今日は門祖日隆聖人の祥月ご命日

2010年02月25日 | Weblog
門祖日隆聖人は今から725年前、1485年に富山県の高岡市郊外、浅生嶋村でご誕生になりました。そして1464年2月25日に80歳を以てお亡くなりになりました。
その偉大なご弘通と教学研鑽のご奉公は、日蓮聖人のご再来といわれるほど、素晴らしいものです。今もなお、讃えられ、将来においても同様です。
同じ人間なのにと思うのは、凡夫の浅ましさで、まさに南無蓮師後身、再興正導、門祖日隆聖人とお呼びするように、ふつうの方ではないとしか言いようがありません。
今日は、大恩報謝の御修行をつとめさせていただき、謹んでその大恩に心から感謝して御題目の口唱をさせていただきました。
さて、明日はフィリピンにいよいよ参ります。
そこで、今日は支度に大わらわ。
午前中に、佛立レディース会・エトワール(平日)御講をつとめ、バタバタ支度をしました。何とかなりましたので、ようやくブログの更新にかかれたわけです。
近い国ですが、行ったこともなく果てしもなく遠い国のようにも感じます。
できることなら、一週間以上行って滞在したい感じ。だって、せっかく遠くに行くんですからね。でも、3泊4日がいいところです。日程が取れません。
御奉公第一、御奉公第一。うーーーーん。

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入学試験

2010年02月19日 | Weblog
今日は、佛立教育専門学校の入学試験です。
私は、採点する方で気が楽ですが、受ける人はるです。
佛立教育専門学校の歴史は古く、明治二年に佛立開導日扇聖人が宥清寺を「修学所」として借り受けられた時からで創立百四十三年。
戦後に法華宗から独立して、本門佛立宗となり「佛立教学院」として発足してからでも六十周年を昨年、迎えました。
 この頃は少子化の傾向が宗内にも当然及び、教務員の家庭も同様で得度者が減っているのが現状です。ですから、この先を考えますと、ずいぶん厳しいと思います。無住の寺が今でもありますが、住職はおられても教務さんのいないお寺がもっと増えるのではないかと思います。
したがって佛立教育専門学校を受験する人は昔と比べると少なくなっています。でも、伝統ある学校ですから厳然として試験を行っています。その試験もこれからは、ずっと厳しくしたらどうかという考えを持っている人もあります。教務さんは行学二道常精進を目標にしているのですから、また、全国のご信者の浄財を頂いて、二年間の本山でのお給仕と専門学校での勉強をしているのですから当然の意見です。
 また、入学試験はいいけれど、入ってから厳しくして、なかなか卒業できない外国の大学のようにしたらどうかという考え方もあります。
 いずれが良いか、分かりませんが、どんなに大きなお寺の息子さんでも、何のバックもない教務さんでも平等でなければなりません。また、食べることも出来ない人がいる今のような社会状況の中で、教務は安閑としてはいられません。これからの厳しい社会環境を乗り越えて御弘通ができる教務さんになってもらえるよう、期待をして採点、面接を終えて帰山しました。
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今日は何の日? 

2010年02月15日 | Weblog
今日は釈尊(おシャカ様)が亡くなられた日と伝えられています。
いまから3,000年前、インドの北西部、いまはネパール領になっているカピラ(現在、ピプラワー)にシュッドーダナ王とマーヤー妃との間に誕生されました。30歳で悟りを開かれ、50年間にわたり教えを説かれ、80歳でご入滅されたといわれています。
ご誕生の時、右の人差し指を天に向けて突き立てて「天上天下、唯我独尊」と言われたという伝説が残っています。
これは、伝説に過ぎないでしょうが、この言葉の意味は
「誰にしても人は生まれながら尊い、その尊い人間と生まれたことはすばらしいことである」
ということです。普通、これを反対に受け取り、自分はすべての存在の中で、もっとも尊いと言っておられるように解釈されています。
まったく反対です。
きっと、その誕生の光り輝く印象から、まわりの人々がみな等しく、そのようなことを自ら言われているように感じて、そんな言い伝えが残ったのではないでしょうか。
考えてみますと、赤ちゃんの時、人はみな無限の可能性をもって生まれてきます。
それから、日にちが経つうち、次第に自分の可能性を狭めながら成長します。
心でも、赤ちゃんは真っ白な無垢の心で生まれてきますが、成長するにしたがって人間社会のけがれを身につけていくといえないでしょうか。
そういうことから言えば、赤ちゃんの時、人はもっとも仏様に近い位置にあるといえます。
でも、みな、もとは最高の可能性をもっていたのですから、実は大人になってもまだ、捨てたもんじゃないということです。
おわり
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丑、牛、うし

2010年02月13日 | Weblog
昨日、T・丑之助さんのお宅で、御講が奉修されました。
このたび、「あきる野市」に事情で転居され、その御礼御講でした。
都内とはいえ、八王子よりも遠いところですが、首都高中央環状経由、中央高速で1時間チョット。意外に早く着き驚きました。
遠方にもかかわらず元の教区からご信者が参詣されました。
御題】御罰も心願成就也
まゐること いやの願ひの かなひてや このごろ腰も たゝずなりぬる
の御教歌をいただいて御法門。

御法門前の体験談発表は、私の母のいとこ、S・正一氏。
この人は、長くポンプの会社に勤めた人で、私より二回り上の丑年。
席主のT・丑之助氏も名前の通り、同年の丑年。
私も丑年。
関西に牛根性という言葉があるそう。あまり良くない内容みたいです。
でも、門祖日隆聖人は丑年(1465年)。
開導日扇聖人も丑年(1817年)。
丑年は良い年ですね。

で、本題。
正一氏は、当年85歳で、いまだに第二の就職先となるポンプ会社の在宅勤務での現役サラリーマン。
なにしろ、ポンプの設計で他者の追随を許さないものを持っていて、なくてはならない存在だそう。主に、パソコンを使ってプログラムを組み、そして設計しているというのです。
昔から、私が懐かしいロータス123を使っていると、マクロを組めなどとささやき、慌てた思い出があります。
以下は体験談を要約したものです。
(ここまで途中省略)
 昨年、ある町役場からわたしのところにポンプとタンクに関する依頼が来ました。
 タンクの中には、水と圧縮空気が入っているので周りの鉄板が割れると爆発して危険です。
 それでタンクを作り終えると国(労働基準局)の検査代行機関の検査に合格しないとお客様に渡せない、大変作り方の難しい品物であります。(中略)
 役所が申すには、当町の水道で使っているポンプ出口のパイプがずれて危ないから何か良い対策がないか・・・・ということでした。
 これは運転を止めた時、パイプの中に大きな衝撃が起こっているに間違いありません。
そこでよく調べると、ポンプは昔、勤務していた会社製のポンプ。これはマズイ。
一応、フライホイル(衝撃を和らげるための装置)付き、対策が施してある。
 それでもショックが消えない。それでは、最後の手段。ショックアブソーバーを併設して解決するしかない。
 だが、へたに増設するとかえってショックを増大することがあります。
 長い実験を繰り返しすれば良いのですが、時間もお金もない。一発勝負の仕事です。
 どうしようか。
 まずは、御宝前様にお願いし、仕事を完成し役所に対策案を提出しました。
 幸い役所のヒヤリングを終え、OKになりました。
 年末に現地に据え付けて試験。結果、一鉢でショックがなくなり、しかも計算値と5%も実測値とが違わないと、役所から大変褒められたと現地に立ち会い社員の報告でした。
 御宝前様ありがとうございます。心から感謝申し上げました。

 以上ですが、いままで正一氏はエンジニァですがたびたび、仕事上で解決不能の問題が起こった時、右か左かという選択を迫られた時、御宝前にお願いして危機を乗り越えてきたと語っています。
 以上

 
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英語、タガログ語、中国語

2010年02月11日 | Weblog
いよいよ、月末にフィリピンでの初の御講をつとめにまいります。
そこで、思い出したのがもう、八年前のこと。
テキサスの州都、オースティン(なぜかオーストンと発音していました)にアダムズさんのご家族がおられ、奥さんの依頼で亡くなったご主人、エルバート・ホーランド・アダムズ氏の年回なのでご回向をつとめるよう、私と家内と河野、笠井、福元というメンバー、5人でまいりました。
ちょうど、足を痛めていて楽しいはずの海外旅行も、しかめ面で行きました。
アダムズさんのお宅でのご回向がおわって何も一言も言わないのは考え物だと前日、気がつきました。
そうだ、「御法門だ、英語で御法門だ」と思い、慌てて、ホテルに戻ってから深夜に電子辞書を引き引き、御法門を作成。紙もなかったので、持っていた三越の包み紙を利用。
裏の白いところに、英語を綴ったというわけです。
遅くまでやっていたので、法要の当日は少しめまい。しどろもどろに英語で口演。
「分かった?」
と終了後にお茶を頂きながら聞いたら、
「ああ、OK、分かりました」
と、みな、言ってくれていましたが、あれは本当かどうか、今も疑問です。
帰国後は、今後のこともあるし必ず「NOVA」かどこかに入って、会話をマスターしようなどと固く決意。NOVAに入らなくて良かったけど。
しかし、英語のことは帰国後すっかり忘れていました。
「そうだ、今回も御法門は現地の言葉で」
と思い、
「英語は使っているんですよね。現地の言葉は?」
と聞いてみますと、
「タガログ語」
という答えでした。
今からじゃ、間に合わないし、ひとまず原稿を英語で作り、それをフィリピンの方にタガログ語に直してもらい、それをローマ字にしてもらって読むことにしました。
これからは、佛立宗の教務さんは教学の勉強だけでなく、
1 体力の養成。毎日、運動をすること。
2 語学、会話の練習。 好きな外国語を完璧にマスターするように。
中国語。ヒンディー語。モンゴル語、チベット語、ミャンマー語、タイ語。
絶対、将来は必要ですね。
3 これが一番ですが、連日のお助行。
あっ。チョット早かったようです。4月から佛立教育専門学校のこれからをバッチリ考えなくては。
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雪化粧の中で誓願式

2010年02月07日 | Weblog
今日、本山宥清寺で、門祖日隆聖人の550回御遠諱に対しての報恩ご奉公を誓願する式典が開催されました。
遠妙寺では、三年後までに正宗徒増加は123軒、教務員増加三名。年間60回以上の助行が出来る人が60名以上になるように誓願を立てました。
正宗徒とは、ご本尊を奉安していて、御講の願主になっていることが条件です。
御講にお参りし、御講の願主として功徳を積まなければ、お計らいをいただけないということですから、この誓願がたてられました。
また、高いハードルを作ってしまいました。
これから三年間、一所懸命ご奉公させていただかないと、正宗徒増加も教務員増加も出来ません。
本山御宝前で厳粛な気分で、誓願を立てて決意を新たにしました。
それにしても、寒い朝でした。
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ほんとうに寒明け? 立春ですか?

2010年02月04日 | Weblog
二月四日は寒が明けて、これから春だというのですが、本格的に寒くなりました。
今年の寒参詣も、いちおう今日でおわりました。
寒い中を大勢の方が一ヶ月の寒修行参詣にみえました。
本当にありがたく随喜しています。
今年の寒修行参詣は、門祖日隆聖人の「御持念誦文」をテーマとして毎日の御法門が拝読されました。
今日は最終日でしたので、わたしが拝ませていただきました。
御法門は
真実の出家というは菩薩なり 御法弘めて人をたすくる
という御教歌をいただいて、教務増員のことを説くようになっています。
御教歌のほんらいの意味は、真実の出家とは、在家とか僧侶とかその形にかかわりなく、上行所伝の大法を弘めて人を助ける・・妙法御題目で人を救う人が本当の出家であるということです。
ですから、教務の増員はあくまでも、得度の動機として、御法を弘め人を助け人のお役に立とうということでなくてはならないし、また、初志貫徹して、ご弘通教化につとめ励まなくてはならないということです。
遠妙寺では、いま8名の教務員がご奉公中ですが、教化をどんどんさせていただき、そのご信者と共に歩む教務を3年間で3名増加の誓願を立てました。また、100周年までには8名増加できればと願っています。
特に若い方々、遠妙寺でご奉公させていただきませんか?
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初雪では?

2010年02月02日 | Weblog
昨日、今年はじめて雪らしい雪が降りました。
近頃、雪にお目にかかっていなかったので少しうれしい気持ちになりました。
でも、この寒修行参詣をされているご信者には気の毒です。私たちはあまり寒い思いをしませんが、外から参詣される方は大変です。
でも、北海道や東北、北陸のお寺のご信者は、毎日、雪ですから毎日が戦いです。
30年以上も前、私は清風寺の青年会の参与教務としてご奉公させていただいていました。18世講有、日地上人の思し召しで、そういう機会を与えていただきました。
その頃の青年会は、御会式での参詣数が千人以上で、年に一度の青年総講は400名に迫るくらい。信行活動も福祉活動も盛んに行っていました。名実共に日本一の青年会で大いに勉強になりました。
その時代、札幌信廣寺に青年会北海道での寒修行参詣を体験しようという青年会希望者の声により、3泊ほどの日程をくみ大勢でまいりました。
ご信者宅に分宿し、私ともう一人の教務さんも泊まらせていただきました。
私たちは定山渓だったかと思いますが、お寺から遠方でしたので車で参詣。青年会員は雪の中を歩いて参詣でした。
スキー場での雪は大歓迎ですが、日常生活の中での雪は厄介者ですね。
私たちはほんの3、4日でしたから、「まぁ良い体験」でしたが、ふだんから雪に閉じ込められている人はキツイですね。
でも、そんな北海道の寒修行が盛り上がっているのには驚きでした。
当時、朝5時半に誡門。そのときは、もう本堂の外で大勢の参詣者が詰めかけて待っています。開門と同時に我も我もと前から座っていきます。
6時には青年会の人が毎朝、体験談を語り、その後は御法門。そのときには本堂が満杯。御法門が訖ると、ほとんど皆、自宅に帰るか出勤です。
その後は、三々五々にお参りがありますが、ピークが6時でこれには脱帽しました。
当時は寒修行だけでなく、平日も茶飯のご供養が常時あり、ふだんは自分でお茶碗に持っていただくようになっていると説明されました。
ご信者が思い思いに持ち寄ったお漬け物も出て、それを心から感謝してご信者はいただきます。なにしろ、その熱気に圧倒され、本当に良い体験をさせていただきました。このお寺に佛立の原点・本当の寒修行があると随喜しました。
石岡日養上人という方は、この寒修行ひとつ取っても偉大な方だったなぁとおもいました。今は姫井御導師がご奉公なさっていますが、石岡日養上人の直弟子ですから信廣寺のご信者は幸せだと思います。
私たち東京のお寺は、冬の北海道に比べれば天国にいるようなものですが、何とか頑張って参詣者増加に頑張りたいと思っています。
(写真はさっぽろ雪祭りより)


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