チベット仏教とチベット問題(紛争)と四川大地震

2008年05月31日 | Weblog
チベットと中国に端を発する問題がアジアのみならず世界のもっぱらの関心事となっています。
シャロン・ストーンはダライ・ラマと面識があるそうですが、「チベットをめぐる中国の行いのカルマ(業)のせいかしら」とカンヌ映画祭に出席した際、発言したとのこと。
これに対して、中国で猛反発が起き、シャロン・ストーンのポスターが撤去されたり、広告出演しているクリスチャン・ディオールの製品不買運動が起きているそうです。謝罪していますが、なかなか収まらないと報道されています。
大事なことは、チベット仏教に付いての問題、宗教上の最高地位にあり、同時にチベット亡命政権の元首としてのダライ・ラマとチベット問題に対する見方、また、四川大地震に対する対応、それぞれを分けて考えなくてはならないと思います。
チベット仏教はかなり高度の教理を有する仏教の一つの宗派です。京大の大学院教授、御牧克己氏がその権威です。そのアカデミックな研究は研究として、宗教としてのチベット仏教には、私自身としては佛立宗の教えと対比して論じ、キチッと対応しておく必要があると思います。
また、チベット問題は単なる政治上の問題を超えて、人権にかかわる事件ですから、これは宗教者として抑圧されている人々を応援し、抑圧をやめるよう働きかける必要があると思います。
また、四川大地震は中国で発生した地震ですが、その中にはチベット人が住んでいる地域もあり、尊い人命にかかわる事柄です。ですから、これは人間として援助の手をさしのべる必要があることは当然です。
でも、チベット問題、そしてオリンピックの聖火のことが、どっかに吹き飛んでしまいましたね。メディアはもっぱら、地震についての報道だけで、シャロン・ストーンがおかしな発言をするまで、誰もチベット問題や、オリンピックや聖火について想い出させてくれる人がいなかった気がします。
自然にウヤムヤになったのか、地震によってウヤムヤにされたのか?チョット考え過ぎでしょうか。
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今日のひと言 「こだわりを捨てよう」

2008年05月30日 | Weblog
こだわりを捨てるということは、簡単なようでむずかしい。
それは、こだわりなど自分にはないという人は、自分の目で見てそう言っているに過ぎないからである。
他人の目から見ると、その人のこだわりが見える。
それに、ことさら「こだわりを捨てよう」と思うことが、「こだわり」である。
本当に「こだわり」を捨てるには、そんなこと忘れるしかないということになる。
同じことが仏教でも言われている。
「空亦復空」という言葉である。
「空もまたまた、空なり」と読む。
執着がないということにも執着しないという意味である。
実際の生活では、何が起こっても「ケセラセラ」と考え、済ましていくことは簡単ではない。しかし、「なるようになれ」と思わなくても、結果はなるようにしかならないことも多い。
それでも、私たちには願いがある。やはり、何とかなってほしいもの。
では、どうしたらよいか。そこで、日扇聖人の御指南を拝見すると、
「願いに大小あり。一切まかせ奉りて親の御はからいに子がうちもたれて、信行を思い出に安心に日をおくるようにし給うべし」
とある。
私たち凡夫のはからい・・これこそ「こだわり」である。これを捨てて、親の御はからい・・み仏のおはからいにお任せして、その教えの通りする。そして、いつも護っていただいているという安心感の中に暮らす。これが実際上の「こだわりを捨てた生き方、暮らし方」ということになるようです。 
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社会起業家とボサツ

