今度は45年ぶり

2006年10月23日 | Weblog
今年はどうかしているのか、今度は小学校の同窓会が30数年ぶりに開かれ、全然会わなかった人とは45年ぶりに会いました。
仏教では会者定離といいますが、ほんとにスク近くにいても会えない人とは会えないもんですね。同じクラスの卒業生は49名、そのうち2名がすでになくなっています。消息不明者は25名。連絡が付く人は22名しかなく、出席者は一次会、二次会を含め18名でした。私は遅れて参加、二次会にかろうじて間に合いました。
小学校の時、同じ教室で同じように勉強していたのが、それから49通りの人生を歩んできたし、これからもそうなんですね。
今度はいつかなー・・みんなと会えるかな―?
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2006年10月17日 | Weblog
秋はつるべ落としというけれど、ほんとにあっという間に闇につつまれる。
今もって気温は高いけれど朝晩は冷えてきたし何より淋しい。
大勢の中にいても心は寂寥としている。こんな時、本当に心と心を通わせあえる人がいる人もいればそうでない人もあるんだろうな。
待っていてくれる家族、同じ道を歩む仲間、同じ道を行く友。
しょせん孤独な人生だからこそ暖かさを皆求めるんですね。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

豊臣秀吉・京都のお城

2006年10月10日 | Weblog
京都にはいろいろな痕跡があるのですね。
これは堀川御池の東北角から一筋か二筋、東に入り少し上がった処で見つけました。上の駒札を見ますと、ここはもと妙顕寺というお寺の跡です。この妙顕寺は現在、日蓮宗に属していますが、その昔、日像(にちぞう)という方が14世紀初頭に開創されました。この日像菩薩も次の大覚大僧正(だいかくだいそうじょう)という方も私たち宗門の列祖として関係が深い方です。
豊臣秀吉はこの妙顕寺をよそに移転させて屋敷としたといいます。その屋敷の周囲に壕をめぐらし、お城のようにして京都の政庁としました。後に聚楽第が築かれるまで使用しました。ふだんは前田玄以という人物が京都の政務にあたり、豊臣秀吉が京都に来た折には宿舎としたということです。京都には歴史が息づいているんですね。
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

叙任式

2006年10月09日 | Weblog
一昨日は京都、本山宥清寺において叙任式(じょにんしき)がありお祝いに行ってまいりました。
叙任式というのは私たち本門佛立宗(ほんもんぶつりゅうしゅう)の制度にもとづいて御講有(いわゆる管長)から上位の位を頂き任命される式典です。
私は団塊の世代に属します。そんなわけで昔は、このような位階の制度に得心できず、仏教の本来の精神と食い違っていないだろうかと考えたものです。そこでしばらく、上位の僧階を頂く試験も受けず、手続きも遠慮していました。
しかし我が宗ではけっしてお金で僧階という位を買うのではなく、日頃の精進の姿を考慮し、また、試験制度によって公平な方法で厳密に審査するということが分かり考えを改めました。毎月開催される修学塾(しゅがくじゅく)という勉強会や試験もあり、そうこうしているうち教学(きょうがく)も身につきます。
そして何より真面目に長い間、佛立宗の教務(きょうむ 僧侶)として大勢の人を教導しお世話してきて、勉強もされてきた教務さんが栄えある式典に出て本当に嬉しさ溢れている姿を拝見すると、これはやはり、宗門として必要不可欠な式典ではないかと思うようになりました。そして来年からこの式典の担当者になるとは、人生のめぐり合わせはおかしなものです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ツマグロヒョウモン

2006年10月07日 | Weblog
先日、虫博士の向井先生にお会いしました。そしてこのブログに掲載した蝶の写真を見てもらったところ、キタテハでもヒメアカタテハでもなくツマグロヒョウモン(写真左)という一般種の蝶であろうというご託宣でした。
エッ。一般種だって?私ははじめて見たので慌ててカメラを取りに部屋に帰りおそるおそる蝶がとまっていたところに戻り激写したつもりだったのですよ。
もともとこの蝶は在来種でパンジーなどを食べるそう。都会でもガーデニングをやるおじさん、おばさん(あれっ、私たちのこと?)が結構いるので、最近この種類の蝶が繁殖しているそうです。ふーん、そんな事まで知ってんのね。すごいね、何屋さん、いや何が専門ですか?
でも、向井博士はまだ、まともな方で中にはブラジルなど中南米まで蝶を追いかけて滅多にいない種類の蝶の写真を撮ってくるそうです。今はブラジルでは蝶を採取して国外に持ち出そうもんなら即、逮捕、収監ということで保護しているのです。人を傷つけたりするより罰則が厳しい。そしてその蝶の中でもミイロタテハ(アガリウスの一種、写真右)等は垂涎の的でその姿を見たい、ほしいという人がたくさんいると聞いて驚きました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

新学寮の起工式

2006年10月05日 | Weblog
きのう、京都で私が教員のまねごとをしている学校(宗立・佛立教育専門学校・・要するに私たちの宗門のお坊さん学校です)で新しい学寮(学生寮)の起工式がありました。導師は講有(我が宗の管長)小山日誠上人です。
起工式というとあまり聞き慣れないかもしれませんが、神道などでは地鎮式といっています。わたしが住職をつとめる遠妙寺を開創した伊達日彰(だてにっしょう)上人という方が仏教では地鎮式というのはおかしいと言っておられます。それで起工式と称するのですが、新しい学寮の完成を祈って執り行われました。
私たちが30年前に住んでいた施設に比べますと、はるかに立派な建物のようです。
無事故のうちに工事が進んで早く完成しますようお祈りしました。
できたら住んでみたいな!
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

旅立ち

2006年10月03日 | Weblog
八重子さんはこの間までずっとこのシーサイドの自宅で過ごしておられました。
私と同じ誕生日ということもあり、いつも気になっていました。とても朗らかで、また、気丈な処もある方でした。八月にこのお宅で四十九日が営まれ、私としても八重子さんのお宅に伺う最後の機会となり、写真を携帯で撮ったのです。
そして何気なくきのう、その写真を撮ったことを想い出しました。それで思い出にふけったいたら、今日はちょうど百ヶ日だったのです。偶然かもしれませんが不思議です。
不思議といえば、仕事柄もう何百人の方を見送りましたが、その折、法要では本門八品所顕(ほんもんはっぽんしょけん)上行所伝(じょうぎょうしょでん)本因下種(ほんにんげしゅ)の南無妙法蓮華経と私たちは御題目を唱えています。ふつうは遺体というものは死後硬直してカチカチとなり、またそのお顔もどんな美人でも怖くなっていくものです。ところが、どうしてそうなるのか私も分かりませんが、本門八品所顕・・・と何回も御題目をお唱えすると硬直がとれ、顔も白くしわも伸びるのです。アメリカなどではエンバーミングといって故人に対して「生けるがごとく」見せるように血を抜いたり殺菌してあらゆる処置をほどこしメーキャップするのですが、まったくそんな必要がありません。
特に八重子さんは信仰心が篤くふだんから心がけよく欲もなく純粋な方でしたから、神々しい姿で旅立ちをされました。きっと良いところに行かれるのだと皆が思いました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

クラス会

2006年10月01日 | Weblog
実はきのう、高校のクラス会をやりました。一時はメジャーでいまはマイナーなと言ったら今の現役高校生に怒られるけど、私たちは都立小石川高校の出身です。1965年に入学して1968年に卒業したD組のメンバーで金津先生(通称カナチン)という国語の先生のクラスでした。金津先生は春風駘蕩、大人(たいじん)の風格をただよわせる先生でした。すでに亡くなられて何年も経ちますが、その少し浮世離れした雰囲気に知らないうちに染められた感じで、私たちのクラスメートはどこかホーッとしています。
世話好きの後藤氏が皆をかり集め、丸の内のOAZO(オアゾ)とかいう丸善が入っているビルの5F・イタリアンレストランで開催しました。
40年以上経って再会した人がいましたが、女性はなかなかチャーミングで、男性は年輪を感じさせ、よい意味でしぶいという印象を持たせる人が多かったという感想です。誰かが言っていたけど高校生の頃の性格は基本的にあまり変わりません。
周りに気を遣って終始、おしゃべりし続け、それでいて全部食事を平らげていたという人もいましたが、相変わらず絶好調です。
とにかく、現在、自分自身が堅いお寺の住職とか三人娘の父親とかいう日頃の生活を忘れてしまうような楽しいひとときでした。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする