なぜ御題目が大切なのか(3)

2009年09月24日 | Weblog
3 最高の御回向ができる
 人が亡くなったとき、その人を偲び、悲しむ気持ちは尊いものです。たった一日飼った動物にさえ愛情を感じます。まして長年、顔を合わせていた家族や仲間が亡くなったらどれほどつらいか分かりません。だからこそ、少しでも死後に良い世界に旅立ってほしい、少しでも苦しみがあれば除いてあげたい、病気でなくなったとしたら楽になってほしいと思うのが人情です。
そこで古来からヨーロッパでもアジアでも葬儀が行われ、何年か経っても命日などは記念の日として故人を偲ぶ習慣が続いてきました。仏教では七日ごとの法要や年回が営まれてきました。
今どきは、「たましい」などあるわけがない、そんなのは迷信だと言ってはばからない人が日本にはたくさんいます。ヨーロッパ、アメリカ、中東、インドや東南アジアなど、世界のほとんどの国の人々は、ごく単純に素直に神の存在を信じていきています。また、生まれ変わりについてはキリスト教などで否定していますが、たましいの存在を否定する宗教も民族もあまりないようです。ただ、例外は日本です。しかし、飯田史彦氏(元福島大学経済学部教授)が、その著書の中で学術的立場を崩さず、生まれ変わりを肯定させる不思議な事例を多数、紹介しているように、現時点では「生まれ変わり」を認める方が、より科学的です。また、さまざなな物証からも“たましい”の存在を認める方が自然です。私が妻や信者の方々と移っている一枚の写真があります。九州の雲仙を旅行している最中に撮っていただいたものです。その写真中の妻の肩に、一本一本の指まではっきり写っている手が乗っています。ところが、その手の持ち主が見あたりません。その写真に写っている人の手ではないことがハッキリ、分かります。では、誰の手か?
もちろん、心霊写真と称するものの中には、ホンモノもあれば、インチキや合成したもの、ただそのように見えるに過ぎないものなど、さまざまです。
でも、何ら加工も合成もしていないのに不思議な写真が撮れることは実際にあります。
さて、“たましい”の存在を知り、霊の実在を信じていたとしても、迷いの三途(さんず)の世界(地獄界、餓鬼界、地獄界)に堕ちたことがわかっていても、どうしようもないのがふつうです。
そこで、葬儀や法事は、プロとしてのお坊さんが執り行うことになっていて、頼めばどこのお寺でもやってくれるでしょう。でも、せっかくの遺族の気持ちが通じなくては葬儀も法事、回向(えこう)も行った甲斐がなく、ただの自己満足に終わってしまいます。
そこで葬儀、法事など、そのご回向の法が問題となります。
当宗で昔から語り伝えられ、今も葬儀などで体験する現証をこの目で見ますと、確かに御題目の有難さが分かるのです。上行所伝の御題目で御回向された方の臨終の姿の美しさは他とは比べものにならないのです。
この事については、また、後日、説明します。


 開導日扇聖人 御教歌 【御題】一心受持是好良薬文

 妙法を 持(たもち)ながらに 妙法の 利益しらぬぞ 持つかひなき
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なぜ御題目が大切なのか(2) お彼岸に際して

2009年09月23日 | Weblog
2 御題目は体の薬
 法華経では「六根清浄」ということが説かれています。六根とは、眼、耳、鼻、舌、身、意の六根(六つの感覚器官)をいいます。この体や心すべてを清浄にするため、白装束に金剛杖で「六根清浄・六根清浄」と唱えながら山に登り心身を清めようとする人もいます。しかし、これも山に登っていること自体に爽快感があるもので山からおりれば元の木阿弥。
 ちゃらんぽらんではお話になりませんが、真剣に熱のこもった御題目口唱をしますと眼、耳、鼻、舌、身の五感(根)も心もさえ渡り、南無妙法蓮華経の御本尊と一体となってみずからが御題目の御本尊の中に入っているのか、御題目が私たちの中に入っているのか分からないという心持ちになり、さらに我が身のことを忘れ、ひたすら人の幸せのみを祈る境地になったとき、六根清浄のご利益をいただくのです。つまり、心だけでなく体の病気が治り、建康を取り戻します。
 熊本長薫寺の前住職、高須日薫上人は若いとき、失明し、お寺にこもり寺男として修行、毎日、御題目口唱に打ち込み、座っていた畳は汗で腐るほどでした。ところが、不軽寺に入仏開眼の法要があった日、本山から御講有が見え開眼言上があり、大きな本堂のガンが鳴り響いたと同時に、目が開くというご利益をいただかれました。
 遠妙寺でも、今まで大勢の方がさまざまな病気に関する御利益を頂いています。
これは何も、現代医学を否定するとか対立するということではありません。この世の中は、すべてがみ仏の悟られた法(真理)が具現し、具体化したもので、医学それ自体もみ仏のお悟りの一部です。そう考えますと、医師の行う医療活動もみ仏の慈悲が具現したもの、み仏の恵みと受け取ることができます。
 ただし、いまだ現代医学が解明できない人間の身体の不思議なハタラキがあり、医学に一定の限界があるのも事実です。したがって、一方が一方を否定するのではなく、たがいに補完し合う必要があります。仏法は心の方面からアプローチして、病気の治癒に有効に機能し、医学や医療は身体に直接的に作用して治癒を促します。いずれにしても病気は誰かが治すというものではなく、その人の免疫力が向上することにより、自然に治癒するものです。
そういうわけで、遠妙寺のご信者の中には、御題目口唱により、ガンが快癒したり、ポリープが消えたり、50歳くらいで回復の見込みがない心筋梗塞に倒れた人が病気を克服して、元気に働けるようになり、その後、結婚して子供が生まれたという方もあります。詳細は、遠妙寺発行の体験談集「スタイル」(現在第6集まで発行済み、次は今年11月8日発行予定)などに掲載しています。
ともかく、御題目は「心の薬」であるだけでなく「体の薬」でもあります。
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石川さんと伊籐さん ついに結婚

2009年09月22日 | Weblog
9月21日、シルバーウィーク連休のさなか、画家の石川(展光)さんと洋子さんの結婚式が遠妙寺本堂にて行われました。
数年前、いろいろなことで壁に突き当たり、悩んでいた石川さんが百本祈願でお計らいをいただき、元気になられました。そして、それこそ曲がりくねった道を歩んでいた二人でしたが、とうとうゴールインしたのです。
二人の今までのことをお聞きしていましたので、私が結婚式の導師を勤め、訓辞を読みましたが、読んでいる最中に感無量となり熱いものがこみ上げてきました。
結婚式を終えた後、記念撮影。そして、食事を終えられると本山・宥清寺まで記念の参詣をされました。それが二人の新婚旅行だそうです。
一途な愛が実を結んだのですが、これは二人の新たな出発です。二人がご信心によって固く結ばれ、二人三脚の菩薩行の歩みを進めてほしいと思います。
石川さんのご両親は熱心な佛立信者。その影響だと思いますが、展光氏もしっかりと佛立信心を実践され、現在は宇都宮・遠歓寺の弘通部長のご奉公をされています。
新婦の実家も、しっかりした家庭のようです。この感動的な結婚式に出られた新婦のご両親も感激されていたように見えました。
遠妙寺教養部関係のご信者も、婦人会の役員のご信者も、ずいぶん熱心にご奉公されていましたが、新郎、新婦二人の笑顔が疲れを癒してくれたようです。
二人の前途に幸あれ
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なぜ御題目が大切なのか(1) お彼岸を迎えて

