もう、終り?

2010年03月31日 | Weblog
この3月でもう、学校などの年度が終わります。
こんなに寒い3月31日は記憶がありません。

一昨日は佛立研究所と佛立教育専門学校で共催の恒例、研究発表大会でした。
有意義な研究が発表されましたが、特に特別講演として講有、小山日誠上人の「日扇聖人全集完成に至るまでの苦労」についてのお話は、圧巻でした。
日扇聖人全集の発刊当時の昭和32、3年頃から50年にわたって編集に携わられたということで、当時から今日までの印刷業界の動向や事情、や印刷技術の移り変わり、進歩発展に精通されていて驚きました。
そういえば、約二十年前、開導日扇聖人第100回御遠諱の頃、講有上人が宗務本庁の特別局局長としてご奉公されていた折、私はそのもとで「長松日扇とその教団・上」の出版に向けて企画をするよう仰せつかりました。
その頃も、編集の手腕を発揮され、とうとう立派な本が平楽寺書店から出版刊行されました。
その手際の良さと、出版社相手に交渉をまとめる力に驚嘆しました。

私が担当したのは、もっぱら最初のうちで本の企画と、執筆者探しと依頼でした。
宗内の先生方にまず、執筆を依頼しましたが決まるまで大騒動。そして、結局、書いていただいたのは野日丞上人と当時は佛立に所属していた益田清聞氏。
東洋大の西山先生に助けていただき、宗外の学者として、恩師の平川彰先生や仏教学の田村芳朗氏、立正の高木豊氏、冠先生、それに村上重良氏、宗教学者の森山先生、中牧先生などに執筆をお願いしました。通算で何年もかかりましたが原稿を必死に集めました。でも依頼中に亡くなってしまった方も一人、二人ありました。いちばん、驚いたのは参考図書として日扇聖人全集の全巻を贈っているのに、書くことを引き受けてくれたのに、書かなかった学者さんがいたことです。


話がとんでしまいました。それはさておき、ともかく、講有上人の講演にみな、大いに拍手して、夜は同窓会を開くグループが沢山ありました。
この同窓会は佛立教育専門学校60周年を記念して、各卒業年度ごとに同窓生が集まったものです。
でも、とにかく、冷え込んだ夜でした。

そして昨日は、教務の修学塾の教員の研修会です。
いやー。この日は、疲れた1日でした。
授業を3時間ほど、受けただけでしたが。


そして、今日は朝から走り回り、御講など。
あすから四月。よっしゃーガンバります。
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フィリピンの宗教事情

2010年03月25日 | Weblog
フィリピンは世界でまれに見るカトリック王国です
教会はデパートの中にさえ、あります。国民の90パーセント以上がカトリック教徒で、それも熱心で日曜日には必ず、教会にいきお祈りをします。
家族そろって教会に行き、子供の頃から徹底的に宗教教育を施します。
私立学校なら、学校の中でお祈りをすることは拒否できますが、公立学校の場合は強制的にお祈りの時間には出席しなくてはなりません。
日本と反対ですね。
ある意味では、その辺の所はヨーロッパよりバチカンの方針が徹底しているのではないかと思います。メキシコもかなり熱狂的なカトリック教徒がいるようですが、それにまさるとも劣らないといえるでしょう
そこで、どうしてもフィリピンにお寺がないと、子どもたちも大人も日曜日に行くところがなくなってしまうのです
これから御有志を募って一日も早く別院が欲しいというのがフィリピンのご信者のいつわらざる思いです
しかし、フィリピンの人々の平均的な収入は1万ペソといい、2万円くらいです。ほとんどが生活費となってしまいます。フィリピンの宗教団体の中には月収の1割を献金せよと教えているようですが毎月2000円の御有志は大変なことです。でもフィリピンのご信者も護持費(義納金)や御有志をさせていただくよう指導ができてきました
少しでも自分たちのお寺という感覚をもたせてもらうには、僅かな額であっても志を込めて皆でたてさせてもらうことが大事だと言っています
でも何と言っても、日本とフィリピンとのレートの関係で日本からの御有志はたいへんに重みがあるものとなります
何とかお計らいをいただいて心のよりどころとしての別院ができるとフィリピンのご信者もどれだけうれしいことでしょう
フィリピンはキリスト教国ですが、政治的にも不安定でベニグノ・アキノ氏が射殺されてマルコス大統領が失脚し、その後、奥さんのコラソン・アキノ氏が大統領になりました。しかし、身内に不正があり、それを黙認したといわれ、その後、ラモス氏、エストラーダ氏が大統領となり、そしてアロヨ大統領となりました。そのたびに一悶着あり緊張感を漂わせはらはらさせる場面がありました。アロヨ大統領は貧困の撲滅、汚職の追放、政治倫理の確立と治安の強化をうたいましたが、やはり身内が不正をしているとのことです
5月には大統領選挙があるとのことですが、フィリピンは汚職等で追放された人がしばらくすると復活し大統領選にも出馬するとのことです、かつてのイメルダ・マルコス夫人も出馬し、不正蓄財で弾劾を受けたエストラーダ氏も今回出ているとのことです
体曲がれば影ななめなりと日蓮聖人が仰せのように、国のもとは宗教で、宗教なら何でもよいというワケではありません
佛立の教えが広まり、万民一同に南無妙法蓮華経と唱えてこそ日本もフィリピンも世界もよくなるのですからますます教化ができるといいな、十年後にはキリスト教会に一目置かれるような存在になってほしいと願っています
これは余談ですが、この間、フィリピンに来たときの新聞に出ていた記事がありました
それは干ばつで困っているので雨乞いを全土ですべきだと枢機卿が発言した、そして何人かの司教はこれに賛意を示したが、ある司教はその方針に反対し、そんなことは祈るべきではない、彼・・・神が今後のことはどうすればよいか一番分かっているのだから任せるべきだと言っていると出ていました
カトリックでもいろんなひとがいるんだなぁ、結構、ご祈願ということを真剣にやっているんだなぁと感じた次第です。これもフィリピンらしいと思いました
(写真はブーゲンビリアですがボガンビリアと発音されています)
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フィリピンはいいところ

