あいつぐ刃物による事件。通り魔、無差別殺人に思う

2008年07月29日 | Weblog
最近の日本は不気味だ。
次から次へと、ナイフや包丁を振りまわして人を殺したり、傷つけたり。
こんなに頻繁に、このような事件は昔はなかった気がする。

なぜなんだろう。

人の「死」に直接、触れていないからではないだろうか。
死を観念的に、バーチャルなものとしてか捉えられないから、いとも簡単に人を殺すことを思い立つのではないか。

3世代同居の家は珍しくなった。祖父や祖母など肉親が死ぬ場面に立ち会って、悲しい思いをして、涙を流した経験がない者が圧倒的に多い。

自然が失われてきている。死は自然のひとつの顔だ。都会の生活は「自然」や「死」と隔離されている。

ペットでもいいが、動物を育てる経験をした人は、おそらく簡単に刃物を振りかざさないに違いない。

「誰でもよかった」などと、刺されたり、殺された後で犯人に言われた人はたまったものではない。誰でもいいなら、なぜ、犯人は自分を選ばないのか。

自分だけは傷つけたくないし、安全圏にいたいと思う気持ちが狡猾にすぎる。人をただ、自分の鬱憤晴らしの道具にしか思っていないのだろう。あんなことまでやって不思議なのは、事件を起こした後、ほとんど逃げようとしている。

計画的な殺人でなければ、殺人犯でも死刑は少なく、また、心神耗弱状態だったことが照明されれば、無罪となる今の制度。そんなことまで、恐らく、計算して事件を起こしているのはないだろうか。

何でもそうだが、結局は、すべての行為は人間の心のなせるわざである。
それなのに、自分の心のコントロールができない。自らの良心によってコントロールしようと思えばできるはずというが、それができないから事件が起きている。

心のあり方を求めても、その基準となるものが現代人にはない。
鏡がなければ、自分の姿が映し出されないように、照らし合わせる基準がなければ、なすすべがない。

欧米の人やイスラム世界の人々に比較して、日本人には神仏を信ずる人は圧倒的に少ない。
確かに、神の名において「正義の戦争」が引き起こされ、大勢の人が殺されてきた歴史があることは否定できない。しかし、神という基準があることだけは確かだ。

砂漠の神、一神教の神は、絶対的な神であり、創る神、裁く神、滅ぼす神であり、寛容ではない。そこに、限界があるのではないだろうか。
仏教で信じ、尊ぶ「仏」は、ゆるしを与える存在。寛容と慈悲をいのちとしている。

何を仰ぎ、信じるかによって、仰ぎ、信じる人のあり方は定まる。
もし、少しでも犯人達に仏に手を合わせる習慣があったなら、同じように悩みを持ち、同じようにムシャクシャすることがあったとしても、ずいぶん異なった決断をしたのではないか。

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病院でのアンビリバボー

2008年07月28日 | Weblog
 昨日の続きですが、
 S師が入院中のことです。ふつうは日が経つにつれて、回復するはずですが一進一退という状況でした。そんな、ある日の朝。S師は夢うつつの中で、はっきり覚えていることがあります。
 毎朝、お寺ではお助行が行われていて、S師の回復をみなで一所懸命、ご祈願していました。幻覚と言えば、幻覚と処理されてしまうかもしれませんが、やはり一種の臨死体験でしょう。本人の文章をのせます。
 「三月十日に二度目の手術を行った翌日、御導師(筆者のこと)がお見舞いに来てくださいました。その折り、私が御導師にお話したことは、術後間もないことでもあり、また、後のことがあまりに強烈な印象でしたのであまり記憶にありません。しかし、御導師は私が
『先代の御住職、日玄上人にお会いしてきました。よくご奉公に精進しているとお褒めいただき、帰ってきました。私は皆さんの暖かいお助行をいただき果報者です』
 と語っていたと教えてくださいました。これは寂光浄土の方に行きかかったのでしょうか。
 しかし、その後、体の方は快方に向かったものの、後遺症で人事不省のような状態が続いたようです。次のようなことを申し上げますと恰も頭脳のはたらきが回復していないようで、まだおかしいのではないかと思われるかもしれません。しかし、魂が見た光景で心理的実体験です。
 まず第一に、私が行ったところは(扉を押して入った部屋で)地下のようでひざまで水がたまっていて話す声がエコーがかかり、とても寂しい処でした。私は寒いし、そこにあまり長く居たくなかったのですが、部屋の真ん中に居る威厳のある人が
『ここに居なさい』
と言われるので私はここに居ても良いかなと思いました。すると何処からともなし、
『南無妙法蓮華経・南無妙法蓮華経』と私の魂に訴えかける音が聞こえました。
 私には何の事だか分かりませんでしたが、すかさず
『私はここには居られません』と言いました。
すると『南無妙法蓮華経・南無妙法蓮華経』と次第に音が小さくなってきました。
 その人は寂しそうな顔で
『やはり、ここには居られないのか』と聞かれました。
 私は可哀想なので、いてあげても良いかなと心で思いました。
そうしましたら南無妙法蓮華経・南無妙法蓮華経と今度は大きな音が聞こえて来ました。心臓はドキドキして、私は怖くなって
『私には使命がありますので、ここには居られません申し訳ございません』
と言って裟婆に帰って来ました。
 今、思えば生死の狭間にあえいでいる折りに、皆様がお助行してくださっている御題目の声に助けられたということです。
 ただ不思議なのは、退院後の検査を受けた後、術後間もない頭を剃るのは自分では危険で、病院内の床屋さんなら安心なのでやってもらいました。
 床屋さんは地下二階にあり、その辺りを見回しますと見覚えのある扉がありました。(水がたまっていて、その中央に威厳のある人がいた部屋には、その扉を押して入ったのです。)大塚病院の地下二階に行くのは初めてで、その見覚えのある扉の前に行って驚きました。なんと、そこは霊安室だったのです。霊安室が地下二階にあるのはまったく知らなかったのです。
 今こうして、ここにいられるのが夢の様です」(平成14年6月 記)
 6年も経っていますが、いまの文章を読みますと当時のことがリアルによみがえります。これは、ただの幻覚とは片付けられない点があることが分かります。
 お助行をさせていただき、心を込めて祈る、その口唱の声は同時同刻に病気の人や悩める人の“たましい”にまで届くのだということを強く感じます。
 せっかくのこの素晴らしい「助行」という伝統が消えていかないよう私たちは努力しなくてはならないと思います。


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助行 現証のみなもと

2008年07月27日 | Weblog
わが遠妙寺の夏期参詣が始まって、もう16日目。あと1週間で、修了となります。この酷暑の中、みな、年齢、距離などをものともせず、ご信者はよく頑張って参詣をされています。
私たち本門佛立宗では毎年、もっとも寒い時に寒修行参詣。そしてもっとも暑い時に夏期参詣を行っています。
夏期参詣は実施日がお寺により異なり、期間もそれぞれです。
しかし、共通の御教歌による御法門を、毎日、それぞれのお寺で教務が説かせていただくことになっています。
今年の夏期参詣の御法門のテーマは、「助行」ということで、助行の教学的な裏付け、そして、その助行の意義、そして実践についての諸注意について説かれています。
「助行」とは、本来は「正行」に対する言葉で、正行とは中心となる修行、当宗・・つまり日蓮聖人にとっての正行とは、本門八品所顕上行所伝本因下種の南無妙法蓮華経と御題目を信じ、お唱えすることです。
助行とは、日蓮聖人の御妙判「如説修行抄」や、「日月の光明の・・・」という法華経の御文をお唱えすることです。
この助行という言葉を開導聖人は応用されて、本人がいろいろな悩み事や病気等で苦しんでいる時、また、口唱行も実践するのが困難な時、周囲の人、他のご信者が支え、助けて御題目口唱をすることをさして使われました。
いちばん今まで私がさせていただいたお助行の中で、印象的だったのは数年前、私の弟子、S師が倒れた時の助行です。脳内出血で倒れ、意識不明の重体。血圧が高く、危険な状態が続きました。ほぼ徹夜で御題目口唱して回復を祈りました。すると翌朝、病院から連絡があり、開頭手術をしないと危険であると言うことで、朝から昼過ぎまで手術成功を祈願しました。脳が腫れて頭蓋骨に納まらなければ助からないと言われ、衝撃を受けました。しかし、手術は無事成功して小康状態となりました。
ところが、翌日の夜中に連絡があり、水頭症で危篤状態と言われました。一時は心電図の波形も見えず、まっすぐな線の状態でした。家族が側に駆け寄り、とっさに耳元で御題目口唱。すると、心電図に波形が現れました。
「このままでは2時間後には死んでしまいますから手術して水を抜きます。そうすれば助かりますが、後遺症で言語障害と半身不随はしかたないかもしれません」と言われました。
また、夜中に招集をかけて、教務全員と寺内の者でお助行。
その後も、毎朝、毎晩、お助行が続きました。
幸い、お計らいを頂いて峠を越し、徐々に快方に向かいました。
今度は、良くなってくるにつれ、また、心配事が出てきました。もし、彼が生き延びることができたとして、運動機能はどの程度、回復するのだろうか。また、動けるようになったとして、言葉を喋ることができるだろうか。言語障害は覚悟するように言われたし・・・。
その点が、気になってきました。御宝前がついていてくださるのだから、間違いないが、万が一、動くこともしゃべることもできないとしたら、教務生命は実質上、断たれたも同然。
もう、必死で回復を祈願しました。そうしますと、手も足も動くし、リハビリに入れるようになりました。
ところが、二回の手術の二、三日後、はっきりとしゃべり、いのちが助かって「私は果報者です」といい、子どもにお数珠をもってくるように言っていたのが、だんだん雲行きが怪しくなっていました。
数もまともに数えられないし、周囲の状況が認識出来ていないのです。
その原因は私は分かっていましたが、とにかく、続けて言語機能、思考能力が回復するようご祈願をしました。
そうしているうち、本人は実に不思議な臨死体験というか、霊魂の体外離脱とでも言うべきことがありました。これはこれで長くなるので別に書かなくてはなりません。
ともかく、これも山を越えて、約1ヵ月後に退院出来ました。ただ、まだまだ本格的に回復するまでには至らず、長い時間を要しましたが、その後、教区の受け持ち教務として復帰し、運転もできるようになりました。最初は、運転も危険な感じがありましたが、1年も経つと、倒れる以前と同程度に回復しました。
いまも、なお、元気で早朝から夜まで、通常通りのご奉公をさせていただいているのは、本当に驚異的な回復です。
その一部始終を側で見ておりますと、この御法、上行所伝の御題目の尊さとずっとお助行することの大事を思わずにいられません。
このような現証を見させていただいたことは、もちろん、本人のご利益ですが、ある意味で、遠妙寺の教務、ご信者一同のご利益ではなかったかと考えている次第です。御教歌に
おそろしく 貴ふときものか 妙法の 口唱の力 めにみゆるなり
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講有再任言上 小山日誠上人

2008年07月24日 | Weblog
昨日は、講有、小山日誠上人が引き続いて講有位にとどまられ、ご奉公していただくことになり、「再任言上式」が本山で執行されました。
昨日、今日の暑さは、大暑の日をしのぐ大々暑とでも名付けたくなる日です。
本山は、以前、クーラーが入り涼しかったこともありますが、なぜか、撤去されてしまいました。
今度、せっかく、平成の大改修で大屋根瓦も葺き替えられます。天井裏に管を通して冷たい空気を上から流してもらいたいですね。まぁ、できればの話ですが。
ところで、式典は再任式ということもあり、ごく簡素に、しかし、厳かに執り行われました。
今回の参列者は、定例の決算宗会に出席予定の方、たとえば本庁関係役員、宗会議員、支庁長などだけで行われました。その他は、小山家関係の方のみでした。
これから4年間、宗門の総導師として、ご健康にご奉公成就されんことを御宝前に参列者はともどもに、お願い申しあげました。
再任式の後、午後2時から宗会が行われ、また、24日の午前中まで、さまざまな会計の決算報告があり、すべて宗会によって承認されました。
予算や決算をきちんとするために、費用をかけて全国から集会議員等が集まるのですが、無事に終了と言うことは当たり前であって当たり前ではないこと。弘通意欲にあふれ、覇気に満ちた宗会というわけにはいきませんでしたが、まぁ無事終了を感謝しなくては・・というところです。
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京都のお寿司屋さん 松葉

2008年07月22日 | Weblog
先日、はじめて寄らせてもらったのが京都の松葉。
料理は最高に美味しく、さすがに京都はお寿司まですばらしいと感じました。
お店は清潔感にあふれ、しかも、宴会などでは個室も使えるのです。
人当たりが良く、腕もすぐれた主人が、お寿司を握ってくれますが、京料理なども抜群です。
しかも気楽に入れる、庶民的な感じのお店で、知らない土地だから高くとられるということはあり得ません。
ちょうど、私が本庁教務局の方と夕食にお寿司などをいただいている時、小さな可愛いお子さんが3人、顔をのぞかせてくれました。
これからも何度か、通いそうな気がするお寿司屋さんです。
アクセス 京都市営地下鉄烏丸線四条駅 徒歩10分 市バス:四条烏丸 徒歩10分
電話番号 075-213-2317
ちなみに宣伝を頼まれたわけではありません。
〒604-8223 京都市中京区新町通四条上る小結棚町434-5
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京都の夏

