僕だって森田健作と同い年だ!

2009年03月31日 | Weblog
森田氏の話 その1
森田健作と呼び捨てにしてもいいかどうか分かりませんが、タレント時代から森田健作、健作と呼んでいたので、さんは付けにくい気がします。
ともかく、彼は元気が良いというのが一番いいところです。
百万票以上の得票で、二位と大差を付けて千葉県知事に当選しました。
黛ジュンなどと言っても知らない人が多いのですが、私が大学に入った頃、大ブレークしていました。その相手役を公開オーディションで募集したのに応募して6300人の中から選ばれたというのですね。
ヒット曲を何曲も出して、92年に参議院議員になり、衆議院議員にも当選し、今回は千葉県知事かぁ。すごい経歴ですね。
で、私と同い年だとは、驚きました。
このような人を「果報がある人」というのかも知れません。
いまだに「これが青春だ」を地でいってる感じです。
今、未曾有の不況とか言われている時、彼のような人を皆、待ち望んでいたのかも知れません。また、無所属で出たのが良かったのかも知れません。
わが日蓮聖人は、やはり、千葉県小湊のお生まれで、太陽の光がさんさんと降り注ぐ地で誕生されました。恐らく、ご幼少の頃は、真っ黒に日焼けしながら外房の海岸の浜辺を走り回っておられたのではないかと想像します。
「日月の光明のよく諸々の幽冥を除くが如く、この人、世間に行じてよく衆生の闇を滅し、畢竟じて一乗に住せしめん」
と法華経の経典に説かれています。
「太陽や月の光が暗やみを除いていくように、この人は世間にまじわり、人を助け、人々の闇をなくしていき、真実の教えに導き、人々を幸せにする」
という意味ですが、ここから日蓮聖人の「日」という字を採られました。
いよいよ明日から四月、私も少しでも人を明るくするようなご奉公を明日からさっそく実行したいと思っています。

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

見城先生の講演 夜間学級について 2

2009年03月27日 | Weblog
ちょっと追加しなくてはならないことがありました。
見城先生は、僅かな講演時間の中で、現代の教育に対して警鐘を鳴らされていました。
夜間教育は、失われしまった教育の機会を取り戻すために、また、外国の人の為に日本語の教育はじめ、いろいろなことをゆっくり、時間をかけて教えていきます。
新しいことを知る喜びで、みな笑顔で学校に入ってくるし、また、教える方も喜んで教える、学校に勤めているのですが学校に入ってくる時、最後は先生も早く皆に会って教えたいので、駆け足になってしまっているそうです。
教えたい人が、教わりたい人に教える。教える方も、教わる方もわくわくしながら授業が行われ、学びが創られていく。
このような、教育の本質が夜間学校にはちゃんと、息づいているということを言っておられました。
でも、ふつうの学校、進学校などはどうでしょうか。
教わりたくもないことを、先生は押しつけのように教え、つめこんでいく。
ゆっくりと、遊びながら楽しい時を送らなくてはいけない子供に、無理矢理、猛スピードでものを教え、駆り立てていく。
栄養を取らなくてはいけない子供に、大人が偽装食品をあてがう結果となり、あるいは汚染米を食べさせる。
恐ろしいくらい、この国はおかしな方向に進んでいる。
何とかしなくては・・・・・・
という事を切実に訴えておられました。
私たち、佛立教務、信者にも考えなくてはならないことがたくさんあります。
今日、開催の修学塾教員研修にしても、参加する人に学ぶ喜び、教える喜びがないと形骸化しているという証拠です。
御講にしても、ご信者が単なる義務感でお参りしていたり、お勤めの感覚で教務方が御講を奉修しているようなことがあれば、その御講は半分死んでいます。
いきいきと、感動的な御講をお教務さんとご信者さんが協働して創り上げなくてはならないでしょう。御講が本当に弘通の道場となるよう、その場で、どんどん入信する人が出てくるような御講がつとまらなくてはなりません。
共に喜び、共に涙し、共に思いやり、佛立信者とならせて頂いたことを心から感謝して、お参りして良かったという御講をいっしょに創りたいものです。
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

夜間学級の見城先生と映画「こんばんは」

2009年03月27日 | Weblog
昨日、佛立研究所と佛立教育専門学校との共催により、研究発表大会が無事に、盛大に開催されました。
今回のゲスト講演は見城慶和先生で、心打たれるお話をしてくださいました。
ご自身が語っておられたことですが、先生をめざそうと決意したのはまだ、小学校4年生の時、担任の女性の先生が語った言葉によるそうです。日本が戦争に負けて、諸外国が軍備をしっかり固めているのに対して、日本は戦争を放棄して、軍隊がなくなり誰もが不安を感じている頃のことです。先生は、「皆さん、軍隊がなくなっても少しも不安を感じる必要はありません。戦争を放棄して世界中の人と仲良くするのですから、少しも心配する必要はありません」というような趣旨のことを、やさしく、また、毅然とお話をされ、子供心に感動を覚えられたそうです。そして、将来はあのような素敵な先生と同じように、教師になりたいと思われたとお話しされていました。
そして、東京学芸大に進学して、教師への道を歩んでいくことになります。
ところが在学中に60年安保闘争に共鳴して、運動を沢山の同志と共にすることになりました。60年に反対闘争のさなか、国会南通用門で樺美智子さんが亡くなりましたが、すぐそこで起こった出来事でした。そして、安保闘争に敗れ、挫折して教師への道を断念しかかっていた頃、一冊の本に出会いました。それは夜間学級についての本で、これを見て「こういう憲法違反の学校があるからいけない、昼間、子どもが学校に行くことを妨げているのだ」と思い、実際に夜間学級を見学に行きました。ところが、教育を受けたくても受けられない子どもが、喜んで生き生きとこの学校に通い、勉強している姿に接しました。逆に、ここで先生として働き、ひとを育てたいと思われるようになり、1961年、志願して荒川九中に奉職。それ以来、42年勤められました。退職後も、「えんぴつの会」を立ち上げ、教育を受けられなかった人たちにいろいろな事を教えられています。
先生のお話を伺っていると、一貫してその心の奥に、平和と平等、差別なき社会を願い、困っている人があればいつでも助けたいという、いわば「菩薩」の心があることがくみ取れます。宮沢賢治の詩が口をついて出てきて、賢治の考えと生き方に共鳴を覚えておられるようです。ちなみに賢治は法華経を信じ、御題目を唱えて、あの「雨ニモ負ケズ」をつくりました。
私は、今まで夜間中学というものがあることも、そこにどのような人が集まり、どんな授業があり、どのような教育が行われているかも知りませんでした。初めて、その人柄に接してお話を聞き、認識を新たにしました。また、「こんばんは」という夜間学級についてのDVDビデオを買いました。山田洋次監督の「学校」もみたいと思います。西田敏行さんが演じている先生のモデルがこの見城先生だそうです。
いまだに夜間学校には戦争や経済的事情で学校に行けなかった人が通学し、在日韓国人や在日朝鮮人の方も多かったようですが、今は、特に戦争により中国に取り残され、最近帰国した人や、外国人(35カ国)が多いそうです。
昨日、いただいたプリントに記載された作文の一節を紹介します。
戦争や貧乏で学校に行けなかった浅見さんの「私は思い出した」
 いま、うちの息子は33歳ですが、その子が小学校4年生ぐらいの時でした。学校から帰って宿題の算数をやっていました。私はそれを見て「あんたなにをやってるの。1234と書いてあるのはわかるけど、横の方に小さくばつや、じゅうと書いてあるのは、おかあちゃんにはちっともわからないわ」と私はいいました。すると子供は、「いまこれがおわったら、おしえてあげるからちょっとまっててね」といったことがありました。
 今こうして九中二部でおしえていただいて、あの時のあれは算数で、たす、ひく、かけるのきごうだったことがわかりました。なんてなさけない、だらしない親だったのでしょう。今はこの学校に来ていろいろおそわって、すこしずつわかるようになってきました。
 ここに来なかったら、なんにもしらないまま年をとっておわったかもしれません。九中二部の先生方は、私にとっては目のおいしゃさんでもあります。だんだん目が見えるようにして下さいます。
 先生これからもお願いします。