2008年05月27日 | Weblog
社会起業家と翻訳されるソーシャル-アントレプレナーについて、一昨日はNHKのBS放送で特集があり、昨日も他の民放チャンネルのニュース番組で取りあげられていました。
有名なのは、バングラデシュのグラミン銀行です。「貧者の銀行」としてムハマド・ユヌスが1983年に創設したといいます。低金利の無担保融資を行ってきて、多くの女性に融資して起業を助けたそうです。カゴやいろいろな製品を作り、低賃金で雇われ苦しい生活を強いられてきた人々に、原材料を買うお金を持たせ、それを売り貯金することを教えたというわけです。
ムハマド・ユヌス総裁とグラミン銀行は2006年、ノーベル平和賞を受賞したのですが、底辺からの経済的および社会的発展の創造に対する努力を認められての受賞です。
日本の銀行にも見習ってもらいたい。貧しい人には貸し渋り、貸したと思ったら高金利でむしり取り、自分が苦しくなったら国庫からお金を出させる。これでは、いいことはないですね。
なお、ムハマド・ユヌス総裁は記者会起業家を援助するアショカ財団(創始者ビル・ドレイン)のアドバイザーとなっているとのことです。
その昔、法華経等の大乗仏教は、商業を中心として栄えた都市に弘まったといいます。
その大乗仏教の担い手は、ボサツといい、自ら修行してさとりを求めるだけでなく、困っている人々を助けることを目標としていました。「上は菩提を求め、下は衆生を化す」(かみは、ぼだいをもとめ、しもはしゅじょうをけす」
彼等は、ボサツ団(ボーディサットゥバ・ガナ)という一種の組合を作ってお互いに助け合ったということを仏教学の教授に聞いたことがあります。
これからは、ソーシャル・アントレプレナーの考え方を逆輸入して、ボサツの組織を作り、たとえば、利潤を追求しないけれど、政府にも頼らず自力で運営できる高齢者用ホームを作ることができないかなぁ。一人暮らしで不安を抱えているご信者も多いのでは?・・と新しい考えが頭の中をめぐってきました。
本気で私心なくやれば、何とかなるのでは?甘いでしょうか?
(写真アショーカ王柱頭の獅子、アショカ財団の名前はアショカ王に由来)
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京都 最古の日蓮門下寺院

2008年05月25日 | Weblog
本山・宥清寺が京都でもっとも古い日蓮聖人門下のお寺だったとは驚きです。
1308年(延慶元年)、日蓮聖人の直弟・日辨(にちべん)上人を開基と仰いでいます。宥清寺は本来は、青柳厨子・本門寺(あおやぎずし・ほんもんじ)という名称でした。
日辨上人は越後の阿闍梨と称し、日蓮聖人上足の御弟子、六老僧に次ぐ十八中臈(老)の一人です。日辨上人は広く諸国をめぐって弘通教化に精励されました。
京都においては藤原(青柳)定家の末裔を教化し入信に至りました。それが後に、日辨上人の御弟子として、第二世に列せられる日寿上人です。
日寿上人はみずからの藤原家(青柳家)邸宅を寺院としました。そこで、青柳厨子と称したのです。
ともかく、このような歴史と伝統を有し、日蓮聖人ご直筆の御本尊、そして、我が国最古の日蓮聖人の御霊像をお護りしてきている本山。素晴らしいのひと言です。
今日は、大雨の予報に反して、雨も上がり昼には青空もみえました。
700年万歳!

さて、日辨上人の後、京都には日像上人(1269~1342)が苦難の末、京都に入られ、三回も追放されましたが、ついに妙顕寺を創建されました。その後、京都の町衆に日蓮聖人の教えが受け入れられ、21本山が建立されたといいます。
ところが応仁の乱、そして比叡山延暦寺による天文法華の乱によって、ことごとく日蓮聖人門下の寺院も破却、焼失。多くの寺院が京都郊外や遠方に避難しました。
本山宥清寺も丹波に移転、京都に帰ってきたのは1599年(慶長4年)です。
その後も、いろいろな所を転々としました。そして、元禄7年(1694年)、種々の事情があり本門寺あらため宥清寺と号することになりました。
しかし、一貫して護持してきたのが、先ほどふれた日蓮聖人ご直筆、南無妙法蓮華経の「御本尊」と日蓮聖人がまだご存命中に、手ずから、たましいを入れられた(手自開眼・てじかいげん)日蓮聖人の御尊像です。
この日蓮聖人のお姿を謹刻したのは、やはり日蓮聖人直弟、日法上人という方です。この御霊像は文化庁によって20年以上前、鎌倉中期の典型的祖師像であると鑑定され、重文指定を受けました。
ともかく、明治2年当時、荒れ寺であった宥清寺に入られた開導日扇聖人は、この御霊像にめぐりあい、お仕えすることになったことをことのほか、喜ばれました。
この御霊像については長い歴史の中、ご祈願をかけて不思議な御利益を頂いた方が沢山あります。多くの佛立宗の寺院もご信者のお宅の御尊像もこの本山宥清寺の御霊像をそのまま写すように謹刻されています。

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東京 下町 藤巻さん宅 御礼御講

2008年05月23日 | Weblog
今日は、総武線の平井駅近くの藤巻さんのお宅で御講がありました。
御講は、佛立宗独特の制度です。お互いに近所の方同士、10軒から20軒程度のご信者で構成された部(組)とか、それらの部が集まった教区が主体となって、住職や教務をわが家に招いて、宗教行事として集会をするのを御講と称します。
本日、その席主として席を提供した藤巻さんは、今年76,7歳です。昨年の今頃まで現役サラリーマンとして働いていましたが、退職後、体調を崩し、入院。
一時は、もうダメか、二度と起ちあがって動くことなど考えられないくらい、身体が弱っていて、奥さんも半ば諦めたような様子でした。
私が御助行を受けるよう勧めても、もう、ダメだからという返事。
「何を言ってるんですか。佛立信者には、考えられないほどの現証ご利益を見せて頂けるんですよ。御助行を頂きなさい。」と言って御助行を受けさせました。
受け持ちの教務さんが主として藤巻宅に通い、私も御助行をさせて頂きました。
奥さんもご主人が入院で忙しい中、相変わらず、お寺に日参。懸命にご祈願されていました。そうこうしているうち、病状が回復、次いで、リハビリセンターに入り、訓練を受け、それも卒業しました。
達者に歩くというところまで行きませんが、何とか、自分のことは自分でやっておられる状態です。
そこで、今日は最初から最後まで御講に出席して、喜びの笑顔を見せておられました。30人近くの参詣者も、氏の回復をわが事のように喜んで、随喜参詣されました。
いやぁ、この平井の街はゴチャゴチャしていて、店がたくさんあり、東京の中の昔ながらの下町の雰囲気がそのまま、息づいているみたい。
こういうのって、いいですねぇ。この街の中で御講がつとまり、御利益を頂いた話が聞けると、何か、ホッとします。
良かった、良かったと言いつつ、帰山しました。
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京都 松ヶ崎あたり

2008年05月22日 | Weblog
京都ってほんとうに、奥が深いですね。
雅やかな古風なお店があるかと思えば、ヨーロッパのような感じがする場所もあります。お寺も数多くあるし、烏丸通りはビルが林立しています。
古今東西の文物、品々、その他、いろいろなものが混在していますが、微妙な割合で融け合っていて調和しています。
飽きないですね。行くたび、泊まるたびに新発見をします。
今年の10月12日は北野の本山・宥清寺(上京区下ノ森・中立売七本松西入る)で日蓮聖人の御会式があり、その時は、東京方面から団参があります。
本山の御会式参詣後、皆で、どこか、良いレストランでも行きたいものです。
(松ヶ崎あたりで見つけた亀)
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今日のひと言 5月21日

2008年05月21日 | Weblog
ある本を読みました。そこには、
「仕事に対する夢は年齢とともに変化する。加齢とともに現実に近づく」
と書いてありました。
私は反対に、
「加齢とともに夢を追いかけたい」
とします。
普通は、年を取ると現実と妥協して、もう、「こんなところで手を打とう」と思うところです。
でも、考えてみると若い頃には、夢を実現するにはハードルが高すぎて、せっかく夢を描いても、何もできないということが多いのではないでしょうか。
逆に、年齢とともに「やろうと思えばできる」地位に就いたり、「資金がない」としか言えなかったのが、「何とか、なりそうだ。捻出できそうだ」という立場にもなります。
ただ、体力が弱ったり、また、「今更、冒険できない」と思う気持ちに負けて、思い切ったことができないのです。
正しいと信じることであり、また、人の為になると判断できることなら、その夢を追いかけて実現するように努力すべきではないでしょうか。
私どもの宗門に福岡師という僧侶がいます。いま、六十歳を少し出た方ですが、十年前にスリランカの仏教徒から「大乗仏教を信仰したい。法華経について学びたい」という一通のメールをもらい、現地にさっそく飛び、話を聞きに行きました。
その後、求めに応じてたびたび、スリランカに渡り、やがて、すばらしいご利益を頂く人がつぎつぎ現れ、多くの人が入信。今日では、一万人の人が彼が日本からやってくるのを待っています。
私のお寺でも、フィリッピン在住のご信者がいて、先日、私のお寺から彰勲師という僧侶が先方にまいりました。二十人近く、現地の人が集まり、ともに祈り、彼は仏教の教えを語り帰ってきました。日本からは、事務局弘通部長と企画室所属の女性信徒が参加しました。
フィリッピンに妙法の灯火がともされました。今後、お教化ができて、御法のめぐみによって幸せになる人が増えますよう。フィリッピンに仏の種が沢山まかれて、人びとに法華経の心が宿り、より平和な国になったら素晴らしいことです。
まぁ、ささやかな第一歩ですが、遠妙寺のこの夢が叶うよう、進んでいきたいと思っています。
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子ども御会式にピエロ

