イザという時、こまったね。

2011年03月22日 | Weblog

お寺の近くに、長時間すわりこんで動かない人がいました。教務さんが

「大震災の被害を受けて、宮城県あたりからこられたのですか?」

と聞いたところ、「はい」と返事をしたそうです。お腹がすいているようなのでバナナをあげたようです。

ところが、挙動不審で、雨が降っていても傘はささない、じっと動かないのです。

身なりはキチンとしていますが、薄着です。

見るに見かねて、何も食べていないようなので、彼岸会の折、ご信者の方がおにぎりか何かをあげたらしいのです。

また、誰かが傘をあげたようです。

警察に連絡しますと、すぐ飛んできましたが、何も悪いことをしていない段階では、どうにもならない。

屋内に勝手に入り込んだら、連れて出すけれど、外に出したら、それ以上はできないといって帰ってしまったのです。

彼岸会もおわり、会議もおわり、夜になって心配なので、教務さんにも声をかけますと分からないようなので、私が見に行きました。

場所は移動していましたが、近くのシャッターが閉まったお店の前で、上にはアーケードがあるのに傘をさして、ぶるぶる震えていました。

すぐ引き返して、残ったご供養を袋に入れて持っていきますと、やはり、案の定、ほとんど食べてもない状態。私からぱっと、紙袋を持っていくようにして受け取りました。

名前も、住所も。電話も分からないようです。

これは、記憶喪失になっているのではないか、このままでは行き倒れて死んでしまうだろう、寒いからといって暖かいところに行こうとするだけの判断力もない。

そう思い、やはり、教務さんに「行き倒れにならないために」というようなマニュアル本を貸してもらい、みてみました。

そこで、福祉事務所の電話番号が書いてありましたので、電話をかけました。

ところが、福祉事務所では、

「そのたぐいの人を救済するような所ではない、また、祝日の夜では対応できない」

と、にべもない返事。福祉事務所という名前は、一部の福祉に関する事務だけする所で、困っている人だからと助ける場所ではないと知りました。

イザとなったらお寺に預かろうと思っていましたが、けっきょく、どこかに行ってしまい、今はもう、わかりません。

どこに行ってしまったのでしょうか。

「ウチはそういう所ではない」というのは、ものすごく分かります。でも、それでは一番困っている人が、救われないことになります。

やはり、世の中には「どんな人でも何とかします」というお役所と、ボランティアが必要だと痛感しました。

 

 

 

 

 

 

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彼岸会

2011年03月21日 | Weblog

 いつものとおり、今年もお彼岸をむかえました。ただ、いつもと違うのはあの大きな地震の直後ということ。開導聖人は御教歌に、

 何時(なんどき)が しれぬもの故 信行の 人が油断を せぬもよき哉(かな)
と、お示しです。 この御教歌の御題に「無常覚悟肝心」とあります。
 無常という言葉の意味は、常住(永遠)ではないということです。
 いのちはかけがえがない、大切なものです。いのちを大切にして、いのちを救うことを皆で心がけ、人だけでなく地球上の動物、植物をいつくしみ、大事にしてこそ人間です。
 しかし、一方、自然の威力はすさまじく、この度の「東北関東大震災」が東日本を襲い、多くの人々のいのちが失われました。わが佛立宗の寺院も多数あり、相当の被害を受け、釜石や気仙沼、仙台のお寺は高台にありますので残っていますが、海岸に近い所に住まわれ津波に襲われたご信者の安否が心配です。また、被災者の方々の安全と健康を宗門全体でご祈願しています。
 宗内外の亡くなった方々には、心から哀悼の意を表すると共に、これから宗門としても、遠妙寺としてもできる限りの支援に乗り出す所存です。そして一日も早い復興に向け、それぞれの立場でできる範囲で精一杯のことを「菩薩行」の一環としてさせてもらわなくてはなりません。どうぞ、皆様、遠妙寺の「愛の花束」(福祉)の活動に支援を頂きたく、ここにご披露させていただきます。
 また、原発事故に際して、自らの危険をかえりみず果敢に対応し被害拡大を防止するため働いている方もあり心から安全を願っている次第です。

 さて、今後もこのような災難がいつ襲ってくるかも知れませんし、また、交通事故、火事や水害、病気、ケガなどが私たちを常に脅かしています。
 日蓮聖人当時の日本はどのような状況であったかと申しますと、一二三〇年(寛喜二年)、天候不順による大凶作が全国を襲いました。夏でも「連日の豪雨」、「冬天のごとし」だったと伝えられ寛喜の大飢饉の始まりとなります。正嘉年間(一二五七~九)にも大地震はじめ気候の変動があり飢饉が起こりました。日蓮聖人は
「天変・地夭(ちよう)・飢饉(ききん)・疫癘(えきれい)遍く天下に満ち・・・・牛馬巷(ちまた)に斃(たお)れ、骸骨(がいこつ)路(みち)に充てり」
と「立正安国論」に仰せです。
 有史以前も、古代、中世も近代も現代も、災害は私たちの暮らしにつきものです。ハヤブサのように遠い惑星に旅をさせて帰還させるほど、科学が発達している現代でも、津波、台風はおろか、カミナリ一つ止めることもできません。今も懸命な作業が続いていますが、自ら設計して造った原発さえなかなか制御できないのが現実です。
 天災は致し方ないにしても、平和利用の原発は核兵器などとはまったく性質の違うものですが、これらは人間の造ったモノで、放射能による被害が発生すれば、これは人災です。また、災難が起こった後の対応は、為政者の思想や人間性により、大きく異なってきます。
 正しい信仰によってこそ、人々は本来の人間性を回復し、人々を慈しみ、思いやる政治も、働く人を大切にして真の繁栄をもたらす経済活動も可能となります。世界の人々が正法・法華経の教えに帰依して心から御題目をお唱えするご信者となれば、おのずと国土は豊かに自然も穏やかに作物も豊作となり人々は平和で安心して暮らせるのであると日蓮聖人は、「如説修行抄」に仰せです。
 いずれにしても、私たちのいのちは有限で、一生をやがて終えるのですが、その時に「生きてきて良かった」、「素晴らしい人生だった」、「人の為にお役に立てた」と言うことができ、生きている間も、できれば痛ましい事故や災難にあわず、よい人間関係を築き、心が満ち足り、お計らいを頂き続けることができれば最高です。ぜひ、み仏の守護を頂かなくてはなりません。
 そのためには、油断せず、大事な人生の根本である「信行」「ご信心」を忘れず、お寺や御講参詣、御題目口唱を怠るなとお示しの御教歌です。

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携帯使用のカンニング

2011年03月05日 | Weblog

テレビで新聞で毎日、報道された京大等のカンニング事件が一件落着しました。

カンニングは悪いことだけれど、あの異常な報道ぶりには驚きました。

タカガといったら怒られそうですが、他の立派な古典的な方法でカンニングしている人はたくさんいるのでは?

仙台の予備校生はあの事件で人生の半ばを失ってしまったかも知れませんし、お母さんも気の毒です。

聞けば、予備校生の父親は一昨年に亡くなり、母親が働いていたといいます。昨年、受験を失敗し今年は是非、合格しなくてはならないというプレッシャーがあったといいます。

そして、ふだんの実力からいえばそんな事しなくても合格間違い無しという成績だったとのこと。

魔がさしたでは済まないかもしれませんが・・・・・・・

裁判でも量刑ということは大事だと思いますが、報道メディアあげてのバッシングは過酷すぎる感じがします。

一罰百戒といいますが、見せしめのようなやり方です。

無条件で許すわけにはいきませんが、捜査といってももう少しやり方があったのではないでしょうか。

そしてこのような小悪に比較して、まさに巨悪というべき事件が沢山起こっています。

政治家の誤った政治判断、役人の汚職や検事の不正、あるいはさまざまな暴力。

リビアのカダフィ大佐は多くの自国民を殺し続けています。

何とかなりませんか?

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末期ガンを宣告されてちょうど1年 れいこさん、この調子でいこう!

2011年03月03日 | Weblog

 昨年、3月2日にれいこさんは入信しました。

末期ガンと宣告を受け、他寺院のご信者の智仁に遠妙寺を紹介されました。

そして、教化親となったのが、たまたま近所に住むマユミさん。

近くの病院で、末期ガンと宣告を受けたのです。それもかなりショッキングな言い方だったようです。

お医者さんも悪気はないのかも知れない、はっきり病状を知らせて、病気に本気で対応してもらいたいとの考えで告知されたのでしょう。

日本もガン告知が普通になりました。これも欧米を形だけでまねたものです。

ヨーロッパやアメリカでは、ほぼ共通の土台としてキリスト教信仰があります。

教義の面については確かに問題はあるものの、死後は天国に行き神のもとに召されるという素朴な信仰をみな、自然に持っています。

だから、ガン告知をされても頼るところ、精神的支柱になる信仰があります。

そういう背景を抜きにして、ただ機械的に真似をして告知しても、患者によっては対応できない人が多いのではないでしょうか。

うちひしがれて、すがるようにして教務さんと教化親に暖かく迎え入れられてご信心の話を聞き、お助行をいただいて病気の全快をお祈りするようになりました。

当初は教化親のお宅で、かなり長時間にわたり、来る日も来る日も御看経をいただきました。

そしてお寺参詣も間もなく始まり、きついのを無理して座布団を抱えて壁に寄りかかりながら御題目の口唱。

昨年の11月頃には腹水もたくさん溜まり見るからに苦しそうでした。そしてガンのマーカーの数値もあがりっぱなし。

ところが、もう何をやってもダメということをいわれていたので、すべて御宝前にお任せして治療はいっさいなし。

検査だけ受け続けてきました。

そのマーカーの数値が12月には上がるのがとまり、1月には初めて下がりました。

2月最初の検査では、さらに下がり、腹水もひいてきたようですとのこと。

昨日で入信1周年です。

すごいなぁ。これはお計らいとしかいいようがないですね。

でも、開導聖人が御指南の中で、「何事もたのむということをいましむ」と題されて

1、家産あるをたのみとせざれ

1、身体の強きをたのみ、若きをたのみ

1、病のすこし癒ゆるをたのむ・・等

とおっしゃっていますので、油断大敵です。

れいこさん本人が、ご祈願を「当病平癒・ご奉公成就」としているとおり、

病気が治って、その御礼に御法の為、他人のため、お役に立つご奉公、そして、人を助ける菩薩行のご奉公に元気よく励むことをめざしてください。

御法に、教化親に感謝して、いっそう口唱行に精進してください。

これからも皆で応援しますからね!

 

 

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もうすぐ春ですね 花は咲き鳥は歌い・・・人は?

2011年03月01日 | Weblog

三月か。

いよいよ動物も眠りから覚め、草木も芽を出します。

春になると、人間は恋するのか、ただうめくのか、うごめくのか、卒業や入学、入社で異動するのか?分かりませんがとにかく動き始めます。

少し、まだ手前ですが3月6日頃は啓蟄(けいちつ)とか言って春のぽかぽかした陽気を感じて虫たちがうごめく頃といいます。

啓蟄の蟄というのは、虫が冬ごもりのため土に下に隠れてとじこもる、啓というのはそれが開くということだそうな。

太陰暦でもちいられた24節季の一つだそうです。

考えてみれば私も最近、書き物というか原稿をまとめたり校正するのでとじこもっていた感じがします。

そろそろ蓑虫の蓑を脱ぎ捨てて外に飛び出してもいい頃だと思います。

これでも結構、私は本当のところ内向的ではないかと思っています。誰も信じませんが内気の方なんです。私だけの思い込みかな?

長年のあいだ人と話したり外にもあまり出られなかった人が、このご信心と、お付き合いをした彼(ご信者)のお蔭でだんだんと外に出られるようになった、今ではお寺にもお参りし、御講にも参詣し、お勤めにも出て人と接していますというご自身の体験をChieさんというご信者が300人以上の前で語られていました。

少しも知りませんでしたがずいぶん苦労されたとのこと。以前はそんな状態だったとはまったく気がつきもしないしそんな雰囲気もありませんでした。

Chieさんを見かけるたび心からエールを送っています。声にならない声で。

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