悲しみは今も癒されていない。

当宗の教務(僧侶)で、すんでのところで命は助かったものの、やけどを負い片方の耳をそがれた方がおられる。
何人ものご信者が命拾いはしているが、それはそれ。圧倒的な数の罪のない広島市民、長崎市民が殺され、また、助かったもののいまだに後遺症で苦しんでおられる。

日蓮聖人は当時、戦乱に明けくれ、荒れ果てた日本の惨状をみられ、平和な国を取りもどそうと一天四海皆帰妙法、すなわち世界に正しい仏法を興立し、世界中の人々が妙法・・・本門八品所顕、上行所伝、本因下種の南無妙法蓮華経・御題目のご信心に帰依し、信ずることを目標とされた。

妙法弘通、布教の目的はあくまでも、世界の平和である。
だからこそ、平和を祈願し、戦争を防止しなくてはならない。

戦争を起こす為政者の権力は強大であるが、国民の数は為政者よりはるかに多い。
今はネットを通じて団結もできる。

そして、世の人々の行動のいっさいは心からおこる。
人々の心が平和を愛し、戦争を憎む心となれば世の中の流れも変わるはず。

相手の人の仏性を礼拝し、手を合わせれば戦うことはできない。
相手を憎み、ゲンコツを握れば握手はできない戦闘モード。

必要以上の軍備によりお互いが戦闘モード、果てしなき軍拡に。
まして核兵器を保有すれば、互いに破滅に。

しかし、今や核保有国は増加の一途。
車、エアコン、コンピュータはどんどん進化。
でも、いい大人達が人殺しの道具も開発、こんな人間自体は退化している。

広島、長崎の教訓はいかされず。
犠牲者の死は無駄にしてはならない。
私たちには軍隊もない、お金もない、政治の権力もない。

だからこそ祈る。祈りの輪を拡げよう。
不軽菩薩は、誰に対してもさげすむことなく、相手の仏心を拝んだ。
どんなに石を投げられ、杖で打たれても。

佛立の不軽行、不軽礼拝によって平和を築こう。
本門八品所顕上行所伝本因下種の南無妙法蓮華経


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北京オリンピック開幕式に思う

2008年08月08日 | Weblog
今日からいよいよ北京オリンピック。
日本時間21時から開会式が行われます。
でもギョーザや大気汚染など環境破壊の問題、政治犯の拘禁や思想の統制、テロや治安の問題など、いろいろな問題を抱えて日本人には人気がイマイチのようです。
しかし、仏教も儒教的思想も漢字も筆も紙も絹などの織物も建物やあらゆる文化は中国を伝わってきました。そういう意味で、日本には本来、もっとも精神的にも近い国と言えます。
そして、実際の距離も日本にもっとも近い国の一つです。
さらに、インドの11億人を上回る13億もの人が住んでいます。世界の人口が65億ですから、その5分の1が中国人、同様に5分の1弱がインド人。
13億人の人がいる国が経済的にも成長を続けていることはすごいことです。
いずれにしても、好きとか嫌いとかに関係なく、日本に大きな影響力を持つことは間違いないところです。
また、これからのご弘通教化ということを考えてみても、佛立宗にとって大事な国であると言えるのではないでしょうか。
事実、わが遠妙寺のご信者で中国人の方と結婚して生まれたカップルが二組あります。いずれも結婚式の導師を私がいたしました。
第二次世界大戦の前、中国には大連、上海にお寺(親会場)ができ、後に、奉天、新京、ハルピン、安東、通化等に佛立の教えを信じる人の輪が広がっていきました。
現在は中国では、布教の自由は保障されていません。しかし、ある程度、信教の自由はあるようで、チベット仏教、キリスト教をはじめいろいろな宗教を信ずる宗教人口そのものは多くなっているとのことです。
これからは、中国も人々の基本的な人権を認める方向でしか真の発展はありえないでしょうが、そうすれば遅かれ早かれ、宗教の自由化となるでしょう。
そうなった時、真の意味で中国の人々に幸せをもたらす教えが選択されなければなりません。
「御題目をお唱えする声は他を思う慈悲の心から発せられ、その声が身体にひびき、ついに家に、町に、村に、国に、世界中に響いていけば、どれだけ平和な世の中になるでしょうか」という事を日扇聖人は御教歌に
心より 我身にひゞき わが身より 家国あめが したにひゞけり
と教えられています。
オリンピック開幕式に見られる中国の平和への思いが響いてまいりましたが、一過性のものとならず、本当に世界中の人々が仲良く、暮らしていけるにはどうしたらよいか、考えなくてはならないと思います。

ちょうど、開幕式がいま始まりました。きれいですね。
(写真は北京オリンピック開会式)
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