2008年05月19日 | Weblog
昨日の子ども御会式は、ご信者の皆さんの熱心な奉仕によって見事につとまりました。
子どもたちも法要では、映し出されたビデオの法話に目を輝かせていました。
お昼をいただくときは、なお、元気よく焼きそばやフランクフルトをほおばり美味しそうにいただいていました。
また、ゲームや余興も楽しみました。特に日本奇術師協会理事の佐藤さんが呼んでくれたピエロさんが大人気。大人も子どもも、しばし、時間がたつのも忘れ、興じていました。
お寺も、子どもにとっては楽しくないと来る気がしませんね。
私たちも思い出してみると50年以上前、お寺を広場か運動場のようにして、みんなで遊んだ思い出しかありません。コンピュータゲームで遊ぶよりずっと、いいと思いますね。そういう思い出の蓄積が、結局、信仰心と結びついてきて、大人になってもお寺を懐かしく思い、お参りするようになるんですね。
学校だけでなく、お寺の友達とまじわり、世界が広がっていきます。
もし、機会があったら、遠妙寺以外の方たちに親子で参加していただきたいものです。
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明日は子どもの御会式(おえしき)

2008年05月17日 | Weblog
明日は子どもがたくさんお寺にお参りします。
今は、15歳以下の子どもが今年の4月1日現在、1725万人で27年連続減少。50年前には3000万人だったので、その頃から比べますと6割以下になったということです。
そんな関係で、今回、中2までの子どもは40名くらいしか来ないようです。大人はその3~4倍くらいですが、まぁいいかと満足すべきですね。
今の子どもたちは、中学生くらいにでもなるとチョットしたことでは感激もしないし、喜んでくれません。
大道芸人に来てもらっていたこともありましたが、少ない予算では呼べないので、他の人に来てもらうことにしました。と言っても、いちおうプロのマジッシャンです。
まぁ、中心は午前中の御会式で、子どもたちが仏様の前で、手を合わせて御題目をお唱えするところにあります。私と相川良寿師で子ども向けの法話(御法門 ごほうもん)をいたします。以前、遠妙寺で活躍していた西田登光(にしだとうこう)師が法華経のたとえ話を漫画にしたものがパソコンで使えます。これを今回は、使用させてもらうことにしました。
その他、お昼の食事を皆で仕込んでいます。おでん、焼きそば、ポップコーンなどなど。大人たちが子どものために、こうやって汗をかきかき、準備していてくれるので子ども御会式も実行できます。
昔の子どもに比べれば、お殿様みたいになってしまいましたが、少しでも仏様の教えに子どもが親しんでもらいたい一念ですね。
中国やフィリッピンの子どもにも、来てもらいたい感じです。
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中国四川省の大地震

2008年05月15日 | Weblog
未曾有の大地震に中国が揺れました。
死者五万人を超えるという見通しがあるとのことで、誠に痛ましい限りです。
ようやく、中国は、諸外国の中でも、特に日本の救助隊の受け入れを表明したとのことですが、一刻を争うのに決定があまりにも遅すぎました。
しかし、今からでもということで、すでに第一次救助隊が派遣され、間もなく第二次の隊が派遣されると聞きました。
こういう非常時においては、政治体制がどうのこうの、主義主張が違うだの言っておられません。
年端もゆかない子どもたちが瓦礫の下に生き埋めになって、救出を待っていると思うといたたまれません。
中国と日本とでは、政治や経済のシステムも、人権に対する感覚も人情も、ずいぶん隔たりがあります。また、宗教事情もまったく異なります。
しかし、中国の人も日本人も同じ人間です。また、もっとも近い国、隣の国です。今こそ、日本や日本人は隣人のために、できる限りのことをしなくてはならないと思います。
私たち遠妙寺のボランティア組織「愛の花束」総会が近々、開催されますが支援について何らかの具体策の決定がなされるでしょう。
あまりにも悲惨。あまりにも気の毒です。
(写真は四川省HPから)
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