薫化(子ども)会の御講とお楽しみ会 

2010年12月23日 | Weblog

今日は、朝からたいへん。

早朝は、門祖日隆聖人に対して感謝のためのおまいりがあり、8時半まで。

9時からみんなで年末の清掃。ご信者が中心になってお寺をきれいにしてくださいました。

10時半から、年末御礼総講といい、本年中の身体健全、無事息災、家内安全、ご奉公成就などの感謝の心をこめて御礼参詣。

これでお寺での公式行事は、31日の除夜法要を残すだけです。

年末御礼総講にあわせて、子どものための薫化会御講(くんげかいおこう)。

みな、小さな手を合わせて御宝前(仏さま)におまいりです。

その後は、恒例の「お楽しみ会」で、じじ、ばば、そして、パパ、ママ、それに子ともたちが集まって、焼きそば、おにぎり、ケーキなどをほおばりました。

子どもたちが来年も健やかに育ってくれますように、願いを込めつつ、舌づつみをうちました。

最後は、ビンゴゲームを青年会のお兄さん、お姉さんがやってくれて「ビンゴ」続出。プレゼントをもらって子どもたちは喜んで帰りました。

私は、その後もあっち行ったり、こっちに来たり・・・・・・車に乗って師走です。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

新東京タワー スカイツリー

2010年12月21日 | Weblog

新東京タワー スカイツリーもずいぶん、高くなってきました。

これは11月10日頃の写真ですから、今はもっと高くなっているはずで500メートルを超えたようです。

来年の春には目標の634メートルに到達、12月には竣工の予定だということです。

右下に蒼く見えるのが清雄寺の本堂の屋根で、来年5月の連休に日教上人百回御遠諱が奉修されます。

ちょうど、スカイツリーが完成する頃に、日教上人にもっとも御因縁のある清雄寺で百回御遠諱が奉修されるのには、何か不思議な感じがします。

いまでも、観光客があるのに、完成する頃にはもっと見に来る人が増えて、心配。

それも、連休中ですからね。

でも、良い記念になりますね。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

中野日崇上人を偲ぶ

2010年12月18日 | Weblog

早いもので、明後日、中野日崇上人がご遷化になって百ヵ日忌を迎えます。

中野御導師は、今年の9月12日に遠妙寺で、中央布教区の弘通促進大会が行われた日、しずかに寂光浄土に帰られました。

上人は静岡・本要寺の権大僧正・中野日裕上人のご長男として昭和20年に誕生され、高校生の時に一念発起して出家得度されました。

東洋大学を卒業後、当時の佛立教学院(現在の佛立教育専門学校)を卒業、師匠であり父でもある権大僧正・日裕上人のもとでご奉公されていました。

弱冠27歳の時に師匠、日裕上人がご遷化され、その後は遠妙寺先住、日玄上人の御弟子として黙々とご弘通ご奉公に励まれました。

宗務支庁、本庁のご奉公もされるようになり、持ち前の責任感からまじめにつとめられ平成15年には宗務本庁、教務局長に就任されました。

平成16年秋に、不治の病、ガンに胃が冒されていることが判明。その時点で余命2ヶ月と宣告を受け、手術も受けましたが処置をあきらめて、切った所を閉めざるを得ませんでした。

そして、殆ど食べるものがのどを通らない状況でしたが、翌年のお正月、御宝前にお上げした鏡餅のお下がりをとろかしたもの(おかがみさんと称しています)を頂いてから、不思議に食欲が出てきました。

そして、余命幾ばくもないと宣告された身体にもかかわらず、お寺でのお参り、外に出ては御講の参詣、京都・宗務本庁でのご奉公を続けられました。

法華経に説かれる御利益(ごりやく)の中に、増益寿命の御利益というものがありますが、法のために身を捨てて尽くす人は、寿命が延びるという御利益をいただくということです。

余命2ヶ月が5ヶ月、6ヶ月となり、1年となり2年、3年となり、とうとう私たちは、もう治っているのではないかと思っていました。

しかし、ガンとは共存状態で、ご信心の力、強い意志の力で不惜身命のご奉公を続けられていたのです。

今年に入ってしばらくしてから、だんだん体調の良くない日が続き、入院をされるようになりました。

ところが弱音を吐かれたこともなく、常に前向きで肺が悪くなればボンベを担いでも御講にお参りしたい、足が動かなくなれば車いすでもお参りするといわれていました。

そして、平成9年から本要寺の本寺、光隆寺代務、12年から光隆寺住職としておられましたが、その間に懸案であった光隆寺本院の会館建立、立川別院の新本堂建立を果たされたのです。

今日、その新築なった立川別院で納骨がありましたが、荘厳理に本堂でご回向が行われ、中野家墓地に埋葬されました。

その人となりは、その子息、中野声栄師が「まるでやくざみたい」と表現するくらいに「強きをくじき弱きを助ける」という慈悲心にあふれた方であり、また、佛立教育専門学校理事長として会議に臨まれたとき、また、ふだんご信者に接せられたとき、いつも無私無欲で、自分を勘定に入れずに考え、行動されていました。

年齢は確かに若く、法寿66歳でのご遷化は早すぎるのですが6年という年月、増益寿命の御利益をいただいていて、成すべきを成しおわって覚悟のご臨終です。

お互いに佛立教務としてのお手本を示して頂いたということができます。

しかし、なおかつ、惜しい。もっと長生きしてご奉公していただきたかったいうのが偽らざる気持ちです。

佛立教務として、まさに教えのごとく、不惜身命のご奉公をされてご遷化された中野日崇上人の自受法楽、仏果荘厳を心より念じています。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

愛の花束

2010年12月08日 | Weblog

遠妙寺には「愛の花束」という組織があります。

これは、昔、本門佛立宗で行っていた募金運動「愛の一円運動」を進化させたというか、発展的にとらえ直したものです。

「愛の花束」は、本門佛立宗の教えに沿って、宗内宗外を問わず、できるだけの愛を花束の名前に託して届けようとするものです。

実際は、ある程度の期間、病気で寝ているご信者のお見舞いを行ったり、お助行をしてくださる方にお見舞い金を託します。

あるいは、一人きりのご信心で後続者のない方に対して、その方の意志を受け継ぐ形で、御回向を行えるようにしています。

ほんの僅かしか「愛の花束」に寄付がなくても、それなりのやり方で最低限で後々まで御回向ができるようにしています。

また、歩行不能の方でも御会式にお参りできるよう、手分けをして送迎する手配を愛の花束でします。

その他、何か人のお役に立てるよう、少ない予算をやりくりしてボランティアとして活動しています。

また、宗外に向かっては、さまざまな災害、事故などで困っている被災地の方々にお見舞い金を募金して送っていて、阪神淡路大震災などには相当、力を入れて寄付をしました。また、新潟中越地震やど海外の被災についても寄付しています。

ふだん、お教化、お助行など、信行活動そのものが社会の公益に資するボランティア活動であり、佛立菩薩行ですが、今一歩、かゆいところに手が届くような菩薩行をさせていただこうという趣旨で行っています。

歳末募金やいろいろな募金活動がありますが、遠妙寺「愛の花束」では、それらに協力することも協議しながらやっています。

ただ、愛の花束の持っている資産(と、呼べるほどではない)は、限りがありますので、その中でやりくりするのが大変のようです。

それでも、日本中、世界中の人々が「み仏」の慈愛に包まれるよう、できるだけの活動を行っています。

なお、遠妙寺「愛の花束」のその時々の活動については、遠妙寺ホームページ「愛の花束通信」に掲載されています。

御教歌 していけば でけていくもの でけぬとて やめたらやめた だけのびんばふ(貧乏)

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする