お待たせ 桜がようやく、ほころぶ

2009年04月03日 | Weblog
どうも、おまちどおさま。
桜がようやく、咲き始めました。
今は、どういう文面か知りませんが、その昔、「サクラハナサク」か「サクラハナチル」という電報のどちらかが届くのを、ドキドキして待っていた事がありました。
「サクラハナサク」は合格、「チル」方は、不合格。
受験はみずもの。その時になってみないと、分かりません。
実力があっても不合格だったり、反対に、それまではダメだったのが合格したり。
そして、合格したからといって、その後も幸せに恵まれるかどうか、不合格だからといって、志望校に入れなかったからといって不幸せになるかどうか、それは分かりません。
受験に失敗したから、人の気持ちを理解できるようになったり、反対に得るものもたくさんあります。
私が大学を受けた年に、私の大学では紛争が起こり、翌年は試験がなくなりました。その結果、進路がまったく変わった人がありますが、かえって、そのために人生は成功を収めることになった友達がいます。
また、合格したがために、大学闘争に加わり活動家となって、その後、失踪したきり消息不明になってしまった人もあります。恐らく、予想もしなかったコースを歩んだのです。
受験の時、私たちのお寺の青年会では、先輩や同年代の人が後輩のお宅に伺って、いっしょに受験の成功を祈り、ともにお願いする伝統があります。
でも、これはただ、受験がうまくいくようにということだけを祈るのではありません。受験が、「できればうまく」いけば良いのですが、それよりも、その人が精神的に、肉体的に健康を維持できるように、また、結果はどちらにせよ、その後も良い方向に果敢に進んでいけるように祈るのです。そして、大勢の仲間がいて、いつもその人のことを考え、一緒に歩んでいこうとしていることを忘れないでほしいと願いながら、祈るのです。
少し、大学に行くのが遅れても、それは仕方がないことで、定員オーバーになったので他の人に電車や飛行機の席を譲ってあげたと思えば良いのです。
子どもの頃、勉強したかったのに戦争や貧しさで学校に行くことができず、夜間学級にいって初めて字を習う人だっているのです。どういう形であれ、勉強できること自体が幸せだと思いませんか。
また、首尾良く合格した人は、油断しないでください。スッと入ってしまって、その後、大学に行く本来の目的を見失って遊んでしまう人がたくさんいます。
「禍福はあざなえる縄のごとし」・・・幸せが不幸を呼び、不幸はいつまでも不幸ではなく、幸せに転じます。
どうか、良い方向に行きますよう、上行所伝の妙法をお唱えしてお計らいを頂きましょう。
コメント (1)
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