経力寺の御会式

2007年09月30日 | Weblog
今日は横浜・経力寺の日蓮聖人御会式がありました。
横浜の南区にあるお寺ですが、南区にはわが本門佛立宗のお寺があと3か寺あります。
経力寺の小山日秀上人はじめ、どのお寺の御導師(御住職)も素晴らしい方ばかりで、みな、それぞれ仲良く助け合いながらご奉公されています。この南区のお寺はお互いに連携して「信行ゼミナール・みなみ」という講習会を開催して、持ち回りで実施されているとのことです。
さて、私たち本門佛立宗のお寺には、お役中(やくちゅう)と称して、寺院の維持、運営、活動を支えてくださる方がいます。お役中としての活動(ご奉公)は、もちろん、すべて無償の奉仕活動で、お寺のために、また、何人かで構成するグループ内の信徒のため、また、地域のため、福祉活動のためにと頑張っていただいています。これらお役中の方々のご奉公のお蔭で、佛立宗のお寺は成り立ってきましたし、菩薩行の伝統がずっと伝わってきました。
この菩薩というのは、発祥はインドの国で、菩薩はボーディサットゥバの音訳で「悟りを求め、大きな心を持つ人々」という意味です。中国では菩薩の意味を「上求菩堤、下化衆生」(じょうぐぼだい・げけしゅじょう)と翻訳、解釈されました。これは上に向かっては悟りを求め、下に向かっては人々を仏様の教えを伝え、教化して幸せにする人々という意味です。
この菩薩はお坊さんに限らず、信仰心が篤いご信者で他のためにお役に立とうと努力する人はみな、菩薩です。お寺の一大行事の御会式は、この菩薩達のあつまる場所です。経力寺の御会式もしかりで、事務局長の仁比さんはじめ、テントを張ったり、お昼ご飯のご供養を用意したり、總持をしたり、すべてがご信者、菩薩の奉仕でできているのです。その有難さを感じつつ御会式を勤めてきました。
御題「清風が俚諺教曰」
御教歌
菩薩とは 在家出家に かゝはらず 人を助くる 人をいふ也
(写真は菩薩の発祥の地、インドの街。提供・河野彰国師)
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新藤兼人 インタビュー番組

2007年09月28日 | Weblog
テレビで新藤兼人監督のインタビュー番組をやっていました。
とても95歳とは思えない情熱がその言葉からほとばしり出ていて、感動を受けました。
現在、ご自分が通った小学校の先生を描いた「花は散れども」の監督として作品を製作中とのことです。その恩師は小学校のふつうの先生だったそうで、偉そうなことを言ったのでもなく、さしたる業績を残したのでもない。また、退職後もごく平凡な生活を送り人生の幕を閉じたそうですが、新藤さんだけでなく他の同級生たちの心に深い影響と与えた先生だというのです。
また、台詞がまったくない映画「裸の島」は瀬戸内海の島で黙々と働く農民をテーマにした映画で、近代映画協会が経営難に陥ったとき、最後の解散記念に撮った映画だということです。それがヒットして賞を取り、各国での放映権を売り経営難をしのいだのです。その映画は急な段々畑を、水桶をかついで上がっていくお百姓さん夫婦とその家族を撮っているのですが、新藤さんによれば、これは「お母さんについての映画」だと語っていました。また、もう一回、お母さんについての映画を制作したいとのことです。
また、原爆をテーマとした映画がライフワークだと述べていましたが、広島に生まれた監督としては、自分の町を破壊され同郷の人たちの命を奪った原爆とそれを落としたことについて怒りを感じながら撮ったと語っていました。
このインタビューの中で、新藤監督は常に「自分とお母さん」、「自分と家族」、「自分と原爆」というように、いつも自分との関わりを中心にして映画を作っているのです。常に自分と周囲の対象を常に見つめて、考えを深めていく手法なのですが、私は少し考えを改めなくてはならないと思いました。
要するに、私たちは母を語り、父を語り、家族についてものをいうとき、また、教育や戦争や、その他のことについて発言するとき、あまりにも人ごとのように、他人事のように語っていないだろうかということです。私は、仏教者として「無我」あるいは「無私」ということを教わっていますので、努めて私を抜いた形でものを考え、意見を述べてきたような気がします。しかし、本当は「私」との関わりの中で、悪い意味でなく私を勘定に入れて考えなくてはいけないと思いました。それはけっして、仏教の無我とか無私ということと矛盾はしないどころか、それが本当の無我に通じるのではないかと思いました。
最近、ミャンマーのお坊さんがついに立ち上がったというニュースと思い合わせて考えなくてはならないことだと思います。
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ペナントレース

