年越しは、そばよりも除夜法要と元旦会をいっぺんに

2008年12月31日 | Weblog
 大晦日に年越しそばを食べる風習は、いつ頃から始まったのでしょうか。
我が家でも、夕食は年越しそばですが、おそばのように少しでも寿命を長くしたいいう「しゃれ」のようなものですね。
 年を越すというのは、ありとあらゆる借金の支払いを必ず全部済まさなければならなかったので昔は大変だったようですね。開導聖人は
「きわ(際)の日は うちを御寺へ ぬけまいり
       娑婆の金にて ゆるされもせず」
と、昔の人は苦労して忙しいところを無理して抜けてお参りをして、少しでも生まれながらもってきた罪障を消滅させようとした、その思いをたたえられています。
 罪障というのは、一言で言えば、幸せになるための妨げ、障害です。
 本来、人は幸せになれるはずなのですが、それを邪魔する何ものかが自分自身の中に潜んでいるというのです。それは、むさぼる欲望が強いとか、嫉妬心が強いとか、人の良心を信じられないとか、私たちを超えた存在を信じられないとか、そういうものすべてが罪障です。罪障によって、運命が良くない方向に変わり、その運命に翻弄されるのが私たちです。ですから、少しくらい忙しいと言っても、一日が明るくなるように、これからの一月が無事息災に過ごせるようにと、外に出たとき、ついででは本当は良くありませんが、10分でもお寺参詣をすることが大事とお示しです。罪障は、お金を払ったからといって逃れられるものではないと「娑婆の金にてゆるされもせず」と言われています。
 昔から毎月、毎月の最後の日(晦日)が支払日ですが、特に十二月の大晦日は借金取りが押し寄せたり、商店では掛け払いになっていたのを一斉に支払わなくてはなりません。
 そんな状況ですから、今よりももっと、年越しができる、できないという問題が起こってきたでしょう。
 ですから、早く整理ができて夕方でも、真夜中でも御寺にお参りして一年無事のお礼参詣をさせてもらえたら、ありがたいなと言うわけです。
 宣伝するのではありませんが、便利がいいと思って紹介すると、
わが遠妙寺では、夜の11時から除夜法要、午前零時から元旦会法要で、一粒で二度おいしいという感じです。
 最長で2時間以内で、二年分の参詣。除夜法要は、お礼参詣。元旦法要はこれからの1年の無事息災、安全の祈願参詣です。
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年賀状

2008年12月26日 | Weblog
年賀状が苦痛だという話はよく聞きますが、皆さんはいかがですか?
来年は私の干支で丑年ですが、今もって忙しくて取りかかる気になれません。
いちおう、四百枚も年賀状は仕入れて、プリンタのインクも取り寄せて、それなりの体制を取っているのですが、29日くらいにはじめることになりそうです。
子供が生まれた頃には、少しでも周囲の人に自分の子どもの姿を見てほしいという一念で思わず、沢山の方の宛名書きをやってしまっていました。
今年は、孫二人が生まれているのですが、孫の写真を送るのは何か、親ではないだけに著作権法違反のような感じで、しにくいのです。
丑の絵やデザインしたものを入れるのも、何か肉屋の宣伝みたいですし、いいかげん、干支にこだわった年賀状から脱却したいですね。
そんなわけで、この十数年、富士山の柄ばかり印刷している感がします。これも、もう限界くらい、飽きました。
文字だけなら、せっかくきれいに発色する年賀状を一枚5円多く払って買った意味がないし・・・・
本当はご信心が進むようなメッセージを入れたいのですが、年賀状ですからねぇ。
やっぱり、ちょっと考えたいな。今日は、構想だけをねることにして、ねることにします。
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老老介護

2008年12月25日 | Weblog
今日は、11月7日に亡くなった山口さんの四十九日の法要を本堂で執り行いました。亡くなる一週間前まで参詣、ご奉公に明け暮れていました。
佛立信者としての本懐をとげたような帰寂で、誰にもほとんど迷惑をかけることなく、如説修行抄に「あら、うれしや」とある通りの寂光参拝のすがたを示されました。
午後には、あるご信者のお宅に伺いお助行ですが、老々介護という状態で、お友達が何人か付いていてくれるのですが、みな、もう老人のうちに入る人です。
同じ教区のご信者の方が、やはり、お助行をよくしてくださるので大変、助かっているようです。お寺からいろいろなものを届けてくれたり、また、御戒壇をおみがきしたり、その周りをきれいに掃除してくれたり、その人の身になってお世話してくれるので感謝をされているようです。このお世話をしてくださる方は、まだ、ずいぶん若いので行き届いたご奉公ができるのでしょう。このお年寄りのご信者には、もっと年長のお姉さんがおられ、施設でお世話になっています。ときどきは、この百歳に近づいてきたお姉さんのために、施設と交渉したり、お金の心配をしなくてはなりません。老の方が、さらに老の方を世話し介護する時代ですが、年下の人の方に、万が一のことがあって先にいくなどという事が起こったらどうしたら良いでしょう。
まぁ、いろんな問題がありますね。
今日、お助行に行かせてもらう、このご信者は長く事務局でご奉公された功労者でもあり、毎年の誕生日を私たち夫婦でお祝いすることになっているので、お助行の後は誕生会です。
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今年もおしまい。くんげ子ども会サヨナラお楽しみ会

2008年12月24日 | Weblog
きのう、お寺では9時から大そうじ。
10時半から年末の御礼総講。
これは、一年の無事息災を感謝して、お寺に御礼のお参りをする日です。
そして、同時に11時から子どものくんげ子ども会の御講です。
今年はにぎやかに、子どもが30名以上、お参りしました。
しかし、中東やアフリカの少年たちは、軍事訓練を受けて、聖なる戦いに実際に加わっています。そして、戦いの犠牲となっています。
そんな状況を考えますと、お寺に二十代、三十代の親とお参りしていっしょに、御題目を唱え、教えの法話・・御法門(ごほうもん)を聞いて、育成会のメンバーがつくってくれた美味しい昼食ご供養に舌鼓を打って帰るというのは、幸せなことだとつくづく思いました。
スズメ百まで踊りを忘れず、小さい頃の記憶はいつまでも残ります。子どもの頃から宗教的な環境になじませるのは、判断力が付いていないので不当だという人もいます。しかし、アメリカやヨーロッパ、中東や東南アジアなど、世界の標準は、子どもの頃から神や仏を敬うということです。そういう環境から親が子どもをわざと遠ざけるのは却って人為的な、不自然な行動ではないでしょうか。
オームなどの特殊な団体は別として、自然に対しても超自然的な神や仏に対して畏敬の念をもつことが、何も敬うことがない習慣を持った人より豊かな人生を歩むことができるのではないでしょうか。
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ジングルベル

2008年12月22日 | Weblog
昔、十二月といえば、商店街は買い物客でごった返していました。
町中、「ジングルベル・ジングルベル」とスピーカーというスピーカーから音が流れ、キリスト教徒でなくても、佛立信者でもつぶやいてしまうくらいでした。
今は、町の中が死んでいるような、とても十二月という雰囲気がないような気がします。
私は、世界中に情報がすごいスピードで飛び交っているだけに、経済上、マイナス情報がもたらされると、過剰に反応が引き起こされて、皆が投資も商品の仕入れも、なんでもマイナス方向になだれ込んでいくように思います。
負のスパイラルというか、悪循環に陥ると抜け出すのが容易ではなくなると思います。マイナスの情報をインプットしている限り、マイナスの答えしか出てこないのは当たり前で、経済活動におよぼす心の働きが想定外に大きな影響を与えるのが今の経済の仕組みではないかと思えます。
経済はまったく分かりませんが、どこかが狂っているのに、今の経済システムを過度に信頼しているところに混乱の原因があるような気がします。
大きな変動を緩衝するような仕組みを考えて行かなくてはなりません。
仏教には厳密な因果法則の研究が行われ、六因・四縁・五果などという説が用いられています。
このほとんどが常識的な、科学的な因果関係をといているのですが、例外的に道徳的な因果が説かれています。
人間がよい事をすれば、良い果報を得て楽を得るし、悪いことをすれば悪い報いがきて、苦しむことになると説いています。
ここがふつうの因果論からはみ出したところです。
また、これらの因果論は仏教は仏教でも小乗仏教の説ですが、大乗仏教にはさらに高級な因果論が説かれ、大乗仏教の中でも法華経、法華経の中でも大事な本門八品(ほんもんはっぽん)というところには最も深遠な因果論が説かれています。
これは、ごくかいつまんで申しますと、私たちのような凡夫でも、尊いことこの上ない上行菩薩という菩薩様と一体となり、さらに久遠本仏という根源的な仏様と一体化して、成仏するということが説かれています。
まぁ、乱暴な言い方をしますと、どうしようもない負の状態から逆転して、最高の状態になりうることを教えているということができます。
あの・・といっても戦後の生まれでよく知りませんが・・あの敗戦の時の悲惨な状況から、その数年後に日本人が立ちあがり、さらに昭和30年代、40年代と奇跡的な復興と発展をなしとげたのは、科学的な計算や予測によるものではないでしょう。そのへんがヒントを与えてくれているのではないでしょうか。

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年末、我が家は大忙し。13日は初参り、14日は年回。

2008年12月16日 | Weblog
去る13日(土)は木村良尚、美由紀夫妻の長男、嘉弘の「初参り」がありました。生まれてひと月と4日、もう体重も4キロになりました。
家族、親族あわせて20名とギャラリーのご信者30名くらい。いっしょに参詣して、お祝いしていただき、孫の嘉弘も幸せです。
まだ、何にもしゃべれず、どちらかというと親や祖父母のお祝いの感があります。
14日は、私の母、木村久江の13回忌法要がありました。
あいにくの天候でしたが、100数十名の参列がありました。
母は1918年(大正7年)の生まれ、東京で生まれ育ち、女学校を出て日本銀行に入行。秘書等の仕事をしていたようです。若い頃、映画会社からスカウトされたというのが自慢でしたが、恐らく、大根役者になったでしょうからお寺に嫁いでよかったのではないかと思います。
1941年(昭和16年)、縁あって佛立教務であった私の父(当時は木村清邦と称す)と結婚して、即、韓国釜山の長松寺に赴任した父と同行しました。
第二次大戦が二〇代さなかに起こり、戦前、戦中、戦後、苦労を重ねました。
しかし、あらゆる困難に負けず、強く生き抜いた一生だったと思います。
それを支えたのが、やはり、佛立信心だったのではないでしょうか。
韓国長松寺時代に父は徴兵され、女子どもだけのお寺を守り、孤独との戦い。日本に引き揚げ後の京都、本山時代は、何もなく貧乏との戦い。住職として父が東京に戻り、遠妙寺住職となってからは貧乏と、子育ての戦いと、お寺のご奉公の忙しさとの戦い。どんなときも弱音を吐いたのを聞いたことがありません。
京都時代に長女を栄養失調で亡くした時がいちばん、悲しかったのではないかと思いますが、けっして涙にむせんでばかりではありませんでした。
13回忌に、母にとってはひい孫にあたる木村嘉弘、また、松浦そよか(颯香)が参列でき、きっと寂光で喜んで見守っていたのではないかと思いました。
13日も14日も、ご縁の深い長薫寺・高須日良御導師に勤めていただきました。
 
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仏様の教え、御法門

2008年12月13日 | Weblog
仏様は、みずから「法門を説く」とおっしゃっています。
それにならって、私たち佛立宗では教務(僧侶)が「説法する」といわず、「御法門を説く」といいます。
自説を入れずに、仏様の教えをそのまま説かせていただくので「法門」にさらに尊敬の意味の「御」をつけて「御法門を説く」というのです。
なぜ、そんなに自信たっぷりに、私たち教務が説くお話を「御法門」と言えるのかと申しますと、第一に、本門佛立宗には、宗門のおおもとを築かれた開導日扇聖人や、その後の歴代の講有上人(開導日扇聖人を継いでこられた方々)、また、そのお寺の基礎を築いた開基上人や、先師、諸先輩の方々が説かれた「御法門」の蓄積と伝統があります。また、師匠から厳しく御法門について教えを受け指導されます。
これを習い、一つ一つ御法門の筋を勉強し、身に付け、そういうに則って、まずマネをして御法門を説かせていただきます。そして、だんだん、分かってきますと自分自身の経験も織り交ぜ、御法門を考え、そして説くようになれるのです。
ですから、御法門の言葉は、自分自身の言葉であっても、実はみ仏、また、日蓮聖人や歴代の聖人方のお言葉にほかならないと言えるのです。
もう一つは、現証ご利益です。自分が説かせていただいたことを裏付けるような「現証利益」というものを実際に経験して、本当にありがたい教えであること、また、仏様の血統を継いでいる教えであること、また、御法門が確かに間違いがないことが確証できるのです。
そうして、御法門を聴聞した方々が確実に、み仏のおられる彼(か)の岸(彼岸、寂光、幸せな世界)へと妙法の船によって運ばれたら、教務としてこの上ない幸せです。
でも、難しいですね。明日も朝からいくつか御法門を説かせていただかなくてはならないとか、聴衆の方々がいつもまったく顔ぶれが変わらないとなると、感動も感激も何もなくなってしまう感じです。
新鮮みのある話題や話材を採り入れて、しかも、深いー話なんて、できるわけないじゃん!・・・と、いいたいところ。さあ、今日も御法門の勉強をさせていただこう(と思う)。もう、眠いけれど、ちょっと我慢(しなくてはならなが・・・)。
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アニメと教学

2008年12月12日 | Weblog
研究所で以前から、教学を図解化して解説する試みがされていました。
今度、局良鳳師がその流れに沿って、日蓮聖人のお書きもの・・「御妙判(ごみょうはん)の図解化」に取り組んでいるとのことで、その一部を先日、見させていただきました。
これは、日蓮聖人とそのお弟子、また、ご信者との関係、いわゆる人物相関図をアニメといっても、動くわけではないのですが、その人物の顔を並べて表現しています。
これは、非常にわかりやすく、たとえば佐渡のご法難で、また、熱原ご法難において、この人はどういうはたらきをして、この人に対してどのような感情を持っていたとか、そんなことを絵によっていっぺんに分かるようにしてあります。
誰が描いたか知りませんが、その人物の顔がよく描けています。こんな顔だったんだろうなというイメージと一致していて、前からこの人を知っていたという感じです。少し、みな、ハンサムすぎるところはありますが。
そのうち、お目見えとなると思いますが、楽しみにしています。
教学といっても、思想といっても、哲学でも、自分の中で完結してしまっていては誰にも伝わりません。当宗の教学というのはご信心と一体で、ご信心に一本の論理的な筋道を与えるものです。ご信心が情的(パトス的)なものとすると、教学はロゴス的なものです。いずれにしても、それを人から人へと、そのその時代の言葉に限らず、ありとあらゆる方法で伝えていく必要があります。
漫画でも劇画でもアニメでも、映像でも、音声を使っても皆に通じるように表現方法はいくらでもあります。とはいえ、なかなか、大変な試みですが親しみやすいし、分かりやすいですね。
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青年会 総会を開く

2008年12月09日 | Weblog
この間の日曜日、青年会の平成20年度総会を開催しました。
十二月から、幹事長が小林さんから古川さんに交代することが決定しました。副幹事長には新しいメンバーが加わりましたが、小林さんは幹事長から副幹事長で継続ご奉公されることになりました。
青年会は中三から31歳まで、けっこう幅が広いのですが、あっという間に時間が過ぎ、卒業してしまいます。今年は、幹事長を経験した中坪さんとアリさんが卒業です。まだまだ青年のうちに入りますが、中三の子とは10数歳ちがうわけです。新しいご奉公者がどんどん、生まれるように配慮されているのです。
中には、年が若いのに、よくお寺に行く気がするなぁとか、まだまだ、自分のうちの子は信心させるには早いなどと思っている人が結構います。
しかし、それは佛立宗の教えを知らないのです。それに、若い人にはそれなりに、おじさんやおばさんが分からない悩みがあるんですよ。
青年会に出ていたので、手を合わせることを学び、中には若くても苦しんでいる人がいることが分かり、お助行して人の為に祈ることも知ります。
学校や会社では学べないことが青年会では自然に身につくと言うことです。
少子化の波が押し寄せ、遠妙寺でもその年代の人が少なくなっているようです。しかし、がんばって皆で、会を盛り上げてほしいと思います。
総会に続いて、御講。皆でお題目口唱して御法門を聴聞。
その後、パーティーです。雰囲気だけは出しているのですが、なにしろ、お茶とお菓子だけのノンアルコール・パーティー。それでも、若者たちはおもしろい話とご信心の話で盛り上がっています。
健全すぎですか?集まっている人たちにはお酒が好きな人もいますが、お寺だし、高校生も参加していますからね。とにかく、新たな気持ちで、来年も発展を期しましょう。
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嘉弘(よしひろ)と颯香(そよか)

2008年12月08日 | Weblog
おじいの育児日記(ながめるだけの仕事)
今日は、ひさしぶりにお寺の中にいます。
せっかく、お休みできるのかと思ったら、大放光に出した原稿がさっそく帰ってきて、昨日の晩も、今日も原稿の校正。トホホホホ。
台所に行くと、颯香・・長女の長女と嘉弘・・三女の長男とがいて、母親たちがなにやら楽しく話している。
ずいぶん暇そうなのに、育児をしているからと、家内が昼食を買いに走っています。
それにしても、孫はかわいい。嘉弘君を少し、預かっているから、出かけていいよと言ったが、拒否されました。危ないからとの事。
あなたを育てたのは、この私なのに、おじいさんになったから老人扱いを受けているということらしい。
颯香は、誕生後、115日。笑うようになり、メチャかわいい。誰が誰か分からないので、わらってくれているのかな。チョット不安。
嘉弘は、生後、25日。まだ、一ヶ月にもなっていないけど、ずいぶん日が経った感じ。そのうち、大きくなって立派になってほしいけど、暴力はまさかふるわないだろうな。中学生になるころ、おじいはもう70代まっさかり。かないっこない。
しっかり、ご信心を身につけてやさしい子どもたちに育ってほしいな。
孫二人になり、もう、観念して「おじいちゃん」を自分の呼び名にする決定をしました。人に決められる前に。


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