2009年09月22日 | Weblog
これは実は、ずいぶん前のお彼岸の時に配布した御法門です。
長いので、三回に分けてブログに載せます。
目次

☆序

1 御題目は心の薬  今日の分です
2 御題目は身体の薬 明日の分です
3 御題目で最高のご回向ができる 3日目の分です


御題目の御本尊に向かって南無妙法蓮華経と唱え重ねる修行を「口唱」とも「お看経」ともいいます。
その御題目口唱の功徳についてのべてみましょう。

1 御題目は心の薬
 信心とか信仰の基本は「この私」と「絶対者」(仏、神)が一対一で向き合うことです。そして、そこから交流が始まります。人と人とが交流をするとき、目と目を見つめ合ったり、話をしたり、手と手を取り合ったりします。あるいはなれている人同士なら、心と心を直接に通わせることができるかもしれません。今の時代の人々にもっとも適した交流法として日蓮聖人は御題目を仏さまに対して呼びかけるつもりで唱えるように教えてくださいました。御題目は仏さまに語りかける特別な秘密の言葉で、南無妙法蓮華経とお唱えする口唱の声に応じて仏さまはこちらを向いてくださるのです。
 現代に心を病む人が多いのは目まぐるしく変わる世の中についていけず、すごいストレスを感じながら生きているからです。さらに宗教を捨ててしまい、一日の内に聖なる時を持たないために心が安定せず、落ち着きをなくしてしまったからです。御題目口唱によって仏さまと向かい合う時間ができ、み仏の心と通じ合うことができるのです。
 それだけではありません。口唱によって仏性が顕れます。
 仏教の中でも優れた教えによれば人の心の奥底に「仏性」があると説きます。仏性とは仏心、人間にも「円満な仏さまのような人格になれる可能性」があるというのです。しかしそれは果てしない欲望や利己的な心、迷いなどで隠れたままです。
 しかし、その眠ったままの仏性も御題目を唱えると活性化してくるのです。御題目は仏の種で仏性は田んぼや畑のようなものです。肥沃な大地にきれいな花の種を植えて、水をやればやがて大輪の見事な花を咲かせることができます。
 私たちが南無妙法蓮華経と御題目を口唱すれば、仏の種が植わり仏性が目覚めて、わが心の中が浄化され、仏さまが心の中に顕現する、そのとき、お互いは救われるのです。
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今日でお別れ

2009年09月16日 | Weblog
今日、私にとって最後の講有考試委員会が行われます。
来月12日までが私の教務局長としての任期です。
本来は、継続してあと3年間、ご奉公させていただく予定でしたが、来年4月から新しい部署でご奉公させていただくことになりました。そこで、後任として本立寺の亀井日魁師が次期・教務局長としてご奉公されることになりました。
宗務本庁の教務局の任務は、全宗内の教務を掌握し、修行と学問にみなが精励するようつとめ、その資質向上を図り弘通進展に寄与するということです。
どこまでできたか分かりませんが、自坊・遠妙寺のご奉公をある程度、犠牲にしてさせて頂きました。ずいぶん、遠妙寺の教務が一所懸命、いまやってくれていますので、心置きなく本庁でのご奉公がさせていただけたので有難く思っています。
とはいえ、大してお役に立っているとは言えません。でも、当たり前のことですが、公正な方法で、間違いなくすべての事柄をやってこれました。これは、教務局のご奉公をして頂いている教務部長の妙薫寺・伊藤日博師や教育部長の本立寺・亀井日魁師などのメンバーが良かったからに他なりません。
私たちは、講有上人に代わって全教務の昇進にかかわる講有考試(試験)の事務なども扱っています。プライバシーにもかかわることですので、情報がもれないようにするのも一苦労です。
本当のお別れは、来月9日の叙任式(本山における教務の昇進儀式)ということになります。
一週間前に行われた試験の採点が今朝、終了して、これからその合格、不合格を審議する委員会に御講有上人が臨席、審議されます。
これは予想ですが、受験者の3分の1くらいは合格者が出そうです。
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敬老御講がにぎやかに開かれる

2009年09月13日 | Weblog
本日、敬老御講が開催されました。
遠妙寺では、75歳以上の方を敬老の対象者としていますが、それでもかなりの人数です。
そこで、近々、80歳以上に引き上げようかという案が浮上してきました。
しかし、一般には65歳以上が対象です。お寺は80歳以上とすると、一度もお寺でのお祝いをしてもらえず一生を終わってしまう人が多数になるかもしれません。
一時、遠妙寺では敬老御講ではなく、敬老のお祝い会として開催していたことがありました。しかし、先住日玄上人は、「ただ長寿をお寺にお祝いしてもらうというのではいけない。長寿を保ち、一年間、無事に過ごし、またお参詣できたことをお礼申し上げる御講でなくてはならない」と言われました。それ以後、敬老御講と称して開催しています。
長寿の方が多くなったのと同時に、敬老が軽老・・老人を軽めるという傾向になってきたと言われています。電車の中に、優先席が設けられていますが、堂々と座っているのは若い年代の人で、たとえ、お年寄りが前に立っていても無視しています。お年寄りには、やはり、年よりや老人と見てほしくないと思う傾向がありますから、優先席に近寄る方はそうおりません。そこで、優先席に座るのは若い人が多くなると言うわけです。
こんな世のありさまですが、せめてお寺では本当の敬老の精神で、年長者を敬い皆で心を込めてお祝いしましょうということで、薫化会の子どもから74歳の人までみんな集まっています。御講の後は、踊りやマジックショーなど楽しく過ごしています。
やっているわけですが、
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今日は龍口ご法難記念日

2009年09月12日 | Weblog
今日は日蓮聖人の四つの大きなご法難の一つ、龍口ご法難の記念日です。
そこでお寺では龍口ご法難記念、一万遍口唱会が開催されました。

龍口(たつのくち)ご法難について
文永8年(1271年)、鎌倉幕府の手に捕らえられたお祖師さま旧蓮聖人は、謀反人のように鎌倉の街を引き回され、同夜、佐渡流罪が決定します.早速鎌倉を出発されるのですが、突如「龍□」の刑場に引かれ、斬首されるという事件がおきました。
その遠因は立正安国論の幕府への提出で、直接原因は同年6月、降雨の祈願比べを挑んでお祖師さま日蓮聖人に敗れた律宗の良観忍性の工作によります。恨みを持った良観は大奥に取り込み幕府要人に訴え(侍所 平の左衛門尉頼綱など)、お祖師さまの厳しい他宗折伏は他宗の誹謗であると同時に幕府の批判で危険であると訴えました。日本を思い、世を思っての御題目ご弘通による尊い受難です。
9月12日午後、お祖師様の庵に役人、暴徒が押し寄せ捕縛、市中を引き回し夜中にお祖師さまを首の座(斬首を行う刑場)につかせます。その時、マリのような不思議な光り物が南東の方向から現れ煌々と夜空を照らし、死刑執行の役人たちは恐れて逃げ去り、刑の執行は不可能になりました。
 私たちが今日、この現証あらたかなご信心をさせていただけるのは、そうした死をも恐れず、不退転の覚悟でご弘通されたお祖師さまのお陰です。今までどれほどの人が命を救われ、絶体絶命の所を助けられたことか。この現証ご利益こそ、私たちもご利益をいただける保証をしてくださる「おおもとのご利益」です。
 近代に至って、この龍口法難を史実ではないと疑う学者がいましたが、ことごとく論破されています。 
御指南に(日扇聖人全集13巻285頁)
 宗祖大士は文永八年九月一二日、龍ノ口の御難の現証。古今独歩の一大現証の御利益也。仏滅後二千二百三十余年に未曾有の現証経力也。これ無くば本門流通、折伏宗は争でか(いかでか)末法万年の外未来迄も流布すべしや。此現証には付過(すぎず)の一句心腑(しんぷ)に染て、汝じ生涯の頚懸守り(くびかけまもり)となすべき也。
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ある御講で 席主の挨拶その2

2009年09月11日 | Weblog
前日より続く
父は明治32年、山形県米沢市に産まれました。九人兄弟の五男坊です。その家は元は米沢藩の家臣だったそうです。厳しい父ととても優しい母に育てられ、子供の頃は納豆売りなどして家計を助けていたそうです。その後、東京で職人としてスタートして、身を起こし一時は経営者となり羽振りも良かったと聞きました。
そして、その景気が良かった時代に結婚して二人の息子が生まれましたが、うまくいかず協議離婚。
それから第二次世界大戦が始まりました。長男は召集令状がきて戦地へおもむき、次男は寂しさから兄を追って志願兵として戦争に行きました。
その後、父は私の母と知り合い、再婚し、ご信心の方も仕事関係の方から勧められ入信しました。入信の動機は、胃けいれんで何度か道で倒れ病院に運ばれたことです。ご信心を始めてからは、胃けいれんも完治することができました。でも、当時の父は御講やらお助行は母任せで、あまり信心に熱心ではありませんでした。
昭和19年7月29日に長男が戦死、翌年昭和20年4月18日に次男が戦地にて病死しました。父はとても落ち込み、人生の儚さ、無常を知り、それから父は教化親からお折伏を受け、「あなたは罪障が深い。それを消滅しなさい」と言われ、それからの父は人が変わりました。
 「高祖のたまわく 一切、法華経にその身を任せて金言の如く修行せば、たしかに後生は申すに及ばず、今生も息災延命にして、勝妙の大果報を得、広宣流布の大願をも成就すべきなり」という難しい言上を、いつも朝晩の御看経の時に、させて頂き、その通りご奉公に励ませて頂きました。
 朝は5時頃起床、御宝前のお給仕、その後お寺に朝参詣、帰って来て自宅にての御看経、仕事にでかけ、夕方帰ってきてすぐに組御講、お助行に出かけ、夜9時半頃帰ってきて10時より食事、という毎日の繰り返しで、お教化の方も毎日誰かに声をかけ、多くの教化子がいました。父はお寺では連合弘通委員、組長、教区長とお役を頂き、皆から慕われ、毎日のように教化子の方が父を訪ねてきました。
私は、そんな父にいつも御宝前第一ということをしつけられ、子供の頃から三大会、日曜日の総参詣、元旦には四ヶ道場参詣、寒修行参詣、夏期参詣などお参詣させていただきました。(中略)
父の身を以てのご信心教育によって、私はこの御法様はありがたく尊いということがよく分かりました。また、お罰と言うことも体験し、謗法は恐ろしいという事が身にしみました。そして、私自身も成長して、青年会のご奉公に励み、数々のご利益を頂戴し、今日に至っております。
最後になりますが、こんな素晴らしいご信心を残してくれた父に私は心から「ありがとう」と言いたいです。幼い頃は、とても年の離れていた父を恥ずかしく思ったこともありましたが、いつもニコニコし、困った人にはいつも頼りにされていた父を本当は大変誇りに思っています。本日はお参詣いただき誠にありがとうございました。(本人の了承により掲載しました。)
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ある御講席で・・・席主の挨拶より

2009年09月10日 | Weblog
 父の思い出をお話しさせて頂きます。父は今から32年前の今日、ちょうど今頃の時間に76歳を以て帰寂しました。父は昭和52年6月頃体調を崩し、歩けなくなり入院しました。寿命だったのでしょうか、だんだん衰弱して亡くなりました。
入院中に、不思議なことがありました。7月末頃、父が母と私に「今日、鈴置さんがお見舞いにきた」と言いました。その方は父の教化子で、足が不自由な上、老人ホームに入っておられました。父はその方の面倒をよく見ていて、月に二、三回はホームを訪ねてご信心に関する本などを持って行っておりました。私は、その方は足が悪いので来れないはずなのに、父がなぜそのようなことを言うのかと不思議に思いながら家路につきました。
家に着くと玄関の前に女性の方が立っておられて、「お父様はいらっしゃいますか」と尋ねられ、私は「今父は入院しております」と言いました。するとその方は「私は鈴置の姪でございます。今朝、鈴置が亡くなりました。もし亡くなった時にはお父様に連絡するように言われ、ここまで参りました」と言われ、私はとても驚き、背筋がぞくぞくとしました。
あくる日、母にその事を告げましたが、父には言えませんでした。
その方の五・七日忌法要が9月11日の11時からありました。その時父はもう話もできない状態で医者からは家族を呼びなさいと言われていたのですが私は父を置いて兄と二人で鈴置さんの御回向にお参詣させて頂きました。お寺ではその時、龍ノ口ご法難の口唱会でした。たくさんの方がお参りしていましたが、鈴置さんのご親戚と私たちで御回向をさせていただき、終了後ご供養の準備をしている時、母から「もうだめみたい」という電話がかかってきました。
私は兄と二人で急いで病院に駆けつけました。私が急いで病室に入ると、そこには安らかな父の姿がありました。「お父さん」と叫びました。すると不思議なことに、白い煙のようなものが窓に向かってすうっと消えていきました。私が来るのを待っていたような感じでした。・・・・続く
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光隆寺 立川別院の開堂式

2009年09月06日 | Weblog
今日は、光隆寺の立川別院にお参りしました。
途中、高速道路が高井戸付近で事故渋滞していました。ゆうゆう到着のはずが、だいぶ時間が掛かり、開始15分前にようやく到着。何とか間に合いました。
本来は、奉修導師がおつきになる前に着いてお待ちしなくてはならないのに、今日は、それどころか遅刻寸前。
ところで、立川別院は敷地が2600坪もあり、墓地が併設されています。ご信者が数年にわたり、浄財を寄せて建設ができたものです。不景気な世の中だからこそ大事な「ほんものの教えの殿堂」を築き、人々に幸せをもたらす教化に励み教えを弘める拠点が必要なのです。
正直、立派で驚きました。設備も整っていて本堂では、耳が悪い人が補聴器によって御法門などを聞きやすいように支援する装置が設けられているとのこと。また、ふつうの人にも音声が聞き取りやすくなっているそうです。
大正末期と言いますから、もう80年以上前に、第九世講有にして光隆寺住職であられた亀井日聲(かめいにっしょう)上人が英断によりこの土地を求められたそうです。光隆寺は大正期にも特に隆盛を極め、何千人もの参詣者がいつも本堂にあふれていたそうです。
今日の奉修導師は第一座が浜松・蓮風寺の米田日舞上人。
第二座が渋谷・乗泉寺の川口日智上人。
私が出座したのは第二座でした。川口日智上人の御法門は、
講中を たがひにすゝめ はげまして 御恩報じの 奉公をせよ
という御教歌によって説かれました。
「講中」とは、お互い佛立信者のこと。「たがいに」とは、家庭の中においては家族同士、外に出ては、お寺の教区、部、班のご信者同士。このような人々が親密になり、協力し合うこと。自他共に一人一人が大事なご信者で、協調性が必要、孤立はダメ。
「すすめはげます」とは教化や助行の誓願達成のため、はげまし合うこと。ご信心は生き物で、昨日までしっかりしていたご信者も、油断は禁物。罪障を起こし信心を失わないよう、目を離さないこと。御利益段を読み聞かせ、つねに信心増進するよう刺激することが大切。
「御恩報じの奉公」とは、御祖師様に対する報恩のご奉公。恩は因(もと)+心という字。今日、御利益をいただくことができますのも、お祖師様のおかげということを、しっかり肝に銘じなくてはならない。
御会式を奉修するのは報恩のため。御会式の時、「恩山の一塵、徳海の一滴を謝し奉る」と言上します。これは大きな山のような御恩を頂いていることに対して、せめて一粒の塵ほどでもお返しする、大きな海ほどの徳を頂いていることに対して、たった一滴の水の分だけでもお返ししたいと思ってご奉公させて頂くことが大切。
以上、パンフレットに掲載された「大意」に基づき御法門をなさいました。

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