”戦争のつめあとは、今も残っている”ということです。
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

第18回研究発表大会

2009年03月26日 | Weblog
今日は、佛立研究所、佛立教育専門学校共同開催の研究発表大会です。
それに私のご奉公させていただいている教務局の教員中央研修会も兼ねていますので、大勢の教務方が今日は全国から見える予定。朝の8時半に本庁に集合で準備しています。
研究発表大会の第1回は平成4年。20年以上前から、大勢の方と相談して企画、できあがった研究所。そして、その第1回の時にかかわった者としては、よくここまで続けられたと思い、今は立場が違いますが、応援して行かなくてはと思います。
今日は教務局の責任で開催されるパネルディスカッションが気がかりです。
私は今、教務方の研修、常勉強の場である「修学塾」にかかわっていますが、この制度は教務方の寺子屋のようなもので25,6年前から実施されています。
なんでもそうですが、好調の時と不調の時があり、イチローのような素晴らしい選手でも打てない時と、ヒットを量産できる時があります。さすがにイチローは最後の決勝戦で劇的な活躍をしました。
いま、修学塾も誕生以来、四半世紀を迎え、チョット不調。何とか挽回して、本当に教務方のあらゆる意味での向上と間接的にご信者に対する御法門やその他の場面での教導に役に立ち、ご信者のために少しでも寄与できる修学塾が実施できるようにできればと願っています。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

63歳の男性、派遣切りで自殺

2009年03月23日 | Weblog
今日のニュースを見ていましたら、小田原さんという63歳の身寄りのない男性が、仕事の打ち切りを通告され、不安のあまり自殺したのではないかと報道されていました。
また若い女性が最近は、やはり、派遣切りで夜中、泊まるところもなく、さまよっているというニュースも流れています。
先日は、これらは政治の問題であるから政治的に解決策を見いださなくてはならないとこのブログに書きました。しかし、現実に、ああいう姿を見ますと、何とかしてあげなくてはならないと実際は思います。私たちとしても何かできることはないのでしょうか。自殺が続発するのを防止するには、どうしたら良いのか?自殺を止め、雇用止めを思い直すようキャンペーンを張ったらよいのでしょうか。でも、経営難で自殺する経営主もあり、本当に迷います。
昔は不景気でなくとも、今より貧しかったように思います。仕事も少なかったし、賃金だって安かったでしょう。それなのに自殺者は、少なかったのではないでしょうか。
その理由は、多分、家族や親戚が皆で失職者をかばい、面倒を見ていたのではないでしょうか。また、今日ほど、お金がなくては一日も生きてはいけない世の中ではなかったのだろうと思います。
それだけ今の日本の社会は冷たい、情のない世の中に変質してしまったのではないかと考えられます。
本当に人に温かい、やさしい世の中に変えていくことはできないのでしょうか。

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

清雄寺にて門祖会・16世講有日幹上人御17回忌 

2009年03月22日 | Weblog
本日は清雄寺にて門祖会がつとまりました。
第一座は宗務総長・佐藤日凰上人のご奉修。
第二座は講尊・梶本日裔上人のご親修。
天候は、午後からはものすごい低気圧が通るので、100%雨の予報。
傘をさしていても、役に立たないくらいの雨だと昨日、天気予報で言っていました。
心配しましたが、ほとんどは曇っていて、時折ホンのパラパラ程度の小雨でお計らいでした。
今日は、門祖会に併せて佛立第16世講有・小山日幹上人の御十七回忌がつとめられました。
昭和62年、佛立第18世日地上人がご遷化、翌年、師匠であった遠妙寺先住、日玄上人が亡くなられ、私は日幹猊下の最晩年、弟子として末席に加えていただきました。当時はまだ、三十代でした。いろいろ、お世話になりましたが、その教えを頂いて心から感謝しています。
小山日幹上人はもっぱら「信心・口唱に徹せられた御講有」として、全佛立宗の尊崇を一身に集めておられました。
日幹上人が本山に第16世講有としてご晋山になったのは、昭和40年。そして、3期12年の間、宗門の教講をご教導なされましたが、常題目のご信心という裏打ちがあったればこそ、そのご威光が倍増し、すべての人々が信伏随従したのです。
私が出座した二座、講尊・梶本日裔上人の御法門によれば、そのご在任中に本山においては佛立霊地(開導聖人御墓所)造営、御宝蔵、佛立会館(宗務本庁)造営、佛立丹波霊園の完成など、40年の宿願が成就。本山初灯明料は本山が全国の一位となり、それはご退任後6年まで続き、宗徒は2.6倍に組数は1.4倍に、連合数は1.5倍になったということです。
まぁ、この頃から昭和60年頃までが本門佛立宗の歴史の中でも最高に盛り上がった時でした。これからも、どんどんご弘通に励み、二回目、三回目のピークが早くまた、やってくるよう努力しなくてはなりません。しかし、それは御講尊日幹上人が身を以って示された口唱信行によってのみ可能なのではないかと思います。
5年前、その後を追うように法嗣・小山日誠上人が佛立第24世講有として本山にご晋山され、元気にご奉公されていますが、やはり、これも師匠譲りの常題目の功徳を頂かれたのでしょう。
特に、日誠上人は講有に晋位されてから「良いお看経」「一段上のお看経」等を提唱なさり、これを宗内に徹底するよう、御法門等でも教導なさっています。
平成5年、16世・日幹上人は法寿95歳を以てお亡くなりになりましたが、その遺徳はますます光を放ち、その教えは清雄寺教講に脈々と受けつがれています。
現・講有上人のますますのご健勝と清雄寺門末のさらなる発展を祈りつつ、帰山しました。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

お彼岸

2009年03月21日 | Weblog
昨日のお彼岸は案外、天気が回復し、出足は悪かったようですが、結構、にぎやかになりました。

お彼岸では二回、御法門をさせていただいています。
開導聖人の御教歌
かんがえ(へ)て わかろ(ら)う筈(はず)は なかりけり 妙(みょう)は思案(しあん)の 外(ほか)にぞ有ける
を拝読して御法門を拝ませていただきました。
 妙とは1、不可思議(ふかしぎ)の義、2、蘇生(そせい)の義であると言われています。不可思議とは考えられないこと、蘇生とはダメだと思ったことがダメでなくなる、よみがえるということです。
 その「妙」ということ、実際、考えられないようなことがあることを知らないから、「信心はいったい、何のためにさせていただくの?」とか、一生懸命、ご奉公に頑張っている方に「何で、そんなに一生懸命ご奉公されるのですか?」と疑問を持つのです。
 思いつくまま、ご信心を何のために私たちはさせていただくのかをあげてみました。
○ご信心の目的
 1 心のささえ(精神的なおはからい。心のご利益)を得るため。安心のため。
 2 健康のお計らいを頂くため。
 3 他を助ける菩薩行によって人格を磨く。人間として成長するため。
 4 その他、現証ご利益を頂き、苦境を脱し運命を好転、幸せになるため。
 5 最期のとき安らかに臨終を迎え、寂光浄土に参拝できるように。
 6 先祖に供養していただき、御回向が届くように。
 7 親孝行のため。先祖に喜んでもらうため。
だいたい、このような目的をもち、ご信者はご信心をさせていただいているのではないでしょうか。
 中には、信心信仰とはただ、信ずることに意味があり、神仏に何か願うとか、ご利益を頂くということを望んだり、願うのは、不純であるという人がいます。
 しかし、精神的な充足を願うことが不純でしょうか。また、健康を害した時、治ることを望まない人があるでしょうか。
 溺れる者は藁をもつかむと申します。もし、本当に危機が迫り、せっぱ詰まるようなことがあったら、純粋とか不純とか言っていられないでしょう。夢中ですがりつくでしょう。だいたい、医師や薬に対してでも信頼感があれば、早く治ります。何も信じないより信じるものがある人の方が精神的に強くなります。
 でも、信仰であれば何でも信ずれば良いというわけではありません。教えに筋が通っていること、実際にその信仰を体験した人の声を証人として聞くことが必要です。
 そして、「信ずることができる教え」に確実な「信」を得ることができた人は満ち足ります。しかし、「信の世界」に入るには思い切りが必要です。
 なぜ思い切れないかというと、世の中のことは、何でも理論的に説明できるはずと考え、こだわっているからです。また、だまされるのではないかと疑う気持ちがあるからです。すべてが合理的に解釈できるはずというのは人間の独断で、一種の信仰です。疑うというのは分からないではないのですが、それは美味しいから食べなさいと言われても、食べなければ味がいつまでも分からないので結局、損をします。佛立宗は日蓮聖人より750年、また、開導日扇聖人の開講以来、150年。いい加減なことをしていたら、ここまで続いていません。
百聞は一見にしかず、実際に不可思議・・考える事も及ばないことを見たり体験すれば疑いようがありません。最初の一歩を踏み出し、「理外の理」を信じることが大事です。
○驚くべき体験談
 これは遠妙寺ホームぺージ・信行体験談を見ていただければ分かります。
 つい先日も、大きな御利益をいただいた西巻さんと教化子(教化を受けた方)の体験をこのブログでも紹介しました。(3月11日)
○御指南
 妙法の御利益は凡夫(ぼんぷ)の愚勘(ぐかん)には理外の理にして、信ずるより外(ほか)、得入の門なし。
とお示しです。
きわめて素直に、謙虚に事実そのものをみつめれば、理外の理というものがあるのだなぁと感じられるはずです。そして正しく信心を起こせば、あなたの前にずっと豊かな世界がひろがり、いきいきと人生を生きることができます。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

