鳥取 妙清寺 お披露目

2008年04月28日 | Weblog
妙清寺の新本堂が完成して6年。このたび、開筵式が挙行され、新本堂建立のお披露目となりました。昨年に引き続いて、二回目の開筵式(かいえんしき)で、このたびは講有巡教で、御講有、小山日誠上人がお越しになりました。そして、中国布教区の他の寺院、また、本山宥清寺、清風寺、そしてわが遠妙寺からの参詣者を迎えて盛大に開筵式が執行されました。開筵式という言葉の中の「筵」とは「むしろ」を意味して、昔、お寺ができますと「むしろ」を敷いて、そこに参詣者が座り、御法門・・説法を聞いたことから、本堂などのお披露目を開筵式と言うようになりました。前日も当日も、すばらしい快晴で、お計らいをいただき、妙清寺の方々も喜ばれ、私たちも共に喜び、随喜しました。
事情によって、私は第一座の導師をつとめるめぐり合わせとなり、ビックリ。何とか、役目を果たしましたが、第二座は御講有上人がつとめられ、もう一度、私は出仕させていただきました。御講有上人は、佛立宗のご信者として御題目をお唱えすることが大事、特に心の上で、少しでもこのありがたい御題目が弘まりますように、この御法で人様が救われますようにとの思いでお唱えすることの大切さを強調されていました。
おおむね順調に進行し、まことに立派な開筵式でした。参詣の皆さんも、そろって笑顔でした。遠妙寺から団体で参詣された方も、みな、無事で帰ってこられ、よい思い出ができたといっています。鳥取砂丘にも寄りました。
谷川御導師、谷川淳浩師、前田局長さんはじめ妙清寺の方々、ありがとうございます。
(写真・上は妙清寺の新本堂、下は砂丘)
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田口行弘君 しばらくサヨナラ

2008年04月25日 | Weblog
きのう、ドイツからはるばる帰国した田口君を囲んでご飯を食べました。
歓迎会で歓送会。もう明日にはドイツに帰国。
いったい田口君はどっちの人なの?
お母さんも寂しがっているよ。アーティストの道は厳しく険しい。
彼は確か東京芸大の油絵か何かを出たはずなんだけど、ずーっと絵を描いていないらしい。彼はいま、風船を膨らませて、その中に人をいれたり、イスやテーブルを置いて写真をとったり、アトリエの床をはがして立てかけたり、また、戻したり、また、積み上げたり、それをビデオに撮って作品にしています。
私は芸術がぜんぜん理解できないけど、それが大阪芸大の「世紀のダ・ヴィンチを探せ! 国際アートトリエンナーレ2007」で大賞をとったということでビックリしました。これなら私もアーティストになれそうだ。
でも、きっと彼は近い将来、日本、いや世界の伝統的なアートの世界を根本からひっくり返して、斬新で新しい、独自のジャンルを樹立してくれるに違いありません。
田口君、サヨナラ。また、ドイツでいろんなものを仕込んで、スケールの大きなアーティストになって帰ってきてください。じゃーね。
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今日のことば 4月23日

2008年04月23日 | Weblog
「人間は一生終らざれば、善人悪人定め難しと云々。初、中、終あるが故に。」(日扇聖人)
私たちは、あの人はいい人だとか、立派な人だと言い、また、反対にあんな悪人はない、本当にイヤなヤツだ等ということがあります。
ところが、最初はダメだと思っていた人が意外に、力を持っていたことが分かったり、善人だと信じていた人が実は、陰で悪いことをしていたなどということは枚挙にいとまありません。
私たちは、気が短くて、長い目で人を見ることができません。すぐ、チョットしたことで、人の価値を決めつけてしまいます。その結果、誤った判断をしてしまうのです。特に、人の悪い噂を聞いたり、何か気に入らないことを言われたりしますと、たちまち、その人を酷評して引きずり下ろします。ところが、根っからの悪人などいないのです。日蓮聖人は「無顧の悪人、なお妻子を慈愛す」と言われ極悪人といわれる人でも、自分の妻子に対してはこころから慈愛を傾けるものだといわれています。反対に、見せかけの善人も多く、期待を裏切られることが多々あります。ですから、何事も断定しない方が得策です。自分の人を見る目だけは確かだ等と自惚れないほうがよいでしょう。一国の政治を託す総理大臣でも、案外ダメだと思った人が勝れた政治を行ったり、見かけ倒しの人や国民を口車に乗せ、裏切り行為をする人さえありますから、確かな鑑識眼を養わなくてはなりません。とかく、私たちの鑑識眼というものは、自らの損得勘定によって判断してしまいます。おおいに心しなくてはなりません。
逆に、人から評価されている立場に身を置き換えれば、最初はそれなりに誠意を尽くしてやってきていても、途中で力を抜いたり、最後の最後で欲を出して、信用を失わないよう気をつけようということです。
特に、人間は一生を終えるとき、晩年の時期がもっとも大切です。いつだったか、元、検事総長として鳴らした人が詐欺事件を起こして逮捕されたというようなことがありました。極端な例かも知れませんが、そんなことだって起こることは銘記すべきです。
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心の自由について 賢者のことば 

2008年04月19日 | Weblog
「王地に生まれたれば、身をば随えられたてまつるようなりとも、心をば随えられたてまつるべからず」(日蓮聖人 撰時抄)
日蓮聖人は大難4ヵ度というように、自己の宗教的信念を貫いた結果、鎌倉幕府によって迫害を受けられました。
そのような権力によって、死をも覚悟されたほどでしたが、いずれのときも奇跡的に命を助かり、再び、南無妙法蓮華経の御題目の信仰を弘められるようになりました。
キリスト教にも殉教者が輩出しましたが、日蓮聖人及び、その教えの継承者にも不屈の信仰を貫いた殉教の歴史があります。
命を狙われても、脅かされても屈せず、金銀財宝を以ても誘惑することができなかった日蓮聖人。その不動の信念とは、どのようなものだったのでしょうか。
もちろん、日蓮聖人はただの人間ではない、菩薩の生まれ変わりだったということも言えるでしょう。しかし、やはり一人の人間日蓮という側面も持っておられたでしょう。そのように考えてみますと、きっと「日蓮聖人ご自身が窮地に陥ったとき、御題目をお唱えして何度も命を助けられたという経験をなさっていた、そして、御題目の有難さを身に沁みて感じ取っておられた,だから、いかなることが起こっても絶対に転ばれなかった」という言い方もできるのではないでしょうか。
簡単に、僅かなお金によって自己の信念を曲げてしまったり、転向してしまう人があります。第二次世界大戦の前にも転向者はあったようですが、戦後に急に民主主義者になった人はそれ以上に大勢いるようです。
どんなに身体は拘束されても、私の心まで誰にも支配されないという不撓不屈の精神にはただただ驚き、神々しさに鳥肌が立つような気がします。
それにしても、権力や暴力によって他人の信仰を圧迫し、あるいは思想や良心の自由を奪おうという政治家や権力者の心の構造はどうなっているのでしょうか。
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今日のひとこと 賢者の言葉

2008年04月18日 | Weblog
「火事を見て、火事装束にいとまいりて、家やけたりという事あり。臨終の事をゆるがせにして、今臨終というときに、けいこをなすべしや」(日扇聖人)
 火事が起きて、火事の時に何を着ようかと迷い時間がかかり、ついに消す事もできず、家が焼け落ちるなどということなど考えられません。しかし、一刻を争う火事になっても、おっとり構えて、消火しようと思いながら手遅れで、みすみす焼けるのを見てたりする人も実際にあり、中には逃げ遅れたりする人もあります。
 火事の場合はともかく、人間が死を迎える事は決まっているのですが、それに対して正面から向き合おうとしない人はたくさんいます。死と向きあって、その事を真剣に考え、その心構えをつくることが大事です。それを、先延ばしにして、まだまだ先があると思っているうち、その日はやってきます。誰にも、明日の命は保証されていません。やるべきことは、今日のうちにやっておかなくてはなりません。
死に臨んでは、臨終行儀というものが必要です。しかし、これは日頃からのけいこ、鍛錬が必要で、その稽古とは信心を実践する事です。
そんな大事な心構えは、にわか(俄)ごしらえでは間に合いません。
日蓮聖人は「まず臨終の事を習うて後に他事を習うべし」と言われています。もっとも、大切な事を後回しにして、欲望の追求に明けくれたり、現世の栄耀栄華に酔いしれて、おもしろおかしく暮らすようでは、きっと後悔することになります。
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ビューティフルレディーズ

2008年04月16日 | Weblog
わが遠妙寺には、BL・・・すなわち、BUTURYUーLADIES(佛立レディーズ)(またの名をビューティフルレディーズという人も一部にあります)という会があります。この会は、30代から50代までの女性の会で、働きながら、あるいは主婦として家事をしつつ、子育てをし、信心修行に精進し、ボランティア活動をしたり、世の中のために尽くす菩薩行を実践している方の会です。
生きていく上で私たちには、さまざまな悩みがあり、困ってしまうことがあるものです。会社における人間関係、家庭での問題、また、子育ての悩み、あるいは病気や身体のこと。それらの悩みについてお互いに話したり、相談したり、ご信心によって解決し、少しでも皆が幸せになることを目指して活動しています。
同じ年代の人同士、情報を交換したり、お互いに知恵を貸し会うこともできます。
また、自分のことに終始するのではなく、「他の方のため」に奉仕することが皆の目標です。
そのBLの4月の御講(平日の部)が昨日、行われました。
いつも仲良く話をしていると、お互いが本当の家族か姉妹のような感覚になります。いまや、BL会はみんなの心のより所となっています。
(写真は遠妙寺HPのもので、少し以前に撮影したものでしょう)
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口は禍の門

2008年04月14日 | Weblog
口は災いの元などという言葉もありますが、本当に言葉が原因となっていろいろな忌まわしい事件や出来事が引き起こされます。
日蓮聖人は崇峻天皇御書(すしゅんてんのうごしょ)というお書きものの中に、蘇我氏と対立して暗殺されてしまった崇峻天皇のことを挙げられています。
西紀592年10月4日、イノシシを天皇に献上する者がいました。天皇は、そのイノシシの目を刺しぬいて、「いつかこのイノシシの首を斬るように、あの憎い者を斬ってやりたい」と話したところ、これを蘇我馬子に伝えた者がいました。
馬子は「きっと天皇は自分のことをいっているのだ」と思い、暗殺を決意します。天皇に東国の貢ぎ物をささげると偽り、その儀式に出席させ、東漢直駒(やまとのあやのあたいこま)の手によって暗殺させました。
その故事を日蓮聖人は引かれて、
「中国の孔子は九思一言といって、九回もよく考えてから始めて一回口に出して言うといわれている。また周公旦という人は、髪を洗っている時も、たとえ食事の時でも、人が尋ねてくると三回も立って行って、人を待たせるようなことはしなかったという。ましてや仏法を信ずる者はこのことをよく肝に命じておく必要がある。・・・教主釈尊の出世の本懐は、こうした人としての平素の行動を教えたものである」といわれています。
テレビを見ていましたら、倖田來未が「羊水うんぬん」発言で謝罪し、ようやく舞台に復帰したとかいうニュースをやっていました。殺人事件が多発していますが、不用意な発言によって引き起こされていることが多いようです。
気をつけないとこわいですね。
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銀座で個展 アーティスト・石川展光

2008年04月12日 | Weblog
ここ2、3日はアーティストづいているんですよ。
昨日、田口氏が来訪してくれたと思ったら、今度は石川展光氏から個展の案内状をいただきました。
石川展光氏は銅版画と素描でその才能を発揮しているアーティストです。
連休も終盤の5月5日(月)から10日(土)まで、銀座のガレリア・グラフィカbis(中央区銀座6-13-4銀座Sビル1階)で「石川展光展 nocturne ~夜想刻~」と銘打って、個展を開くという通知をいただきました。
彼は、現在、大学で美術を教えるとともに、求道者のごとく美の追究をしています。
先日、彼の作品をいくつか見させてもらう機会がありました。また、封書に同封されていたDMのハガキをみますと今まで経験したことがない美の世界に引き入れられる感がしました。
私の周りには、すばらしいアーティストがいたんだなぁと今更ながら感動しています。
ぜひ、個展に行きたいと思っています。
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田口行弘さん、ひさしぶり

2008年04月11日 | Weblog
先ほど、田口行弘氏がお参りされ、話をしました。
彼は、ドイツで東京芸大卒業後、アーティストとしてドイツで活動しています。
昨年、大阪芸術大学グループ主催の「世紀のダ・ヴィンチを探せ! 国際アートトリエンナーレ2007」にドイツから応募して見事「大賞」に輝きました。
そのことは以前、私もこのブログでとりあげました。その折、賞金を大阪芸大から頂き、ご縁のある3か寺に有志としてたくさんの寄付をされました。
今日、よくお話を聞きますと、その賞金のうち、なんと20%もの高額の税金が日本国に納めた後、頂いたそうです。無茶苦茶ですね、日本という国は。考え方が貧しい。国家がアーティストを支援するどころか、税金として多額を強奪するとは。そのあげく、税金を無駄遣いしたり、お金がたくさんある銀行にタダ同然の金利で貸し付けたり。
その話はともかく、きらめく才能をもっている彼のことを日本で理解できる人は、大賞をもらったとはいえ、まだまだ少ないのは嘆かわしい。
このたびは、ドイツ空手協会に同行する形で帰国したそうであるが、一人のすぐれたアーティストがアーティストとしての道を追求するには、日本及び日本人はあまりにも鈍感で冷淡だ。(画像は田口氏のサイトから)
公式サイト http://yukihirotaguchi.com/
ブログ http://spazieren.exblog.jp/
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入学式

2008年04月11日 | Weblog
昨日は、佛立教育専門学校の平成20年度入学式。
多少、年は食っていても、ぴっかぴっかの一年生に6人の方がなりました。
その中に、わが遠妙寺で青年会幹事長をつとめた見畑登治師がいます。
見畑師は4年前、東京から地元、小倉不軽寺に帰り、3年の間、見習い修行をしていました。そして、甲斐あって昨年の正月、得度して厚治あらため登治師となって、このたび、京都の佛立教育専門学校に入学となったのです。
彼の前途を祝福したいけど、入学して修行と学問に精励しなくてはならないのに、その晩に「乾杯!」とやるわけにいきませんよね。
心の中で、彼のために乾杯!
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