2007年09月25日 | Weblog
いま、野球ファンは大変ですね。中日、巨人、阪神が三つどもえで死闘を繰り広げています。
野球は最近、サッカーや格闘技などに押され気味でファンは高齢化しているようです。若い人も混じっていますが、何といっても野球馬鹿と言われるほどのファンは団塊の世代以上の人が多いのではないでしょうか。
ですから、混戦しているのは若いファンを増やし、野球人気を上げるには良いことだと思います。
この頃こそナイター中継も少し、復活していますが、テレビで放映するのがガクッと減ってしまったのにはガックリです。
それに問題だと思うのは、優勝しても三位でもクライマックスシリーズというのがあって、この決勝に勝たなければ日本シリーズに出られないと言うことです。
以前、気の毒だと思いましたのは、一位のソフトバンクがはるかにゲーム差があった三位の西武にパリーグのプレイオフで負けてしまい、日本シリーズに出られなくなったことです。あの時の王監督の落胆した表情は忘れられません。
最後に報われるというのが、お釈迦様の教えですが、何でもそうでなくてはと思いたくなりますね。
(写真提供 カワノヒロユキ氏)
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秋のお彼岸

2007年09月24日 | Weblog
昨日はお彼岸でしたが、自民党の総裁選挙がありました。
まあ、わが遠妙寺のご信者で関わりがある人はほとんどいません。
あの世を想う日に、もっとも「この世的な」総裁選挙が行われたというのは何か感じるものがありませんか。
さて、お彼岸の折、参詣者に御法門(法話)を私は説いています。
下に記したのは、前に説いた御法門の要点です。

お彼岸について
 お彼岸はふつう、春分の日と秋分の日、年に二回です。この時は、お墓にお参りする人が多く、お墓を掃除したり、おはぎやお花を供え、お線香・ローソクをともします。
 これはこれで大事なことですが、まことの仏教徒としてはその前に、お寺にお参りしてお塔婆を立てて、それをお墓にお持ちしてお墓に建てて、御題目をお唱えすることが大切です。
 二回のお彼岸とかお盆に先祖のお弔いをして、あとはほったらかしになさっている方はありませんか。「常盆・常彼岸」(じょうぼん・じょうひがん)といい、毎日がお盆・日々お彼岸という心で暮らしご信心される事が大事です。
此岸と彼岸
 お彼岸といえば年中行事となっています、もともと、「彼岸」とは「かの岸」「向こう岸」で、欲望と争いがない清らかな寂光浄土・み仏の世界を意味します。「彼岸」に対する言葉が「此岸」(しがん)。「此岸」とは「この岸」「こちら岸」で、煩悩(欲)と欲がもとで起こす悪業、そしてその苦しみの絶えまのないドロドロとした世界をさします。
彼岸に渡る
 私たちはとかく、「此岸」にいて、しかも、そのドロドロとしたところに嫌気もささず、争いを繰り返し欲望の虜になっていることにも気がつきません。それどころか、調子のいいときは天国にいるような気持ちでいます。私は賭け事はよく知りませんが、ちょうど、競輪競馬で勝っているとき、パチンコで玉が出ているときは皆、夢中でやめようとしないといいます。しかし、バブルは必ずはじけます。つまりその天国は地獄への入り口、見せかけの天国だったのです。いま、若者の世界をドラッグや麻薬がむしばんでいると言います。その世界に溺れたら最後、なかなか抜け出せません。しかし、その行き先はホンモノの地獄だと想わなければ待っているのは死です。金銭欲、名誉欲にどっぷりつかっていたとしたら、私たちが生きているこの世界は本質的に麻薬の世界と変わりません。
彼岸は本物の天国
 そこで大事なことは、この世界にあっても、彼岸を思い、目指すこと。此岸から脱却することです。それには、できる限り、人のためになることを行い、他を助ける菩薩行(ぼさつぎょう)をなすことです。
 菩薩とは、自己の利益や満足、幸せをさておいて、今、苦しみに貧している人に手をさしのべることです。そして、そのために、他者を物質的に救済したり援助することは大事ですが、それより、たましいを救うことを第一とするのです。
 それには、仏の真実の教えに触れさせ、妙法御題目の信仰によって幸せになるよう、ご利益を頂くよう導くことが肝心です。
 生きているとき確かな信仰をして、精神的に充足し、他の方のお役に立つ菩薩行をされている方は、この世にありながら常に本物の天国・寂光にいるのです。もし、寿命が尽きて亡くなれば、その方はその身まるごと、彼岸の寂光浄土に渡ります。
六文銭・戒名・葬儀
 一般にはよく、葬儀のとき、六文銭(今は実際のお金ではなく布に一銭を六枚プリントしたもの)を財布の中に入れて棺桶に入れます。これは此岸から彼岸に渡る船賃というわけです。
 しかし、佛立信心では、故人を寂光に送るのに六文銭も旅装束も不要。また、法外な戒名料も要りません。佛立宗では信者となれば、それぞれ、立派な戒名を頂くことができますが、お金はかかりません。
 つまり、寂光浄土に行くために必要なのは故人が「生きている間にどれだけ善と信じるところを行い、功徳を積まれたか」ということです。
 そして後に残った遺族、親族、縁者が「上行所伝の御題目」を唱えて、その功徳を回向することです。日蓮聖人は
「生死の大海を渡らんことは南無妙法蓮華経の舟にあらずんばかなふべからず」と教えておられます。
御教歌
かのきしに わたす御法の 舟歌は きくもいさまし 南無妙法蓮華経
(写真はタハラマナブ氏提供)
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健康で長生き

2007年09月20日 | Weblog
健康で長生きは難しいようです。
わが遠妙寺で最高齢者は99歳の井上キヨコさん。
次は95歳の柴山テルエさん。
今月は敬老の月なので、13日に井上さん宅に、今日は柴山さん宅に表敬訪問、さらに健康で長生きするようお祈りをしてきました。
二人とも、耳は遠いのですが、頭はさえていて、言葉もハッキリしています。
健康の秘訣は何といっても、み仏に毎朝、毎晩祈りをささげること。朝夕30分以上、真剣に南無妙法蓮華経を唱えます。その祈りも自分のことはともかく、家族の幸せ、周囲の人の幸せ、世の中の平和を祈ります。さすがに100歳に手が届くくらいの年齢で少しも頭が衰えない人は違うと感心して今日も帰ってきました。
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若者の祭典 FESTIVAL OF YOUTH

2007年09月19日 | Weblog
この間、大阪清風寺の青年会創立60周年記念大会に私たち遠妙寺から若者数名が参加しました。何百人も集まったそうですが、大変もりあがり、感動してみんな帰ってきました。
私も30年前は清風寺青年会の参与教務として奉仕させてもらいました。私もその頃は若者、というより20代だったんですよ。まあ、楽しい青春の日々を過ごさせてもらいました。今もいいけど、その時も非常に良かったと思っています。
写真は清風寺に伺う前に、お好み焼きを食べているときの写真で無事に大阪に着きましたという報告のメールといっしょに送られたものです。
わが遠妙寺の青年会はいまは、K・由美さんという人が幹事長ですが、この12月には、2年ぶりの改選でメンバーが新しくなります。大阪から私が戻って26年。つぶれていた青年会を再建して、それから途切れなく続いていてありがたいなぁと思っています。
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新刊本紹介

2007年09月17日 | Weblog
3日前、「夜ふすも、朝とくおきるも」(熊ニチ出版)という真新しい本を頂きました。
著者は、福本晃到(ふくもとてるゆき)氏。熊本県荒尾市の中学校に英語教師として38年間勤務。その間、民間教育研究団体などに属して、多くの教師仲間と共に教育実践に取り組まれた方。1990年に退職し、それ以降は本門佛立宗の信徒として奉仕と修行に専念、2千数百軒の近隣の家を訪ね、人生と信仰に関しての対話を体当たりで試みておられます。また、仏教の研究と勉学にも励み、本書を出版するに至ったというのです。
「言うべきか、言わざるべきか」という問いは、何事についても起こってくるものですが、特に、自己の到達した宗教的境地については、それがうまく他者に伝えられるか、否か。お釈迦様も迷われたと言います。
しかし、明らかな事実として自分自身がぎりぎりの所で救われた、また、家族が奇跡的に祈ることによって病気が治ったり、命が助かったということになりますと、黙ってはいられない気持ちになります。
きれい事や理屈ではすますことができない問題が解決することを望まない人はいないでしょう。恐らくその実証体験から、やむにやまれぬ気持ちから本書を著者は著されたと思います。本書の一字一句はその魂と信ずる心のほとばしりとも言うことができます。
また、本門佛立宗長薫寺の一信徒として信仰の実践と奉仕をされる中、難解な佛立教学の研究や理解は難しいと思われますが、できる限り研鑽に励み、仏教書を参考に著者の信仰観、仏教観を纏めています。
副題として「日本人の宗教心を問う」とありますが、本書を以て世に訴えて今日の日本が抱える閉塞感や危機的状況を打開したいという著者の願いが込められているようです。
ただ、佛立宗の信者だけではなく、今の時代に生きる人びとが手にして熟読すべき一書だと思います。
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辞書

