お天気次第 立山・黒部アルペンルート

2010年05月30日 | Weblog
X月X日、旅行に出かけ、立山黒部アルペンルートとかいうコースを通り過ぎました。
通り過ぎたというのは、乗り継ぎに次ぐ乗り継ぎで確かに富山から地鉄という電車に乗り、ケーブルカーやトロリーバスなどで、かなりの標高の所まで行きました。
あいにく、朝のうちは雨まじり。途中でやみましたが、雲に覆われ視界不良。
お蔭で、白い雪の壁と白い雲と空、白い霧雨で、オール白。
まあ、でも参加者同士は親睦を深めたという「かけがえのない収穫」がありました。

それと、そういうルートを通ったという経験が出来たということで、
「立山黒部アルペンルートって行ったことありますか?」
と質問された時に、
「あぁ、そこなら行ったことありますよ。知ってますよ」
ということが出来るようになったことです。

でも「どうだったですか?」と質問されたら、
「白い雲に白い雪の壁、白い空がとっても、良かった」
と答えなくてはならないのが辛いところです。

「もう一度、行きたいですか?」と言われたら、考え込みますね。
もし、二回目に同じ所を選んだ場合、また、悪天候だったら・・と思うと・・・
たぶん、「また、行きます」とは言えないのではないかと思います。

でも、慰めは立山のすぐ下、標高2400メートル地点から、だいぶ下界に下って、黒四ダムの写真を撮ったこと。
ダムのてっぺんまで220段の階段をヒーヒー言いながら上がれたこと。
それだけでも満足しないとネ・・・トホホ。
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昔々の話 昭和30年代

2010年05月29日 | Weblog
むかし、むかし、お寺の前に前田さんと渡辺さんというご信者の家族が住んでいました。
昭和30年代、前田さんのお宅は三人家族で、養子夫婦とその母、前田綾子さんという方がおられました。お寺の文字通り前におられたので毎日、参詣されて年齢より遙かに若々しい娘さんのような声で話をしたりされていました。
その前田さんと血縁関係があり、いっしょにお寺や御講にいつもお参りされていたのが渡辺英子さんという人で、10人も子どもがいました。
その中で男兄弟5人はいっしょに家業のメタル制作の仕事で、毎日、お寺の前が仕事場でしたから来ていました。
その5人に私は引っ張り出されて、毎日、野球練習。ピッチングだ、ノックだの言って、お寺の前の道路を野球場にしてしまいました。5人兄弟より私の方が年下でまるで、その末っ子のように一緒に遊んだというか、結構真剣に野球道に励んでいたつもりでした。
そのうち、去年に次男の豊さん、この5月26日に長男の清さんが亡くなり寂しくなりました。
あの頃の日本は、貧しくてないものばかり。車も冷蔵庫もクーラーも手が届かない。
でも、何か将来は素晴らしくなる、きっと今より良くなるとみんなが思っていて、明るかった感じがします。今のほうがずっと、豊かでクールでスマートでシステマティックだけれど何か空気が重いんですよね。
でも、フィリピンに行った時、子どもも大人もきらきらした目をしていて、驚きました。
あの頃の日本人が持っていた目。
それは今もフィリピンにありました。小さな手にお数珠を持ってフィリピンで初めてマニラのホテルに集まった子どもたち。素晴らしい笑顔でした。
今から日本は大家族に戻れないかもしれません。生活のスタイルがすっかり変わってしまい、元に戻せないし、10人以上子どもがいればテレビ局がやってくるくらいです。
でも、あの頃の渡辺家の人々が持っていたものは、私たちが忘れかけている大事なものではないでしょうか。
子どもが少なくなり、豊かになればなるほど家族のきずなが薄れていくのはどうしてなのでしょうか。
あの頃を懐かしんでノスタルジアに浸るだけではなく、失われてしまいつつある「家族のきずな、暖かみ」を取り戻したいと思いませんか。
ただ、今日、ちょっとホッとしたのは、渡辺さんの息子さんたちが子どもの頃、お寺にお参りをした時のこと、おばあさんの英子さんに海中御本尊を大事にしなさいと持たされたこと、手で表紙を取って御題目をお唱えしたことなど、生まれは昭和40年代だけれど良く覚えていて、先祖からのDNAをしっかり受け継ぎ、お寺のことをしっかりと頭に入れていたことです。
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良いことと悪いことは裏表

2010年05月23日 | Weblog
禍福はあざなえる縄のごとし
とか
人間、万事、塞翁が馬(さいおうがうま)
などという言葉があります。
良いと思ったことが悪くなったり、悪いと悲観していたことが良く変わったり。
予測できない事ってたくさんあります。

今日は、お寺で子ども御会式。
学校や幼稚園での運動会のシーズンらしく、参詣者が大変少ないという情報が入ってきました。
ところが、今日は雨。
お寺で薫化育成会の方が今日、晴れますようにとご祈願をかけていました。
残念ながら雨でしたが、運動会が中止となり、お参詣できない予定の親子がお参りされ、結果、昨年を超えて子どもが50名近くお参りしました。
今年は第9回目の子ども御会式で、初年度は大人と子どもをまぜて、250名くらい参詣が
ありました。
この頃は全体の人数は減っていますが、子どもは増えていてうれしい限り。
準備していただいた方は何日も一所懸命に頑張ってご奉公してくれました。
ありがたい限りです。
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明日は子ども御会式

2010年05月22日 | Weblog
今日は急ピッチで子ども御会式の準備をしています。
ご奉公者がたくさん集まって、子どもたちのために何とかお寺をネバーランドにしたいと頑張っています。
ネバーランドのようにお金はかけられませんが、段ボールや紙などをフルに利用して、子どもが楽しく遊べるよう、教養部長の梅沢さん、石黒さん、その他のおじさん、おばさん、おじいさん、おばあさん、お兄さん、お姉さんなど皆、忙しく準備に追われています。

私は、明日は御看経の導師を勤め、ビデオ紙芝居の御法門が小林彰隆師によって進められて、終わるまぎわに、チョットお話しするだけです。
「御教歌」を読み、みんなといっしょに唱えさえていただきましょうと言ってお唱えして終りですから、チョット物足りないかも。
その後、握手会をすることになっています。

子どもが少しでもお寺に近づき、お寺って楽しいなぁという感想をもってもらいたいのです。
今は、この日本では、子どもを簡単に動かすことはできません。子どもに参詣を喜んでしてもらうためには相当、工夫が必要です。
でも来れば、けっこう楽しいのです。楽しかったという思い出がたくさん出来て、何回もお寺に足を運んでいるうちに、子ども自身の何かが変わってきます。
目が輝いてきて、小さな手を合わせてくれるようになります。

2月にフィリピンに行った時、初御講にたくさんの子どもがきてくれました(写真)。
この子たちにも集まるお寺が早くほしいと念願しています。

ともかく、明日は雨の予報をくつがえして、晴れて、ここ東京の遠妙寺に大勢の子どもが参加してくれるよう祈るばかりです。

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田原凌 初参詣

2010年05月20日 | Weblog
5月19日、田原彰行、日登美夫妻の長男、凌(りょう)の遠妙寺御宝前、初参詣がおこなわれました。他人事のような書き方ですが、恥ずかしながら私の3人目の孫です。

当日は、九州小倉から祖父母、田原篤・悦子夫妻と相祖父母の野北英生・幸子夫妻がはるばるお参りでした。
野北氏は87歳、不軽寺で先住の時代以来、責任役員としてご奉公されてきました。この日に備えて、夫妻で毎日、訓練のために付近を歩き鍛えて長旅にチャレンジしたとのこと。

凌は、生まれた時が3060グラム、それが毎日、平均60グラムも増えていて、間もなく6000グラムを突破する勢い。巨大児になりつつあります。
でも、固太りだし、大きくって心配してたら、チョトおかしい。
成長が悪くて心配するなら分かりますが。

ともかく、順調に育っていますが、相変わらず母方のジジ・・すなわち私に似ているという話しか聞こえてきません。
私は生まれた時、色白でかわいいと言われたといっているのですが、誰も信じていません。そして、今の私を見て、「凌くんはおじいちゃん似ですね」と言っています。
九州から来た父方のジジ・ババまで、またしても口をそろえて言っているようです。
私は「遺伝子は同じ比率でしか入っていないよ」などと言っています。

何はともあれ、健康で順調に育っているのが何より。
一時は子どもが授からず、親自身が諦めかかっていたのが生まれたのです。
こんなお計らいはありません。
命の重みをだっこするたび、ずっしり感じます。

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明日は千葉に。妙導寺創立80周年

2010年05月15日 | Weblog
明日は、千葉、妙導寺(中央区葛城10-15)の門祖会です。
そして、創立80周年のお祝いの日です。
妙導寺は、80年前に遠妙支部・千葉親会場として創立されました。
ことの起こりは遠妙寺婦人会長をつとめた川村タカさんとその夫、郁三郎氏が大正12年(1923年)の関東大震災の後、千葉に疎開で移住したのがキッカケで、伊達日彰上人が毎月、御講席にお参りされるようになりました。

そして、近所の方たちをご信心に誘ってお教化していくうち、だんだんご信者が増えて、ついにお寺を建てて、御本尊と日蓮聖人御尊像をご奉安しました。
それが昭和5年5月15日、つまり80年前の今日なのです。
そのときに、実はもう21坪の家屋が建っていて、それを買いとり、本堂にしたのです。
そして、そのお披露目・・・開筵式をつとめたのが同年10月19日でした。
開筵式の翌年、開基、伊達日彰上人はお弟子の所日陽上人を後任の担任に任命されました。
所日陽上人は、もともと銀行に勤めていましたが、皮膚結核で顔面が結核菌に冒されてボロボロでした。
どうしようもないところ、渡辺たまきさんという方に教化され、ひたすら御題目の口唱に励み、御供水をいただき、顔面に当宗秘伝の軟膏といえる「お蝋」を塗っていました。
そして、何日か後、顔面の結核でやられた皮膚がいっぺんにはげ落ちて、新しい皮膚に入れ替わりすっかりきれいになったのです。結核の症状も治まり、すっかり喜び、間もなく、組長(部長)の御役をいただいてご奉公。そしてそれから数年して得度されたのでした。

そのように結核という不治の病が治り、実にありがたいという思いで、得度後もお助行に走り回り、夏は着替えを持ってお助行して、どんどんご信者に現証をみせ、お計らいをいただかせられました。
その所日陽上人がご奉公をされ遠妙寺・千葉親会場は爆発的に発展したのです。

その後、第二次世界大戦もありましたが、戦災にも遭わず、火事にもならず、その本堂は約60年の間、使用されていました。私が22年前に本寺遠妙寺住職と兼務で住職となった時もボロボロでしたが愛着のある本堂として皆、お参りしていました。

でも、トイレは本堂の隣にあり、ご不敬となることもしばしば。思い切って建て替えることになりました。
そのときまで、実に二十数年、本堂を建てるため浄財奉納が続いていて、2億円にもなっていました。
コツコツ、辛抱強く、妙導寺のご信者はお金を貯めて、古くてがたがたの本堂でも我慢していました。いつか、新しい本堂が見られるとお年寄りのご信者も、せっせとご有志された甲斐があり、平成3年1月には完成したのです。

それから二十年。私はなんと、今はもう妙導寺の先住です。
とにかく、明日はおめでたい80周年です。
気持ちよく快晴のもと、御会式が奉修できるよう祈っています。
(写真は昭和5年5月15日、創立記念の日の撮影だと推定されます)



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迷走

2010年05月07日 | Weblog
迷走というのは困ったものです。
迷走といいますと、これはゴールがあるのにゴールがわからない、ゴールが動いてしまってわからなくなった、そもそもゴールなど考えていなかったか、ゴールを間違えていたなどのケースがあります。
ですから、ゴールを最初にしっかり見定める必要があります。
はたして、そこにゴールインできるのか、ゴールインを拒否されるならゴールインできません。
そして、自分の意志と、先方の受け入れ可能ということがハッキリしたら突進ですが、信頼できる第三者によく意見を聞く必要があります。そして、第三者にも支持され、こちらとあちらの意志がハッキリしていたら迷う事はありません。
政治にしても、企業でも、お寺でも、就職でも結婚でも、何でもこれは当てはまるのではないでしょうか。
そして、迷走というとき、本人が迷っているという意識がある場合と、その自覚がない場合と二通りあります。
迷っているという自覚があれば、走るのを休んで、まず新たなゴールを確定するか、あるいは走るのを断念するかどちらかになりますから、迷走はなくなります。
まったく、その意識がないと迷走は、他の人がやめさせるまで止まりません。
まぁ、決断するというのは自分が責任を引き受ける事になりますから、しにくいのですね。ある程度、自己犠牲の気持ちがなければ、決断もできないと思います。
人の為に我身を捨てるという菩薩の心、まことの信仰心があれば、政治家もやり方が違ってくるはずです。鳩山さんとは学年は違いますが高校が同じです。何とか言ってあげたいけれど、面識もありません。お祖師様は
「法華を識る(しる)者は世法を得べきか」
と仰せになっていて、「法華経のみ心を知り、信心厚く、み仏に仕え、真実に人の為に我身をなげうって助けようとする人は、世間の事もよくわかり急所を押さえる事ができる」
と示されています。私利私欲のために政治に携わるなどは言語道断ですが、迷走を防ぐには、自分の座標をしっかりと見据えて、ゴールを見つけて走る事です。
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ゴールデンウィーク中にゴールイン 良孝師おめでとう

2010年05月04日 | Weblog
明日で、今年のゴールデンウィークもいちおう、おしまいですね。
でも、どこもかしこも、混んでいますね。
私ども、遠妙寺ではたまたま、相川良孝師が今日、結婚式なので、混み合う中、寺族が7人も熊本、長薫寺にでかけました。
いつもは、混んでいるゴールデンウィークは遠出は避けているはずですが、今年は例外。
良孝師は相川家の3兄弟の長男。
次男の良尚師の方が、一足早く、私の娘と結婚していますので、私も関係者というわけ。
でも、今回は、皆を見送る方に回っています。
良孝師、おめでとう。
学生の時、四年間、ウチでご奉公してもらいましたね。
まぁ。いつも愉快で楽しく、ユーモアというか芸人さんより、おもしろいところがあったよね。
ご奉公の方は、きっちり、真面目にさせていただいていた?よね。
新郎新婦の末永い幸せを祈っています。
写真は、届き次第アップするので、しばらくお待ちを。
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