お寺の近くに、長時間すわりこんで動かない人がいました。教務さんが
「大震災の被害を受けて、宮城県あたりからこられたのですか?」
と聞いたところ、「はい」と返事をしたそうです。お腹がすいているようなのでバナナをあげたようです。
ところが、挙動不審で、雨が降っていても傘はささない、じっと動かないのです。
身なりはキチンとしていますが、薄着です。
見るに見かねて、何も食べていないようなので、彼岸会の折、ご信者の方がおにぎりか何かをあげたらしいのです。
また、誰かが傘をあげたようです。
警察に連絡しますと、すぐ飛んできましたが、何も悪いことをしていない段階では、どうにもならない。
屋内に勝手に入り込んだら、連れて出すけれど、外に出したら、それ以上はできないといって帰ってしまったのです。
彼岸会もおわり、会議もおわり、夜になって心配なので、教務さんにも声をかけますと分からないようなので、私が見に行きました。
場所は移動していましたが、近くのシャッターが閉まったお店の前で、上にはアーケードがあるのに傘をさして、ぶるぶる震えていました。
すぐ引き返して、残ったご供養を袋に入れて持っていきますと、やはり、案の定、ほとんど食べてもない状態。私からぱっと、紙袋を持っていくようにして受け取りました。
名前も、住所も。電話も分からないようです。
これは、記憶喪失になっているのではないか、このままでは行き倒れて死んでしまうだろう、寒いからといって暖かいところに行こうとするだけの判断力もない。
そう思い、やはり、教務さんに「行き倒れにならないために」というようなマニュアル本を貸してもらい、みてみました。
そこで、福祉事務所の電話番号が書いてありましたので、電話をかけました。
ところが、福祉事務所では、
「そのたぐいの人を救済するような所ではない、また、祝日の夜では対応できない」
と、にべもない返事。福祉事務所という名前は、一部の福祉に関する事務だけする所で、困っている人だからと助ける場所ではないと知りました。
イザとなったらお寺に預かろうと思っていましたが、けっきょく、どこかに行ってしまい、今はもう、わかりません。
どこに行ってしまったのでしょうか。
「ウチはそういう所ではない」というのは、ものすごく分かります。でも、それでは一番困っている人が、救われないことになります。
やはり、世の中には「どんな人でも何とかします」というお役所と、ボランティアが必要だと痛感しました。