2010年03月24日 | Weblog
フィリピンはいいところだと思うのは、
何と言っても住んでいる人々の純粋さです
昨晩、病気の所お計らいを頂いて直り、外資系企業の正社員として採用されるというご利益を頂いたロメルさんと、彼の回復ぶりを見てびっくりしてご信心に感動、自ら入信して、たくさんの人を教化したジェンマさんに会いました
二人は毎日、充実してご信心をさせていただいている喜びを素直に表しています
また、ジャネットさんは自分たちが率先して御助行をさせていただかなくてはとの思いで、一軒一軒の御助行をご主人の黒柳さんと行っています。その写真を拝見しますと、住居の環境は日本の方が良いようですが、フィリピンの人々は心の宝というものに恵まれていると感じます
御助行を受けて、満面の笑みを浮かべて喜んでいる、その様子をみるとこちらの心まで洗われます
日本人が忘れかかっていることを思い出させてくれるのがフィリピンです
フィリピンがいつの日か、佛立信者と菩薩であふれ、釈尊がめざされた平等な社会が実現できるように、そのためにも佛立信者のより所がほしいというのが私たちの願いです
(写真はフィリピンにて)
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いまフィリピンです

2010年03月23日 | Weblog
フィリピンから帰ってきて三週間。
また、フィリピンに急遽、来ています。
キリスト教のお祭りが3月末から4月末まであるそうで、切符が取りにくかったのですが、何とか来ることができました。
今日は、局長といっしょにきましたが、昨日からマニラ入りした彰勲師や黒柳夫妻、それにネルソンさんが迎えに来てくれました。
ネルソンさんは、黒柳さんの奥さんの弟ですが、いろいろ悩みが深く世の中に適応していくのが大変だったようです。
キリスト教のカトリックやその他、いくつかの宗教に入信しましたが、どれにも心の安らぎを感じませんでした。
ところが、本門佛立宗の教えにであい、上行所伝のお題目をお唱えしているうち、何か心惹かれどんどん信心増進して、いつの間にか気持ちが明るく前向きになりました。こんな気持ちになったのは初めてだと、心からありがたく思い、さらにご信心に励み、知り合いを教化までするようになりました。
そして、今まで思うような仕事に恵まれなかったのですが、就職活動を始めたところ、良いところに正社員として就職でき、大変喜びました。フィリピンでちゃんとした会社の正社員になることは日本以上に難しいとのことです。
その彼が、先日のフィリピン初御講のご奉公に際して、力一杯ご奉公させていただきたいと頑張りました。ご奉公は三日間にわたりましたので、会社の方に休暇をほしいと願いでsました。ところが、フィリピンはなかなか休みを思うように取れない国で、もし3日間休むなら首だと宣言されたのです。
しかし、彼は大事なご奉公だから、正社員になったけれど、そのご奉公ができないなら首でも構わないと、ご信心の方を簡びました。
なかなかできないことで、入信してそれほど日にちが経っていないのに、大変な決定をしました。
彼はいま、日本に行き仏教について、ご信心についてもっと学びたい、もっと知りたい、もっとご奉公させていただきたいと静かに、しかもたぎるような情熱を燃やしています。
一日も早く、遠妙寺でご奉公できるようお計らいを頂いて欲しいと思います。

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佛立教育専門学校 卒業式

2010年03月20日 | Weblog
昨日、平成22年3月19日。本山宥清寺の御宝前において佛立第二十四世講有、小山日誠上人ご親修のもと、平成二十一年度・卒業式が挙行されました。
専門科5名、普通科1名。合計六名と、最近では一番少人数の卒業式でした。
でも、それぞれ、深く秘めた弘通のこゝろざしを以て巣立っていきました。
答辞を読んだ卒業生代表の岡本広勤師は、もっとクールに見えましたが、声を詰まらせて卒業の喜びと抱負を語り感動的でした。
午後は謝恩会として、卒業生が御講有はじめ、本山、学校関係者、在校生などに珍味のカレーをふるまいました。かなり、プロの味に肉薄、あるいはそれを超えるできばえで、少々驚きを感じました。
佛立教務はこれからが本番。とにかく大勢の人を助ける菩薩行に本当に精進しなくてはなりません。頑張れ卒業生!

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羨ましきは正直な人

2010年03月18日 | Weblog
 最近、わが佛立教育専門学校に入学する人はまぎれなく、国際化しています。
四月から入学するのは立派な施設からすれば、たった7人くらいで肩すかしのような感じがします。しかし、その中で2人が外国で生まれ、得度して日本に来ています。
 二人ともそのお父さんを私は知っていますが、いずれも教務二代目です。
一人は韓国出身で、その父は私が大阪清風寺でいっしょの時代がありました。一人は、ブラジルから来た鈴木師で、その父は私と同じ時期に、学校で学び、同室の時もありました。もう今は亡くなってしまいましたが、将来を嘱望されていた教務さんで大変残念です。ずいぶん仲良くしてもらい、ブラジル語(ポルトガル語)の片言を教えてくれました。その遺児が今度、入学というのは何か因縁を感じます。
 一般的に申しますと、外国の人は非常にご信心の面で素直正直だという感じがします。
 日本にはおかしな宗教がたくさんあり、ゴシップやスキャンダルが新聞や週刊誌にもよく載っています。また、大勢の人を殺傷した教団もあり、詐欺行為により人々からお金をだまし取っていた団体や、いかがわしい宗教などたくさんありましたし、今もあります。
 その影響だと思いますが、日本人の場合は宗教と聞くだけで拒否反応を示したり、アレルギーのように過剰な反応をすることが多々あります。ですから、信ずるかどうかというレベルではなく、信仰を勧めるというだけで、まず疑いのまなざしを向けるという所があります。
 実際、だますようなところが多いので致し方ないとは思いますが、一面、本当にこれほど不幸なことはありません。
 私たちは佛立信心が紛れもなく真実で、合理性という点でも、経典という文献を検証しても正しい教えであることが分かりますし、何よりさまざまな現証という事実を体験することができます。その具体的な現証の事例を実際に語れば、もうこれは現証ご利益としか考えられないことがたくさんあります。
 それなのに、疑う人は疑います。ありとあらゆる方面から、この教えの真実性を訴えても、その場で現証を見ていない限り、多くの日本人は疑います。
ところが、外国、たとえばスリランカでも、フィリピンでも聞いたことをまっすぐ信じて、素直に御題目を唱え、あっという間に現証体験をする方が多いのです。
 開導日扇聖人が
仏説を きいて其まゝ うたがはず 羨しきは 正直な人
と御教歌をお示しですが、現代人は騙されないよう防衛しようと思い、大事なものをひき換えに失ってしまったように思えます。
佛立信心、佛立菩薩道とは、いわば、その失われてしまった「素直正直な無垢なこころ」を取り返す心の旅路です。
(写真はブラジルの景色)
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春らんまん 

2010年03月16日 | Weblog
今日は飯能市まで御講にまいりました。
先代は事務局長のご奉公をされた方で、三人の息子さんがいます。
その三人とも法灯相続されました。
息子さんと行っても今日の席主の長男の方は76歳。
この方は、有数のK建設会社で長年はたらき、今は自由の身。
お母さんは先年、九十四、五で亡くなりましたが、強信者でした。
八十五歳頃、ガンで腸を切除して再縫合、とても耐えられないだろうと思われました。
しかし、見事、回復して周囲を驚かせましたが、本人も一所懸命、病院で御題目口唱。また、長男の方もお寺まで毎朝二ヶ月間ぐらい祈願参詣を続けました。そのお計らいです。
この長男の方は理系の大学を出て、仕事も技術者として業務をこなされていましたが、たびたびに不思議なお計らいを感得。素直に御法様の有難さを実感されています。
御法門の御教歌は
【御題】我即歓喜諸仏亦然文
うた人の はるを待えて 鴬の 声きくがごと おぼしめすらむ
をいただきました。
待ち望んでいる時に、ウグイスが飛んできてホーホケキョウと鳴く。うた人は、我が意を得たりと、うれしくはやる気持ちを抑えながら一首、うたを詠むという次第です。
私どもがお唱えする妙法の御題目を諸佛はお喜びくださり、感応道交して妙不可思議、自由自在のご利益をお授けくださいます。
世の中、何事も出会いとタイミングが大事です。
ウグイスとうた人。梅とウグイス。
以前、NHKのかつての放送したものを何十年ぶりにアーカイブスという番組でやっていた中に佛立宗の宗歌の作詞者、西條八十さんが出ていたのを見ました。
世の中の動きや人の気持ちをみてとり、誰にも親しまれ歌われそうな詩をつくりヒットして一世風靡しました。
その西條さんが、人々の心に訴えて世の中を変えていくような歌でなければだめだと言っていました。また、今は詩と曲とが調和した流行歌がはやっているけれど、いずれは曲だけの音楽になっていくだろうと言っていたのが印象的でした。
まだ、流行歌の世界にはそんな兆しもなかった時代に、先を読んでいたのです。
そのような人だからこそ、数々のヒットが生まれたのでしょう。その時代の人々の気持ちと西條さんの心、情感とが感応道交して一つの詩が生まれ、それがまた、人々の心の中に入っていく、また、その人々の心のたけを汲み取って詩が生まれるということでしょう。
詩に力がある以上に妙法には底知れない力があります。
その本当にありがたいことを、しっかりと人々の心に入っていくような表現で伝え、私たちが敬虔な思いで厳かに妙法をお唱えすれば、必ず人々の胸を打ち、ご信心に目覚めます。
諸佛はまた、歓喜して、後押しをして、教化をする側にも、教化を受ける側にも妙法のご利益を顕わしてくださるのです。
もう春です。羽を広げてご弘通に踏み出しましょう。
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立正寺 門祖会

2010年03月14日 | Weblog
今日は、足立区の立正寺の門祖会でした。
奉修導師は講有、小山日誠上人。
また、本日はあわせて立正寺初代、権大僧正・小西日詣上人の27回忌をつとめられました。
日詣上人は、第五宗務支庁長、宗務総長をつとめられ、また、開導日扇聖人流の書道、「佛立書道」を普及された方です。
実に雄渾かつ華麗な書風は、開導日扇聖人の書そのものとも言うことができるもので、私たち佛立教務もみな、そのお手本によってもっとその書風を身につけなくてはなりません。
今日の門祖会の御法門は、
【御題】再興隆尊師の御本尊のかたはらの白紙に
此君の いまさゞりせば 遠つおやの 清きながれを 誰かくま丶し
という御教歌をいただいて、門祖日隆聖人のご生涯を述べられました。
そして、次のようにお示しになりました。、
「門祖日隆聖人は日蓮聖人のお生まれかわりとして、日蓮聖人の正しい教えと、正しい信心修行のあり方と、御本尊を示され、濁ってしまったお祖師様の教えを、もとの清いながれにもどされたので再興正導という。平成25年2月は門祖日隆聖人の550回御遠諱。先頃、本山に全宗の教講が集まり、誓願式を行った。それは、教務員増加300名、60回以上助行者の増加、正宗徒増加誓願である。これをぜひ達成するよう、門祖日隆聖人の御恩徳を感じて、ご奉公に精進すべきである。また、それまでに第四、五、六、七、八支庁各寺院・・すなわち第四世講有日教上人の流れをくむ各寺院は明年五月三~五日に清雄寺で百遠諱が奉修されるが、その報恩ご奉公に邁進するように」
わが遠妙寺は伊達日彰上人が開基ですが、そのお師匠は日教上人です。
ですから、今年と来年は主に日教上人百遠忌(百回御遠諱)の報恩ご奉公です。
そして、門祖日隆聖人に対する報恩ご奉公も同時進行ですが、その締めくくり、クライマックスはなんと言っても明後年の平成24年、その次の25年ということになります。
遠妙寺としても、明年までの報恩ご奉公と、平成25年までの報恩ご奉公があります。
何とか、ここで又、全力を集中して思い出に残るご奉公をぜひ、達成したいと思っています。
うまれ来て みのりの為に はたさずば 何にをしまん いのちならまし
生れ来て しぬる習ひは おなじ世に われ法華経に あひにけるかな
と開導日扇聖人はお示しです。
思い切りご奉公をさせていただき、きれいに散っていきたいものです。
(写真は「龍口ご法難の地をはるかに望んで」・・提供―河野彰国講師)
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春眠、暁を覚えず

2010年03月13日 | Weblog
もう得度してから40年。
朝、早く起きるのは辛い、しんどい、眠いと思いつつ、40年の間、朝早く起きる生活です。
この頃、睡眠障害なので起きることができないとか、体調不良で今日は勤めを休みたいということをすぐ言う人があると聞きます。
病気なら致し方ありませんが、正直、そう思ってそれをそのまま実行する人がうらやましいですね。私はチョットできませんでした。
睡眠時間は7時間とか8時間は必要と言われていますが、長い間、私はそんな睡眠時間をとっていませんでした。
だいたい、この20年は平均4時間半から5時間で、夜中の1時に寝て5時半ころ起きるというパターンでした。
しかし、慢性的睡眠不足で、このままでは身体を壊してしまうのではと思い、昨年ころから12時に就寝するようつとめるようになりました。ところが、眠れないのです。
かえって寝付きが悪くて1時になっても2時になっても眠れない日が続きました。
私は、世に言うところの睡眠障害かもしれない、高級な病気になったものだと思いました。
何度も何度も、12時頃、寝てみようと試み、そのたび失敗。
そして、1時に寝ると眠気が押し寄せていて、一気に寝ることができて、朝もかえって快調です。これは、やはり長年の習慣の力だ、このクセを克服するのは難しいなぁ。
でも、せめて6時間くらい寝ないと、やはり具合が悪いのではないかと思いました。
ある夜、たまたま10時ころに一度、眠くなり、その時に寝ましたら一気に眠ることができました。
睡眠と覚醒には周期があって、10時くらいに寝てしまうと、そのまま寝付けることが分かりました。大発見です。
そこで、10時に寝ようと思うのですが、なかなか用事が片付かないのです。10時に寝る態勢に入れる日は、月に1、2度です。
でも、この正月の頃からようやく、何時でもスーッと寝られるようになってきました。
その結果、ある事実が判明しました。
朝は、夜遅く寝ると眠いのですが、早く寝ても、何時間寝ていても眠いものだということです。
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このあいだ、こんな事がありました。

2010年03月11日 | Weblog
先日、ある方のお墓に行きました。
遠方の霊園から遠妙寺雑司ヶ谷墓地に改葬することとなり、11時半に待ち合わせしました。
ところが、跡を継いだ娘さん夫婦のうち、ご主人が見えていません。
あとで事情をお話しするということで、御回向が終わり、お墓の御題目の開眼を解き、遺骨をお墓から出しました。遺骨は雨が降り続いたためか、完全に水没状態。
無事に取出して、あとは墓石やさんにお願いして、遺骨をもらって、その後はお昼のご供養。
そこで、話を聞きますと、なんとご主人は飼い猫の捜索をしているとのこと。
前々日くらいに、ご主人がチョット油断して戸を開け放していたスキに脱走したとのこと。
それ以来、責任を感じて、近所から何から探し回って、目撃証言を求めて歩き回っているとのこと。
これは今やペットは家族の一員どころか、家族以上の家族だと思いました。
我が家でも、さくらがそういう存在でした。
日本中がそうう扱いで、お葬式でも人間の場合は簡略化をしているのにペットの場合はより丁寧に、より時間をかけ、より悲しみつつお葬式をする傾向です。
分かるような気もします。
でも驚いたことに、そのいなくなったネコちゃんは24歳にもなるとのこと。
そして亡くなった方のお骨をお寺にお預かりした日に、転居したばかりのお宅にかえってきたとのこと。
奇跡的ですね。
犬には帰巣本能があるのでしょうが、24歳の老ネコが転居したばかりの家に帰ってきたというのは!
しかも3日も雨、4日は土砂降りで、よく無事だったなぁと、純粋に感心しました。

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