林住期その2

2007年06月29日 | Weblog
テレビの番組の中で五木寛之氏にアナウンサーの小倉智昭さんがインタビューしていました。
その中で気になったことがあります。五木さんは林住期を50歳から75歳までと捉え、林住期からは夫婦は家庭の中でお互いに好きなことをやるべきであると発言されていました。
お互いが第二の人生を生きるべきで、干渉し合わないこと。夫は外で働いて帰って来たとしても、それは当たり前である。疲れてかえってきても自分で自分のことはやること。また、夫婦だからといって相手に頼らない。家庭は、せっかく築いてきたのだから破壊する必要はないにしても、寝室を共にする必要はないと言っていました。
ふーん。そういう考え方もあるのだなぁと聞いていました。でも、外国の林住期に相当する夫婦が、もう子どもも育て上げ、悠々自適の生活を送りながら、しかも仲睦まじく、友達のように、少しは男と女のような雰囲気もただよわせながら歩いている姿を見せていることがあります。なにか、私にはそれが自然な感じもしますがどうでしょうか。
家庭内別居をするのが林住期なのかなと、やや疑問を感じながら聞いていました。
この点は皆さん、どのように考えられますか?
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林住期

2007年06月27日 | Weblog
五木寛之さんの「林住期」という本が売れているとのこと。テレビで取りあげられていました。
林住期ということは、インド古来の人生に対する考え方で、一生を学生期、家長(住)期、林住期、遊行期という四つに区分して、その時期、その時期、充実して過ごそうということです。
この言葉自体、仏教学の(故)中村元先生が相当、以前から取りあげて著書に書いておられますし、およそ仏教を勉強している人の中にも、この事を取りあげてきた人が大勢あります。私だってマイナーな本の中に書いたことがあります。
でも、著名な作家が取りあげるといっぺんに広がりますね。ちと悔しい感じです。
ともかく、タイミングが良いということもあり、また、少し独特な解釈をしているので広がるのでしょう。本来は林住期、遊行期は、もともと宗教的生活を意味しています。インドの人は宗教的な素養が生まれながら備わっているようで、念願であった宗教三昧の生活を人生の後半には送りたいということを表しています。
でも、五木さんは新しい解釈として、今まで家族や生活のため、お金のために縛られていた状態から解放され、思う存分、自分がやりたかったことをやるというのが林住期とされています。
私ども佛立宗のご信者の方としては、ある年齢から儲けるのは後回しにして、お寺に参詣し、世のため人のため奉仕、ご奉公させてもらうというのが林住期の過ごし方となるんでしょうね。
なるほど。でも、私の場合はどうなるのでしょう。私は今、住職としてお寺にいて、御看経(おつとめ)をしたり、御法門(法話)を説いたり、あちらこちらに行っては御講(家庭での仏教イベント)を勤めています。それが林住期となると、どうしたらよいのかと考えてしまうところです。もともと林住しているようなもんですから。
でも、自分のペースで好きなように、あるときはお寺に、ある時は某所にと、居所を定めず日本中、世界じゅう歩き、人を助けることができたら素晴らしいと思います。御布施なども本当はほしくない。その方が気が楽ですよ。林住期の基本的な考えはぜひ、自分も実現したいし、かといって住職としてすべきことはあるし。まあ、いずれ自由になって、いきなり遊行期に入ろうかな。
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朝の本山

2007年06月20日 | Weblog
早朝、本山宥清寺に参詣させて頂きました。
私は生まれも育ちもお寺の中でしたから、外からお参りすると新鮮な感じです。
先月末に京都に戻られた御講有・小山日誠上人のお元気なお姿を拝見しました。
人間には生老病死の四つの苦悩がついて離れない、これを克服して強く生きるようみ仏は教えてくださっています。一般論として生老病死の苦しみについて語ることは易しいことですが、これが家族の問題、自己の問題となったときは感情なしに語ることはできないでしょう。
実際に苦しみを超克せよと言われても、われわれ凡人にはいかんともしがたいものがあり、苦しいときは苦しいと言いたくなりますし、言えばなお苦しみが増します。それでも苦しいと叫ぶのが凡夫の性です。そんな私たちは、何かにすがり、何かを拠り所として、苦しみがなくなり、軽減するよう祈ります。その祈りはけっして心が弱い人がするものとは言えません。どんな屈強なアキレスでも横綱でもケガをしたり不安があります。そのとき、祈る人は逆に素直な心の持ち主といえないでしょうか。
佛立開導日扇聖人は、病は善知識で、人生の良き教師であるとたびたび教えてくださっています。凡夫の祈りによってこそ信心が起こり、信心が深まるもの、やがてその人は仏道にいそしみ、不退転の信心を身につけ成仏に至るものであるとされています。
また、日蓮聖人も「病によりて道心(道を求める心、信心)はおこり候か」と言われています。
ともかく、人間は生きている以上、誰でも病気やけが、あるいは老化、そして死も避けることはできません。そのような危機に直面したとき、私たち佛立信者は祈ることを知っていて、しかも実際にみ仏のお計らいをいただく「頂き方」を知っていることは本当に心強いことです。
膝の手術も無事に成功し、かなり回復された御講有上人が本山のご信者の御祈願を一生懸命なさっている声をお聞きして、安心して宿に帰ってきました。
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熊本にて

2007年06月17日 | Weblog
本日は熊本・長薫寺の開導会に参詣させていただきました。
熊本・長薫寺は戦前、小倉(不軽寺)から九州弘通の祖、宮川日厚上人が御講等にみえていました。昭和十年前後、私の師匠(父)で遠妙寺先代住職の日玄上人が青年時代、宮川日厚上人の命を受けて熊本まで泊まりがけでご奉公させていただいていたと生前、聞きました。
実質、熊本でご信者が増え、爆発的にご弘通に火がついたのは長薫寺とその門末寺院の祖に当たる高須日薫上人が熊本に来られてからでした。
高須日薫上人は、失明状態から救われた現証体験に基づくゆるぎないご信心と宗教者としての強力なカリスマ性、また、その慈愛に満ちた教導や人間的な魅力、人一倍の努力などにより長薫寺の盤石の基礎を築かれました。
今日、その一門の寺院は12ヵ寺に及び、いずれも隆盛を来しています。今年9月にその第13回忌をお迎えするとのことですが、日薫上人の生前から住職を継承した高須日良上人は師匠の跡を忠実に継がれ、創意工夫を加えてご弘通の発展に努め、ついに日本一、教化ができるお寺づくりをされました。2年前、法子、高須昭因講師に住職位を譲り後進の指導、養成を着々と進められています。
毎年、この長薫寺にお参りするたび、そのスケールに圧倒され、教務・信徒の真摯なご信心前に心打たれます。今年も例外ではありませんでした。
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癒しの空間

2007年06月13日 | Weblog
東京と京都を往復するようになって25年以上経ちます。
東京はすべてが人工の空間で虚構を感じますが、京都の人にはできるだけ自然を残そうという意識があるように感じられます。
便利で合理的であることに価値を見いだし、ひたすら効率を追求してきたのが現代人ですが、都市こそその最たるものです。養老孟史さんによれば社会の都市化とは脳化にほかならず、また、無意識で自然に存在したものを意識化することだと言っておられます。意識化する過程で有用なもの、無用なものとに分けたり、綺麗なものときたないものに分けて、不必要できたなく、つまらないものは切り捨てることになります。
仏教ではこれを二元分別などといっていますが、人間の宿命かも知れません。
このあいだ、養老さんの本を読んだもので、よけいなことをつい口走りました。
ともかく、京都は古い都で碁盤の目は都市化の象徴かも知れませんが、うまく自然を残してきたという感じがします。
先日、久しぶりに旅館に泊まらせてもらう機会があり、ホテルよりずっと心が落ち着くものだなあと心から思いました。
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ラジオ

2007年06月11日 | Weblog
ラジオはいま、どのくらいの人が聞いているんだろう。
まだ、小学校に行く前、テレビもない時代である。お風呂屋さんでは、いつもラジオの音が大音量で鳴っていた。相撲の実況中継や、「赤胴鈴之助」というお話の放送だった。
45年前、中学生の時、FMセブンというトランジスタラジオを買った。
夜、家族も寝た後、10時くらいから夜中までワクワクしながらラジオを聞いたものだ。もう、その頃はテレビが普及し始めていたけど、何かラジオには大人の雰囲気があり、音楽がほとんどだけど、後にも先にもあんなに昂奮してラジオを聞いたことはない。
今も聞いてみれば、いい番組もあるかも知れないが、その時代が持っていたドキドキさせるものは感じない。
単なる年のせいかもしれないけど、何か違うんだね。
何でも「旬の時」があるのかな。
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京都の料理

2007年06月08日 | Weblog
今日で京都滞在5日目です。
1200年来の古都で、観光するところはたくさんありますが、二〇代の時に2年間、ここで暮らしていましたから主だったところは観ました。
それから30年間、京都にひと月平均、2回から3回、来ています。そしてあと2年半は通わなくてはなりません。そうすると、宗務本庁の事務所でご奉公(業務ともいえます)や会議に明け暮れていると、どこかに観光に行くという気はまず起こりません。ご奉公が終わったら一目散、東京に帰ります。
ところが、食べるのだけは何とかしなくてはなりません。その点、本当は出かけるのがしんどいのですが、お店探しをすることになります。
そんなわけで、京都グルメ案内になりますが、時々、メモ帳の代わりでブログに書いておくことにします。
今日、お話をしようと思うのは「中国料理プラス京のおばんざい」の「明」さんです。中華ですが、食べやすく日本人向けにアレンジした中国料理。加納さんという方が料理されています。とにかく美味しい。お値段もそこそこリーズナブル。特に紹興酒も美味しいし、印象に残ったのは「すっぱがら」というスープ。その名の通り、酸っぱくって辛いけど、イケルのです。電話は075-211-1554です。
まあ、ふだんはお弁当を買ってホテル内で寂しく食べることが、よくあるのですが時には美味しいところにも行くのは精神的にもいいですね。(写真は朝の京都府庁)
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講有考試