2007年09月12日 | Weblog
先日、漢字の書き方が分からない時、本の辞書を引きますが、携帯で確かめますか、または、PCで確かめますかという質問に対して、一番多いのは携帯だという結果が出たという報道があった。
辞書や事典はいまや紙から電子情報化してしまい、大きな辞書、事典を出す会社も少なくなってしまったようだ。
個人的には、やはり紙の事典が好きだけれど、あまり大きいと置いておく場所に困るのも事実。また、モバイル用ではないので、不便だしコストも高い。
しかし、仏教関係の事典、辞書になると依然として電子辞書より大型辞書を作ろうとする傾向にある。というより、最初に大型の本の辞書を出して、これ以上売れそうにないとなると電子化するようになるようだ。それに高齢の方の利用を考えると、やはり最初は本で出そうと言うことになる。
いずれにしても事典などは、ある一人の人間の情熱によってできるものだと思う。仏教辞典の宇井伯寿氏は、その序文に「自分はただの編者ではない。何万もの項目のいちいちを見て、添削して完璧を期した」という意味のことを述べている。また、やはり仏教辞典を著した織田得能氏は「誰にも負けない辞書を創る」という意気込みで取りかかったということを述べていて、その迫力に圧倒される。
結論から言えば、そのくらいの意気込みで取りかからなければ、勝れた群を抜くような辞書はできないだろう。
(写真は京都のお豆腐屋さん)
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敬老

2007年09月10日 | Weblog
きのう、わが遠妙寺では敬老御礼御講が開催されました。青年会や薫化子ども会など若い人たちもお祝いにお参りして170~80名の参詣者があったもようです。
体験談発表は井上さん(99歳)のお話を松本さん(82歳)が代読されました。
井上さんは2年前、足をケガしてから家族が、1人でお参りするのは危険だということでお寺や他家の御講にお参りできなくなりました。しかし、非常にお元気でとてもその年齢には見えません。一日の日課が決まっていて、朝早くから起床して御戒壇(いわゆる仏壇)とその周囲を綺麗にお掃除、そしてお初水をおあげしたり、お仏飯をあげ、御題目をお唱えいたします。そして自分で炊事もして朝食、読書もしたり手紙を書いたり、少しも脳力に衰えがありません。常に「み仏」と周囲の方々に感謝して暮らしておられるとのこと。
代読していただいた松本さんも知らない人には10年も15年も若く見られます。
これも妙不可思議のご利益ですね。
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紫式部

2007年09月07日 | Weblog
京都御所の周囲を散策していたら、紫式部が源氏物語を執筆していたと邸宅跡と標示が出ているお寺を見かけました。御所の東側にありますが、一方、滋賀県の石山寺が執筆の地であるとも言われています。しかし、「あぁ、ここで千年前に紫式部が現実に筆をはしらせていたんだなぁ」という思いがわいてきて不思議な気分になりました。
平安時代に女性として今も多くの国の言葉に翻訳されるすばらしい物語を書いたことは大変なことですね。当時の女性は漢文を読むことはなかったようですが、それができ、さらに非凡な文学的才能を持っていたというのです。越後守藤原為時の娘といわれ、また、藤原道長の妾と記されている鎌倉時代の系図集(尊卑分脈)があったり、栄華物語の中に道長が紫式部の部屋を夜半に訪ねたという記述があるというのですが、実際はどうだったのでしょうか。
ともかく、権力をほしいままにして地位も富も何もかも手に入れて栄華を極めた藤原道長の時代にふさわしい物語が「源氏物語」ですし、道長の妾云々は限りなくそれらしい感じです。
仏教とそのような波乱の生涯を送った道長や紫式部とは対極に位置するようですが、そのような俗世のただ中にあるからこそ仏道に惹かれていくということがあるのでしょう。瀬戸内寂聴さんは若いときには、まさに「火宅の人」で大変だったようですが、後に天台宗の僧侶として出家しましたよね。なにか、これも不思議な感じが漂います。まぁ、紫式部は謎に満ちた女性ですし、また、紫式部に限らず女性は分からないというのが正直な感想です。
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