明日は彼岸会

2009年03月19日 | Weblog
今日は朝から、お寺中の掃除で、お彼岸の準備です。
遠い所から、朝早く、お寺の御宝前をきれいにさせてもらおうと、お参りになったご信者の気持ちがありがたいです。
そのうち、そういう篤信の人がほとんど、いなくなったら業者に清掃を委託するのでしょうか。
それは、佛立宗のご奉公精神の死を意味します。
昔、わが遠妙寺に森タカさんというご信者がおられました。
私が子どもの頃、すでにお年寄りでした。
この方は、ケガをされて足が不自由で引きずるように歩いておられました。
でも、そういう身体なのに、お寺の回廊をひとりで、すこしづつ、いつも、いつも雑巾で拭き掃除。
誰が見ても、休んでいてもらったらと思う、その方がいつも掃除されていました。
本当に穏やかなご信者で、にこにこ、喜んで掃除されていた、あの顔が忘れられません。
お彼岸に、そんな話を想い出しました。
コメント (5)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

床屋さんで

2009年03月19日 | Weblog
きのう、床屋さんで産経新聞を読みました。
ドキッとしたのは、最近の宗教に公益性はあるか、何のために法人税などが課税されていないのか、意味がないということを書いた囲み記事がありました。
いわく「最近、世の中が不況になって、テント村ができたり、非正規労働者などが雇用止めとなり、たちまち住む所がなくなり、社会問題となっている。このような時に、炊き出しをしたり、彼らを助けているのは宗教家ではなく、宗教に無縁のボランティアだけである。このような情景を見ていると、今や日本の宗教は社会との接点がなくなり振り返られなくなると思う。いったい宗教に公益性はあるのだろうか」
というような記事でした。うろ覚えで正確ではありませんが、まぁこんなところです。
私は、いま、食べるのにも住居にも困っている人が目の前にいれば、手をさしのべなくてはならないと思います。でも、この問題は、果たしてボランティアが食事を作り、当座、住む所を何とかするということだけで解決できるのでしょうか。
このような事は政治、あるいは経済上の大きな問題で、極めて人為的に起こされたといっても良いサブプライムローンの証券化から端を発して、このたびの不況が巻き起こされ、それに伴って引き起こされたことです。基本的には、二度とそのようなことが起こらないように世界的な規模で資本主義なり株式市場の制度的な問題に対して対策を取るのが先決です。派遣ぎりや正社員ですら解雇されるという雇用の問題などへの対応も、やはり、政府が中心となって法律上の手当をしたり、地方公共団体も積極的に動かなくてはならないことではないでしょうか。
吾が宗だけでなく、全国のありとあらゆるお寺や神社やキリスト教の教会でも、たとえば飢餓で大勢の人が死にそうになっていたら、最後の一粒のお米まで提供するかも知れません。でも、どのお寺も財産が豊富にあるわけでも、持てるものが無尽蔵だというわけではありません。そんなに続くものではありません。それより、この記事を書いた人は、どこのお寺でも神社でもいいから、一円のおさい銭を上げたことがあるのでしょうか。ふだん、宗教法人がどのような活動を行っているのかも知らず、また、佛立宗のように真面目に菩薩行を行っている団体も存在することも調査もしていないに違いありません。中には、宗教法人を隠れ蓑にして、脱税行為まがいのことをやっている所も事実、あるでしょう。一般の人はふだん、ほとんどお寺に寄付や寄進をすることはないでしょう。国税や地方税として納付される税金の額と比べれば、はるかに限定された特定の信徒のわずかな浄財では、炊き出しをやっても何日も続かず、とても恒久的にそのような活動を続けることはできないでしょう。
だからといって、宗教人が社会的な問題に無関心で良いというわけではありません。世の中に無関心で、葬儀と回向に専門にプロとして従事する江戸時代末期のお寺に挑戦状を突きつけたのは、わが開導日扇聖人でした。