2007年06月07日 | Weblog
今回は京都に4泊5日で、明日ようやく帰れます。
ずいぶん長期なのですが、講有考試といい、当宗の講有(管長)より課せられた試験を受けて、それに合格した人だけが位を昇進できるできるという制度があります。今回はその中でも「上座の部」といい、これを受かり、講有上人にお認め頂けると権僧正(ごんそうじょう)の位に進めます。
私は二十代から四十代の頃、そのような制度に反発を覚えましたが、まぁ、よく考えてみると献納するお金によって位を買ったり、売ったりしている他宗門の現状を見れば、しょうがないかなどと思うようになり、かつて試験を受けました。
もう、試験はこりごりだったのですが、幸いにして受かったら、今度はそのお世話をする方を任され、やれやれです。
でも、今までも忙しい中、誰かがこのような事を無償で後輩のためにやってくれていたのですから、できることはさせていただくのは当然です。
でも、この試験が難しい。私も今だったら、たぶん、受からないでしょう。
まぁ、私が教務局という部署にいる間に、できれば、その気になれば受かるという制度にしたいと思っていますが、皆の賛同を頂かないとできません。
思い返せば、私は小学校の頃から、駿台予備校(四谷大塚進学教室)に通い、中学、高校、大学、大学院と受験しました。いちばん易しかったのは、大学院の試験で、一番難しいのは私たち佛立宗の講有考試ですね。これに受かれば、ハーバードも軽い軽い。
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小川彰孝師の御法門

2007年06月05日 | Weblog
今朝、横浜の亀井日魁御導師と二人連れだって、徒歩で本山にさんけいさせていただきました。
やれやれハーベストホテルから約35分。革靴はやはり歩きにくいですね。
亀井御導師はスポーツシューズで、ついていくのが精一杯。
やっと、本山にたどり着いたら御法門の看板に今朝の御法門は小川彰孝師となっているではありませんか。
今は、佛立教育専門学校に在学の教務でも本山の高座(大きく背が高い御法門の台。その上に何段か階段を上って上の方から御法門を説かせていただく)から御法門を拝読するのです。私たちの学生時代は、一般の教務でもそこからは御法門させていただけませんでした。本山の御会式のとき、その御会式を唱導される御導師、つまり、権大僧正以上の方のみ高座に上ることを許されたのです。
隔世の感あり、小川彰孝師はすごい経験をしたわけです。
せっかくなので記念に写真をと思い、デジカメを持ってきていなかったので携帯電話のカメラで撮ろうと思い、構えました。
ところが、御法門が始まると、携帯のカメラはシャッターをきると音がするので、タイミングを見計らっていたら最後まで写せませんでした。最後の最後、御教歌を拝読して、高座から降りるときならシャッター音が聞こえないだろうと思ってチャンスをねらっていました。そうしたら、これから御教歌の再拝のご教導を頂きますと言い、あれこれしているうち、ずるずる高座から降りているではありませんか。
あぁ、惜しい。せっかく撮って帰り、由美さん、ご両親、愛子さんはじめみんなに見せたかったのに。
まっ、いいか。これで終りじゃないもんね。
でも、タイミング良く、師匠の私が本山に早めにお参りしたときに、彰孝師の御法門とは。
ちなみに、御法門の内容は90点以上だったね。
ホッとしたのは本人だけではありませんでした。(写真は法鼓をうつ伊籐良悦師ほか)
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川口・照妙寺

2007年06月03日 | Weblog
今日は川口市の照妙寺の開導会にまいりました。
現・御住職の植田日事御導師は現在、宗門の研究機関である佛立研究所所長として活躍されている方で、私のみならず大勢の方がたいへん信頼している御導師です。
照妙寺の先代御住職は植田日朝上人と申しあげ、宗務総長等の重要ポストを歴任された方です。2年前の4月18日にご遷化(せんげ 一般の死亡という意味であるが、高徳の上人に対して使う言葉)されました。ご遷化の前日に桜をごらんになり「きれいだねえ」とおっしゃり、その最期の日もお変わりがなかったとのことです。ただ風邪気味でしたので、お薬をさし上げようとしたのを止められ、ご子息であり御弟子でもある現・御住職の手を取り「あとの事はたのんだよ」というように握りしめられたとのことです。ご自分の死をしっかり見据えて、悠々としてこれを受け容れ、後事を託すというようなことは高徳の御導師ならではのことです。
現・御住職は、よくその遺志を継がれて精進され、照妙寺の昨年の弘通(布教)実績にはめざましいものがありました。
このたびの開導会も晴天のうち、盛大につとまり参詣も多く、感動しつつ帰路につきました。(写真は植田日朝上人)
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