初参り

2008年01月31日 | Weblog
今日は、高野智雄ちゃんが誕生後、八日目にして危機を脱して退院、お父さん、お母さん、おばあちゃん、親戚の人たちとともに初参りをしました。
何か、危険な状態になったとき、お母さんは日蓮聖人が助けに来てくれたという不思議なイメージを見て、助かったそうです。
そういうことってあるんですね。
誕生後、8日でお寺に初参詣という人はあまりありませんが、また、1ヶ月後にお礼参りをしたいということです。
健やかに成長するようお祈りしています。
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京都の冬

2008年01月29日 | Weblog
温暖化の影響で北極は氷が溶けてホッキョクグマは生存の危機にさらされていると聞きました。
しかし、ここ京都に来てみますと寒くて寒くて本当に温暖化しているのかなあと疑問に感じます。
でも、想い出しました。私が京都の本山・宥清寺に止宿して教学の勉強に佛立修学校に通っていた33年前。確かに今より寒かったような気がします。
何しろ、雪がよく降りましたし、その雪が積もる前、降り始めのときは地面があまりにも冷たいらしく、軽い粉雪ですので風によって舞い上がり、落ちようとしては舞い上がり、その情景を見ているだけで寒さに震えました。今は、そんな雪はないようです。よく冷え性の私が、そんな京都で二年も耐えられたものだと不思議に感じるくらいです。若かったのでしょうね。
暑い寒いも、お腹がすいた空かないも、どんな洋服を着ているかもお金があるかないかも気になりませんでした。ここで仏教の神髄を見極めようと思っていたからかも。少し、格好つけすぎかもしれませんが、ある意味、内面的に燃えていたような気がします。
いまは、多少、お祖師様のお書きになった御書の勉強をさせていただいた結果、もう結論は分かってしまったので、そういう探求心そのものは希薄になってしまったみたい。もう紙の上の勉強はそこそこにして、実践ですよ。でもこれが結構、難しい。悩みは尽きないですねぇ。
さて、今日は佛立教育専門学校の先生役で、講義をする予定。なにしろ本尊抄というもっとも難解の御書を一年の間、70~80時間で了えてしまうというのですから、これは大変です。とにかく今、夜中に目覚めてしまったので、今のうちに勉強しておこう。
朝は本山に寒修行参詣です。(あくまでも予定・・たぶん大丈夫でしょう)
(写真は本山宥清寺でのご供養場の風景 うどんとそばのご供養)
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E師

2008年01月23日 | Weblog
17日、E師が亡くなったという知らせがあり、翌日のお通夜にお参りしました。
E師は北海道生まれで、縁あって地元で得度し、今から30年も前に、京都の本山でいっしょにご奉公するようになり、教務の学校、佛立修学校で同じ釜の飯(お仏飯)を食うということになりました。
いっしょに生活を共にしていたのですが、非常に堅い性格で頑固一徹、星飛雄馬のお父さんどころではありません。
宗学の勉強でも先生に張り付くように一番前の席でノートを取り、コツコツ努力していました。「将来、恐るべし」というような猛勉強ぶりでした。
E家が鉄工場を経営していたと聞いたことがありますが、そこで働いていたために、不器用な感じではありましたが筋骨隆々。力持ちだったようです。
学生時代に、いろいろ心を乱されるようなイヤなことがあったようですが、無事に学業を終え、地元に帰りました。
その後、連絡も途絶えていましたが結婚式を挙げ幸せに暮らしていました。しかし、また、同じ人に悩まされ重大な被害を受けました。
その後、傷心を懐いて上京、T御導師のお世話になり、元気を取り直して教務としてのご奉公をされるようになり、私も会えば彼とよく話をしました。
また、いつでも会えると思っていて、病気ということも知らないまま、訃報に接しました。60歳といっても数えですよね。愕然とします。最近の彼に何があったか分かりません。さぞ残念だったろうなぁと思いましたが、安らかなお顔でした。
佛立教務として生涯を御法に捧げたからかも知れません。
しかし、ほぼ同い年で同窓生ですからチョット応えますね。
今日は初七日なのでお塔婆をあげます。(写真は本山境内の宗門納骨堂)
 


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2008年01月22日 | Weblog
私は昔からさかなをボーッと見ているのが好きでした。
中学の頃、お寺の庭に金魚を飼っていました。毎年、春になると卵を産み、それをかえして卵の黄身をやって育て、大きくしました。かなりの数になりましたが、飽きもせず世話をしていました。卵からふ化するときなど、何時間も庭の石にはりついて、その様子をみていました。家族もあきれ顔でした。
大学生になった頃、いわゆる大学紛争が起こりました。ひまになってと言ったら語弊がありますが、御講や御助行に出るようになり、その結果、得度するようになりました。
もともと、お寺の中で、お仏飯を食べて育ちましたから、何かそのことが申し訳ないというか、負い目があり、得度してお坊さんにならないにしても、いずれにしてもお寺や社会に対してお返しをしなくてはならないと考えていました。しかし、得度して少しでもご信者のため、お寺のため、法の為、ご奉公してお返しできるなら、これに越したことはないと思い至ったのです。
 そういうわけで大学2年目の年に得度しましたが、学校は無期ストライキ中でしたので、まあ暇な生活を送り、お寺の境内に大々的に穴を掘り鯉を飼いました。
当時、父で住職だった先代の日玄上人は宗務総長を務めており、ブラジルに講有特使として長期のご奉公中でした。この時とばかり、大きな池を留守中に作ってしまったので帰国して大目玉を食らいました。
その後も、熱帯魚を何個もの水槽で飼ったり、よほど金魚屋さんか、熱帯魚屋さんになった方がよいと言われたくらいです。
今は忙しくて、魚と縁が切れていますが、何か見ているとホッとするというか、癒されるというか・・・変なクセだと自分でも思っています。
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入門 いよいよ仏弟子に

2008年01月15日 | Weblog
とうとう、見習い修行中の田原君の得度式を挙行しました。
得度というのは、仏弟子として入門を認可する式典です。14日はこのところ、いちばん寒い日だったのですが、大勢の参詣者がありました。
得度については動機がもっとも大切で、渡世、世渡り、つまり食べるためにお坊さんになるというようなことでは話になりません。
発心と申しますと、真実の教えを求め、仏の教えを究めようという心をおこすことで、発心なくして得度しても、それは信徒が寄せた貴重な浄財を浪費し、仏様にあげた仏餉米(お供えのお米)をただ徒食する結果となり罪深いことです。
発心して、自分自身で得たところを人のために語り、仏の真実の教えを大勢の方に伝え、困っている方に一筋の光明をあたえるために活動すれば、お仏飯をはむということも許されるでしょう。
得度についての真実の動機は、その人にしか実は分からないものですが、得度を許す師匠としては、その言葉を信じていくより道はありません。
また、得度した者が道を半ばにして挫折することがないよう、本来の動機を忘れず実際に菩薩行に励むことを祈願し、見守り育てることのみ考えます。
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今日は成人式

2008年01月13日 | Weblog
今日は成人式が行われました。
昔は該当者がもっといたのですが、やはり少子化のあおりを受けて本年は10名近くしかおりません。
しかし、午前中の式典はあくまでも厳かに行われ、お誓いの言葉は早紀さんが述べ、午後の祝賀会は和気あいあいと進行しました。
青年会がいつもどおり、司会進行を担当し、幹事長の由美さんが心こもるメッセージを述べ、チョットしたゲームもあり、楽しい会でした。
ゲームは例年と同じようで、まぁ新味はないけれど一年経って、やる人が違うと「いいんじゃない」という感じ。でも、来年は新しいのを仕入れてくれるのではと期待しています。
これから先、私は平均寿命や親が亡くなった年齢から言えば二十年も活きられるかなという所ですが、成人者には60年以上の歳月が残っています。
でも、この21世紀は一体何が将来あるか分からないような不安の時代です。しっかりと信仰によって確固たるより所を得て、また、しっかりとした世界観をもって世の荒波を乗り越えていってほしいものです。
みんな、頑張れ!
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修行

2008年01月09日 | Weblog
何でも修行だと思います。
仏教はもちろん、そうですがどんな事でも修行が大事。その道のプロと称される人が沢山いますが、みんな苦労したんです。
先日、夕食をいただきにいった「割烹はらだ」のマスター、原田耕治さんは料理のプロ。動き一つに無駄がありませんし、出されるお料理は何ともいえない素晴らしいものばかり。
奥さんの「なおこさん」とお弟子さんと、誠心誠意、美味しい京料理をお客様に味わっていただこうと頑張っています。
4ヶ月前に食事に行ったのですが、今回も舌鼓を打ってかえってきました。
あまり大勢の人で予約できなくなると私たちが困りますので、今回は場所は教えることはできませんが、電話のみ記します。あまり人に教えないで。
075-213-5890
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法門

2008年01月07日 | Weblog
法門というのは、もともと仏典に良く出てくる言葉で、仏様(お釈迦様)が教えを説かれることを言います。
説法も同じような言葉ですが、後世、仏弟子達が教えを説くときも説法といったのに対して、法門という言葉は仏様の教えに限って使われていた傾向があります。
長松清風・日扇聖人は、これを逆手に取られて、ご自分やその御弟子、さらに孫弟子やその後の人々が教えを説くとき、これを法門、あるいは御法門と呼称されました。
これは、仏様の教えをそのまま、わたくしを入れることなく一般の人々に伝えることこそ、仏弟子の使命であると考えられたからです。また、それだけの、自負と気概をもって教えを説かれたのです。仏説を純度100%、そのままを人々に伝え、教え導くから「法門」であり、そのまま実行すれば確かに不思議な現証が顕れたのです。
私は京都の宗務本庁で教務局のご奉公をさせていただいていますが、1月6日から全国同時に始まった「寒修行参詣」の「御法門集」を担当しています。
この御法門集をひとつの基準として、それぞれの教務員(僧侶)が研鑽して、自分自身の御法門を作成して、宗門の全寺院でそれぞれの御法門が説かれます。
ですから責任重大ですが、誤字脱字やその他、間違いがなくて当たり前。ミスがありませんようにご祈願しているような状況です。あと任期は一年9ヶ月。正直、長いという感じですねー。
(写真は佐渡歓要寺にて)
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祝盃式

2008年01月06日 | Weblog
今日は祝盃式がありました。
これは特にお寺のお役を頂いている「役中」(役員)が集まって新年を祝い、思いを新たに本年度のご奉公に励む誓いを立てるものです。
これは、どこの佛立宗のお寺でも実施している年中行事ですが、こういう伝統は大事にしなくてはいけないと思うようになりました。
以前は、毎年同じことの繰り返しで、どうにかならないのかと思っていましたが、なるほど、色々な意味がこの式典に込められていることが分かるようになりました。
ともかく、日本は過去のものを建物にしても、調度品にしても、スプーンでもイスでも、文化でも簡単に捨ててしまうところがあるようです。
外国は、もう少し、移り変わりが穏やかでゆったりしているのではないでしょうか。あまりもの激しい変化は人間の精神を動揺させ、高齢の人の自信を揺るがせ、若者を尊大にするとも言えないでしょうか。
「狭い日本、そんなに急いでどこに行く」という標語というか風刺の言葉があったことを記憶しています。どこか、目標を定めて行くならまだしも、皆、道に迷っているような気がしてなりません。
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ねずみ算

2008年01月03日 | Weblog
今年はねずみ年だけれど、十二支というのは、もともと甲乙丙丁などの十干と組み合わせて日付の記録に用いられたそうです。それが時間や方角、そして動物に割り振られと説明されていました。
まぁ、今の日本では、誕生の年が何年かということだけが風習として残っていて、半分、性格などを決定するもののように思われています。
ねずみ年だからマメで細かいとか、丑年だからおっとりしているとか、そんなことは決まってないのに、そのような傾向があるかのように言われたりしています。
まぁ、本気でそう思いこんでいる人がいるわけではありませんが、なぜか、そのように言ったりしています。
しかし、そういうことを上手に活用して、士気が高まるようにすることは必要だと思います。
佛立宗の第四世講有・日教上人が亡くなられたたのは明治45年1月17日ですが、その年の初めに最後の御法門(説法)をされました。
「今年は子年である。ネズミは次から次へと子どもを産む。そのように教化をして教化子をふやさなくてはならない」と語られたという記録が残っています。
それから今年は96年を経過して、8回目のねずみ年です。
遠妙寺はその頃なかったのですが、当時、日教上人のお膝元、清雄寺におられた伊達日彰上人が、その5年後の大正6年にわが遠妙寺を創立されています。
その後も、たくさんのお寺が東京、関東、東海、甲信越、東北、北海道などに日教上人の流れを汲んだお寺が誕生しています。また、その4年前、明治41年に清雄寺の信者、水野龍が船主としてブラジル移民船、笠戸丸に茨木現樹師(日水上人)をお乗せするよう日教上人に依頼しました。その年から茨木日水上人は苦労をされて、ブラジルで教化活動、1人でも多くの人をこの上行所伝の御題目のご信心で助けたいとご奉公されるようになりました。ですから今年はブラジル開教100年にあたり、3月には御講有上人がブラジルに行って大法要をつとめられます。その100年の間にブラジルには現在、11ヵ寺のお寺が建立されており、これも元をただせば日教上人の流れを汲むお寺です。
こうして考えてみますと、ねずみ年も活用の仕方でその効用も大きなものがあります。
1人の人が、本当に情熱を込めて語り、何としてでも世界中の人が救われますようにという「慈悲の一念」の影響には計り知れないものがあります。
今年こそ、わが遠妙寺も1人でも多くの方が幸せになるようお教化に励み菩薩を育てたいものと思います。
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