2008年07月22日 | Weblog
京都の言葉や習慣は外から来た者には分からないところもあります。
たとえば「どんつき」。
突き当たりのことですが、最初はびっくりした言葉です。
また、「あさばて」に会議をするなどと聞いて、全然分かりませんでした。
朝からバテていたら、どうするんだろうと思いました。(笑)
朝のこと(お寺でいえば朝のお勤め)が「果てて」から、つまり朝のお勤めが終わってから、終わった直後、そのまま会議に入るということでした。

開導日扇聖人は京都生まれで京都育ち。
そして裕福な文人の家系に誕生されたのが1817年。今から191年前です。
家業については諸説ありますが、その父君に当たる大路延貞という人が「長松堂」の名で出版をしている事実がありますから、「書肆」・・出版まで行う本屋さんだったのでしょう。奈良の博物館に寛政五年(1793)に大路延貞(治郎右衛門)が序(跋)を書き、長松堂板として出版した「柳春帖」という本が所蔵されているそうです。

21日は暦の上でいちばん暑い「大暑」とか。この暑い夏、冷房していても私たち、ネをあげてしまいそうです。
温暖化などと無縁だった昔でも京都は暑かったようです。
街角でなのか、川原でなのかしりませんが、「夕涼み」しながらお酒を飲む光景が見られたのでしょう。
開導日扇聖人は
「七月の上旬のころ」と題されて
人はみな すゞみ台にて 酒をのむ われは座敷で すゞみ学文
と御教歌をよまれています。
また、
世は夏の 川原涼みの 時くれど 人のこゝろは 冬ごもり哉
というお歌もあります。

京都ではいまも、「川床」などと称して、鴨川などの川原に夕涼みをしながら食事を楽しみ、お酒を飲む人も多いようです。これを「すゞみ台」といわれているのでしょうか。
これも予約満杯で、なかなか席を取るのも大変みたい。
「すずみ学文」もキツイですね。
まぁ、どこかで夕食をいただき、その後はホテルで涼みますかね。

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増益寿命 末期ガンから7年の延命

2008年07月21日 | Weblog
昨日は、当山の元・佛立レディース会幹事長の淑美さんの七回忌祥月命日でした。
平成七年にガンが発見された時は、すでに末期ガンでした。すぐ手術を受け、患部を摘出しました。
その時の受け持ち教務は高須昭因講師(現・長薫寺住職)。一所懸命にお助行ご奉公していただき、淑美さんも徐々に回復。
それからのご信心には、目を見張るものがありました。とにかく思いを込めてお寺に、また、御講に参詣。自宅でも毎月、御講をいただき、志し篤く供養の誠を尽くされました。また、本山に対してもお初灯明料を積み立てて、ずいぶん御有志奉納をされました。
横浜・本立寺が近いので遠妙寺までお参りできないときは参詣されていました。また、本立寺の先住、日映上人にお給仕ご奉公され送迎をされていたこともあると聞きました。
佛立レディース会の第2代幹事長としても、よくご奉公され、鎌倉や千葉小湊などにも皆さんと一緒に出かけたことも良い思い出です。
病と闘いながら、反対に菩薩行のご奉公として他の方のためにお助行。ある時は、リューマチの人のお宅に、ある時はうつで引きこもり状態のご信者宅に伺いました。その引きこもっていた方は暗い部屋に一人でいて、ものも言わず、じっとされていました。淑美さんはその方に声をかけて御本尊様に向かって一心に御題目を口唱されました。不思議なことに、そういうお助行をされると、そのたびに、劇的にガンのマーカーの数値が下がって驚きました。
リューマチの方は症状が改善し、また、うつの方は、淑美さんが亡くなった後、外に出られるようにもなり、次第に回復。淑美さんがなくなった後、遠妙寺にも参詣され、妹さんに御礼を述べられたそうです。
寿命は短かったけれども、絶望的な状況から七年のいのちをいただき、その間、菩薩としていのちを燃やし尽くし、寂光浄土に帰られました。
平成14年7月20日、静かに息を引き取られましたが、その姿の美しいことはあたかも、深い谷間に咲く白百合のようでした。
このたびは、妹の由起子さんが弔主として七回忌を営まれましたが、その姉妹の愛に心打たれました。
しかし、寿命とはいえ、もう1年でも2年でも長生きしてご奉公いただきたかった、まことに惜しいご信者を失ってしまったという思いです。
佛立宗のご信者は、本当に心美しく、人のために我が持てるものをなげうってまで捧げるような気持ちの方ばかりです。
財産として、土地や建物、また、国宝になっているような宝物を誇る宗門も存在します。しかし、我が宗の財産は、何よりも「菩薩」としてご奉公される人材が最高の財産です。
少しでも菩薩の方々は健康に気をつけて、酒は控えめに、タバコはできるだけ禁煙して、いのちを100%活用してご奉公いただきたいものです。
写真は、ご回向に伺った17日撮りました。その帰路、写した三渓園の断層です。
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ファミリー参詣 仲良し家族

2008年07月18日 | Weblog
遠妙寺の智貴さん、由香さん夫婦は二人とも青年会員です。
ふたりは青年会の集まりで知り合い、仲良くなり2003年5月31日結婚式を挙げました。
二人とも青年会員ですから、言うまでもなく遠妙寺の本堂で結婚式を挙式。
一般には仏前結婚式といいますが、私たちは「御宝前結婚式」(ごほうぜんけっこんしき)と言っています。お釈迦様が「菩提樹」(ぼだいじゅ)の木の下でお悟りを開かれたことにちなんで、「リンデンツリー・ウエディング」と呼ぶ人もあります。
二人は、ともに働き、ともに信心に励み、ともに歩んできました。
二人とも、ご信心によって今まで、数々のお計らいをいただき、喜んで日頃、お寺にもご信者宅の御講(おこう)にもお参りされています。
二人の間には、2004年6月に長女、昨年11月に次女と二人の女の子がさずかり、すくすく成長しています。
そして、夏期参詣に家族4人そろって参詣されています。
今日は又、教区の御講がありましたが、智貴さんは休みを取って御講に家族を連れて全員参詣。1部の部長として司会等のご奉公をされていました。
遠妙寺の部長の中では最年少の部長ですが、同時に彼は青年会員としてもご奉公に精進しておられます。
若い学生会員達の指導的立場にあり、いわばお兄さん役(あるいは若いオヤジ役)として良き相談相手になっています。
由香さんも、仕事と家事を抱えながら一所懸命にご奉公され、すばらしい菩薩行を展開しています。以前、椎間板ヘルニアという、ほとんど治ることがない傷病を患った時、懸命にご祈願して奇跡的に完治するという「お計らい」をいただきました。
誠に若く、そして、たのもしくも明るい佛立菩薩ファミリーですが、いつまでも素直にういういしいご奉公をしていただきたいと念願しています。
本当は可愛い二人の娘さんの写真を掲載したいのですが、こういうご時世ですから控えさせていただきます。もし、会いたければ遠妙寺にお参りしてくださいね。
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開導日扇聖人 祥月ご命日

2008年07月17日 | Weblog
7月17日は開導日扇聖人の祥月ご命日。
したがって佛立宗の各寺院で御大会があちらこちらでつとめられます。
そこで開導日扇聖人についてその略歴のようなものを書こうとしましたが、もう何度もこのブログで触れています。また、遠妙寺のホームページでも開設していますので、遠妙寺HP参照してもらえればよいと思いますので省略します。
また、私は沢山のパンフレットや、御法門の中でも開導日扇聖人について語っています。
でも、はたして本当の意味で分かっていたのでしょうか。その教えを読ませてもらうたび、新発見があります。
毎朝、私は寺内の教務さんといっしょに、開導日扇聖人がお書き遺しになっている教え(御指南)を開導日扇聖人全集を1ページづつ読ませていただいています。
朝参詣が6:20からですが、6:00から朝礼、そして続いて5~10分ほどしか時間がありませんが、読ませていただくのを原則としています。
これが結構、勉強になるのです。
いままで知らなかった御指南がたくさんあります。
日扇聖人全集は、亀井日如上人、小山日幹上人や田中日晨上人はじめ、歴代の御講有、また、編集にあたられた野口日壤上人、野日丞上人、亀井日映上人、小山日誠上人、金子上人、植松上人など大勢の方々が心血を注いで完成したシリーズです。
私たちは、何もお手伝いすらしていないのに、これを宗門人ならほんの何千円しかお冥加料をお出ししていないのに、買わせていただき、読ませていただけるのは有難いと本当に思います。
一冊だいたい400頁平均はあると思います。この大事な聖典を、ご信者の家族がご信心を受けつがなかったり、知らなかったりで処分してしまい古本屋に売ってしまうことがあるのは考え物です。
何とか、防止出来ないでしょうかね。宗門から相当な費用を出して印刷して、宗門人に限っておわけしているものですから、いくらか冥加料としてお金を出していても、実質上は半分以上は宗門の財産ともいえるのですからね。
そんな事いうと、お前が考えろと言われそうですが、良い知恵があったら聞かせていただきたいですね。
それはともかく、今から118年前におなくなりになった開導日扇聖人ご晩年の御指南を掲げさせていただきます。
 まことの信心を起こさねば、このたび人間に生まれ、そのうえ大法に値ひ奉りし詮なく候。
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いよいよ夏期参詣

2008年07月14日 | Weblog
本年は7月12日から8月3日まで23日間にわたり、遠妙寺では夏期参詣を実施いたします。
寒修行参詣は1月6日から2月5日まで全国統一で行うのに対して、夏期参詣は期間も開始日もみなお寺ごとに決めています。
私は、いま、宗務本庁教務局のご奉公をさせていただいていて、御法門集を作成する係です。今年のテーマは相談の上、「助行」と定め、それぞれのお寺で御法門を拝読するように準備させていただきました。
御法門というのは、仏様が教を述べられるとき、「今日は○○の法門を説く」、などと言われていますように、説法とか説教というのと、ほぼ同じです。
でも、説法とか説教というと、ナマの仏様の教えという雰囲気がなくなります。「無常の法門」、「四諦の法門」などというと、仏様の教えをそのまま述べるという感じが漂います。そういうことから開導聖人はご自分が教えを説かれるとき、説法、説教といわず、御法門と称されたわけです。これを今も踏襲しています。
遠妙寺では最近、朝参詣の二回の御法門(7:15と8:15)の前に体験談をご信者方に話してもらいます。その体験談が御法門の筋とピッタリの時は、「よしよし、お計らいだ~」と言いたくなってしまいます。打ち合わせもしていないのですから。
一日目は青年会の麻衣ちゃんの体験談でした。彼女は大分から出てきていて、大学生活も3年目の時、遠妙寺にお参りするようになりました。青年会の桃子さんに招かれていっしょに桃子さんの家でお茶を飲んだり、話を聞き、また、桃子さんのお母さんともお話をして二人ともすばらしい人柄だと思ったそうです。
二人がしているご信心なら間違いないと思って入信し、青年会の御講などにも出席するようになりました。入信してから、いろんなお計らいをいただきましたが、いよいよ就職試験を受けるに当たりご祈願することとしました。
いくつかの会社をのうち、A社とB社が気になり始めました。第一志望をA社として採用試験を受けたのですが、早々に内定をもらいました。しかし、なぜか就職活動をやめる気にはなれず、B社の方も受けてみようと思い、その対策をしました。三月に採用試験、四月に面接という日程でした。
「四月の初め、由美さんに夜から行われる大嗣さんのお助行(病気平癒のため)に奨引していただきました。大嗣さんのお宅は少し遠くて私の家から二時間かかります。私はちょうどその頃、朝七時までにご祈願カードを出せるように、毎朝五時半に起きてお寺参詣をしていました。奨引していただいたお助行の次の日は、朝参詣させていただいた後に、面接が二件と、学校の健康診断の予定が入っており・・・少し迷ってしまいました。しかし、今回私がたくさんの人にお助行をいただき、そのお蔭でたくさんのご利益をいただいた事を思い出し、ぜひ大嗣さんにもご利益をいただいてほしいと思ったのでお助行に行かせていただくことに決めました」(本人の言葉)
 そのお助行が終わり、電車で帰宅途中、電話がB社から入り、一次面接の前に、人事部のマネージャーに会ってお互いのすりあわせと面接の練習をしないかという内容でした。
 結局、一次面接に取締役の人が立ち会い、その場で内定をもらったということです。その後、B社の方が御奉公しやすいということからB社を選びました。そして、内定者懇親会に出席してみますと、社員の人たちが暖かくて、自分に合うなぁ~と感じる人ばかり。
B社を選んでよかったということです。

麻衣ちゃんは、青年会員だけに純粋ですばらしいですね。
第1日目の御講有上人のお言葉と、この体験談でもう充分。ご信者の方々もみな、満足げでした。
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