当時の一般人は、まだまだ貧困と病気と時代の変革期にともなう動乱にあえいでいました。開導日扇聖人の頃も今もあまり変わりありませんが、一人ひとりの苦悩に向き合って、それらのあくまでも個人的な問題の解決に一筋の光明を与えることを通じて、社会的な問題にも自然に向き合っている形でした。もっと佛立の教えが拡がり、社会的なうねりを産み出す所までいけば、西洋の宗教改革のようにもっと大きな影響を与えたことでしょう。でも、そこまで弘通ができたわけではありません。
開導日扇聖人は、個人の問題解決だけで宗教の役割は完結するとか、それでよしとされていたわけではありません。
本当は、天下国家の問題を論じて、政治のありよう、政策なども視野に入れ常に権力に批判的に、民衆の視点から宗教家も行動しなくてはならないと考えられていたようです。しかし、信教の自由も全くなく、政府の批判などしたら、たちまち捕縛され、一溜まりもなくお寺も佛立講という組織もつぶされてしまう明治時代、これらの事は将来の課題とされたようです。
今は思想の自由もあれば、言論の自由もあります。ですから、大いに現在の政治や経済のあり方、企業のあり方を批判して、是正を求めていくのが現在の宗教者、また、佛立宗の教講の姿勢であるべきだと思います。
それに、他のボランティア活動は、宗門としても、お寺としても個人としても実際は、ある程度、やらせていただいていると思います。佛立宗の東西福祉会(旧制度)では、もう何十年も前から、ハンセン病の方々に対して何とか力になろうと取り組んできましたし、戦災孤児の救済のために立ち上がった古村師は積慶園をつくり、周囲は応援してきました。これからも、やはり、それぞれのお寺でも、宗門でも何らかの直接的な社会福祉的活動をすべきだとは思います。
しかし、もっとも大事なことは、私たち宗門人がご信心を弘め、一人ひとりの心に光明がさすようにご奉公させていただくことが、根本的な公益活動であることを忘れてはいけないということです。
ですから、もっと幅広く、例えば、自殺者が三万人を超えるいま、電話相談を受けるよう協同して動いたり、社会に食い込んで一人でも救っていこうと教化につながる、つながらないは別にして、菩薩行を実践していく姿勢は大事だと信じます。
ただ、宗教を最初から批判的に見て、理解しようとしない人が、単に外側から見て、政府の税制の改革案として持ちあがっていた「宗教法人に課税しようという政策」を応援するような記事を載せることに疑問を感じます。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今日は卒業式 がんばれ彰孝師

2009年03月18日 | Weblog
今日は待ちに待った佛立教育専門学校卒業式。
本当は今日、その卒業式に出席を予定していましたが、葬儀等ができ、昨日になって欠席することを届け出ました。
わが遠妙寺の小川彰孝師が卒業するので、ぜひ、出たかったのですが残念です。
十年ほど前、長薫寺の高須昭因師が実に感動的な卒業生代表として御礼の言葉を述べました。前代未聞のすばらしい挨拶で、心を皆、打たれて涙ぐむ人がたくさんいました。
今日も、また、きっと感動的な御礼の言葉を述べているのではないかと思います。
考えてみると、小川彰孝師は子どもの頃から薫化会にお母さんと、また、妹さん愛子さんとお参りしていたのですが、それから順調に青年会でご奉公。幹事長のご奉公も熱心にさせていただきました。そして、平成十二年頃かな、得度式。それが私の誕生日の8月6日でした。そして、翌年に結婚。美しく聡明な由美さんと一緒に遠妙寺のため、それこそ寝食を忘れるくらい熱心にご奉公。そして二年前に京都に。ふたたび、長い独身生活、修行の生活を終えて卒業です。
彰孝師、さっそく、明日はお彼岸です。
がんばろう教務部。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする